2017/11/06

「文學界」カズオ・イシグロの中の「長崎」

文藝春秋の「文學界」(2017年12月号)にカズオ・イシグロ論を寄稿しました。タイトルは、カズオ・イシグロの中の「長崎」で、今年度にノーベル文学賞を受賞した英国の作家・カズオ・イシグロについて、初期の日本を舞台にした作品を中心に、「信用できない語り手」による「記憶の捏造」と「自己正当化の欲望」の描き方に着目して論じています。

カズオ・イシグロは五歳まで長崎市の新中川という町で暮らしていました。
私が通っていた長崎市立桜馬場中学校は、イシグロの生家から歩いて五分ぐらいの所にありました。ノーベル文学賞の受賞時に注目を集めた、イシグロが通っていた幼稚園もすぐ近くで、私はイシグロの小説でも出てくる「新中川」の電停を通学に使っていました。もしイシグロが長崎に残っていて、市立の中学校に通っていれば、イシグロは私の中学校の先輩ということになります。

原稿用紙で50枚と少し、約20ページの批評文です。目次では「評論」の項目に掲載されています。
http://www.bunshun.co.jp/mag/bungakukai/bungakukai1712.htm

今回書いた批評文では、カズオ・イシグロの長崎を舞台とした初期の作品を中心に、「信頼できない語り手」による「自己正当化の欲望に彩られた記憶」の描写について、踏み込んだ分析を行っています。新しい視点からの分析もあり、文芸誌らしい批評文になっていると思います。

カズオ・イシグロについては、まだ書きたいことが多々ありますので、依頼があれば、その後の作品についても詳しく論じたいと考えています。
この作家は、インタビューや講演に際して、作家としての自己の実存をどう示すか、ということに極めて意識的な書き手なので、彼の無意識レベルの言表に切り込んだ分析が必要である、と改めて実感しています。

編集者の評判も良かった原稿ですので、お時間がありましたら、ぜひご一読下さい。


2017/10/24

ウィーン大学での発表

オーストリアのウィーン大学の社会科学系の学会 ICSS XIII - 13th International Conference on Social Sciences)で発表を行ってきました。
ウィーン大学は1365年創立の歴史ある大学で、メイン・キャンパスがウィーンの街の真ん中にあるので、学会が終わったあともwifiや中庭のカフェを利用しながら、仕事をするのに重宝しました。

オープニングのKeynote Speechでは、「An analysis of Media News Reports that Mentioned the North Korea Crisis in 2017 」というタイトルで、日本の北朝鮮報道の問題点について、CGを使った誇張表現が多用されている事例を挙げながら、説明しました。

まとめとして東西ドイツの統合のきっかけを作った「汎ヨーロッパ・ピクニック」のように、平和的な解決策についてメディアが報道することの重要性について説明し、発表を終えました。

通常の研究発表では、「An Analysis of Industrial Revolution Heritage Sites as Media to Communicate Historical Facts in Japan」というタイトルで、ネガティブな歴史も含めた事実を伝達するメディアとして産業遺産が果たす役割の意味について、日本を事例にした発表を行いました。

全体に様々な国と地域の研究者から関心を頂き、レセプションも含めて楽しい時間をウィーンで過ごすことができました。ウィーンは街中が散歩しやすく、ブリューゲルの代表作を見れたり、フロイトの博物館もあるので、何度行っても飽きません。



その他、カンファレンス以外の時間には、アルプス周辺の産業遺産に関するフィールドワークを行い、ダボスやインスブルックなどを訪れました。アルプスの雪山は何度見ても美しいです。

学会が終わってから帰国して現在に至るまで、授業と校務をこなしつつ、文芸誌向けの原稿約50枚を書き、次の原稿にも追われている状況で、ここ数週間の記憶がほとんどありません。

向こう3週間ぐらいで3つの学会に出ないといけないですが、何とか元気に働きたいと思います。入稿した原稿については、また後日。



2017/08/08

コロンビアとキューバ滞在

IAMCR(国際メディアコミュニケーション学会)でコロンビアのカルタヘナに行ってきました。写真が街の中心にあるカンファレンス・センターで、このあたり一帯が奴隷貿易の拠点となった場所で「(負の)世界文化遺産」に登録されています。ネガティブな歴史も含めて観光資源となっているのがカルタヘナの魅力だと実感しました。

