2015/12/02

ゼミの学生が制作をお手伝いした教育番組が放送されました

情報学部メディア表現学科の酒井信ゼミの学生が、制作に参加したテレビせとうち制作の番組「しまじろうのわお!」のうたのコーナー、「じかんのうた」が放送されました。
11月28日(土)8:30〜 テレビ東京系で放送
「しまじろうのわお!」(ベネッセ提供)*「じかんのうた」は再放送もあり

番組公式HP
http://kodomo.benesse.ne.jp/open/tv/

番組の制作を指揮したのは、映像ディレクターで情報学部で非常勤講師を務めている江里口徹平先生で、2トントラックを含む車両4台を使用し、湘南キャンパス・スタジオに本格的なセットを搬入・設置した上で撮影が行われました。学生たちは撮影の現場で、撮影・照明・セットの運用などについて実践的なレクチャーを受けながら、小道具を操作するなどの制作をお手伝いしました。



「しまじろうのわお!」は、米国テレビ芸術科学アカデミーが主催する「国際エミー賞 2015」の子供向け番組の部門(International Emmy Kids Awards: Kids: Preschool)にもノミネートされています。

2015年国際エミー賞ノミネート作品の一覧

http://www.iemmys.tv/news_item.aspx?id=202

教育用の映像コンテンツの制作は、教員養成に重きを置く文教大学にとって将来性のある重要な分野です。情報学部メディア表現学科では、実際に地上波で放送される番組の制作実習を通して、「新しいメディアを用いた教育のあり方」について学生と共に研究しています。



チェルノブイリ原子力発電所 Unit 4に行ってきました

2015年にノーベル文学賞を受賞したスベトラーナ・アレクシエービッチの『チェルノブイリの祈り』と、前に株式会社ゲンロンから送ってもらった『福島第一原発観光地化計画』に触発されて、チェルノブイリ原子力発電所 Unit 4に行ってきました。
ロンドン大学での学会発表で空き日ができたので、ふらっとKievに立ち寄って、コツコツ書いているヨーロッパの産業遺産についての原稿の取材を兼ねて参加した感じです。
色々と考えることが多かったので、行って損はなかったと思います。
1986年4月26日に事故を起こしたUnit 4の目の前までツアーバスは乗り入れます。周辺の見学だけかと思ったら、ミニバンはどんどんUnit 4に近付いて、石棺の上にシェルターを構築する作業をしているど真ん前で停車するので、びっくりしました。Unit1〜3も車窓から見れます。

この日のツアーの最初の予約者だったこともあり、割引価格でランチ込みで100ドルぐらい。東欧の現地ツアーにしては高いなあ、と思いつつも、普通は140〜150ドルぐらいとられるらしく、ミニバンでチェルノブイリ村やソ連時代の通信施設なども見学できて、全体に充実した内容でした。
キエフの街中も期待していた以上に面白く、概して信心深いいい人が多かったです。3年ほど前に滞在したモスクワ大学の近隣の風景を思い出しました(ソ連から離脱したとはいえ、この国はロシアと似てますね)。ウクライナ問題の影響から、観光客も少ないので、屋台でコーヒーを飲んだりする時に出会う街中の人たちもフレンドリーでした。
ツアーの参加人数も少なかったので、ガイドの女の子からガイガーカウンターを小まめに見せてもらうことができました。
Unit 4の前で、3.2マイクロシーベルト/時が最大で、意外と数値は高くないんだなあ、と思いました。写真の奥にいるウクライナの作業員は、コーヒー(顔が赤かったのでウォッカ入り?)を飲みながら平然と屋外で談笑しています。
確認できた放射線量の最大値はUnit4の反対側の野外で、13マイクロシーベルト/時。働いている人たちは放射線量が高い場所を熟知しているのかも知れません。
Unit 4から離れた廃墟になった幼稚園の近くの土の上が、意外にも10マイクロシーベルト/時を少し超える放射線量だったので、周囲も除染が十分行われてきたとはいえないようです。
アメリカから来た若いカップルが、Unit 4の近くでは車を降りなかったのが印象的でした。ただUnit 4から遠いところにも放射線量が高い場所が点在していて、10マイクロシーベルト/時を超える場所が複数あったので、Unit 4から遠いから安全というわけではなさそうです。
原発のすぐ近くの消防署には、『チェルノブイリの祈り』で描かれていた通常装備で被爆した消防士たちの石像も立っています。
原発から直ぐ近くに街があり、旧ソ連時代は理想的な労働環境の街として宣伝されていたようです。旧ソ連時代の雰囲気が廃墟としてそのまま残されています。
下の写真は廃校になった小学校に置かれた、ガスマスクの山です。ガスマスクの素材の薄さが、当時のソ連の経済状況を実感させます。

キエフに戻って詳しく話を聞いたところ、キエフ市内ではチェルノブイリ原発事故の話題は、未だに「センシティブ」な内容なのだとか。
事故当日にどこで何をしていたか、身内で亡くなったり、病気になった人はいるのか、食べ物や生活用水がどれくらい汚染されていたのか、政府が事故の影響をどれくらい隠していたのか、現実に除染がどれくらい進んでいるのか、といった話は、『チェルノブイリの祈り』と同様にリアリティがあって、身に詰まされる内容でした。