2018/12/23

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第39回 村上龍『コインロッカー・ベイビーズ』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」の第39回(2018年12月23日)は、村上龍の長編3作目『コインロッカー・ベイビーズ』について論じています。表題は「炭鉱と渋谷 暗黒的な未来」です。写真は長崎の池島炭鉱で私が撮影したものです。

村上龍はその代表作を20代から30代に記した早熟の作家として知られています。横田基地近くでの奔放な性体験と薬物に浸った経験を基にして「限りなく透明に近いブルー」を記し、二四歳で群像新人賞と芥川賞を受賞。360万部を売り上げています。

ただこのような作家としての飛躍は、1980年に発表された長編3作目の『コインロッカーベイビーズ』の成功なしにはあり得なかったと思います。この作品の魅力は、荒削りでダイナミックなストーリーと、地方の生活者の視点から捉えた細やかな日常の描写の双方にあると思います。岡崎京子の『PINK』など、この作品が日本のサブカルチャーに与えた影響は大きく、若き村上龍の、大胆で才気に満ちた代表作だと思います。

今年は西日本新聞の日曜日の文化欄に「現代ブンガク風土記」を連載し、12月23日の39作品目で、年内の連載は最後です。新年の連載は1月6日より再開します!

2019年2月末には『メディア・リテラシーを高めるための文章演習』を刊行予定です!


2018/12/21

西日本新聞・文化欄「今年の収穫」

西日本新聞12月17日(月)の文化欄「今年の収穫」で、2018年度に発表された小説の中から、印象に残った3つの作品を紹介しました。私が選んだのは、以下の作品です。

辻仁成『真夜中の子供』
吉田修一『国宝』
青来有一「フェイクコメディ」

今年は西日本新聞の日曜日の文化欄に「現代ブンガク風土記」を連載し、38作品を取り上げました。(12月23日の39作品目で、年内の連載は最後です。新年の連載は1月6日よりスタートします)


2018/12/16

『吉田修一論 現代小説の風土と訛り』好評販売中!

『吉田修一論 現代小説の風土と訛り』、好評販売中です! ジュンク堂や丸善、ブックファースト、有隣堂、紀伊國屋書店など、多くの書店で、目立つ位置に置いて頂いております。

左右社のHPでの紹介
http://sayusha.com/catalog/books/literature/p9784865282108

吉田修一氏の公式Twitterでも、スタッフの方にご紹介を頂きました!
https://twitter.com/yoshidashuichi/status/1052891603755458561

週刊読書人(2019年2月15日 第3277号)で、陣野俊史氏(批評家・作家、立教大学特任教授)に『吉田修一論 現代小説の風土と訛り』の書評を頂きました。「反時代的な文芸批評 きわめて本質的な文学の「場所」へ」というタイトルで、吉田修一の作品を通して長崎という場所について批評することの意味について、同じ長崎出身の陣野氏らしい観点から、鋭い深い分析を頂きました。こういう書評を頂くと、今後の仕事の励みになります。
https://dokushojin.com/article.html?i=5036

図書新聞(第3379号 2018年12月8日)で、三輪太郎氏(作家・評論家、東海大学教授)に『吉田修一論 現代小説の風土と訛り』の論評を頂きました。「ノイズは白昼夢の路地裏に生い立つ――思考を誘発する侮りがたい力」というタイトルで、拙著の要点について踏み込んだ分析を頂きました。読み応えのある内容で嬉しく拝読しました。
http://www.toshoshimbun.com/books_newspaper/week_article.php
左右社のHPでの書評の紹介
http://sayusha.com/news/p201812071840

AERA(朝日新聞出版)2018年11月12日号で、リブロの野上由人さんにご紹介を頂きました!
書店員さんオススメの一冊/吉田作品を長崎という風土からとらえる

下記のリンクで全国の書店の在庫状況が分かりますので、ぜひチェックのほどよろしくお願いいたします!! 全国の図書館でも多く収蔵を頂いています。


有隣堂 各店舗の在庫状況
http://book.yurindo.co.jp/book.asp?isbn=9784865282108

honto・ジュンク堂の在庫状況
https://honto.jp/netstore/pd-store_0629273869_14HB320.html

紀伊國屋書店 各店舗の在庫状況
https://www.kinokuniya.co.jp/disp/CKnSfStockSearchStoreSelect.jsp?CAT=01&GOODS_STK_NO=9784865282108

楽天ブックス
https://books.rakuten.co.jp/rb/15639255/

Amazon
https://www.amazon.co.jp/dp/4865282106/

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第38回 多和田葉子『献灯使』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」の第38回(2018年12月16日)は、多和田葉子の全米図書賞受賞作『献灯使』について論じています。表題は「皮肉たっぷりの『震災文学』」です。

スケールの大きな震災文学で、この小説は福島第一原発事故を念頭におきながら、土壌汚染と海洋汚染が進行した近未来の日本を描いています。日本は「前回の大地震」で「海底に深い割れ目」ができた状態にあり、政府は民営化されていて、インターネットは遮断され、鎖国状態に置かれています。

作品の主な舞台は多和田葉子が育った東京西部の多摩地区で、東京23区が「長く住んでいると複合的な危険にさらされる地区」に指定された影響から、仮設住宅が建ち並んでいます。子供たちは、総じて健康状態が悪く、老人たちはなぜか長生きするようになり、70代の後半の老人ですら「若い老人」と呼ばれ、肉体労働に従事して社会を支えています。主人公は107歳の老人です。

描写の一つ一つに、高齢化していく現代日本に対する風刺と皮肉が込められていて、実験的で面白い作品です。多和田葉子らしい喜劇と悲劇が入り交じった、震災文学の傑作だと思います。




2018/12/09

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第37回 桐野夏生『ファイアボール・ブルース』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」の第37回(2018年12月9日)は、桐野夏生『ファイアボール・ブルース』について論じています。表題は「片隅で輝く『荒ぶる魂』」です。

桐野夏生は、柔道家出身で女子プロレスのリングに上がる神取忍をモデルとしてこの作品を記しています。神取は15歳の時に町道場ではじめた柔道で、全日本選手権を3連覇していますが、当時、女子柔道はオリンピックの正式種目ではなかったため、プロレスラーに転向。後楽園ホールでデビューし、格闘技に近いスタイルで人気を博して「ミスター女子プロレス」「女子プロ界最強の男」などの異名をとりました。その後、参議院議員も務めています。

この作品は外国人女子レスラーが失踪した謎を解くミステリー作品ながら、最盛期を過ぎた女子プロレスの舞台裏を若手レスラーの視点から描いた小説でもあります。選手たちは水着姿でサイン会を行い、ファンに体を触られる屈辱を受けており、西川口のオートレース場のそばの小さな家具工場の片隅で練習を重ねながら、事務所で電話番やコピー取りをして団体を支えています。

女子プロレスは、怪我のリスクと年収の低さを考えれば、世の中で最も「割に合わない仕事」の一つといえます。ただ現代では、日本の女子プロレスは、YouTubeを通して世界中の人びとの人気を集め、日本のリングから巣立った選手たちが、アメリカのWWEでトップレスラーとして活躍しています。日本の女子プロレスが国際的に再評価された現代の視点から、読み返すと非常に興味深い作品です。







2018/12/02

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第36回 多和田葉子『犬婿入り』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」の第36回(2018年12月2日)は、多和田葉子の芥川賞受賞作『犬婿入り』について論じています。表題は「古い集落と新興地の『間』で」です。

