2019/05/26

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第60回 佐藤泰志『そこのみにて光輝く』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第60回 2019年5月26日)は、連載60回記念! 佐藤泰志が生前に完成させた唯一の長編小説、『そこのみにて光輝く』を取り上げています。表題は「函館の『隣人』の生を表現」です。

この小説は函館と思しき「海辺の町」にあった「サムライ部落」を舞台にしています。「サムライ部落」の語源は様々ありますが、おおよそ明治の開拓民の中で困窮した人々が住んだ貧民街を指します。函館で生まれ育った佐藤泰志は、子供の頃からサムライ部落に関心を抱き、残された唯一の長編小説の舞台としてこの場所を選んでいます。

主人公の友人・拓児の母は、夫を亡くした後も、市が用意した「快適な住宅」に入ることを拒み、「サムライ部落」のバラックで暮らし続けることにこだわっています。「つまらない意地に見えるかもしれないが、ああいうお袋だ。あそこにしがみついているから、お袋はお袋なんだし、俺もそうだ」と拓児は述べています。

限られた時代の中で、限られた生活を送る人々が確かに存在し、「そこのみにて光輝く」人生を歩んでいたことが、伝わってくる作品です。佐藤泰志の小説の根幹に、生まれ育った函館で「隣人」として接してきた、サムライ部落に住む人々の「そこのみにて光輝く生」が存在することが、よく伝わってきます。


2019/05/21

『江藤淳』(河出書房新社)「アメリカと対峙する文明批評の将来 ーー江藤淳と柄谷行人の「他者」」

本日発売の『江藤淳』(河出書房新社)に「アメリカと対峙する文明批評の将来 ーー江藤淳と柄谷行人の「他者」」という批評文を寄稿しました。
『江藤淳』は、江藤の没後20年を記念して出版された書籍で、大江健三郎、吉本隆明、西部邁、上野千鶴子、柄谷行人、福田和也、高橋源一郎など、様々な「文学者」の原稿が掲載されています。
執筆者の顔ぶれに、政治的な立場を超えた、江藤淳の批評の影響力の強さとその多彩さが表れていると思います。今読み返しても『成熟と喪失』『漱石とその時代』『近代以前』『戦後と私』など、江藤の評論に学ぶことは多く、読み物としても面白いです。
私の原稿は9ページで、執筆者の中では、江藤淳への気持の強さの表れか、大江健三郎、與那覇潤の原稿に次いで長いです(笑)

河出書房新社HPより
平成が終わる今、改めて江藤淳を読み直す。【巻頭対談】中島岳志×平山周吉【論考】苅部直、與那覇潤、酒井信、浜崎洋介、西村裕一……単行本未収録の重要作品も多数収録。
http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309028019/



2019/05/19

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第59回 奥泉光『黄色い水着の謎』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第59回 2019年5月19日)では、奥泉光の桑潟幸一准教授シリーズの第2作『黄色い水着の謎』を取り上げました。表題は「地方私大の可能性は?」です。今月の「文學界」の書評を入れると、桑潟幸一准教授シリーズの全3作をひと月ほどで批評したことになります。房総半島の私大を舞台にした、このシリーズへの「思い」が、伝わる文章になっているかと思います。

この作品は、都心から電車で2時間ほどの房総半島の山奥にキャンパスを有する「たらちね国際大学」を舞台にしています。主人公の桑潟幸一(クワコー)は、40歳の日本文学を専門とする准教授で、大学の最寄り駅である房州電鉄肥ヶ原駅近くのブロッコリー畑に臨むアパートに住んでいます。クワコーは「オレだよ。オレオレ、オレがやったんだよ」という具合に「覚えのない罪」を告白するのが真の人間だと思っている文学的(ドストエフスキー的)な人物です。

大学の准教授というと世間体こそいいですが、たらちね国際大学の場合は、宗教団体や消費者金融の出資を受けた過去を持ち、経営難に陥っているため、クワコーの月給は手取りでたったの110350円です。夏のボーナスも、家電量販店の値札のような金額(49800円)であったため、本作でクワコーは魚やセミを採り、食費を浮かすことを決意します。

一見すると面白おかしい話ですが、縄文時代に遡り、千葉の海の豊かさを讃えながら、定員割れした私立大学の使命について考えさせられる内容で、たらちね国際大学の教育の可能性を模索する展開に、読み応えを感じます。

シリーズ第1作の『桑潟幸一准教授のスタイリッシュな生活』については、下の連載第56回目で取り上げています。
https://makotsky.blogspot.com/2019/04/56.html


2019/05/14

『メディア用語基本事典〔第2版〕』に寄稿しました

『メディア用語基本事典〔第2版〕』(渡辺武達、金山勉、野原仁 編、世界思想社)で以下の4つの項目を執筆しています。
「メディア用語基本事典」は、メディアを使いこなし情報発信する「メディア・リテラシー」を身につけるための「読む事典」です。
情報量豊富で良い本だと思いますので、ぜひご一読をお願いいたします。

