2009/10/16

笠原和夫/「実録・共産党」「日本暗殺秘録」解説

■扶桑社 「en-taxi」 2005年秋号付録

実録・共産党 日本暗殺秘録 解説

 孤独とは、けっして単独な状態ではない。孤独はのがれがたく連帯の中にはらまれている。そして、このような孤独にあえて立ち返る勇気をもたぬかぎり、いかなる連帯も出発しないのである。無傷な、よろこばしい連帯というものはこの世界には存在しない。(石原吉郎「ある<共生>の経験から」)

 共産党の下での連帯であれ、昭和維新の旗の下での連帯であれ、そこには孤独がのがれがたくはらまれている。映画脚本家・笠原和夫は、自著の中で上の石原吉郎の一節を好んで引いているが、彼は日本共産党と昭和維新運動を題材にした脚本についても、このような「連帯の中にはらまれている孤独」に焦点を絞って描いているように思える。そしてこれらの映画に限らず、初期の美空ひばり主演の映画から、鶴田浩二を軸とした半時代劇の仁侠映画、『仁義なき戦い』をはじめとする実録映画を経て、晩年の『大日本帝国』など大作の戦争映画まで、笠原和夫は近代日本を舞台にした映画の脚本を数多く手がけながら、一貫して「近代日本という連帯の中にはらまれている近代日本人の孤独とは何か」、問い続けてきたように思える。
 
 笠原和夫は自己の脚本をしばしばギリシア演劇にたとえている。ギリシア演劇は、特定の主人公が劇を牽引するのではなく、主要な登場人物たちとコロスと呼ばれる合唱隊との掛け合いによって展開していくものである。笠原和夫の脚本も、主要な登場人物たちとコロスのような集団との掛け合いによって劇が進行していく。これは大ヒット作『仁義なき戦い』を例に考えればイメージしやすい。周知の通りこの映画は、菅原文太が主役を張り、松方弘樹、金子信雄、梅宮辰夫、渡瀬恒彦、小林旭といった俳優が脇を固めたものであるが、彼ら主要な登場人物たちが劇を牽引するのではなく、彼らの周囲に配されたピラニア軍団などの大部屋の役者たちが、主要な登場人物たちの立場を揺るがす事件を起こすことで、劇は展開していく。つまり笠原和夫は、バルザックの「人間喜劇」のように、膨大な数の登場人物を劇の進行に関係させながら、周囲の人々との関わりの中で、主要な登場人物たちが異なる様相を呈していく姿を浮き彫りにしているのである。
 
 笠原脚本の特徴がこのような集団劇にあるとすれば、「実録・共産党」と「日本暗殺秘録」は笠原脚本らしい脚本であるといえる。綿密な取材と資料読解で知られる笠原は、笠原自身の言葉を借りれば「事実という大枠の中にフィクションを入れ込められる」ような劇を得意としたが、これら二つの脚本は「事実という大枠」が大きいため、実に多くの人物が登場し、劇の進行に関わっている。「実録共産党」は、一九二九年の四・一六大検挙事件以後に実権を握った宮本顕治や袴田里見、スパイ松村やスパイ三船などの人物を除けば、戦前の共産党に関わりのあった主要な人物をほとんど網羅している。また「日本暗殺秘録」は、昭和天皇を狙った虎の門事件の難波大助、桜田門事件の李奉昌のような人物を除けば、戦前の暗殺事件に関わった主要な人物をほとんど網羅している。東映のオールスター映画用の脚本とはいえ、これら二つの脚本の登場人物の数は膨大なものといえるだろう。
 ただ、これらの脚本は「実録」「秘録」と銘打たれているものの、戦前の日本共産党や昭和維新運動の歴史を記録的に描いたものではない。「実録・共産党」で主要な登場人物として描かれているのは、大正末期に共産党の中央委員となった渡辺政之輔とその妻のセツであり、焦点が絞られているのは、コミンテルンのテーゼ変更や、大森銀行ギャング事件、リンチ共産党事件など党絡みのものではなく、関東大震災の混乱に乗じて軍隊が南葛労働組合員などを斬殺した事件(亀戸事件)である。また「日本暗殺秘録」で主要な登場人物として描かれているのは、一人一殺を掲げ、五・一五事件の先陣を切った血盟団事件の小沼正であり、焦点が絞られているのは、北一輝や大川周明の超国家主義思想を背景にしたクーデター事件ではなく、昭和恐慌期に思春期を迎えた小沼が革命思想を抱くに至る過程である。つまり何れの脚本も、人口に膾炙した共産党の歴史や昭和維新運動の歴史の中では、傍流といえる史実に焦点を絞ったものなのである。
 