2018年11月に多和田葉子は『献灯使』で、アメリカを代表する文学賞の一つ、全米図書賞(翻訳部門)を受賞して英語圏でも評価を高めています。「犬婿入り」は1993年に芥川賞を受賞した作品で、女性と犬との婚姻を題材とした「異類婚姻譚」と呼べる内容です。異類婚姻譚の中では「鶴女房(鶴の恩返し)」が広く知られていますが、「犬婿入り」は、老人が農業用水と引き替えに蛇や河童に娘を嫁がせる「蛇婿入り」や「河童婿入り」などの昔話をモチーフにした作品です。

多和田葉子は現役の日本の作家の中でも、異なる共同体の隙間にある現実感を「間主観」的に描くのが上手いです。「犬婿入り」を読むと、このような多和田の小説が、多摩川沿いの昔ながらの宿場町と、団地や新興住宅地との「間」で培われたものであるように思えます。「犬婿入り」は、国際的に評価される作家となった多和田葉子の「小説の風土や原風景」が感じられる作品です。


2018/11/25

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第35回 絲山秋子『イッツ・オンリー・トーク』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」の第35回(2018年11月25日)は、絲山秋子のデビュー作『イッツ・オンリー・トーク』について論じています。表題は「不器用な人びとの繊細な時間」です。

写真は蒲田の「西六郷公園(通称・タイヤ公園)」で、京浜東北線や東海道線をよく利用する人は、車窓から見たことがあるかも知れません。私は前任先の慶應義塾大学の研究所で助教をやっていたときに、この近くに住んでいました。



この小説は男性的な街、蒲田を舞台に、私と関係を結ぶ、社会から逸脱した男たちを描いた作品です。「粋」のない下町が蒲田なのだとか。「私」は大学卒業後に新聞社に就職し、ローマ支局に赴任していたが、精神病院に一年間入院し、キャリアを棒に振った過去を持っています。「出遅れ組は呆れるほどの時間をむしっては捨て、むしっては捨てしている」と、絲山は自己を含めた人間たちの不器用さを、小説の中心的な題材として描いています。

絲山秋子は、社会で器用に立ち回ることのできない、繊細な感情を持つ人びとの内的な時間を優しく描くのが上手い作家です。「イッツ・オンリー・トーク」は、その絲山が自己の価値判断を手がかりに、現代日本の社会秩序と四つに組み、不器用な男たちを仲間に引き込んで戦いを挑んだ、闘争心あふれるデビュー作です。

今年の年末は「現代ブンガク風土記」を書きつつ、2019年2月末に刊行予定の「メディア・リテラシー/文章演習本」の原稿を、猛烈な勢いで書いているところです。何とか12月中に仕事をひと段落させて、年末年始は穏やかに過ごしたいものです。

2018/11/18

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第34回 伊坂幸太郎『ゴールデンスランバー』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」の第34回(2018年11月18日)は、伊坂幸太郎の『ゴールデンスランバー』について論じています。表題は「近未来舞台 監視社会を風刺」です。

暗殺をテーマとした小説は様々なジャンルでありますが、「ゴールデンスランバー」は日本で多くの読者に読まれた作品の一つだと思います。4年ほど前に韓国では、安重根が現代に蘇って日本の総理大臣を暗殺するという内容の「安重根、安倍を撃つ」が話題となりました。日本でも「仁義なき戦い」で知られる笠原和夫が脚本を書いた「日本暗殺秘録」のように、暗殺の歴史を描いた名作映画は存在しますが、暗殺を主題とした小説で広く読まれた作品は珍しいと思います。

一見すると現代日本を舞台にした首相暗殺事件は非現実的なものに見えます。ただ戦前の総理大臣の経験者のうち、6名が暗殺で命を落としていることを考えれば、現代日本でも「暗殺事件」を通して、その背後にある政治権力の闇と向き合う「文学的な想像力」は必要なものだと思います。現代日本が、別の社会秩序に支配されるかも知れないという現実感の中で、監視社会化が進行した社会秩序のあり方に疑問を投げかける「社会風刺」の力に満ちた作品です。



2018/11/11

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第33回 有川浩『フリーター、家を買う。』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」の第33回(2018年11月11日)は、有川浩の『フリーター、家を買う。』について論じています。表題は「郊外に潜む闇と再生力」です。写真はドラマ版の舞台となった東急田園都市線の市が尾駅近くです。

この作品は正社員を辞め、フリーターとなった25歳の誠一を主人公とした物語です。私たちが現代的な風景として受容しているショッピングモールやチェーン店舗が建ち並ぶ風景は、正規雇用の半分ほどの額で働く非正規雇用の人びとによって支えられています。

「私自身が内定いっこも取れなくて社会人になってから数年間バイトや派遣で凌いだという切ない経歴の人でしたので、逆境スタートのほうがしっくりきた」と有川浩は「単行本版のあとがき」で記しています。彼女は自己の経験を踏まえ、非正規雇用で若者に着目して、2007年から2008年にかけて「フリーター、家を買う」を記しています。

有川の作家人生とも重なるこの作品は、フリーターという言葉が死語になるほど、非正規雇用の仕事が一般化した現代でも生々しく、一見すると裕福な東京郊外の住宅地に潜む、「家庭の闇の深さ」と「家族の再生力の強さ」の双方を巧みに捉えています。


2018/11/04

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第32回 吉田修一「国宝」

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」の第32回(2018年11月4日)は、吉田修一の『国宝』について論じています。表題は「原点回帰 主人公に自身投影」です。写真は長崎・丸山の料亭「花月」です。

福岡ソフトバンクスホークスの優勝の方にカラーページが割かれていますので、連載をはじめて以来、2回目の白黒ページです。
それにしても近年のソフトバンクは強いですね。今年の年俸総額が63.2億円で全球団中1位、2位の読売巨人が46.2億円、8位の広島が26.9億円ですので、納得という感じです。孫正義の「読売を超える」という執念が、年俸の総額に表れている気がします。

話を本題に戻すと、吉田修一は数多くの長崎を舞台にした作品を記していますが、近年の作品になるにつれて実家の近くの長崎の丸山から遠ざかる傾向にありました。『国宝』は、作家生活20年を迎えた吉田修一が、自己の作家の原点となる長崎の丸山に回帰し、自分自身を喜久雄の姿に投影しながら、文学という「伝統芸能」を後世に伝える覚悟を示した傑作だと思います。

吉田修一『国宝』についての批評文は、色々な媒体で書いてきました。『吉田修一論 現代小説の風土と訛り』(左右社、2018年9月)、「小説トリッパー」掲載の「『からっぽ』な身体に何が宿るか ——吉田修一『国宝』をめぐって」(朝日新聞出版、2018年9月)、「文學界」掲載の「歌舞伎をその可能性の中心で『脱構築』する」(文藝春秋、2018年10月)。どれも内容や論じる角度を変えて記載しておりますので、ぜひ合わせてご一読頂ければ幸いです。

2018/11/03

MES 18での地域ジャーナリズムに関する発表

International Media Education Summit (MES 18)で「A Study of Regional Journalism Education in Media and Communication Studies Departments(メディア・コミュニケーションに関する学部での地域ジャーナリズム教育内容に関する研究)」という発表を行ってきました。昨年にゼミの学生が主体となって作った130ページの分量の冊子の制作プロジェクトを中心とした地域ジャーナリズムに関する発表で、様々な国の研究者から好意的な意見を多く頂けて嬉しかったです。
国際学会は6月〜7月に主要なものが開かれるので、この時期の学会はアットホームな感じのものが多くて気楽に参加できます。

