2019/07/30

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第69回 保坂和志『季節の記憶』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第69回 2019年7月28日)は、保坂和志の鎌倉を舞台とした代表作『季節の記憶』を取り上げています。表題は「鎌倉の風景と哲学的雑談」です。写真は一週間ほど前の授業終わりに、作品の舞台となった稲村ヶ崎で撮影した写真です。海を見ながら考え事をしている人がたまたま映っています。

保坂和志は三歳の頃から鎌倉で育ち、湘南の名門校、栄光学園高校を卒業し、職業作家となった後も生活の拠点を同地に据えています。この作品で描かれる稲村ヶ崎の風景は、登場人物たちの「季節の記憶」を通して、細やかに描かれています。秋の日の夕方、「この時期、人間っていうのは、つくづく言語でできていると思うな」と松井さんが語るように、何気ない日常会話の中に「季節の記憶」が宿っていることを感じさせます。

所々にシリアスな描写もあり、「鎌倉、逗子、横須賀、藤沢あたりには米軍の池子弾薬庫周辺の国有林の伐採をめぐる反対運動のような開発に絡む市民運動がたえずある」といった一文が挿入され、現実に引き戻されるのも、作品の魅力です。

出来事らしい出来事は起こらない作品ながら、「僕」の友達の登場人物たちの個性が光る作品で、稲村ヶ崎からほとんど動かない小説を、多彩なものに仕上げています。暇を持て余している「僕」と、個性の強い友人たちとの哲学的な雑談も面白く、地に足の着いた思想性と、日常生活に立脚した文学性の双方が感じられる作品です。

あと11月3日の文化の日に、福岡ユネスコ主催の文化セミナー(@渡辺通りの電気ビル)で講演をすることになりました。お二人のメディアでご活躍されている先生方と「世界史レベルで『平成』を振り返る」という趣旨の内容です。こちらの詳細はまた後日。


2019/07/26

満員御礼:江藤淳没後20年 昭和と平成の批評 ー江藤淳は甦えるー

日本出版学会「江藤淳没後20年 昭和と平成の批評―江藤淳は甦える」シンポジウムを無事終えました。定員の120名を大幅に上回る予約を頂いて盛会となり、内容の上でも好評の内に幕を閉じることができました。文化的なイベントの集客が難しくなっている中、足を運んで頂いた多くの方々に、心より感謝申し上げます。

江藤淳の過去の担当編集者にもご来場を頂き、多くの出版関係者にもご関心を頂きました。ディスカッションでは、日本近代史をご専門とされる先崎彰容先生や、アメリカの現代史をご専門とされるご会田弘継先生にもご参加を頂き、江藤淳の批評の射程の広さを物語る、充実した内容のシンポジウムとなりました。

この会の発表内容を踏まえた原稿を西日本新聞に掲載を頂きました。
続編となるシンポジウムを期待する声を多く頂きましたので、次のシンポジウムも企画中です。今回ご来場を頂いた方々のメール・アドレスに、御礼と次回のご案内をお送りいたします。







2019/07/21

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第68回 絲山秋子『エスケイプ/アブセント』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第68回 2019年7月21日)は、絲山秋子の京都と福岡を舞台にした『エスケイプ/アブセント』を取り上げています。表題は「京都ー福岡 逃亡と不在」です。

主人公の江崎正臣(40歳)は「どっかで暴動でも起きないかなー」という物騒な口癖を持つ活動家です。自分のことも「ひきこもりとおんなじ」で「マルクスおたく」だと位置付ける自嘲ぶりです。この作品は、時代遅れの運動に関わってきた若者の「その後の人生」を描いた、絲山秋子らしい現代小説です。

正臣は1966年生まれで、1974年の三菱重工爆破事件をきっかけとして「過激派」に惹かれるようになります。バブル期に大学に入りながら、時代遅れのセクトでの「活動」にのめり込み、完全に時代に取り残されています。この作品には従来の「党」や「運動」に関する小説に見られる悲壮感や、主義・信条上の問いなどは全く感じられず、中年に足を踏み入れた活動家の生活者らしい「半生=反省」が横たわっています。

