2021/04/26

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第155回 川上未映子『ヘヴン』

 西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第155回 2021年4月25日)は、旭川市のいじめ凍死事件が起きたこともあり、いじめを題材とした現代小説の代表作、川上未映子『ヘヴン』を取り上げました。表題は「いじめの苦難「向こう側」夢見て」です。

 旭川の事件は、母親・生徒の担任への相談も繰り返しあり、川への飛び込み事件も起き、警察の捜査も入り、転校もして、PTSDの診断もあっても、調査委員会が設置されておらず、凍死事件が起きるという、あまりにも悲惨なものでした。狭い人間関係の中で生じる陰湿ないじめを抑止する仕組みが、少しでも早く整うことを願っています。

 川上未映子『ヘヴン』は冒頭で引かれた「目を閉じさえすればよい。すると人生の向こう側だ」という、ルイ=フェルディナン・セリーヌ『夜の果てへの旅』の一節が、読後の印象として強く残る作品です。

 目を閉じて、人生の難局が過ぎ去り「人生の向こう側」へ行ければいいのに、と誰もが一度は願ったことがあるのではないでしょうか。この作品はいじめにあった14歳の男女が、殉教者のように目を閉じ、祈るように人生の苦境を乗り切り、その「向こう側」にある「ヘヴン」を模索する切なくも生命力に満ちた作品です。

 写真は作品の舞台と思しき場所の近く、横浜市南区の大原隧道で撮影しました。作中の切ない恋心が写真で表現できてる気がしています。

 先週末に批評本の批評(12枚)を書き終えて、ようやくGWを実感してきた今日この頃です。

西日本新聞 meの掲載記事

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/729290/


川上未映子『ヘヴン』あらすじ
 悪質ないじめを受けている僕が、ある日「わたしたちは仲間です」という匿名の手紙を受け取る。いじめを受けた男女が「きっといつかこれを耐えなきゃたどりつけなかったような場所やできごと」を手にする希望を抱いて、ほのかな恋心を育み、手を取り合って成長していく。著者の新境地として高く評価された芸術選奨新人賞、紫式部文学賞受賞作。


2021/04/19

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第154回 町田そのこ『52ヘルツのクジラたち』

 西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第154回 2021年4月18日)は、2021年の本屋大賞受賞作、町田そのこの『52ヘルツのクジラたち』を取り上げています。表題は「拡張する社会が抱える矛盾」です。

 大分県の小さな海辺の町を舞台に、親からの虐待に苦しんできた「わたし」ことキナコとその友人たちの青春を描いた作品です。一般にクジラは10~39ヘルツで歌うことで仲間と連絡を取り合い、繁殖するらしいですが、52ヘルツのクジラは声の周波数が高すぎるため、孤独に大海原を生き抜かなければなりません。「52ヘルツのクジラ」のエピソードは、孤独な人生を歩んできた登場人物たちを象徴するもので、誰に読まれるか分からない文章を書き続ける、作者のアイデンティを表現したものでもあると思います。

 人間は群れを成して生きる動物であり、環境に左右される存在です。ただこの世に弱い存在として生れ落ちる子供にとって、第一に「群れ」や「環境」とは家庭であり、それは自ら選ぶことのできない所与のものとして、理不尽に人生を左右します。現代社会で、私たちは依然として狭い家庭環境に左右されながら生まれ育ち、血縁や地縁を超えた生活や人間関係を容易には築けないでいます。本作は、外見は前近代的なしがらみを克服したかに見える現代社会が内側に抱える感情的な矛盾を描いた作品で、新型コロナ禍の時代に相応しい「本屋大賞受賞作」だと思います。

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/725496/


町田そのこ『52ヘルツのクジラたち』あらすじ

 家族から虐待を受けて育ったキナコが、友人の美晴が働く塾の講師・アンさんなどに支えられながら成長していく物語。家族の下を離れ、祖母の自宅があった大分に移住したキナコは、母親から虐待を受けている少年と出会い、彼を庇護しながら自己の人生と向き合っていく。勤め先の跡継ぎだった主税との苦い恋愛遍歴など、ミステリアスなキナコの過去が徐々に明らかにされる展開がスリリングな作品。2021年本屋大賞第一位。

 


2021/04/17

広報誌「明治」と「国際日本学研究」への寄稿

 明治大学の広報誌「明治」第89号(2021年4月発行)に「メディア・リテラシーの有無が生死を分けることもある」を寄稿しました。

「明治」第89号には、校友の安住 紳一郎さん(TBSテレビ アナウンサー)への創立140周年記念特別インタビューや、特集「明治大学が切り拓く就職キャリア支援」などが掲載されています。

目次

https://www.meiji.ac.jp/koho/meiji/89.html

 それと明治大学が発行する「国際日本学研究」に「現代日本の新聞産業の現状と収益構造の変化に関する研究」という論文を寄稿しました。科研費の分担分の成果の一部で、ボリュームのある原稿です。日本の新聞産業の特徴と現状について、様々な統計データを用いながら考察しています。

「国際日本学研究」第13巻 第1号(2020) pp.39-56

https://www.meiji.ac.jp/nippon/6t5h7p00000ifucc-att/6t5h7p00000ifuen.pdf

2021/04/12

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第153回 芦沢央『汚れた手をそこで拭かない』

 西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第153回 2021年4月11日)は、芦沢央の第164回直木賞候補作『汚れた手をそこで拭かない』を取り上げています。表題は「日常に潜む『落とし穴』」です。この回の直木賞は、時代小説の受賞が期待される状況だったこともあり、受賞に至りませんでしたが、最も芥川賞向きの作風で、文学性も高く、将来が期待される作家だと思います。