私はガブリエル・ガルシア=マルケスの『百年の孤独』の雰囲気を味わいたかったので、やや治安の悪そうなエリアに泊まったのですが、下の写真のように平日の真夜中でも路上に若者たちが集い、音楽を大音量でかけて飲みながら歓談していました。特に観光地という場所でもない教会前の広場が深夜でこの賑わいです。『百年の孤独』の舞台らしい雑多で魅力的な街で、古い建物が補修されて使われ、街全体が世界文化遺産として登録されています。夕食はMedia Studiesを専門とする先生方とご一緒したのですが、シーフード料理が実に美味しく、滞在中は毎日食事の時間が楽しみでした。


郊外にある鳥園で観た珍しいトリのショーも、日本では見たことのない内容で、思いの他レベルが高く、下のような漫画で見たような嘴の大きな鳥が、人間の指示に従ってボールなどを健気に運んでくれます。ヒッチコックの「鳥」のように、恨みを買うと復讐されそうな知的レベルです。某大学の若手教員が、インコにひどく気に入られ、長時間インコを肩に載せて、耳を甘噛みされ続けていましたが、ビルマの竪琴の演出は正しかったのだと感心しました。


カンファレンスが終わった後は、一人キューバに立ち寄りました。「そうだ、キューバに行こう」と。キューバも旧市街全体が世界文化遺産で、街を歩くだけでスペイン統治時代に戻ったような趣があります。ただ空港で荷物が出てくるのに2時間かかりました。係の人がひどく怒られていましたが、一向に荷物が出て来ません。その後「あっちの方から荷物が出るらしいぞ」という不確かな情報が拡がると、人々が「あっちの方」に流れ出し、半信半疑でついて行くと、本当に「あっちの方」から荷物が出てきます。社会主義を実地で学んだ気がしました。
 それでも街行く人々は至って親切で、六本木でダンサーをやっていたという怪しげな親子連れが、通りすがりに懇切丁寧に旧市街を案内してくれたのですが、他の国のようにチップを要求されることがありません。「また来てね」と言って、さわやかな笑顔で別れていきます。道を歩いていても、親切に(聞いてもいない)裏キューバ情報を教えてくれるなど、普通の人々が資本主義に擦れていない感じは、本物でした。



旧市街全体が70年くらい時間が止まっています。例えばヘミングウェイの定宿、アンボス・ムンドスや彼が通ったバーが、往時と変わらない佇まいで残っています。有名な50年代のアメ車タクシーも味わい深いですが、料金が高いので、私はオート三輪のドライバーと交渉して、1/3ぐらいの値段で、ゲバラの家など町外れに足を運びました。キューバの生活空間をオート三輪で間近に見られて楽しかったです。博物館のキューバ革命に関する展示も、アメリカとの両義的な距離が感じられて面白く、国全体として見れば一人あたりの所得は低いとはいえ、一人一人と向き合うとフェアな感覚が行き届いている感じがして、魅力的で、懐の深い国だと実感しました。「そうだ、キューバに行こう」と、また気軽に立ち寄りたいものです。

2017/06/23

慶應義塾大学SFCスピリッツ

慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスの卒業生紹介コーナー、「SFCスピリッツ」で私のゼミの教育・研究活動を紹介して頂きました。といっても依頼を受けて寄稿した文章ですので、大学院〜2008年度の博士号取得までのことや、お世話になった先生方とのことについて、自由に書かせて頂きました。「現在の仕事や活動等について、学生時代の思い出を交えながら紹介する」という企画に沿った内容です。

文教大学のゼミの写真に加えて、お世話になった福井弘道先生の特別講義の写真や、共同通信とのプロジェクトでの戦友・池上さんとの写真も掲載して頂き、若手研究者時代の思い出をまとめたような内容となりました。