会場が英国との繋がりの強いHong Kong Baptist Universityということもあって、全体に英国の研究者が多く、レセプションではカルチュラル・スタディーズ系の議論が多くできて面白かったです。日本からも情報学環ご出身の先生方をはじめ、多くの先生方が参加されていて、有意義で楽しい時間を過ごさせて頂きました。

香港は2年前に文教大学のゼミの学生と来て以来でしたが、秋口の香港は気候がちょうどよく、九龍の下町や海沿いを散歩していて心地よかったです。





MES 18
https://www.cemp.ac.uk/summit/2018/

2018/10/28

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第31回 辻仁成「白仏」

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」の第31回(2018年10月28日)は、辻仁成の『白仏』について論じています。表題は「筑後川開拓地の愛情と憎悪」です。「海峡の光」で芥川賞を受賞した直後に発表されたこの作品で、辻は日本人として初めてフランスのフェミナ賞外国文学賞を受賞して、国際的な名声を博しました。

辻仁成は東京都の日野市の生まれですが、保険会社に勤務していた父親の仕事の関係で、少年時代を福岡市で過ごしています。「白仏」は、祖父が住んだ筑後川の下流の開拓地、福岡県大川市と佐賀県佐賀市の県境に位置する大野島の近代史を描いた作品です。明治から昭和へと時代が下っても、有明海を望む大野島の土地の空気が、変わらないものとして伝わってくる優れた作品です。

辻仁成が小説家として本格化したのは、有明海を臨む大野島から生涯ほとんど出ること無く、この土地に住んで来た人びとの骨を集めて「白仏」を作った祖父と向き合ってからだと言えるかも知れません。「白仏」は「根無し草」を自負する辻仁成が、祖父が住んだ筑後川の開拓地との関わりを、愛情と憎悪を両極とする感情の中で再構築した、現代日本を代表する歴史小説だと思います。


2018/10/21

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第30回 桜木紫乃「ホテルローヤル」

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」の第30回(2018年10月21日)は、桜木紫乃の直木賞受賞作、『ホテルローヤル』について論じています。表題は「釧路の生活者の『官能的な姿』」です。「現代ブンガク風土記」の30回の節目に相応しい作品です。

桜木紫乃は釧路在住の作家で、『ホテルローヤル』というタイトルは、廃業した実家のラブホテルの名称を採用したものです。ラブホテルの名称は、たまたま目に入った「みかんのブランド名」から採られたのだとか。桜木は15歳から結婚する24歳まで、実家のラブホテルで部屋の清掃の仕事を手伝っていました。この時の経験が、作品の隅々の描写に生き生きと投影されています。

例えば「本日開店」では、釧路の寺の存続のため、住職の妻が檀家との「枕営業」を行う際どい姿が描かれています。「バブルバス」では、昔気質の電気屋を廃業して、現在は家電量販店に勤めている夫とその妻が描かれています。手狭な賃貸アパートで親と同居し、子供二人を育てている夫婦にとって、ホテルローヤルでの時間は、出会った頃を思い出す「いちばんの思い出」となります。「星を見ていた」では、六〇歳を超えた掃除婦・ミコちゃんの「黙々と働き続けるしかない毎日」が描かれています。何れもラブホテルの裏側を知る著者にしか書けないような釧路という土地の風土を感じさせる味わい深い物語です。

桜木紫乃は直木賞の受賞時に「あの場所に書かせてもらった」と、この小説について述べています。「ホテルローヤル」で桜木紫乃が描く、釧路の生活者の「官能的な姿」には、釧路という土地に深く根を張った、成熟した性的な営みが感じられます。現代文学が描くべき主題の多様性と、表現上の可能性の双方を感じさせる優れた作品です。



2018/10/17

メディア・コミュニケーション研究の国際化(日本マス・コミュニケーション学会 2018年度秋季研究発表会)

今週末の日本マス・コミュニケーション学会秋季研究発表会では、英語のワークショップを担当します。10月21日土曜日に駒澤大学での開催です。
Media and Communication Studiesに関する国際学会での発表経験と、英文ジャーナルの編集長の経験、「スーパーグローバル大学創成支援」以後の日本のメディア教育・研究のあり方について、私の持ち時間として30分ほどお話しします。

Evaluating the Internationalization of Media and Communication Studies in Japan
Moderator: Takesato WATANABE, Doshisha University
Presenter: Gabriele HADL, Kwansei Gakuin University
Presenter: Makoto SAKAI, Bunkyo University
Discussant:Seongbin HWANG, Rikkyo University
(Planned by International Committee)

メディア・コミュニケーション研究の国際化
‐日本からの発信とその課題‐
司会者:渡辺武達(同志社大学)
問題提起者:ガブレリエレ・ハード(関西学院大学)
問題提起者:酒井信(文教大学)
討論者:黄盛彬(立教大学)
(企画:国際委員会)
(使用言語:英語)

【キーワード】メディア・コミュニケーション学、英文ジャーナル、International Association for Media and Communication Research、International Communication Association

 創設以来、日本マス・コミュニケーション学会(JSSJMC)では発表言語は原則として日本語であった。しかし日本からの国際的発信力の強化、外国人研究者・留学生等への便宜供与、などの要請が強くなってきている。今回、そうした諸般の事情、要請に学会員だけではなく、諸外国の関連学会からの要請にも具体的に応えていくための試みとして本ワークショップを企画した。
 ガブリエレ・ハード会員からは、日本の学会と海外の学会との積極的な交流の必要性についてあらためて提起がなされ、自らの経験と知見から具体的な活動報告と提案が行われる。例えば、東京大学とリーズ大学の共催によるシンポジウムや10カ国以上の共同執筆者が貢献した学術誌の特集、通訳付きの学会、英語を母国語としない学者(non-native English speakers)による英語を使用した環境コミュニケーション分野における交流について紹介される。これらの経験をふまえて、日本をベースにした研究の世界的な役割の重要性が提唱される。
 また、酒井信会員からは、Media Studiesに関連する国際学会の現状について、自己の活動内容を踏まえた報告を行い、所見が述べられる。加えて、英文雑誌Asian Journal of Journalism and Media Studiesの第2号編集長として、Call For PapersやInstructions等の整備や編集プロセスについて報告を行う。さらに、スーパーグローバル大学創生支援事業以後の日本のメディア教育・研究のあり方についても所見を述べ、参加者と共に議論を行う。
 ふたつの問題提起を受けて黃盛彬会員は、日本の研究者がグローバルな場面で活躍するための戦略的かつプラクティカルな要件について整理を試みる。
 以上、異なる背景を持つ3人の登壇者がそろうことで、欧米水準の研究・教育のキャッチアップにとどまらない様々な課題のあぶり出しができると考えている。通常のワークショップよりも登壇者は多いが、その分、進行にあたっては参加者の自由な議論と情報交換の促進に努めたい。
 なお、本ワークショップでは英語による討論を試みる。日本の他のジャーナリズム・メディア・情報・コミュニケーション等の関連学会では英語のみで運用される発表の場が用意されてきている。それに対して前述のように、これまで本学会はほとんど日本語のみの活動に終始してきた。現状のままでは海外からの研究者や留学生の発表を増やすことはおろか、国際的活動が問われるなか若手会員数の減少等を招きかねない危惧がある。そうした状況認識の上に、本学会が現在の日本が求められている国際化ニーズにも応え、まずはこうした英語による諸活動を増やしていくことが肝要と考える。