 しかもこれらの脚本は、日本共産党にとっての共産主義とは何か、あるいは昭和維新運動における超国家主義とは何かという問いに答えるものでもない。「『資本論』なんて読んだことない」と臆面もなく語る笠原は、「実録・共産党」の冒頭の『共産党宣言』の引用に表れているように、共産主義を武力革命の側面からのみ解釈している。もちろんこれは渡辺政之輔が党中央委員だった時代の日本共産党を考える上では、さほど間違いではない。ドイツ留学中にルカーチらと交友をもった福本和夫が、昭和のはじめ頃に帰国して影響力を持つまで、日本共産党は中央委員ですらマルクス数冊、レーニン皆無といった読書量であり、渡政に限らず、多くの共産党員が共産主義を武力革命の側面から解釈していたといえる。「実録・共産党」で主要な人物として描かれている渡辺政之輔は、明治政府=地主政府論を主張しているが、これは、山田盛太郎などの例外を除けば、その後の講座派に繋がる稚拙なマルクス読解の原型といえるものだったといえる。
 とはいえ、たとえそれが劇映画であろうと、今日まで続く共産党の「実録」は、共産主義との関わり抜きで描くことができるのだろうか?

 また、笠原は、昭和維新運動を描くにあたって、その思想的支柱をなした北一輝や大川周明、国柱会の田中智学など昭和維新運動の思想的バックボーンを担った人たちを描くことを意図的に避けている。しかも「日本暗殺秘録」という題名が示している通り、この映画で主人公格として描かれる小沼は、昭和維新運動に加担した人物というよりは、幕末から明治期、大正期のアナーキストと同列のものと見なされている。しかし小沼には、アナーキズムとは異なる形で自己の革命観を確立していた向きがある。たとえば小沼は事件後の上申書で「革命は概念で把握できるものではない、革命とは生命の創造連続の相である」と書いているが、小沼は概念ではなくビジョンを並べるような法華経特有の革命思想と、エランヴィタル(生命の躍動)に重きを置いたベルグソン―ソレル的な革命思想をちゃんぽんにしたような革命観を有していた。つまり小沼は、安田善次郎を暗殺した朝日平吾や、原敬を暗殺した中岡艮一のような大正時代のアナーキストとは異なる革命観を持って、金解禁を行い昭和恐慌をもたらした井上準之助元蔵相を暗殺しているのである。

 つまり血盟団事件は、昭和維新期の事件では最もアナーキーなものであった。しかし広義の超国家主義思想を踏まえることなしに、昭和維新運動の「秘録」を描くことができるのだろうか?
 笠原はこのような疑問に答えるように、「実録・共産党」と「日本暗殺秘録」の共通点について、次のように述べている。

 大正末から昭和にかけての南葛労働組合―あのへんで働いている青年たちだとか、この血盟団事件の茨城の大洗の青年たちというのは、現代人が理解できないほど貧しくて、生活が追いつめられていたんですね。<中略>つまり絶対的な貧困なんですよ。努力して何かすれば、もう少しいい生活が送れるというものじゃないんですよ、上に天皇制がある以上は! 天皇制があって軍隊があって、軍隊に徴兵されちゃえば何もかも全部パアになっちゃう。そういうものが頭にズシーンとのしかかっている中での貧乏というのは、そう呼んでいいのかわからないけども絶対的貧困なんですよ。(『昭和の劇』)