よく言われることですが、20代にどういう人と出会い、何を体験的に学んだかということは、その後の人生を大きく左右するものだと、書きながら改めて実感しました。

慶應義塾大学の湘南藤沢キャンパスは様々な分野で活躍する卒業生を輩出してきた歴史がありますので、大学院の卒業生の一人として、現在の仕事・活動を紹介する機会に与れて嬉しく思います。

以下、紹介記事へのリンクです。

SFCから約2キロ、文教大学湘南キャンパスで教えています|酒井信さん(2002年政メ修士修了、2008年後期博士修了)
http://www.sfc.keio.ac.jp/alumni_stories/012488.html

慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス SFCスピリッツ
http://www.sfc.keio.ac.jp/alumni_stories/



2017/06/20

柏崎刈羽原発に行ってきました

新潟大学での学会の帰りに、柏崎刈羽原発に行ってきました。日本の原子力発電所の近くには、原発の広報と情報公開を目的とした施設が建っていることが多いのですが、柏崎刈羽原発にも「サービスホール」という名称の施設がありました。

敦賀原発の「あっとほうむ」に行ったときも思いましたが、施設の名称が福島原発事故以後の時代に適していないように感じます。「サービスホール」という名称には「(本当は公開したくないけど)サービスで情報公開を行っています」という高圧的なニュアンスが感じられますし、「あっとほうむ」という名称には、原発の存在を快く思っていない人々を小馬鹿にするようなニュアンスが感じられます。



ただ「サービスホール」の展示そのものは分かりやすく、1/5の原子炉模型があったり、原子力発電の基本的な仕組みについて説明していたり、世界の原子力発電についても、詳しいデータが表示されるタッチパネル式の良い展示がありました。福島第一原発の「廃炉に向けた取り組み」についても、目立つ場所に展示されていて良いと思いました。

ただ疑問に感じたのは原子力発電のコストに関する展示で、特に「原子力発電コスト 10.1円~/kWh」という説明です。



元データは経済産業省・資源エネルギー庁が出した2015年の下の報告書だと思いますが、
http://www.enecho.meti.go.jp/committee/council/basic_policy_subcommittee/mitoshi/cost_wg/006/pdf/006_05.pdf
このデータの「社会的費用」のコスト算出が不適切であることは、その後の賠償・除染・廃炉等の費用の増大を考えれば明らかと思います。

例えば毎日新聞は2016年末、廃炉・除染等の費用が従来の想定の2倍に増えると報道しています。
経産省発表で2倍ですので、先々もっと増えるのでは、と思います。
https://mainichi.jp/articles/20161128/k00/00m/040/085000c

原子力発電が石炭やLNGの火力発電などよりも「コストが安く」「エコ」だと謳いたいのだと思いますが、このような神話が崩壊していることは、誰の目にも明らかと思います。しかも増えたコストは電気代で補填されていく計画だから、「原発のコストが安い」という展示は、市民感情を逆なでするものだとも思います。

原発に関して情報公開が促進され、観光や学校行事で人々が訪れる施設があること自体はいいことだと思います。ただ原発の存在を「コスト面」や「エコ」で正当化する展示は、3・11以後の日本では、明らかに説得力を欠いています。

エネルギーに関する展示施設に人々が求めているのは、長期的な視野の下で練られた「脱原発に向けたシュミレーション」や、「エネルギーの自治」を促進するような新しい技術や国内外の取り組みについての展示だと思うのです。

2017/06/01

日本マス・コミュニケーション学会(2017年度春季)の研究発表論文(予稿)

日本マス・コミュニケーション学会(2017年度春季研究発表会・新潟大学)で発表を行います。表題は「ウェブ上の情報環境とコミュニケーションの変化がもたらすメディア・リテラシー上の諸問題に関する研究」です。内容は、情報環境論として先々の書籍化を予定している内容の「認識の枠組み」と問題意識の所在について論じたものです。以前に「新潮45」に発表したIT系の論考と結び付いた論旨です。

ウェブ上の情報環境とコミュニケーションの変化がもたらすメ ディア・リテラシー上の諸問題に関する研究 A Comparative Analysis of Problems on Media Literacy that ICT Brings to 酒井信

