2023/07/19

第169回直木賞の展望

  西日本新聞朝刊(2023年7月19日)に、第169回直木賞について、書評家の西田藍さんと対談した記事が掲載されました。前々回の対談では、二人とも永井紗耶子さんの『女人入眼』を推し、惜しくも決選投票で過半数に届きませんでした。今回も山本周五郎賞を獲得し、2度目の直木賞候補となった永井紗耶子さんの『木挽町のあだ討ち』を、二人とも受賞作に相応しいと予想しています。永井さんが受賞すれば史上3人目の直木賞・山本周五郎賞のW受賞者となります。古典芸能・文学の復興には、質の高い時代小説・歴史小説の流行が不可欠だと、個人的には考えていますが、近年、気鋭の中堅作家による時代・歴史小説の復興の兆しが感じられます。

 今回私が推した2作品についての対談用のメモは下記です(対談の内容とは異なります)。今回も力のある候補作が多く、読み応えがありました。

第169回直木賞の展望は きょう19日選考会 候補5作、受賞予想は一致

【対談】明治大准教授・酒井信さん、書評家・西田藍さん

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/1108614/


永井紗耶子『木挽町のあだ討ち』
・木挽町の芝居小屋に身を寄せた訳ありの人々の姿を描く。「あだ討ち」の解釈をめぐる「藪の中」のような物語であり、折口信夫のいう所の「貴種流離譚」でもある。
・尾上松助・初代・二代目親子、筋書の篠田金治など実在の人物を交えながら、木戸役者の一八、立師(たてし)の与三郎、裁縫の部屋子など、歌舞伎の舞台を支える様々な人物の人生を描く。
・山本周五郎の『樅の木は残った』や、松本清張の『無宿人別帳』のような時代小説としての志の高さが感じられる。様々な人物の証言を通して菊之助の成長を描く、教養小説でもある。
・「わしは手前の筆で五人の女を成仏させたろう、思うてますねん」など、粋な会話文が魅力的で、木挽町という芝居にゆかりのある土地に根差した物語。松平定信の「卑俗な芸文を取り締まる」時代に抗う群像劇。
・侍を頂点とする江戸の社会が抱える矛盾について、作中人物たちの情感を手掛かりに巧みに描いている。
・時代小説家として抜きん出た実力。永井さんにはスター作家になってほしい。
・受賞すれば史上3人目の直木賞・山本周五郎賞のW受賞者。古典芸能・文学の復興には、質の高い時代小説・歴史小説の流行が不可欠だと、個人的には考えるが、永井さんを筆頭として、近年、気鋭の中堅作家による時代・歴史小説の復興の兆しが感じられる。

垣根涼介『極楽征夷大将軍』
・足利尊氏・直義兄弟を中心として、足利家が室町幕府を開くに至る複雑な史実をひも解く。
・虚構を多く含む時代小説と言うよりは、史実に即した歴史小説。史実を追いながら歴史を俯瞰的に体験したい読者向きの大作。
・征夷大将軍として異質な足利尊氏の水の流れのように気ままな生涯を描く。
・欲望がむき出しになった時代に、野心も使命感も持たず、時代を漂った人間として、足利尊氏を描く。
・執念深い後醍醐天皇や戦に長けた楠木正成、実務家として室町幕府を築いた弟の足利直義や高師直など、膨大な数登場する脇役も魅力的。
・こういう大部の歴史小説を読んでおくと、例えば平賀源内が書いたことで知られる「神霊矢口渡」など、「太平記」の時代を舞台にした歌舞伎演目の理解も深まる。
*******
 永井紗耶子さんと垣根涼介さんが無事、受賞しました。時代小説・歴史小説の2作受賞は1年半ぶり。当てるのがすべてではないですが、今回は2作の予想が的中でした。あと別件ですが、長年担当している裏方仕事でPick Upした作品が、思いの外、注目を集めて嬉しく思いました。
*******
 西日本新聞の新連載、坂口恭平さんの「その日暮らし」が面白い。これから楽しみです。娘のアオさんの挿絵と、坂口さんの文章の相性がばっちりで、素晴らしい。

https://www.nishinippon.co.jp/theme/8ffwula3i0/

*******
 鉄道の旅がベタに好きで、値段あたりの経験の価値について、よく考えます。ムンバイの鈴なり電車や、ジャカルタの旧東急車輌(桜木町行き)、韓国のKTXや中国の和諧号、スイスの(イタリア移民が主に作った)山岳鉄道、ヨークやサクラメントの鉄博の19世紀の車輌、メキシコシティの格安地下鉄、東欧の街々の社会主義の香りのするトラム、モスクワの芸術的な地下鉄など色々と思い出深い旅がありますが、円安の影響で、九州新幹線のネット・チケットがコスパで世界最高水準に達していると思います。九州は魚も肉も酒も温泉も人情も最高で、福岡がNYTimesでplaces to go in 2023に選ばれたのも納得です。