「実録・共産党」「日本暗殺秘録」二つの脚本を読めば分る通り、笠原は、渡辺政之輔やその妻のセツ、小沼正が、このような「上に天皇制と軍隊がある以上は、頭にズシーンとのしかかってくるような絶対的貧困」の中に置かれた人たちとの関わりを通して、共産主義や超国家主義の運動に加担していく姿を描いている。そして一人の工員、一人の職工として「絶対的な貧困」を体感したがゆえに、運動に加担した人たちが、大卒者が中心を占めていた共産党や、将校や下士官が中心を占めていた昭和維新運動の中で、「孤独」に苛まれていく姿を描いている。「実録・共産党」の主要な登場人物が、元工員を中心にした南葛労働組合員であり、「日本暗殺秘録」の主人公格が元職工の小沼正であるのはこのためであろう。

 たとえば「実録・共産党」の渡辺政之輔は、会社に雇われ、スト工員を襲撃に来る不良工員を前にして次のように叫んでいる。
「評議会の渡政は、そこらのマルクスボーイとは違うんだ、喧嘩の仕方を教えてやろうか!」

 このセリフは笠原のフィクションであるが、一工員から日本共産党の中央委員長となった渡辺政之輔の特徴を巧みに捉えている。脚本でも書かれているように、渡政には、党中央委員長となった自分を「軍隊で言や師団長だよ」と自慢する向きがあり、また福本和夫の回想によれば、モスクワのレーニン廟で「なんと諸君、ぼくの顔は、レーニンにそっくりではないか」と真顔で語るような俗っぽさがあった。ただその一方で彼は、福本の言葉を借りれば、「一徹で、『勇敢』な闘士」であり、「狂信的といっていいほどに押しのつよい、ちょっと比類まれな働き手でもあった」という。渡政がリスクの高い上海支部との連絡の仕事を当たり前のように引き受けたのも、彼が「一徹」で「比類まれな働き手」であったからだろう。先のセリフには、このような渡政の俗っぽさと一徹さが集約されており、このセリフの背後には、「絶対的貧困」の中から主義者となり、亀戸事件で仲間を失い、「そこらのマルクスボーイとは違う」という自負をもった渡辺政之輔の「孤独」が感じられる。

 また「日本暗殺秘録」の小沼正は、自ら捨石となる覚悟で革命に身を捧げたものの、同志たちの間で仲間割れが起こっていることを知って、次のように叫んでいる。

「革命は・・俺たちでやるもんじゃないんだな・・俺がやるんだ。この俺が・・」

 このセリフも笠原のフィクションであるが、血盟団事件当時二一歳であった小沼が、自己の若さと弱さを克服するようにして、井上準之助蔵相の暗殺に向かう姿を巧みに捉えている。小沼は事件後の上申書の中で、自分のことを「対立している間は、とても強い人間であるが、不対立の場合は弱くて涙もろい人間」と評しているが、小沼自身は、銀座の呉服屋のセールスマンとしてそれなりに都市生活を享受した経験があり、たとえば同年の生まれの椎名麟三と比べれば明らかであるが、自己の経験として「絶対的貧困」の中を生きてきたわけではない。脚本でも描かれているように、小沼は事業に失敗したカステラ屋の主人や、茨城・大洗の漁村で暮らす人たちの「絶対的貧困」を目の当たりにする中で、上申書の言葉を借りれば「哀れむべき人に悲しむべき人々に同情の心を深めて行く」と決意し、運動に加担しているのである。
 
 つまり先のセリフには、自分を鼓舞するようにして、「哀れむべき人に悲しむべき人々」への「同情の心」を自ら捨石となる覚悟に変える悲壮さが集約されており、ここには「俺たち」ではなく「俺」として暗殺に臨む小沼の「孤独」が感じられる。