「メディアと現代文学 Media and Contemporary Literature」
「トランプ型選挙と政治 US election and politics in Trump's age 」
「世界のメディア・コミュニケーション研究関連学会 media communication research organizations of the world」
「忘れられる権利 right to be forgotten」

世界思想社のHPでの紹介
http://sekaishisosha.jp/book/b451007.html

文教大学のHPでの紹介
https://www.bunkyo.ac.jp/news/works/20190511-01.html


2019/05/12

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第58回 重松清『ビタミンF』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第58回 2019年5月12日)では、重松清の直木賞受賞作『ビタミンF』を取り上げました。表題は「父権なき父親の孤独」です。多摩ニュータウンで撮影した写真が新聞紙の紙質にあって良い感じの色味が出ています。

40歳を超えてから、重松清の「平成不況を生きる中年」が主人公の小説を読むと、所々で目頭が熱くなりますね。この小説は「人生の中途半端な時期」に足を踏み入れた、思春期の子供を持つ、30代後半から40代前半の「父親」の様々な心情を、異なる視点から綴った短編集です。執筆当時、作者の重松清が37歳だったことを考えると、著者自身の「父親」としての経験が少なからず反映された「私小説」だと考えることもできます。

「ビタミンF」で描かれる父親たちは、家父長制の時代のように「父権」を振り回して、家族を従わせるような強さは持ち合わせていません。「おとなは「キレる」わけにはいかない。おとなは「折れる」だ」という言葉に象徴されるように、この小説で父親たちは、家族に対して妥協を強いられ、「父権なき父親」という孤独な役回りを引き受けています。

この作品の「ビタミンF」という表題には、「ファミリー」や「ファーザー」など様々な意味の「エフ」が込められているらしいです。そもそも現代社会において「家族」や「父親」の役割とは何なのか、考えさせられる一冊です。



2019/05/07

「新潮」と「文學界」の書評(2019年6月号)

新潮社「新潮」の2019年6月号の「本」のページに、6枚と少しの書評を寄稿しました。
佐伯一麦著の『山海記』について論じた内容で、タイトルは「生と死が背中合わせの『平熱の旅』」です。
奈良中部の橿原市から和歌山県・新宮まで、約6時間半をかけて険しい紀伊山地を走る「日本一長い路線バス」を舞台にした作品です。日常に言葉の根を張り、長い間「私小説」を記してきた、佐伯一麦らしい、青白く輝く情熱が感じられます。
https://www.shinchosha.co.jp/shincho/



それと文藝春秋「文學界」の2019年6月号の「文學界図書室」のページに、6枚と少しの書評を寄稿しました。
奥泉光著の『ゆるキャラの恐怖』について論じた内容で、タイトルは「現代日本の大学を舞台とした『プロレタリア文学』」です。
定員が5割程度しか埋まっていない大学が、なぜ存在し続けることができるのか、また桑潟幸一という研究活動を放棄した人物が、なぜ大学の教壇に立ち続けることができるのか、現代日本に対する皮肉とユーモアの中で、深く考えさせられる作品です。
https://www.bunshun.co.jp/mag/bungakukai/




2019/05/05

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第57回 桜庭一樹『少女七竈と七人の可愛そうな大人』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第57回 2019年5月5日)では、桜庭一樹『少女七竈と七人の可愛そうな大人』を取り上げました。表題は「狭い町で描く不自由な恋愛」です。石狩川から撮影した大雪山連峰のよい写真を掲載頂いています。

北海道のほぼ真ん中にある旭川を舞台とした作品です。旭川は北海道第2の都市ですが、この作品では「ひんやりとしたちいさな町」であると形容されています。桜庭一樹らしい、近親の際どい恋愛を描いた作品です。

桜庭一樹は、後に直木賞を受賞する『私の男』でも、北海道を舞台にして血縁の濃い、父娘の恋愛を描いています。キリスト教の倫理的な意識が強い西欧の文学では、近親相姦はタブー視される傾向が強いですが、日本では、源氏物語をはじめとして、血縁の近い相手との恋愛や結婚が、文学作品で多く描かれてきた歴史を持ちます。

この小説は、源氏物語のような「血縁の近い男女の恋愛」を描いた宮廷小説とは異なり、旭川という地方都市の閉じたコミュニティを舞台としています。「あまりに人目をひく、天上人のような美貌」を持つ若い男女の、明るい青春を描くというよりは、その美貌が狭いコミュニティで人々に妬まれ、不自由さを強いられる姿を描いている点が、現代小説らしくて面白いです。
「顔」をメディアとして生きる人間存在の悲哀について、小説らしい表現で考えさせられる作品です。


P.S.
連休中も毎日原稿を書く日々でしたが、今日はこどもの日ということもあり、「おしりたんてい」のショーに行ってきました。暑くてストーリーは頭に入らなかったのですが、「おしりたんてい」の顔(おしりと呼ぶべきか)が、他のキャラクターを圧倒する大きさで、おしりから紅茶を飲む点など、ニコちゃん大王とは異なる「新しい時代」の流れを感じました。