作品の全体を通して絲山は、もし誰かが人生から「エスケイプ」をしたら、彼らがいるべき場所に「アブセント(不在)」が残ることの意味を問いかけています。9・11以後、世界にぽっかりと空いた「不在」は、私たちの心の中にも存在するのではないか、と。絲山秋子らしいユーモラスで深みのある「転向小説」です。


2019/07/14

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第67回 車谷長吉『赤目四十八瀧心中未遂』

現在、IAMCRのPost Conferenceでスペインに滞在しています。西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」は平常運転中で、本日の紙面(第67回 2019年7月14日)では車谷長吉の直木賞受賞作『赤目四十八瀧心中未遂』を取り上げています。表題は「『温度のない悲しみ』掬う」です。
本連載のテーマに適した、現代文学屈指の名作ですので、ぜひご一読を!

「パンツのゴム紐が緩んでずり落ちるみたいに、私はいつの間にや、ずるずるここへ来てしもたんです」と、尼崎で牛や豚の臓物をさばいて串刺しにする仕事に従事する「私」は語ります。直木賞の受賞作ですが、かつての芥川賞の受賞作のような「純文学」の王道に連なる作風です。私小説というよりは、葛西善蔵や椎名麟三などの作家たちが体現した、身を削り取るような作風に、自らの経験や感性を込めた現代小説と言えると思います。

この作品で描かれる尼崎や天王寺の風景は現実感あふれるもので、実際に車谷長吉は主人公と同じ年齢の頃、この辺りで料理人や下足番として働いていたらしいです。横浜の黄金町近くの町を舞台にした山本周五郎の『季節のない街』の関西版という雰囲気の作品です。

ただ東洋大学を中退し、子をつれて金の無心に奔走した葛西善蔵や、その口述筆記を行った嘉村礒多や、車谷と同郷で、旧制姫路中学を中退し、コックとして働いた椎名麟三の小説が描く切迫した生活と比べると、この小説で描かれる「私」の生活は、高度経済成長以後の日本社会の豊かさを背景とした、慶應義塾大学文学部卒という「保険の付きのもの」だったと言えるかも知れません。それでも著者の言葉は、流浪の生活をくぐり抜けて来た著者らしい切実なもので、この作品は文学史上の名作に連なる私小説だと思います。



2019/07/07

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第66回 山本文緒『群青の夜の羽毛布』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第66回 2019年7月7日)は、山本文緒の『群青の夜の羽毛布』を取り上げています。表題は「横浜郊外の家庭に潜む『闇』」です。

現在、長期化した引き籠もりの子を持つ家庭の問題が社会的に注目を集めています。「8050問題」と言われ、引き籠もりの子が50代となり、その親が入院や介護を必要とする80代となることで、金銭的にも、人間的な繋がりの上でも双方が社会的に孤立していく問題を指します。

この作品は、父が引き籠もり、娘もその世話で引き籠もるようになった家族を描いた内容です。主人公の「さとる」は今日で言う「毒親(子供を支配し、悪影響を与える親)」の下で育てられた20代の女性で、母親から22時の門限ルールや家事の分担を厳しく課せられています。

「引き籠もり」という言葉が社会的に注目されたのは、2000年前後の「就職超氷河期」と呼ばれた時代ですが、1995年に出版されたこの作品は、後に「引き籠もり」や「8050問題」として注目される問題を、現代小説らしい感度で先取って描いています。

「長編の場合、長期に渡ってその土地のことを考えなくてはならないので興味のない土地のことを書こうとは思わない」と山本文緒は述べています。この作品は山本が生まれ育った横浜市の南区を舞台にした作品で、横浜郊外の家庭に潜む「闇」を、地に足の着いた筆致で描き出すことに成功しています。


2019/07/02

月刊「広報会議」掲載:「文章力とメディア・リテラシー」

株式会社宣伝会議が発行する月刊「広報会議」の2019年8月号で『メディア・リテラシーを高めるための文章演習』のインタビュー記事を掲載頂きました。
「文章力とメディア・リテラシー 情報社会を生き抜く知恵」というタイトルで、1ページの原稿をご掲載頂いています。
上手く拙著の要点を拾って頂き、広報担当者向けの記事に仕上がっていると感じました。
「広報会議」を見かけた際は、ぜひご一読を頂ければ幸いです。