2022/07/19

第167回直木賞展望(西田藍さんとの対談)

 西日本新聞朝刊(2022年7月19日)に、第167回直木賞について、文芸アイドルで書評家の西田藍さんと対談した記事が掲載されました。前回の対談では歴史小説2作の同時受賞という珍しい予想がそのまま当たり、西田さんが推した『同志少女よ、敵を撃て』が本屋大賞受賞という、いい結果でした。

 今回私が推した2作品についての対談用のメモは下記です(対談の内容とは異なります)。2つとも初候補の女性作家の作品で、珍しく西田さんと同じ予想になりました。結果として歴史小説を推すのは3作連続となりましたが、鎌倉を舞台に、北条政子を中心に据え、女性の視点から粛清劇を描いた『女人入眼』は、読み応えのある優れた作品でした。根室の昭和史と閉鎖的な暮らしのしんどさを描いた『絞め殺しの樹』も良かったです。両作とも暗い世相を反映した内容ですが、確かな筆力が感じられる作品だと思います。

第167回直木賞 酒井信さん×西田藍さんが展望語る 「突出した永井作品」

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/958794/


永井紗耶子(ながい さやこ) 女人入眼(にょにんじゅげん) 中央公論新社

・鎌倉幕府が開かれ、平家が没落し、源頼朝が台頭する時期の「後宮での争い」を描く。1195年頃からはじまる話。

・情で突き進む北条政子の怖さと、この怖さ無くして鎌倉幕府は成立しえなかったことを実感させる筆致。源頼朝、北条義時が大人しく見える。「鎌倉には鎌倉のやり方がある」という一節が、時代を感じさせる。

・感情移入を誘う筆致で、未だ安定していない鎌倉の武士たちの政治を炙り出す。

・男子を産むために、祈祷師や陰陽師が暗躍する。頼朝の側近の大江広元の娘で、六条家に仕える周子が、丹後局の指示で「鎌倉の姫君」のもとへ行く。都と鎌倉の間を取り持つ重責が伝わってくる。

・坂東の武者たちと同様に都を軽視する北条政子との対峙。後白河院の傍らにいた丹後局。「お局様」の政治の怖さ。

・北条政子が流されてきた頼朝に惚れ込んだことで、鎌倉幕府が生まれる。宮中の政争、鎌倉の勢力争い、頼朝と政子の溝など、時代背景がドラマチック。

・実在する弓の名手「海野幸氏」を描く。木曽義仲の息子、義高の影武者として送られてきた幸氏。真田幸村の先祖という説もある。「鎌倉殿の13人」では脇役。鎌倉幕府の粛清劇は文学の題材として奥が深い。

・尼将軍・政子による「女人入眼」について、文学的な深みのある問いを投げかけている。北条政子の「女性的な暴力」と強権が、公家を追い落とし、鎌倉時代の礎を築いたという凄みのある話。

・立場の異なる多くの登場人物たちの異なる価値観や宿命の動きをバランスよく描きつつ、北条政子の存在を通して、鎌倉の時代精神を炙り出す筆致が見事。作家として高い技量を有している。


河﨑秋子(かわさき あきこ) 絞め殺しの樹 小学館

・北海道の別海町生まれで、緬羊の飼育に携わったことのある著者らしい、根室の開拓地の「イエ」を舞台にした作品。母・ミサエとその息子・雄介の視点を通して根室の酪農家の昭和史を描く。

・桜木紫乃の『ラブレス』のように道東の地を舞台にした小説に連なる、寒冷地で人が少ないからこそ生じる、人々の絆の強さと憎悪の強さの双方を描く。「イエ」の束縛が強かった「絞め殺し」の時代の厳しさを感じさせる。

・簡潔な文章で、漁師と酪農家の異なる気風を伝えるドラマチックな物語展開が魅力的。登場人物たちが抱える「感情」にタメがあり、感情移入を誘う。

・北方領土から引き揚げてきた一家の描写など、国境の街・根室の集合的な記憶を伝える。経済の格差、医療の格差、教育の格差など、地方と都市の格差について考えさせる。

・昭和のはじはじめに生れ、根室の酪農家(吉岡家)で奉公人のように働かされながら育ったミサエと、養子に出され、昭和の終わりを生きる息子の視点から、屯田兵の末裔の一家の盛衰を描く。

・難点を挙げれば、悪人と善人の区別が明瞭すぎる。例えば、小山田俊之の描写など、悪人がずっと悪人というのではなく、善悪が入り混じるような奥行きのある人物描写が欲しかった。

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 直木賞の選考結果は『女人入眼』が惜しくも決選投票で過半数に届かず、3回目の候補となった窪美澄さんの『夜に星を放つ』が受賞しました。西田さんとの対談では、後半の短編2作の完成度の高さについて論じていましたが、前半の短編はあまり評価していませんでした。同い年の永井紗耶子さんは初候補としては大健闘で、今後の作品にも期待しています。