日本マス・コミュニケーション学会 2018年度秋季研究発表会プログラム
http://www.jmscom.org/event/annual_meeting/18fall/18fall_program.pdf



2018/10/14

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第29回 伊坂幸太郎「重力ピエロ」

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」の第29回(2018年10月14日)は、伊坂幸太郎の『重力ピエロ』について論じています。表題は「重い主題 仙台で軽やかに」です。

伊坂幸太郎は千葉県の出身ですが、東北大学に入学してから仙台に居住し続け、繁華街の喫茶店で執筆するなど、生活世界を作品世界に重ね合わせることで、本格派のミステリー作家として大成しています。2003年の『重力ピエロ』から2008年の『ゴールデンスランバー』にかけて、伊坂は仙台を舞台として「失われた20年」を生きる若者たちの現実感を捉えることで、軽やかでありながら、地に足の着いた作品世界を確立することに成功しています。

この作品は、遺伝子を解析する会社で働く「私」が、仙台の市街地で連続放火事件が起き、その現場の近くに、グラフィティアートと遺伝子の配列を示唆するメッセージが残されていることに気付き、事件の背後に見え隠れする弟のことを心配するところからはじまります。『重力ピエロ』という風変わりな表題は「ピエロが空中ブランコから跳ぶ時、みんな重力のことを忘れているんだ」という弟の言葉に由来するもので、弟と「私」の細やかな感情を介した兄弟関係の描写が、この小説の読み所となります。

「重力ピエロ」は、新時代のミステリー作家らしい才気に溢れた作品で、軽やかでありながら、重厚なテーマ性を有する現代日本を代表するミステリー小説だと思います。



2018/10/13

文藝春秋「文學界」11月号 吉田修一『国宝』書評

文藝春秋「文學界」の2018年11月号に、吉田修一の『国宝』について論じた書評(2ページ)が掲載されました。タイトルは「歌舞伎をその可能性の中心で『脱構築』する」です。

吉田修一の『国宝』という表題は、「人間国宝」に由来するもので、歌舞伎や能、文楽などの重要無形文化財(伝統芸能等)の保持者として、文部科学省の文化審議会で認定された人物の通称です。

歌舞伎は、元々は戦国時代に出雲の阿国が創始した女性の芸能でしたが、その後、女性が舞台に上がることが禁じられてきた風変わりな芸能であると私は考えています。歌舞伎という総合芸術の最大の特徴は、女形の演技にあり、男性の役者が、男女の別を問わず様々な役柄を演じ分けることで、世界でも稀な芸能として独自の発展を遂げてきたのだと思います。

男女平等や機会均等があらゆる場で一般化している現代社会で、女人禁制や血縁関係を重視する歌舞伎は、これから「伝統文化」として、どのような形で国際的な価値観に適応していくのでしょうか。

「文學界」の書評では、吉田修一の『国宝』の内容を踏まえて、女形の芸能を中心とする歌舞伎を描いた小説が表象する「現代的な価値観」について論じています。




2018/10/07

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第28回 宮部みゆき「火車」

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」の第28回(2018年10月7日)は、宮部みゆきの『火車』について論じています。写真は宇都宮で撮影した街のシンボル「大いちょう」です。

「火車(かしゃ)」という言葉は、生前に悪事を置かした人間を地獄に運ぶ車の意味で、家計が非常に苦しい状態も意味します。この作品は「バブル経済」の暗部を描いた作品で、都会の消費生活から取り残された若者たちの姿を描いた、宮部みゆきの1992年の出世作です。バブル期は理想的に回顧されますが、高卒の若者たちにとっては、給料が安い割には、地価が高騰していて家賃が高く、クレジットカードを使って消費生活を謳歌するには、金利が高過ぎる時代でした。

宮部は、都立墨田川高校を卒業後、OLとして働きつつ、裁判所速記官を目指し、二一歳から新宿歌舞伎町の法律事務所に勤務した作家です。26歳でオール讀物推理小説新人賞を受賞してデビューした後も、しばらくの間は、東京ガスの集金をして生計を立てていました。彼女の作品の大きな魅力は、その土地に根ざして生きざるを得ない生活者を、自己の姿に重ねながら応援するように、現実的な存在として肯定している点にあると思います。

バブル経済の崩壊直後の1992年に発表されたこの作品は、バブル経済の影に隠れた多重債務者たちの生活を浮き彫りにした作品であり、バブル経済の崩壊を生活者の視点から象徴的に描いた小説だったと思います。


2018/10/04

茅ヶ崎市・文教大学共催 公開講座「観光・メディア情勢から見る『今』」

茅ヶ崎市長の服部信明氏のご逝去の報に接し、謹んでお悔やみ申し上げます。
服部市長には、ゼミ学生が制作した茅ヶ崎市の情報誌の発表にご参加頂き、学生に様々なご助言を頂くなど、大変お世話になりました。

財政情報誌「ちがさき春夏秋冬」の発表会(茅ヶ崎市HP)
http://www.city.chigasaki.kanagawa.jp/zaisei/1008506/1008515/1008547.html

文教大学と茅ヶ崎市との結び付きを強めてくださった方でしたので、急逝されたことを非常に悲しく思います。
今週の土曜日は茅ヶ崎市・文教大学共催の公開講座を担当しますので、弔意を込めて服部市長と文教大学のゼミの関わりを思い返しつつ、2時間の公開講座をしっかりと務めます。


2018/09/30

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第27回 村上春樹「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」の第27回(2018年9月30日)は、村上春樹の『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』について論じています。表題は「都市にぼんやり拡がる欲望」です。

この作品は、著名な作家が記した、名古屋を舞台にした数少ない現代小説の一つです。一見すると、多崎つくるの人生を紐解く、シンプルな話ですが、名古屋を離れた多崎つくるが、自己の無意識に巣くっている「故郷喪失」の謎を解明していく精神分析=青春分析書とでも言うべき、深みのある内容です。

村上春樹の他の青春小説と同様に、エロス=生の欲望と、タナトス=死の欲望の双方が、無意識レベルで横溢しているのも特徴です。これらの欲望が、名古屋の都市空間のように「のっぺりとした場所」に、靄のように人びとの視界を遮りながら、ぼんやりと拡がっているのが面白いです。

『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』は、村上春樹の作品の中では注目度こそ低いですが、名古屋に限らず、現代日本の中核都市に住む人々の現実感を捉えた、興味深い作品だと思います。




2018/09/23

『吉田修一論 現代小説の風土と訛り』発売中!