要旨……本研究ではウェブ上の情報環境とコミュニケーションの変化がもたらすメディア・リテラ シー上の諸問題について、Lawrence Lessigが『CODE 2.0』で提示した理論的枠組みを参考にして、 以下の4つのレベルに区分して考察することを目的とした。私はウェブ上にコミュニケーション空 間が拡大した現代社会は、以下の4つのレベルで規制を必要とする問題を抱えていると考える。1 「情報のパーソナル化がもたらす諸問題」(個人レベルの問題)、2「ソーシャル・メディア上の 過剰結合がもたらす諸問題」(共同体レベルの問題)、3「プラットフォームの寡占化がもたらす 諸問題」(市場レベルの問題)、4「検閲の技術的な向上がもたらす諸問題」(国家レベルの問 題)本研究では1〜4のレベル毎にメディア・リテラシー上の諸問題を区分けして考えることが重 要であると考え、各レベル毎に生じてきた具体的な問題から演繹される規制のあり方について検討 することが、ウェブ上のメディア環境を豊かにする上で重要であると結論付けた。
キーワード 情報社会論, 社会思想, Media Studies

研究発表論文(予稿)の全文(PDFファイル・4頁)
http://mass-ronbun.up.seesaa.net/image/2017spring_D2_Sakai.pdf


2017/05/29

「問題複合体を対象とするデジタルアース共同利用・共同研究拠点」(文部科学省、中部大学中部高等研究所国際GISセンター)との共同研究に採択されました

 研究題目は「平成期の日本の自然災害に関する新聞報道の定量的な分析と地理空間上の報道分布に関する研究」です。研究目的と研究方法は以下の通りで、主としてゼミの4年生と研究課題に取り組むことになります。

平成期の日本の自然災害に関する新聞報道の定量的な分析と地理空間上の報道分布に関する研究 酒井信

研究目的
 本研究では自然災害を報道する新聞の報道量(報道数、文字数)及び地理空間上の報道分布と現実の災害の被害を比較分析することを目的とする。災害が生じた場所に関する報道量(言及数)は、一括りに「被災地」と呼ばれる場所の中で格差が生じる傾向にある。例えば2011年の東日本大震災に際しては福島・宮城・岩手の三県の特定の自治体に報道が集中し、相対的にニュース価値の低いと判断された茨城や千葉などの自治体の災害報道は少なかった。一般に自然災害に関するメディア報道においては、被災を象徴する場所に関する報道については繰り返し報道される傾向にあるが、特徴に乏しいと判断された場所の報道については減少する傾向にある。本研究では、このような新聞の報道量(報道数、文字数)と地理空間上の報道分布を分析することで、被災情報の伝達過程で生じる情報格差について可視化し、その格差が生じる要因について現実の被災状況と比較しながら、災害時の情報公開のあり方について考察することを目的とする。

研究の具体的方法 
 第一に本研究では日本の全国紙四紙の新聞記事データベースを使用して、平成年間の自然災害に関する新聞報道を人手で調査し、1自然災害の種類 2記事内の地名(都道府県、市町村、町名) 3関係団体・人名 4発生日時 5文字数 6キーワード を抽出した上で、自然災害に関する新聞報道のメタデータを作成する。第二にメタデータを抽出した各記事を対象に、三階層の地名(都道府県、市町村、町名)に基づいてマッピングし、新聞報道の質と量と分布を俯瞰的に可視化する。第一の研究プロセスは文教大学酒井信ゼミナールで行い、第二の報道分布のデジタルアース上への可視化については中部大学高等研究所の協力を仰ぐ。その上で中部大学高等研究所及び文教大学酒井信ゼミナールの共同で、第三に、可視化した自然災害に関する新聞報道量(報道数、文字数)及び地理空間上の報道分布を、現実の災害の被害と比較分析し、被災に関する情報伝達のプロセスで生じる問題点を明らかにする。