52 Places to Go in 2023 - The New York Times

https://www.nytimes.com/interactive/2023/travel/52-places-travel-2023.html

2023/07/13

IAMCR(国際メディア・コミュニケーション学会)@リヨン大学

 IAMCR(国際メディア・コミュニケーション学会)@リヨン大学での発表が無事に終わりました。スペイン、香港、台湾の研究者とのセッションで、地域ジャーナリズム研究の科研費の成果ということで、名古屋大学の小川先生と発表をご一緒しました。この研究テーマはひと段落という感じです。国際的な展開も先々、期待できそうです。




 オープニングは、マルクス主義批評を現代的な形で展開するChristian Fuchsで、相変わらずルカーチやベンヤミンなどの古典的な理論の参照の仕方に切れ味があり、何度も笑ってしまいました。彼とは以前にDigital Labour and Karl Marx などの著作の日本語訳の話をしたこともありましたが、翻訳に時間がさけず、日本で紹介できなかったことを残念に思っています。
 conferenceディナー(自費)の会場は、ローヌ川沿いのMusée des Confluencesで、日本からは元慶應SFCの伊藤陽一先生をはじめ10名ほどの参加でした。
 

 2023年6月下旬のフランス各地の暴動の影響で、リヨンの中心部でも写真のようにATMが壊されていました。メインストリートのATMの数台がこういう状況で、窓ガラスも割られた店舗が点在する状況。様々な背景があるにしても、短時間でコミュニティが破壊される事件が、新型コロナ禍を経て頻発していることを実感します。

 日本の現代文学・文化の調査で訪れたパリの国際日本文化会館では、土門拳の写真の展示をしていて多くの来場者で賑わっていました。広島の被爆に関する写真も重点を置いて展示していました。酒田の土門拳記念館の展示写真から良いものを厳選した印象。

 
 パリの中心部から少し離れた場所にあるバルザックの家の展示も、カフェの運営やグッズなどの販売も含めて日本の文学館の参考になると思いました。ドイツのゲーテハウス等と比べると、観光地としての「展示価値(ベンヤミン)」は弱いのですが、一連の「人間喜劇」の登場人物たちが出没しそうな商店街の先にあり、往時のパリの下町の雰囲気も体感できて良かったです。


 骨折のリハビリをしながら調査を継続しつつ(階段の昇り降りがまだまだ大変)、移動時間など合間に事務仕事や来月のゲンロンのイベントの準備など、溜まった仕事を片付けています。猛暑の夏を、心身ともに健康に乗り切りたいものです。

 と書いた直後に、シャンベリー・トリノ間のTGVが大幅に遅延した上、イタリア国境で車両トラブルが生じ、アルプスの山中で逆方向から来たTGVに乗り換える、という面白いオペレーションで、自分の指定座席を確保する必要に。権利は柔軟かつ確実に主張しないと維持できないのが、懐かしのイタリア。学生によく話すTipsですが、イタリアでは渋滞時に、車の窓から手を出して感情表現したほうが合流しやすい、のも似た理由だと思います(個人差があります)。
 とはいえアルプスを越えてトリノを訪れる価値は十分にありました。ニーチェが発狂したことで知られるカルロ・アルべルト広場の近くの発酵ピザと、5種のジェラートが最高に美味しかったです。下の写真はイタリアの映画の発祥地・トリノにある国立映画博物館で、映画の博物館としては世界最大級。新しいテクノロジーを織り込んだ「視覚的な展示」が魅力的で、メディア文化論に関する授業用写真を撮りまくりました(私の授業PPTでは、世界のメディア関連の博物館で撮影した、著作権上の問題のない写真を使用しています)。140年近く前に建造された天井のドームを繰り抜いてワイヤーを通し、映画史を俯瞰しながらエレベーターで展望台に上がることができるという、夢のような空間。イタリアらしく、ヴィスコンティやアントニオーニ、フェリーニなどの大御所から、パゾリーニのような奇才の作品展示もあり。井上ひさしが『ボローニャ紀行』で記していますが、文化と歴史と観光を軸にコミュニティの保全と刷新を図るイタリアの街から学ぶことは多いと思います。