『吉田修一論 現代小説の風土と訛り』(左右社、336ページ、2300円+税)が発売されました! Amazonや楽天ブックス、hontoなど、オンライン書店では、発売初日の早朝の時点で在庫切れとなりました! 早い段階で数十冊単位で発注を頂いた書店さんが多くございますので、ぜひ書店でもご購入・ご注文を頂ければ幸いです。

左右社の書籍紹介
http://sayusha.com/catalog/books/literature/p9784865282108

付録の著者謹製「吉田修一作品の舞台マップ」もぜひご参照下さい。吉田氏や私が卒業した長崎南高校から、長崎の旧市街にかけて、隠れた名所や穴場が一覧できる内容です。この本を参考にした長崎観光も、ぜひ。




西日本新聞「現代ブンガク風土記」第26回 佐伯一麦「還れぬ家」

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」の第26回(2018年9月23日)は、佐伯一麦の『還れぬ家』について論じています。表題は「震災後の人びとの感情細やかに」です。

佐伯一麦は、仙台で震災を経験した作家として広く知られるようになりました。親しい人間たちが日常生活で抱く感情の起伏を言葉で表現するのが、突出して上手い私小説家です。仙台に住む佐伯一麦は、この作品の連載中に東日本大震災に遭い、「これから先を書き継ぐことが出来るのか」と、作品の中で自問しています。現代日本を代表する私小説家が、震災前後の仙台に住む人々の生活を記録した意義は大きいと思います。

佐伯は、仙台第一高校を卒業した後、大学には進学せず、電気工をしながら小説を書き続け、作家としてデビューしています。この頃の様子は『ショート・サーキット』や『ア・ルース・ボーイ』など初期の青春小説を通して、想像することができます。電気工の時にアスベスト禍に遭い、『石の肺 僕のアスベスト履歴書』では、石綿(アスベスト)がもたらす気管支喘息や発熱やガンなどの健康被害について、作家らしい言葉を言葉を通して告発しています。

「還れぬ家」は認知症であった父親の死をきっかけに書かれた作品で、認知症が進行した父母をどのようにして看取ればいいのか、生活に根ざした感情を通して考えさせられる作品です。東日本大震災や集中豪雨などの被災地について、私たちはニュース映像を通して、「上から目線」で見ることに慣れ、その土地に根を張って生きる人々の感情について、見過ごしているのだと、この作品を読むと痛感させられます。写真は先日、震災遺構の荒浜小学校を訪問したおりに、私が撮ったものを掲載頂いています。


2018/09/18

「小説トリッパー」(朝日新聞出版、2018年秋号)吉田修一『国宝』論

9月18日発売の「小説トリッパー」(朝日新聞出版、2018年秋号)に50枚と少しの批評文を書いています。タイトルは「『からっぽ』な身体に何が宿るか 吉田修一『国宝』をめぐって」で、「評論」の欄に大きく掲載を頂いています。全部で21ページ分の分量です。
https://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=20368

吉田修一の『国宝』は、2017年元旦から2018年の五月末まで朝日新聞の朝刊で連載されていた作品です。長崎やくざの一家で育った喜久雄が、上方で修行を積み、女形として大成していく内容です。この作品を通して吉田修一は、零落していくやくざ一家の人々の姿と、関西の歌舞伎役者の人生を重ね合わせながら、彼らの人生の喜怒哀楽を、引用される義太夫狂言を中心とした歌舞伎の演目と共鳴させつつ、物語っています。

私が寄稿した批評文では『国宝』について、歌舞伎の近代史に触れつつ、近松門左衛門、福地桜痴、谷崎潤一郎、中野重治、村上春樹等の作品と比較しながら、吉田修一が『国宝』で意識的・無意識的に描こうとした(と推測される)問題について、踏み込んで論じています。歌舞伎の舞台裏を、男と女、有と無、生と死、といった人間の世界を秩序付けている二項対立が消失するような場所として描いている点が面白く、「人間国宝」と「人間天皇」の関係についても考えさせられる作品であると、私は分析しています。

「小説トリッパー」は朝日新聞販売所でも注文できます。9月21日頃から書店に並びはじめる『吉田修一論 現代小説の風土と訛り』(左右社、336ページ)と合わせて、ぜひご一読頂ければ幸いです。






2018/09/16

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第25回 島本理生「夏の裁断」

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」の第25回(2018年9月16日)は、島本理生「夏の裁断」について論じています。表題は「蔵書と思い出 切り刻み」です。

この作品は、鎌倉の祖父の家に移住した女性作家の日常を描いた内容です。年上の男性との付かず離れずの恋愛を細やかに描いたストーリーですが、なぜ文学者が好んで鎌倉に住んできたのか、考えさせられる作品でもあります。

明治の頃の鎌倉は、国木田独歩や高山樗牛が住み、夏目漱石も円覚寺に参禅していますが、文士村というほどの場所ではありませんでした。大正期になると、有島武郎などの白樺派の作家が住むようになり、芥川龍之介や久米正雄など漱石の弟子たちや、大佛次郎のような後の大家も居を構えようになります。昭和に入るとそこは文化首都の様相を呈し、川端康成や直木三十五、高見順や高橋和巳などの作家や、小林秀雄や中村光夫、澁澤龍彦や江藤淳などの批評家が住むようになります。

「夏の裁断」で描かれる鎌倉の町は、夕暮れの風景ように淡く、儚いものです。ただこの作品の心象描写に触れると、島本理生にとって、鎌倉という場所が、繊細な表現を持ち味とする作家らしく、飛躍する上で重要な場所だったことが理解できます。この作品は、2015年に芥川賞の候補作となり、落選していますが、鎌倉に根を張って「文士」として生きてきた近代日本の作家たちの名作に負けない、現代小説らしい優れた作品だと思います。


それと9月18日発売の「小説トリッパー」(朝日新聞出版、2018年秋号)に50枚と少しの批評文を書いています。タイトルは「『からっぽ』な身体に何が宿るか 吉田修一『国宝』をめぐって」で、「評論」の欄に大きく掲載を頂いています。全部で21ページ分の分量です。吉田修一氏の最新作『国宝』について、歌舞伎の近代史に触れつつ、近松門左衛門、福地桜痴、谷崎潤一郎、中野重治、村上春樹等の作品と比較しながら、「象徴天皇制」の問題にも踏み込んだ批評文です。
https://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=20368

「小説トリッパー」は朝日新聞販売所でも注文できます。今週末から書店に並びはじめる『吉田修一論 現代小説の風土と訛り』と合わせて、ぜひご一読頂ければ幸いです。

2018/09/13

『吉田修一論 現代小説の風土と訛り』の見本が出来上がりました!

『吉田修一論 現代小説の風土と訛り』の見本刷りができました。9月21日〜の発売に向けて全国の書店からの注文も好調だそうで、書店によっては「20冊」の電話注文があり、驚いた担当編集者が「吉田修一さんが書いた本ではないですが、大丈夫しょうか?」と念のため確認したところ、「間違いないです」とご回答を頂いたそうです(ありがたい話です)。

吉田修一氏の最新作『国宝』(朝日新聞出版)と合わせて、ぜひご一読をお願いいたします。『吉田修一論 現代小説の風土と訛り』は、「文學界」(文藝春秋)掲載の3つの原稿を元にしていますが、大幅に加筆・修正をしていますので、文芸誌の原稿ともひと味違った内容に仕上がっていると思います。

赤とピンクを基調とした松田行正氏と杉本聖士氏のデザインも素晴らしいです。帯文の文章も吉田修一氏に許諾を頂いた上で使用しております。文芸批評は「情熱と色気」だと思っていますので、赤とピンクの表紙は自分の本に馴染んでいると感じています。偶然ですが、吉田氏の紅白の『国宝』とも色合いが似ていて、嬉しい限りです。336ページで、2300円(税抜)、厚みがあり、読み応えのある内容に仕上がっていると思いますので、ぜひご一読下さい。

