2018/09/30

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第27回 村上春樹「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」の第27回(2018年9月30日)は、村上春樹の『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』について論じています。表題は「都市にぼんやり拡がる欲望」です。

この作品は、著名な作家が記した、名古屋を舞台にした数少ない現代小説の一つです。一見すると、多崎つくるの人生を紐解く、シンプルな話ですが、名古屋を離れた多崎つくるが、自己の無意識に巣くっている「故郷喪失」の謎を解明していく精神分析=青春分析書とでも言うべき、深みのある内容です。

村上春樹の他の青春小説と同様に、エロス=生の欲望と、タナトス=死の欲望の双方が、無意識レベルで横溢しているのも特徴です。これらの欲望が、名古屋の都市空間のように「のっぺりとした場所」に、靄のように人びとの視界を遮りながら、ぼんやりと拡がっているのが面白いです。

『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』は、村上春樹の作品の中では注目度こそ低いですが、名古屋に限らず、現代日本の中核都市に住む人々の現実感を捉えた、興味深い作品だと思います。




2018/09/23

『吉田修一論 現代小説の風土と訛り』発売中!

『吉田修一論 現代小説の風土と訛り』(左右社、336ページ、2300円+税)が発売されました! Amazonや楽天ブックス、hontoなど、オンライン書店では、発売初日の早朝の時点で在庫切れとなりました! 早い段階で数十冊単位で発注を頂いた書店さんが多くございますので、ぜひ書店でもご購入・ご注文を頂ければ幸いです。

左右社の書籍紹介
http://sayusha.com/catalog/books/literature/p9784865282108

付録の著者謹製「吉田修一作品の舞台マップ」もぜひご参照下さい。吉田氏や私が卒業した長崎南高校から、長崎の旧市街にかけて、隠れた名所や穴場が一覧できる内容です。この本を参考にした長崎観光も、ぜひ。




西日本新聞「現代ブンガク風土記」第26回 佐伯一麦「還れぬ家」

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」の第26回(2018年9月23日)は、佐伯一麦の『還れぬ家』について論じています。表題は「震災後の人びとの感情細やかに」です。

佐伯一麦は、仙台で震災を経験した作家として広く知られるようになりました。親しい人間たちが日常生活で抱く感情の起伏を言葉で表現するのが、突出して上手い私小説家です。仙台に住む佐伯一麦は、この作品の連載中に東日本大震災に遭い、「これから先を書き継ぐことが出来るのか」と、作品の中で自問しています。現代日本を代表する私小説家が、震災前後の仙台に住む人々の生活を記録した意義は大きいと思います。

佐伯は、仙台第一高校を卒業した後、大学には進学せず、電気工をしながら小説を書き続け、作家としてデビューしています。この頃の様子は『ショート・サーキット』や『ア・ルース・ボーイ』など初期の青春小説を通して、想像することができます。電気工の時にアスベスト禍に遭い、『石の肺 僕のアスベスト履歴書』では、石綿(アスベスト)がもたらす気管支喘息や発熱やガンなどの健康被害について、作家らしい言葉を言葉を通して告発しています。

「還れぬ家」は認知症であった父親の死をきっかけに書かれた作品で、認知症が進行した父母をどのようにして看取ればいいのか、生活に根ざした感情を通して考えさせられる作品です。東日本大震災や集中豪雨などの被災地について、私たちはニュース映像を通して、「上から目線」で見ることに慣れ、その土地に根を張って生きる人々の感情について、見過ごしているのだと、この作品を読むと痛感させられます。写真は先日、震災遺構の荒浜小学校を訪問したおりに、私が撮ったものを掲載頂いています。


2018/09/18

「小説トリッパー」(朝日新聞出版、2018年秋号)吉田修一『国宝』論

9月18日発売の「小説トリッパー」(朝日新聞出版、2018年秋号)に50枚と少しの批評文を書いています。タイトルは「『からっぽ』な身体に何が宿るか 吉田修一『国宝』をめぐって」で、「評論」の欄に大きく掲載を頂いています。全部で21ページ分の分量です。
https://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=20368

