2014/02/22

板門店と戦後史

板門店に来ました。韓国軍の兵士と私が立っているのは北朝鮮側です。軍事停戦委員会の本会議場内でのみ、軍事境界線を越えて北朝鮮側に渡ることができます。板門店は韓国兵と北朝鮮兵が相互に双眼鏡と監視カメラで監視しているので緊張感があります。非武装中立地帯といいながら、皆が皆、重武装しており、韓国兵は直ぐに銃が撃てるように、腰の位置に手を浮かせた「テコンドーポーズ」をとっています。過去に数度、板門店で銃撃戦があり、死人が出ていることを考えれば無理もないのかも知れません。ソウルからわずか80キロの場所に、未だに冷戦下の「停戦」の緊張感が漂っていて、韓国が日本と異なる戦後史を歩んできたことを実感しました。


2014/02/10

マドリッド大学での発表が無事終わり、トレドを巡り、バルセロナに来ました。国際学会発表も10回を超えると、英語での発表に慣れてきた感じがします。とはいえ準備も含めた拘束時間が長くてしんどかったです。カンファレンスの前後には、他の国の研究者とマドリッドを巡り、ドン・キホーテとサンチョ・パンサの像を見たり、世界一の資産価値を持つ(らしい)レアル・マドリッドの試合を観たりしてきました。サッカーを6年やってたわりに、全くサッカーに詳しくないんですが、足して6点(試合は4−2)入るのを生で観ると、サッカーも面白いかも、と思いました。個人技がすごいすね。電気ストーブも暖かいです。ただスポーツを観ることの面白みという点では、先日のスーパーボウルのシアトル・シーホークスの試合内容の方がはるかに素晴らしく、フットボールとコーヒーはアメリカンの方がええわなあ、とも率直に思いました。



2014/02/04

ザビエルとリスボン

リスボンに来ました。写真は2月25日橋と発見のモニュメントです。日本への布教で出世したザビエルも、エンリケ航海王子やヴァスコ・ダ・ガマと並んで彫刻になっています。
日本の観光客からすると、「あのザビエル(皆、教科書に落書していた)も出世したものだ」、という感慨がわくわけですが、5世紀ぐらい経って、余計なお世話でしょう。
リスボンは期待以上にシーフードがうまいです。


2014/02/02

釜山・甘川文化マウル・長崎

釜山の甘川文化マウルに行きました。現地の人によると、元々は朝鮮戦争の時、北から逃れてきた、相対的に貧しい人々が住み始めた場所で、近年、アートで町起こししたらしいです。バスで行き方がよく分からず、運転手にも英語が全く通じなかったですが、気持ちは通じたらしく、無難に目的地に着きました。

日本の直島に比べると作品の数は少なく、風景も観光地として洗練されているわけではないですが、全体に親切な人が多く、暖かい景色の中で、長崎に帰省したような暖かい心地がしました。
釜山の街並みは長崎を彷彿させるので、長崎の山の斜面も、アートでカラフルにすると、いいかも知れないなあ、と適当なことを思いつきました。
ただ失敗すると阿久根市みたいに痛い感じになりそうです。

もう一つの写真は、韓国の京都、慶州にある世界最初の天文台(?)と言われる場所です。
慶州は大雪が降りましたが、今は写真の通りです。日本と韓国の政治的な関係が悪くなったときは、(飛行機も電車もバスも空いていることですし)、民間の交流が深まりやすく、旅費も安くすみます。
改めて冬の韓国もいいなあ、と思いました。