2018/09/12

『吉田修一論 現代小説の風土と訛り』の近刊情報

版元ドットコム掲載の『吉田修一論 現代小説の風土と訛り』の近刊情報です。
「どうして心が震えるのか。」というキャッチコピーが素晴らしいです。私の経歴は微妙に間違っていますが(現職は文教大学准教授で、前職は慶應義塾大学助教で、助教授ではなかったりしますが)、このチラシのお陰で、順調に書店から注文を頂いているようです。

9月13日に見本を受け取る予定で、もうじき左右社のHPやAmazon等で予約注文ができるようになるそうです。『吉田修一論 現代小説の風土と訛り』、9月21日から書店に並びますので、どうぞよろしくお願いいたします。


2018/09/09

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第24回 村田沙耶香「コンビニ人間」

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」の第24回(2018年9月9日)は、村田沙耶香「コンビニ人間」について論じています。表題は「店員視点で描く『文明論』」です。

現代日本の風景を特徴付けるものとしてコンビニエンスストアを挙げることができると思います。調べてみると、昭和の終わり頃には一万店に満たなかったコンビニの店舗数は、九〇年代から急速に増加し、二〇一六年には約五万八千店にまで増加しています。どんな田舎町でもコンビニに立ち寄れば、生活に必要な商品を買い、標準化されたサービスを受けることができるようになりました。その一方でコンビニの仕事は、「失われた一〇年」に定着した非正規の仕事の代表的なものとなり、現在に至ります。

村田沙耶香の「コンビニ人間」は「私は人間である以上にコンビニ店員なんです」と述べる三六歳の「私」を描いた作品で、「私」は店長が八人目になっても同じコンビニで働き続けています。三六歳の「私」は友人や家族から結婚や就職を心配されていますが、「皆、変なものには土足で踏み入って、その原因を解明する権利があると思っている」と、うんざりしています。「コンビニ人間」は一見すると、作者の個性が際立った奇妙な作品に見えますが、「私」がコンビニの店員として、「時代精神」を背負っているかのように働く姿は社会風刺的で、奥が深い表現だと思います。

村田沙耶香の「コンビニ人間」は、コンビニを中心として回っている現代日本を、ベテランのコンビニ店員の視点からユーモラスに捉えた「芥川賞の見本のような小説」だと思います。


2018/09/02

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第23回 有川浩「阪急電車」

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」の第23回(2018年9月2日)は、有川浩の「阪急電車」について論じています。表題は「今津線あふれる臨場感」です。

有川浩はベストセラーとなった「図書館戦争」に代表される、SF作品やミリタリー小説を書く作家というイメージが強いと思います。ただ「阪急電車」は、電車に乗り合わせた人びとが、車内での細やかな感情のやり取りを通して、物語がドミノ倒しのように展開される良く出来た群像劇で、登場人物たちの内面描写に読み応えがあります。

阪急今津線は短いながらも、宝塚や関西学院大学、阪神競馬場や西宮など、個性的な土地を沿線に擁しており、登場人物たちの性格にも、それぞれの土地が持つ「風土」が影響を及ぼしているように読めて、面白い作品です。有川浩は「阪急電車」の進行に合わせて、乗客たちのエピソードを次々と披露しながら、巧みに小説を展開しています。


2018/08/30

『吉田修一論 現代小説の風土と訛り』は9月下旬発売です

『吉田修一論 現代小説の風土と訛り』(左右社、334ページ、2300円 *税抜)は、発売日の調整があり、9月下旬から書店に並ぶスケジュールとなりました(早い書店で9月21日金曜日頃に並ぶとのことです)。松田行正氏にデザインを頂いた赤色の目立つ表紙で、本文のレイアウトも格好良いです。付録として自家製の「吉田修一作品の舞台マップ」も入っています。吉田修一作品に馴染みのない人にも、じっくりと読んで楽しめる内容となっていると思いますので、ぜひご一読頂ければ幸いです。


その他、2017年から2018年にかけて朝日新聞朝刊で連載されていた吉田修一氏の『国宝』(9月7日発売)についての批評文(約50枚)を「小説トリッパー」(朝日新聞出版、9月中旬発売)の秋号に寄稿しています。『国宝』の版元の朝日新聞出版の文芸誌に相応しく、『国宝』の論としてかなり踏み込んだ内容になっていますので、こちらもぜひご一読下さい。

現在は、西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」の原稿を書きながら、10月発売の文芸誌向けの原稿を書いているところです。

『吉田修一論 現代小説の風土と訛り』(左右社、334ページ、税抜2300円 *税抜、9月下旬発売)、充実した内容に仕上がっていますので、ぜひご一読のほど、よろしくお願いいたします。

分量に比して読み応えがあるのが批評文ですので、読むのにかかる時間を考えると、税抜2300円の価値は十分にあると思います。

予約購入が出来るようになりましたら、改めて告知いたします。

2018/08/27

西日本新聞社の朝刊会議を見学し、ゼミ学生向けのレクチャーを頂きました

ゼミの学生たちと福岡・天神にある西日本新聞本社を訪問し、翌朝の紙面の掲載順を決める朝刊会議や、Yahoo!ニュース等への記事配信などの業務を行う「西日本新聞メディアラボ」の見学を行ってきました。朝刊会議とは、西日本新聞の各部の部長やデスクが参加して、自社記事や共同通信の配信記事、三紙連合(中日新聞、北海道新聞)の記事の掲載順やその可否を決める重要な会議です。この会議の写真はないですが、学生たちが緊張した顔つきで、記事の順番や掲載の可否が決められていく様子を見守っていました。



朝刊会議の見学後は、毎週日曜に「現代ブンガク風土記」の連載を担当しているご縁で、文化部の北里部長と内門デスクより、新聞の紙面作りや新聞記者の仕事内容について特別レクチャーを頂きました。西日本新聞本社で朝刊会議を見学したばかりということもあって、学生の関心も非常に高く、多くの質疑の手が挙がっていました。

その後、Yahoo!ニュース等への記事配信や、西日本新聞のデジタル版を制作している関連会社の西日本新聞メディアラボを訪問し、加茂川取締役兼西日本新聞デジタル編集長より、紙の紙面作りとデジタル版や配信記事の作り方の違いについて、詳しいお話を頂きました。リアルタイムで「西日本新聞メディアラボ」の配信記事が何人のユーザーに見られているのかを確認しながらのご説明は、独特のライブ感があり、学生たちも楽しく見学していました。



懇親会にも文化部から4人の記者の方々にご参加を頂きまして、学生からの酒の席らしい質問にも丁寧に答えて頂き、学生にとりましてよい社会勉強となりました。西日本新聞の煉瓦風の建物は、天神の中心にあることもあり、子供の頃からランドマークのような場所で、学生と訪問し、朝刊会議を見学し、レクチャーを受けることができて感慨深かったです。



文教大学HPでの紹介記事
http://www.bunkyo.ac.jp/news/student/20180827-02.html


2018/08/26

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第22回 絲山秋子「沖で待つ」

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」の第22回(2018年8月26日)は、絲山秋子の芥川賞受賞作「沖で待つ」について論じています。表題は「胃袋通して福岡と和解」です。