問題複合体を対象とするデジタルアース共同利用・共同研究拠点(IDEAS)
http://gis.chubu.ac.jp/


2017/05/27

メキシコ・シティ

 カンファレンスまで時間があったので、メキシコ国立自治大学(UNAM)の知人を訪ねました。写真はフアン・オルゴマンのモザイク壁画で覆われた中央図書館で、アステカ文明の繁栄とスペイン植民地時代の圧政を、北面と南面で対照的に表現しています。


 UNAMはアメリカ大陸で2番目に古い1551年の開学で、メイン・キャンパスは2007年に世界文化遺産にも登録されていて、オクタビオ・パスのようなノーベル賞作家(詩人・批評家)も輩出しています。訪れたことのある大学の中では、おそらくモスクワ大学に次いで広く、1968年のメキシコ五輪の競技場もキャンパス内で、複雑なバス路線が張り巡らされています。街の中心部からやや離れていますが、地下鉄で5ペソ(約30円)で行くことができます。大学近くの屋台のご飯も安くて美味しかったです。

 メキシコ・シティは、何より壁画が魅力的です。例えばメキシコの教育省は、ディエゴ・リベラが描いたメキシコ革命をテーマとした壁画で覆われていて、今でも丁寧な補修が施されています(写真)。


 昨年、デトロイトで、リベラの「デトロイト産業」をみて感銘を受けたのですが、メキシコ・シティにあるリベラの壁画は更にスケールが大きく、メキシコの地に根を張ったオーラと説得力が感じられます。
 宮殿に描かれた「メキシコの歴史」(写真)や公園横の壁画館の「アラメダ公園の日曜の午後の夢」も一見の価値があります。リベラの作品は、庶民の日常生活を丹精に描いているのが特徴で、バルザックやドストエフスキーの作品のように、都市に集まる雑多な人々の「人間臭さ」が壁面に横溢しているので、インパクトが強く、感動が尾を引きます。


 その他、印象に残ったのは、レフ・トロツキー博物館。街の中心部から地下鉄を乗り継いで20分、最寄り駅から徒歩20分という場所にあるため、観光客はあまりいないのですが、トロツキーの生活感あふれる写真と、スターリンの刺客に備えて要塞化した自宅の展示は、見応えがありました。リベラもトロツキーに傾倒しています。トロツキーはメキシコ郊外で暗殺された、という記述をよく目にした記憶がありますが、郊外というほど中心部から遠くもない場所でした。
 展示を見ていると、ロバート・キャパの写真のような「熱情的な革命家」の姿とは異なるトロツキー像が浮かび上がってきます。死の直前、トロツキーは息子を暗殺され、スターリンを批判する本を書いていたところ、内通した刺客にピッケルで頭を刺されて死に至るわけですが、死の間際の生々しい写真も記録されています。大学院の時に『裏切られた革命』を読みましたが、ロシアを追われメキシコに流れながら執筆を重ねたトロツキーの苦労が、写真の展示と要塞化された自宅を通して実感できた気がします。


 ロシア革命に関わる文化人の博物館では、モスクワのマヤコフスキー博物館が群を抜いて展示が充実していましたが、トロツキー博物館も、メキシコという土地らしい展示で味わいがありました。思想家の博物館は展示が難しく、過去に観た中ではトリーアのカール・マルクス・ハウス(と市立博物館の展示)が、様々な工夫を凝らしていて面白かったですが、トロツキー博物館は、写真と住居の展示を中心とした落ち着いた内容で、周辺の街の雰囲気と調和していて良かったです。

 メキシコシティの中で最も感銘を受けたのは、ベジャス・アルテス宮殿で上演されている「Folkloric Ballet of Mexico」。メキシコの様々な時代の舞踊と音楽を現代風にアレンジして1時間半ぐらいに集約した「舞踊と音楽のショー」です。トリップアドバイザーの英語の口コミで大絶賛のコメントが多かったので、試しにチケットを購入したところ、期待以上の内容でした。
 モンゴルのウランバートルで舞踊と音楽を観たとき、その多様性にモンゴル帝国の統治範囲の広さを感じたのですが、メキシコの場合は、ユカタン半島からグアナファト州にかけて多様な文明が存在していて、それがスペインの舞踊と音楽と融合しているのが面白いと思いました。
 日本で言うとコクーン歌舞伎と京都のギオン・コーナーを混ぜ合わせたような舞台ですが、舞台も広くて演者も多く、舞踊と音楽に確かな教育と競争が行き届いていることが実感できました。