吉田修一の『国宝』は、2017年元旦から2018年の五月末まで朝日新聞の朝刊で連載されていた作品です。長崎やくざの一家で育った喜久雄が、上方で修行を積み、女形として大成していく内容です。この作品を通して吉田修一は、零落していくやくざ一家の人々の姿と、関西の歌舞伎役者の人生を重ね合わせながら、彼らの人生の喜怒哀楽を、引用される義太夫狂言を中心とした歌舞伎の演目と共鳴させつつ、物語っています。

私が寄稿した批評文では『国宝』について、歌舞伎の近代史に触れつつ、近松門左衛門、福地桜痴、谷崎潤一郎、中野重治、村上春樹等の作品と比較しながら、吉田修一が『国宝』で意識的・無意識的に描こうとした(と推測される)問題について、踏み込んで論じています。歌舞伎の舞台裏を、男と女、有と無、生と死、といった人間の世界を秩序付けている二項対立が消失するような場所として描いている点が面白く、「人間国宝」と「人間天皇」の関係についても考えさせられる作品であると、私は分析しています。

「小説トリッパー」は朝日新聞販売所でも注文できます。9月21日頃から書店に並びはじめる『吉田修一論 現代小説の風土と訛り』(左右社、336ページ)と合わせて、ぜひご一読頂ければ幸いです。






2018/09/16

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第25回 島本理生「夏の裁断」

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」の第25回(2018年9月16日)は、島本理生「夏の裁断」について論じています。表題は「蔵書と思い出 切り刻み」です。

この作品は、鎌倉の祖父の家に移住した女性作家の日常を描いた内容です。年上の男性との付かず離れずの恋愛を細やかに描いたストーリーですが、なぜ文学者が好んで鎌倉に住んできたのか、考えさせられる作品でもあります。

明治の頃の鎌倉は、国木田独歩や高山樗牛が住み、夏目漱石も円覚寺に参禅していますが、文士村というほどの場所ではありませんでした。大正期になると、有島武郎などの白樺派の作家が住むようになり、芥川龍之介や久米正雄など漱石の弟子たちや、大佛次郎のような後の大家も居を構えようになります。昭和に入るとそこは文化首都の様相を呈し、川端康成や直木三十五、高見順や高橋和巳などの作家や、小林秀雄や中村光夫、澁澤龍彦や江藤淳などの批評家が住むようになります。

「夏の裁断」で描かれる鎌倉の町は、夕暮れの風景ように淡く、儚いものです。ただこの作品の心象描写に触れると、島本理生にとって、鎌倉という場所が、繊細な表現を持ち味とする作家らしく、飛躍する上で重要な場所だったことが理解できます。この作品は、2015年に芥川賞の候補作となり、落選していますが、鎌倉に根を張って「文士」として生きてきた近代日本の作家たちの名作に負けない、現代小説らしい優れた作品だと思います。


それと9月18日発売の「小説トリッパー」(朝日新聞出版、2018年秋号)に50枚と少しの批評文を書いています。タイトルは「『からっぽ』な身体に何が宿るか 吉田修一『国宝』をめぐって」で、「評論」の欄に大きく掲載を頂いています。全部で21ページ分の分量です。吉田修一氏の最新作『国宝』について、歌舞伎の近代史に触れつつ、近松門左衛門、福地桜痴、谷崎潤一郎、中野重治、村上春樹等の作品と比較しながら、「象徴天皇制」の問題にも踏み込んだ批評文です。
https://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=20368

「小説トリッパー」は朝日新聞販売所でも注文できます。今週末から書店に並びはじめる『吉田修一論 現代小説の風土と訛り』と合わせて、ぜひご一読頂ければ幸いです。

2018/09/13

『吉田修一論 現代小説の風土と訛り』の見本が出来上がりました!