絲山秋子は、福岡に縁のある作家で、この作品には絲山が住宅設備機器メーカーの博多支店で勤務していた頃の経験が反映されています。この小説の「私」は「もっと殺伐としたとこかと思ってたんだけど」と言いながら、「魚介だけでなく水炊きやもつ鍋や、焼き鳥屋の豚バラ」を通して博多の街に惹かれていきます。

絲山の作品は「沖で待つ」以前の芥川賞の選考では、物語の道具立ての良し悪しが指摘されてきました。しかし絲山の作品には物語の道具立てそのものを、読み手の無意識の底に沈み込ませていくような力強い、マントルのような動きがあります。他人とのユーモラスな会話をきっかけに、繊細な感情を紡ぎ出し、同時代の社会の生きにくさを捉える絲山の言葉は、文学的であり、社会批評でもあると思います。



2018/08/19

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第21回 絲山秋子「逃亡くそたわけ」

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」の第21回(2018年8月19日)は、絲山秋子の『逃亡くそたわけ』について論じています。表題は「博多の訛りと『化学反応』」です。

絲山秋子は世田谷区出身で、東京で教育を受けていますが、地方を舞台にした質の高い作品を多く記してきた作家です。この小説は、躁鬱病を患った経験のある著者らしい作品で、自殺未遂から精神病院に入れられた大学生の「花ちゃん」が、名古屋出身ながら、東京にアイデンティティを持つ「なごやん」と福岡の精神病院を脱走する話です。「いきなり団子」を美味しそうに食べる姿が印象に残ります。

博多から国後半島、阿蘇、宮崎を経て、鹿児島の開聞岳まで、九州の裏観光地とでも言える場所を転々としながら、各土地の名物や方言の魅力を巧みに引き出しています。
構成も練られたもので、外的には、自己と社会との関係を閉ざす精神病院からの逃亡劇が、内的には、自己の欲望を抑制する超自我からの逃亡劇が巧みに展開されています。

福岡など九州北部の訛りを帯びた言葉や感情の描写が魅力的で、長崎出身の私からも見ても地に足のついたリアリティを感じる作品ですので、ぜひご一読下さい。


2018/08/15

第24回 日韓国際シンポジウム

日本マス・コミュニケーション学会と韓国言論学会共催で、第24回 日韓国際シンポジウム
「 デジタル/サイバー空間における「世論」:その問題状況、研究の最前線」が開催されます。2018年8月25日(土)9時の受付開始で、場所は京都大学吉田キャンパスです。私もラウンドテーブル「激動する朝鮮半島情勢と日韓のメディア」に登壇して、日本のメディア報道と日韓の記者交流に関するお話をいたします。ご関心のある方はぜひ、ご参加下さい。日韓共同研究による地域とメディア研究に関する報告のほか、シンポジウムテーマに基づき、ネット空間と世論・市民的対話・民主主義にかんする数々の研究発表など、日韓の研究者が集い、熱い議論を交わします。プログラムなど詳細は、
http://www.jmscom.org/event/sympo/JKsympo_24_program.pdf  
をご確認ください。


2018/08/12

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第20回 森沢明夫「津軽百年食堂」

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」の第20回(2018年8月12日)は、森沢明夫の『津軽百年食堂』について論じています。表題は「弘前の記憶描き ブームに」です。
「百年食堂」というのは、青森県が定めた定義によると、三代以上にわたって引き継がれて、七〇年以上続いている食堂を意味します。この小説は、大森一樹監督で映画化され、BSフジでは、全国各地の「百年食堂」を紹介する「ニッポン百年食堂」という番組も放送されています。

「百年食堂ブーム」の発端となったのが津軽蕎麦を出す架空の「大森食堂」を舞台とした、森沢明夫の『津軽百年食堂』です。森沢明夫氏は早稲田大学の人間科学部出身(私の8学年ほど上の先輩)で、出版会社を勤務したのち、フリーのライターとして活動し、エッセイやノンフィクションを書き、その後、小説を書き始めた方です。「百年食堂」に着目して津軽地方に点在する「百年食堂」の歴史や、弘南鉄道大鰐線沿いの街の歴史を丁寧に取材している点が素晴らしく、読みやすい文章の中に、時間の深みを感じます。

近代文学には、トーマス・マンの『ブッデンブローク家の人々』や北杜夫の『楡家の人々』など、数世代にわたる名家の人々の生活を描くことで、土地の記憶を家族史の中で炙り出すような名作があります。『津軽百年食堂』は、気軽に手にとって楽しめる作品ですが、過疎化が進行する土地に根を張った「大衆食堂」に着目することで、弘前という土地の記憶を、「百年食堂」の時間の重みの中で、鮮やかに描き出すことに成功しています。

掲載を頂いた写真は、昨年ゼミ合宿で津軽の五所川原で見学した、五所川原立佞武多(たちねぶた)で、歌舞伎踊りの創始者である出雲の阿国を題材としたものです。





2018/08/05

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第19回 長嶋有「ジャージの二人」

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」の第19回(2018年8月5日)は、長嶋有の3作目の作品『ジャージの二人』について論じています。表題は「別荘地で生じる『故郷喪失』」です。同時収録されている「ジャージの三人」も面白く。堺雅人と鮎川誠の映画版もユーモラスで雰囲気のよい作品でした。

『ジャージの二人』は、一言でいうと、訳ありのいい歳をした親子が、現実逃避して山荘に引き籠もる作品です。友達のような関係にある父親と、小説を書いている無職の「僕」は、北軽井沢の古い山荘にだらだらと滞在し、昔のファミコンをしたり、漫画を読みながら夏を過ごします。

この小説の読み所は、携帯の電波の入らない北軽井沢の山荘での生活を、都会で生じた人間関係から距離を置き、気分転換をさせる爽やかなものではなく、都会で生じた悪意を培養し、増幅するものとして描いている点にあると思います。

一見すると、お笑いコンビのような親子を描いたユーモラスな作品のように見えますが、登場人物の夫婦関係に生じている不和は、北軽井沢の木々のように根深く、小説の全体が「大人の事情」で満たされた奥深い作品です。


2018/07/29

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第18回 村上春樹「1973年のピンボール」

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」の第18回(2018年7月29日)は、村上春樹の2作目の長編『1973年のピンボール』について論じています。表題は「故郷に別れ告ぐ『私小説』」です。村上春樹については短文を書くのは2回目ですが、先々まとまった批評文を書きたいと考えています。

『1973年のピンボール』は、村上春樹が育った故郷の芦屋と思しき町を舞台にした作品で、この作品は村上春樹が書いた数少ない「私小説」と解釈できる内容です。
デビュー作の『風の歌を聞け』と2作目の『1973年のピンボール』は芥川賞を逃しますが、村上春樹は三作目の『羊を巡る冒険』で、作品の質と売上げの双方で大きな成功を収めて、芥川賞を貰わずとも、日本を代表する作家として飛躍していきます。

村上春樹のように様々なジャンルの作品を残す作家は、エッセイと区別が難しい、生まれ故郷を舞台とした私小説を書くことで、故郷に別れを告げ、作家と「成熟と喪失」を遂げ、飛躍していく傾向にあると思います。この意味で『1973年のピンボール』は、村上春樹にとって「故郷喪失者」として世界へと飛躍するきっかけとなった重要な「私小説」だと私は考えています。

春学期の授業も終わり、9月上旬に発売予定の単行本のゲラの戻しも終わり、同じ月に掲載予定の季刊の文芸誌の初稿も終わり、ひと段落という感じですが、まだまだたまっている仕事があり、夏休みは遠そうです。。