 笠原は「組織に忠実なものは、いつかは組織に裏切られる・・そういう孤独な立場に置かれた人間こそ、最高の思想家である」であると述べているが、笠原が「実録・共産党」と「日本暗殺秘録」の中心に据えた渡辺政之輔や小沼正もこのような意味で「最高の思想家」であった。彼らの主義思想は、共産主義や超国家主義の運動の中で見れば、稚拙なものであったが、その主義思想が共産主義であれ、超国家主義であれ、何であれ、彼らが発した叫び声は、「のがれがたく連帯の中にはらまれている孤独」を表明している限りで、最高の思想であったように思えるのである。
 議会制民主主義というのは、必然的に社会的に弱い立場の人間の政治意識を代弁することを不可能にする。ゆえに武力革命や暗殺などの直接行動とはこのような社会構造に対する最も直接的な違和の表明に他ならない。笠原は「僕は旗を振れなかった人間を描きたかったんだよ」とも述べているが、「実録・共産党」と「日本暗殺秘録」は、その旗が赤旗であれ昭和維新の旗であれ、何であれ、明確な旗を振ることができなかった人間の「孤独」を描いた劇に他ならないのである。
 
 東映のプロデューサーだった日下部五郎によれば、笠原和夫は「いつも台詞をがしゃがしゃ声に出して言いながら」脚本を書いていたという。笠原脚本で叫び声が発せられるとき、彼の劇はその全様を表すのである。笠原は「映画は人生を感じさせることは出来るが、人生を語ることは出来ない」とも述べているが、映画脚本家・笠原和夫の劇は、「語る」のではなく「叫ぶ」ことで、映画に人生を感じさせるのである。
「実録・共産党」と「日本暗殺秘録」は、ともに昭和恐慌と共に産声をあげた昭和という時代の劇に他ならない。昭和という時代は近代日本の黄金期と言われるが、この時代は昭和恐慌という近代日本にとって未曾有の危機の中から生れたものであった。笠原はこの時代の上澄みを舐めるのではなく、この時代の始まりから、大衆社会の通俗さをくぐり抜け、時代の底に沈殿していた「孤独」を掬い上げることで、昭和という時代の底を生きた日本人の「孤独」とは何か、あるいは「近代日本という連帯の中にはらまれている近代日本人の孤独とは何か」、問いかけているのである。
 冒頭の石原吉郎の一節はこう続く。
 
 この連帯は、べつの条件のもとでは、ふたたび解体するだろう。そして、潮に引きのこされるように、単独な個人がそのあとに残り、連帯へのながい、執拗な模索がおなじようにはじまるであろう。こうして、さいげんもなくくり返される連帯と解体の反復のなかで、つねに変わらず存続するものは一人の人間の孤独であり、この孤独が軸となることによって、はじめてこれらのいたましい反復のうえに、一つの秩序が存在することを信ずることができるようになるのである。(同上)

 笠原が描いた「連帯の中にはらまれている孤独」は、それが共産主義に基づくものであれ、超国家主義に基づくものであれ、何であれ、「一つの秩序が存在することを信ずる」ための起点となるべきものであった。にも拘わらず「実録・共産党」は脚本の第一稿は書かれたものの、当時、共産党傘下にあった東映京都撮影所の労働組合の反対で、映画制作中止に追い込まれているのである。

 笠原和夫は「大衆」という言葉を「バラバラな人間のありよう」と定義している。昭和から平成に時代が変り、バブルが弾け、冷戦構造が崩壊した今日、主義・思想をもった「連帯」は解体し、NGO・NPOのように具体的な目的をもった組織に取って代わっている。そして「バラバラの人間のありよう」は個性として肯定され、「孤独」は個性のネガとしてのみ理解されている。
 しかし「孤独」とは「のがれがたく連帯の中にはらまれている」ものに他ならないのではないか。そして私たちは、このような「のがれがたく連帯の中にはらまれている孤独」と向き合うことなしには、現実の世界の上に「一つの秩序が存在することを信ずること」はできないのではないか。
「実録・共産党」と「日本暗殺秘録」は、近代日本という、今日まで続く時代の足下から、こう問いかけているのである。