『吉田修一論 現代小説の風土と訛り』の見本刷りができました。9月21日〜の発売に向けて全国の書店からの注文も好調だそうで、書店によっては「20冊」の電話注文があり、驚いた担当編集者が「吉田修一さんが書いた本ではないですが、大丈夫しょうか?」と念のため確認したところ、「間違いないです」とご回答を頂いたそうです(ありがたい話です)。

吉田修一氏の最新作『国宝』(朝日新聞出版)と合わせて、ぜひご一読をお願いいたします。『吉田修一論 現代小説の風土と訛り』は、「文學界」(文藝春秋)掲載の3つの原稿を元にしていますが、大幅に加筆・修正をしていますので、文芸誌の原稿ともひと味違った内容に仕上がっていると思います。

赤とピンクを基調とした松田行正氏と杉本聖士氏のデザインも素晴らしいです。帯文の文章も吉田修一氏に許諾を頂いた上で使用しております。文芸批評は「情熱と色気」だと思っていますので、赤とピンクの表紙は自分の本に馴染んでいると感じています。偶然ですが、吉田氏の紅白の『国宝』とも色合いが似ていて、嬉しい限りです。336ページで、2300円(税抜)、厚みがあり、読み応えのある内容に仕上がっていると思いますので、ぜひご一読下さい。

2018/09/12

『吉田修一論 現代小説の風土と訛り』の近刊情報

版元ドットコム掲載の『吉田修一論 現代小説の風土と訛り』の近刊情報です。
「どうして心が震えるのか。」というキャッチコピーが素晴らしいです。私の経歴は微妙に間違っていますが(現職は文教大学准教授で、前職は慶應義塾大学助教で、助教授ではなかったりしますが)、このチラシのお陰で、順調に書店から注文を頂いているようです。

9月13日に見本を受け取る予定で、もうじき左右社のHPやAmazon等で予約注文ができるようになるそうです。『吉田修一論 現代小説の風土と訛り』、9月21日から書店に並びますので、どうぞよろしくお願いいたします。


2018/09/09

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第24回 村田沙耶香「コンビニ人間」

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」の第24回(2018年9月9日)は、村田沙耶香「コンビニ人間」について論じています。表題は「店員視点で描く『文明論』」です。

現代日本の風景を特徴付けるものとしてコンビニエンスストアを挙げることができると思います。調べてみると、昭和の終わり頃には一万店に満たなかったコンビニの店舗数は、九〇年代から急速に増加し、二〇一六年には約五万八千店にまで増加しています。どんな田舎町でもコンビニに立ち寄れば、生活に必要な商品を買い、標準化されたサービスを受けることができるようになりました。その一方でコンビニの仕事は、「失われた一〇年」に定着した非正規の仕事の代表的なものとなり、現在に至ります。

村田沙耶香の「コンビニ人間」は「私は人間である以上にコンビニ店員なんです」と述べる三六歳の「私」を描いた作品で、「私」は店長が八人目になっても同じコンビニで働き続けています。三六歳の「私」は友人や家族から結婚や就職を心配されていますが、「皆、変なものには土足で踏み入って、その原因を解明する権利があると思っている」と、うんざりしています。「コンビニ人間」は一見すると、作者の個性が際立った奇妙な作品に見えますが、「私」がコンビニの店員として、「時代精神」を背負っているかのように働く姿は社会風刺的で、奥が深い表現だと思います。

村田沙耶香の「コンビニ人間」は、コンビニを中心として回っている現代日本を、ベテランのコンビニ店員の視点からユーモラスに捉えた「芥川賞の見本のような小説」だと思います。


2018/09/02

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第23回 有川浩「阪急電車」

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」の第23回(2018年9月2日)は、有川浩の「阪急電車」について論じています。表題は「今津線あふれる臨場感」です。

有川浩はベストセラーとなった「図書館戦争」に代表される、SF作品やミリタリー小説を書く作家というイメージが強いと思います。ただ「阪急電車」は、電車に乗り合わせた人びとが、車内での細やかな感情のやり取りを通して、物語がドミノ倒しのように展開される良く出来た群像劇で、登場人物たちの内面描写に読み応えがあります。

阪急今津線は短いながらも、宝塚や関西学院大学、阪神競馬場や西宮など、個性的な土地を沿線に擁しており、登場人物たちの性格にも、それぞれの土地が持つ「風土」が影響を及ぼしているように読めて、面白い作品です。有川浩は「阪急電車」の進行に合わせて、乗客たちのエピソードを次々と披露しながら、巧みに小説を展開しています。