2018/07/22

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第17回 江國香織「神さまのボート」

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」の第17回(2018年7月22日)は、江國香織の代表作『神様のボート』について論じています。表題は「母娘の関東周縁放浪記」です。

この作品について江國香織は、「いままでに私の書いたもののうち、いちばん危険な小説だと思っています」と述べています。この小説は母娘の成長を描いた作品ですが、内容は際どく、身内や友人と連絡を絶ち、関東の周縁とも言える町を一年に一回ほどのペースで「旅がらす」として渡り歩きながら、娘の父親の「あの人」を探して回る話です。

東京の周縁を巡りながら、昼間にピアノを教え、夜はバーで働きつつ、正気と狂気が混在した日常の中で、父親を探し、娘を育てる母親の姿に、地に足の着いたリアリティが感じられます。

江國作品の魅力は、感覚的な言葉が切り開く外界の新鮮な手触りにあります。小説を読み進めるに従って、母親が娘の成長という現実と対峙することを余儀なくされていくわけですが、その娘の成長を実感する母親の「際どい感情の手触り」が、実に小説らしい表現で、読み応えがあります。

『神様のボート』は江国香織にしか書けないような作品であり、現代を代表する女性作家の実に「際どい」代表作だと思います。



2018/07/15

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第16回 辻村深月「ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。」

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」の第16回(2018年7月15日)は、辻村深月の出世作と言える『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。』について論じています。表題は「地方標準で家族像模索」です。

この作品は辻村深月が生まれ育った山梨県の甲府市や笛吹市を舞台にした自伝的な作品で、20代から30代前半にかけて女性の多くが経験する恋愛や結婚、出産に伴う生活の変化と向き合った作品です。辻村自身も、大学卒業後に地元の山梨に戻って就職していたらしく、メフィスト賞を受賞してデビューした後も山梨で仕事を続けながら、平日の夜や土日に執筆を続けていたそうです。

以前に『朝が来る』について論じた回(第5回)の原稿で書きましたが、辻村深月は小説の表現を通して伝えたい「強い思い」を持った作家だと思います。
https://makotsky.blogspot.com/2018/04/blog-post_29.html

辻村は小説という表現の形式を通して、結婚や出産に際して弱い立場に置かれた女性たちの多声的な声を代弁しながら、都市郊外や地方を基準として「新しい家族」のあり方を模索しているように思えます。


2018/07/13

『吉田修一論』(9月初旬発売)のゲラ確認中

学期末で慌ただしい日々ですが、『吉田修一論』(9月初旬発売)のゲラの確認作業を行っています。久しぶりの著作ですが、文芸誌・論壇誌に書いてきた文章がずいぶんたまっているので、どういう順番でたまっている原稿を加筆して本にして行こうか、と考える日々です。

今ゲラを確認している『吉田修一論』は、「文學界」に掲載した3つの「吉田修一論」に大幅に加筆し、「風土論」の部分を抽出してまとめた内容です。別途「作品論」としてまとめている批評文もあり、現在、同時進行で、文芸誌向けに書いている原稿を含めて、先々、書籍化を行う予定です。

西日本新聞の「現代ブンガク風土記」も15回を超えて、地方を舞台にした現代文学を分析する作業にも、脂が乗ってきた感じがしています。

大学や学会の仕事もたまっているため、授業以外は、起きている間をほとんど机の上で過ごしているので、ここ最近、運動不足気味で、物理的な意味でも、脂が乗ってきた感じがしています(夏なのに)。

『吉田修一論』(9月初旬発売)ご期待・ご一読下さい!

(写真は、『吉田修一論』のゲラのあとがき部分と、最近、仕事道具として手放せなくなったFRIXION BALLです)




2018/07/08

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第15回 佐川光晴『生活の設計』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」の第15回(2018年7月8日)は、今でもなお新人賞の小説の見本といえる佐川光晴『生活の設計』について論じています。表題は「現代を代表する『労働小説』」です。

「生活の設計」は、主夫として妻の実家で子育てをしながら、屠殺場で働く「わたし」を描いた私小説です。「わたし」は「チェ・ゲリバラ」と渾名を付けられるほど、汗でお腹を冷やし、下痢を起こしやすい体質でしたが、「最も汗をかきやすい仕事に就くことで逆に汗を制することができる」と気付きます。

佐川光晴さんは埼玉県の志木市在住の作家で、実際に主夫として家事や子育てをしながら、大宮の屠殺場で牛の解体の仕事に従事していました。「そもそもここはおめえみたいなのが来るところじゃねえんだからよ」と厳しい洗礼を浴びせられながらも、牛の上に10年、懸命に働き続け、牛を解体し、皮を剥ぐ技術を高めていきます。

この作品は、屠殺場を非日常的な世界として描くのではなく、そこを日常生活の延長にある場所として描いている点が新鮮な作品です。「働くことの意味」「生活することの意味」について深く考えさせられる、現代を代表する「労働小説」です。



2018/07/04

オレゴン州ポートランド

1999年の大学4年次に早稲田・オレゴンプログラム(短期の語学研修)でPortlandに滞在して以来、約20年ぶりに再訪しました。IAMCRがオレゴン大学での開催だったので、Eugeneからバスで約3時間、久しぶりのポートランド滞在を満喫しました。

約20年ぶりに再会したマイケル・ヨシダ君は、当時の受け入れ教授の息子で日系三世。日本語は全く話せないですが、現在は日系企業を顧客とした弁護士として働いています。当時、父親の命令で学生寮の管理を渋々やらされていたので、よく夜中に車で抜け出して一緒に遊びに行っていました。


マイケルは相変わらずのナイス・ガイで、レストランもバーも彼にご馳走になってしまいました。互いに子供を持つ父親となりましたが、昔と変わらず、際どい冗談ばかりで盛り上がり、20年の歳月をあっという間に縮まった思いがしました。仕事以外の場で、年下に飲食をご馳走になったのはずいぶん久しぶりでした。

ポートランドについて真っ先に向かったのは、思い出の多いPowell's Booksです。世界最大のインディペンデント系書店と紹介されることが多く、1999年の夏にも私があまりに頻繁に通って立ち読みしているので、ホームステイでお世話になったおばさんが、なぜかお土産にPowell's Booksのトレーナーを買ってくれた思い出があります(夏なのに)。




Powell's Booksは棚に並ぶ本の配置が面白いのと、新刊本と古本が同じ棚に並んでいるので、目当て以外の本をついつい手にとってしまいます。大型書店と都立図書館を足したような感じの雰囲気で、子供向けのオモチャや文房具なども売っています。今回の滞在でも、ついつい3時間立ち読みして5冊の本を購入してしまいました。

その後、ライトレールで市街地を見下ろす丘の上にあるワシントン・パークに向かいました。この公園は市街地から徒歩圏内と思えないほど大規模なもので、この日はLGBTQの人々のPartyのような音楽フェスが行われていました。マイノリティに優しいのも西海岸の都市の素晴らしいところです。



ポートランドは、サードウェーブ・カフェやVoodoo Doughnut(ブードゥードーナツ)も有名ですが、先ずはPowell's Books(と斜向かいのピザ屋)とWashington Parkを楽しんでほしいと思います。

一日5ドルでライトレールも乗り放題。ポートランドは、依然として北米で真っ先に訪れるべき街の一つだと実感しました。