2017/05/24

ゼミ冊子「メディア表現」第一号を発刊しました

文教大学酒井信ゼミ制作の冊子「メディア表現」第一号を発刊しました。104ページの分量で、メディアに関する様々な学びについて、学生が取材し、考察した内容が掲載されています。「100ページを超える分量で、『足で書く』取材記事と、アンケート分析を主とした冊子を作ってほしい」という私からのオーダーに、ゼミ生たちは頑張って応えてくれたと思います。
既に冊子を読んで頂いた取材先の方々からも好評で、制作に関わった4年生は「厚み」のある冊子を「名刺代わり」に、就職活動を頑張っているようです。

文章の添削もなかなか大変でした。ゼミ合宿の移動中も「赤入れ」をしながら修正作業を行っていたため、移動の電車やバスでゲラが舞い散る場面もありました。「締め切りに追われて文章を書くこと」の緊張感と責任感を、ゼミ生に身に染みて学んでもらえたのではと思っています。

誌面には、教員の人生遍歴を巡るインタビューや、「メディアの裏側」に関するゲスト講義、在校生や卒業生の「本音」を引き出すインタビューなど、様々な読み所があります。
アンケート調査とその分析内容も面白く、家族とのコミュニケーションの状況、恋人の有無、メディアの接触頻度、幸福度の格差など、非掲載のものも含めて良い内容でした。

「メディア表現」はオープンキャンパスや学園祭など、大学の行事で、メディア表現学科の教育活動の紹介を趣旨として配布します。年一回の刊行予定です。将来的にはウェブ・コンテンツとしての展開も見込んでいます。










文教大学HPでの紹介記事



2017/04/07

文學界に「吉田修一論 現代文学の風土」(後篇)を寄稿しました

文藝春秋の「文學界」2017年5月号に、「吉田修一論 現代文学の風土」(後篇)約240枚を寄稿しました。『悪人』や『怒り』、朝日新聞朝刊で連載中の「国宝」などの作品で知られる作家・吉田修一について、他の作家の作品と比較しながら、その「風土」に着目して論じた内容です。

吉田修一さんは長崎南高校の先輩にあたる人で、後篇でも「ネイティブ」らしい視点から論を展開しています。前後篇の合計で約420枚ほどの分量があります。手前味噌ですが、現役の作家に関する文芸批評としての完成度は高いと思います。前篇も様々な人から、好意的な感想を頂きました。

文學界 2017年5月号目次
http://www.bunshun.co.jp/mag/bungakukai/bungakukai1705.htm

後篇で吉田作品と比較するのは、村上龍、村上春樹、中上健次、江藤淳、永井荷風、カズオ・イシグロ、カート・ヴォネガット・ジュニアなどです。後篇から読んでも、参照している作品を読んだことがなくとも、相応に楽しんで読むことができる文章に仕上がっているかと思います。

担当編集者によると「文學界」掲載の文芸批評としては、ここ数年で最長では、とのことでした。最初の打ち合わせ時の予定枚数を大きく超える批評文を掲載頂いた担当編集者と編集長に多謝です。

吉田作品に馴染みがなくとも、作品から独立した作品として読めますので、ぜひ手にとって読んで頂ければ幸いです。「文學界」は日本を代表する文芸誌で、様々な書き手の文章が掲載されていますので、他の小説や評論と合わせてご一読下さい。

2017/04/02

産経新聞「この本と出会った」に寄稿しました

4月2日の産経新聞朝刊の文化欄・読書面の「この本と出会った」に寄稿しました。月一回、執筆者が人生の中での思い出の本を一冊挙げて、その本にまつわるエピソードを記すコーナーで、和辻哲郎著『風土 人間学的考察』について書いています。長崎の古本屋・銀河書房や慶應SFCでの大学院の授業についても少し触れています。