写真は「世界一の本の町 神田すずらん通り商店街」です。神保町では、大学2,3年の時にイタリア系の出版社デアゴスティーニ・ジャパンの編集部でバイトしていました。東京堂でよく立ち読みしてサボっていたので、東京堂の写真を掲載頂きました。四半世紀が経った今日も、明治大学での会議ついでにボンディでカレーを食べ、古本を物色しつつ、すずらん通りを散歩しました。世界一の商店街だと思います。

神保町はさておき、芦沢央は平穏だと考えていた日常を侵食する「小さな悪意」を通して小説のリアリティを築くのが上手いです。「汚れた手をそこで拭かない」は、人々が穏やかな日常生活の中で見落としているような「小さな悪意」を起爆剤として、喜怒哀楽に還元しがたい際どい感情を表現した短編集といえます。単行本の帯文に「ひたひたと忍び寄るおそろしさ、ぬるりと変容する日常から、目を背けてはならない」と記されていますが、言い得て妙です。

 老人がアパートの隣人の電気機器を親切に修理するふりをして、盗電して自室の電気代を節約するなど「小さな悪意」が、小説の中心的な題材として取り上げられています。個人的に最も印象に残ったのが、「埋め合わせ」という作品で、小学校のプールの栓を閉め忘れて大量の水を流出させたことを隠蔽しようとする小学校教師の姿が描かれています。

 現実に日本では、プールの給水栓を小学校教員が閉め忘れ、上下水道料金(数百万円になることも)を請求される事例が生じています。平穏な小学校の夏休みにぽっかりと空いた「落とし穴」が、ホラー作品のような恐怖を読者に与えます。

西日本新聞 me

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/721790/


芦沢央『汚れた手をそこで拭かない』あらすじ
 日々の生活の中に潜む「汚れ」をさりげなくどこかで「拭く」ような人間の小さな悪を軸にした5つの短編集。小学校の教師や認知症の妻を持つ老人、仏師を目指す元編集者など、お金に困り、自らの人生を袋小路へと追い込んでしまう不器用な大人たちを描く。第164回直木賞候補作。


2021/04/05

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第152回 高橋源一郎『ジョン・レノン対火星人』

 明治大学国際日本学部で2年目を迎えました。知り合いの教員がいない中、一般公募で専任教員として採用を頂いたことへの感謝の気持ちを、学部に対して持ち続けています。新型コロナへの対応は大変でしたが、快活に教育・研究・校務に勤しんできたつもりでいます。昨年の7月から対面授業を実施してきましたが、今学期は4月からすべての授業を対面でスタートし、すでに多くの学生たちと対面でやり取りできていることを、嬉しく感じています。

 ここ最近は学術論文を続けて書いています。先月末発行の「国際日本学研究」に「現代日本の新聞産業の現状と収益構造の変化に関する研究」という論文を15ページほど寄稿しました。科研費の分担分の成果の一部です。今は英字ニュースの解析と分析に関する依頼論文を書き終えたところで、7月下旬に学会誌に掲載予定です。文科省の共同利用・共同研究の昨年度分の報告書も作成中です。

 あと大学の広報誌『明治』の次の号に、以前にMeiji.netに寄稿した「メディア・リテラシーの有無が生死を分けることもある」が6ページで転載される予定です。内容を微調整しました。

https://makotsky.blogspot.com/2020/10/meijinet.html

 その他、西日本新聞の連載と分厚い評論本への批評、英字論文など、色々と仕事に追われている内に新年度という感じですが、この調子で、残り27年の教員生活を全うしたいものです。

 新年度最初の「現代ブンガク風土記」(第152回 2021年4月4日)は、昨年度のはじめの村上春樹『羊をめぐる冒険』と同様に、現代小説への関心の原点となった作品(高橋源一郎『ジョン・レノン対火星人』)を選びました。表題は「正気と狂気 理不尽な人間」です。

 高橋源一郎の「過激派」としてのルーツが感じられる作品で、好きな現代小説の一つです。ポスト・モダン小説と言える虚実が入り混じった実験的な作風で、当時の日本の戦争史観への皮肉がたっぷりと塗り込められています。唐突に「プロレスとは愛(アムール)なのだ」というアブドーラ・ブッチャーのセリフが挟まれたり、「突発性小林秀雄地獄」に見舞われた人物が「おれはきつと近代の野蛮人なのだ。近代絵画が好きだ、おれは。本居宣長は桜なのだ。利口なやつはたんと反省するがよい、おれは馬鹿だから」など小林風の言葉を口にして反省するなど、不条理な内容がめくるめく展開されます。

 写真は作品の舞台となった東京拘置所で、高橋源一郎は、横浜国立大学時代に学生運動に関わり、凶器準備集合罪で逮捕され、半年ほど収監された経験を持ちます。高橋はこの時のトラウマで失語症となり、長期間、読み書きが上手くできなくなったらしいですが、本作は初期の作品らしく収監中の辛い経験が、幻想的な描写に強く反映されていて味わい深いです。正気と狂気が襞のように折り重なった現実世界を、私たちは常にすでに理不尽な人間存在として生きて続けながら、シミュラークル(模造品)とシュミレーション(想定演算)の外側に抜け出せないでいる、という現実を高橋は言葉を起爆させることで、挑発的に風刺しています。

西日本新聞 me

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/718161/


高橋源一郎『ジョン・レノン対火星人』あらすじ

「マザー・グース大戦争」の被告として収監された「わたし」や「花キャベツカントリー殺人事件」を起こした「すばらしい日本の戦争」などが、東京拘置所を舞台として奇妙な物語をひもとく。後に「すばらしい日本の戦争」が狂ったふりをしていたことが判明し、小説は急展開していく。第24回群像新人文学賞の最終候補作「すばらしい日本の戦争」を改題した高橋源一郎の初期の代表作。