産経新聞のオンライン版でも記事を読むことができますので、他の記事と合わせてご一読頂ければ幸いです
http://www.sankei.com/life/news/170402/lif1704020018-n1.html

今月は文學界4月号に「吉田修一論 現代文学の風土」(前篇)約180枚が掲載中で、次の文學界5月号に「吉田修一論 現代文学の風土」(後篇)約240枚が掲載予定ですので、こちらも合わせてよろしくお願い致します。





2017/03/06

文學界に「吉田修一論 現代文学の風土」(前編)を寄稿しました

文藝春秋の「文學界」2017年4月号に、「吉田修一論 現代文学の風土」(前編)を寄稿しました。吉田修一の作品について、他の文学作品と比較しながら、その「風土」に着目して論じています。

吉田修一さんは長崎南高校の先輩にあたる人で、生まれ育った場所がほぼ同じということもあり、「ネイティブ」らしい視点から論を展開しています。以前にも「10年代の入り口で 文學界2010」という特集で長めの批評文を書きましたが、今回は更に長く、前編・後編の合計で約420枚の分量があります。

文學界 最新号目次  *冒頭部分のみ立ち読みもできます。

前編で吉田作品と比較するのは、江藤淳・開高健・川端康成・丸山明宏(美輪明宏)・シーボルト・夏目漱石などで、朝日新聞で連載中の「国宝」にも少し触れています。「国宝」は1960年代を生きる人物とその風景の描写が生き生きとしていて、読み応えがあり、映画版の期待も高そうです。束芋のイラストも『悪人』と同様に素晴らしいですね。

吉田作品に馴染みがなくとも、作品から独立した作品として読めますので、ぜひ手にとってみてください。
「文學界」は日本を代表する文芸誌で、様々な書き手の文章が掲載されていますので、他の小説や評論と合わせてご一読頂ければ幸いです。


2017/02/13

日米首脳会談に関するインタビュー記事が毎日新聞夕刊に掲載されました

日米首脳会談に関するインタビュー記事が毎日新聞夕刊に掲載されました。「日米首脳会談 蜜月どう見る? 非常識な厚遇/ビジネスのよう/親密さ歓迎」という記事で、コメディアンのパックンことパトリック・ハーランさんの後で、今回の会談を「日本人向けフロリダ観光PR会談」であったと分析しています。
パックンって米政府寄りの人かとぼんやりと思っていたけど、こういう時に、毎日新聞でリベラルで的確なコメントをするあたり、ハーバードの卒業生という感じですね。
毎日新聞のオンライン版でも記事を読むことができますので、他の記事と合わせてご一読下さい。
写真が飲んだ後みたいな赤ら顔になってますが、この時は飲んでないですね。

掲載記事
http://mainichi.jp/articles/20170213/dde/041/010/054000c

毎日新聞・今日の一面
http://mainichi.jp/今日の1面/


2017/01/31

米大統領選挙に関する取材記事が毎日新聞夕刊の「特集ワイド」欄に掲載されました

以前に新潮45に寄稿した「米大統領選挙 ツイッター上の「人格非難」合戦」についての取材記事が毎日新聞の夕刊に掲載されました。
米国大統領選挙を題材とした「政治的ツールとしてのツイッターの威力」に関する内容で、毎日新聞夕刊・編集委員でノンフィクション作家の藤原章生氏が記事を作成しています。
毎日新聞の特集ワイド欄は、2016年度の平和・協同ジャーナリスト基金賞の受賞など、ジャーナリズムの世界でも注目を集めるコラムですので、他の記事も合わせてご一読下さい。
それと今年は3月と4月に発売の文芸誌に、計360枚ほどの批評文を入稿しています。こちらの内容について、また後日。
現在はその先の仕事に取り組んでいるところです。

特集ワイド 「民衆の武器」か「為政者(トランプ)の大砲」か
http://mainichi.jp/articles/20170131/dde/012/030/002000c

■毎日新聞・特集ワイド
http://mainichi.jp/wide/