2023/01/27

「没後30年 松本清張はよみがえる」第30回『花実のない森』

 西日本新聞の連載「松本清張はよみがえる」は30回の節目を迎えました。第30回(2023年1月27日)は、万葉集の歌の解釈をめぐるミステリ小説『花実のない森』について論じています。全集未収録のややマニアックな作品です。担当デスクが付けた表題は「万葉と古代の恋情 ユニークな貴族小説」です。毎回、9×9文字で担当デスクに上手いタイトルを付けて頂いています。皇室に親しみを抱き、裏切られる福島の出稼ぎ労働者の半生を描き、全米図書賞(翻訳部門)を獲得した柳美里の『JR上野駅公園口』とのmatch-upです。

 松本清張は「万葉集」を通して古代の人々の生活や心情を知ることを趣味の一つとしていました。「万葉集」は、8世紀前後に編纂された約4500首を集めた日本最古の歌集で、九州から東北まで様々な土地を舞台に、天皇から農民まで様々な階層の人々の歌を収録し、当時の人々の「感情」を総体として記録しました。「万葉集」を題材とした清張作品は、本作に限らず「万葉翡翠」や「たづたづし」などがあり、清張は古代史への興味の延長で「万葉集」に文学的な関心を抱いていました。

 白壁の町並みで知られる山口県の柳井市の描写も本作の大きな魅力の一つです。そこは「佐伯祐三描くところのパリの裏町風景」にたとえられています。柳井市を含む旧周防国(長州藩)は、伊藤博文をはじめとして明治維新の立役者を数多く輩出したため、華族に連なる名家を抱えてきた歴史を持ちます。

 本作は「婦人画報」に1962年から63年まで連載された小説です。59年に行われた皇太子明仁親王と正田美智子の成婚パレードに象徴される「ミッチー・ブーム」を下地にした作品だと私は考えています。後に平成天皇となる明仁親王は、特定の旧華族から妃を迎える皇室の慣習を破り、平民の妃・美智子を娶る決断をしたことで、元皇族や旧華族から「貴賤結婚」だと批判されましたが、国民からは喝采を浴びました。

『花実のない森』は、高度経済成長期の日本を舞台に、旧華族の血を引く女性の奔放な姿を描いた点がユニークで、一般にタブー視されてきた「皇室内の対立」を描いた『神々の乱心』に繋がる松本清張らしい「貴族小説」だと思います。

 次週は3回掲載予定です。松本清張の作品の分析を通して、現代日本の(無意識的な)「文化的な価値の形態」のルーツに迫るような総合的な批評を展開できればと考えています。1月は骨折・脱臼の療養とリハビリで時間と体力を失っていたので、2月は集中力を高めて挽回していきたいと思います。

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/1045928/

2023/01/18

第168回直木賞を展望(西田藍さんとの対談)

 西日本新聞朝刊(2023年1月18日)に、第168回直木賞について、文芸アイドルで書評家の西田藍さんと対談した記事が掲載されました。前回の対談では、同じ歳の永井紗耶子さんの『女人入眼』を推し、惜しくも決選投票で過半数に届きませんでしたが、初候補としては大健闘でした。

 今回私が推した2作品についての対談用のメモは下記です(対談の内容とは異なります)。西田藍さんと同じ作品の予想になりました。今回は力のある候補作が多く、全体として読み応えがありました。

第168回直木賞を展望 酒井信さんと西田藍さんが候補5作を語る

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/1041833/


一穂ミチ『光のところにいてね』

・登場人物は少ないが、心情を掘り下げる深度が深く、儚い生を全うする現代人の感情の源泉に迫っている。女性二人の強いきずなを描く。

・ヤングケアラーと言える女性・果遠が経験してきた人生の浮き沈みと、母が逃げ、祖母に虐待されてきたことへの愛憎入り混じる複雑な感情を、オリジナリティの高い文章で浮き彫りにしている。

・前回の候補作『スモールワールド』と比較しても、文学的な感覚が洗練され、長編小説として完成された印象。

・「光のところにいてね」など、物語の核となる文章の使い方が上手く、芥川賞の受賞作と比べても遜色ない、高い文学性を感じる。

・和歌山県串本町という本州最南端の土地を舞台にした情景の描き方も上手く、視覚的な風景描写も巧み。終盤の雨の中のドライブと晴れの中のドライブが、鮮烈な印象を残す。

・LGBTQの「L」のカップルを描いた優れた作品として、綿矢りさの『生のみ生のままで』が思い浮かぶが、この作品と比較しても全く見劣りしない。

・本屋大賞向きの作品でもあり、映画化にも期待してしまう。


小川哲『地図と拳』

・満州の架空の町・仙桃城を舞台に、未知の土地を夢想する人類の欲望に迫った大作。

・石原莞爾と近い関係にある満鉄の細川が、仙桃城を「虹色の都市」にするという構想が敗れていく姿を描く。

・虹色の7色とは、満州民族、漢民族、日本人、ロシア人、朝鮮人、モンゴル人、死者。

・2022年の出生数が80万人を割り込む現状では、ドイツやオランダ、イギリスなど他の先進国と同様に移民の受け入れは不可避。日本国内に「虹色の都市」を築けるかという問いは、日本の未来に向けた問いでもある。

・「未来を予測することは、過去を知ることの鏡なのではないか」という問いは、日中戦争の時代と同様に、エネルギー自給率の低い現代日本にも通じる問い。日本が豊かな国であり続けられる条件とは何か、という問いでもある。

・人類の無力さに起因する、限られた居住可能な土地をめぐる争いは、現代世界でも進行している。「国家とは地図である」という身も蓋もない事実を、身近な史実として実感させる「時代小説」。松本清張が名作『球形の荒野』で描いた「中立国を介した終戦工作」に繋がるリアリティがある。

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 Tom Bradyのシーズンが終わり、NFLは若いQBのPlayoffになりましたが、今年FAということもあり、Bradyの移籍先をめぐる報道が次々と出ていて、楽しみです(NY JetsかLas Vegas Raidersに期待)。今シーズンは45歳ということもあり、勝率はワーストでしたが、地区優勝を決めた最終戦が鮮烈な印象を残しました。EvansへのCollege FootballのようなTD3つと、頭から突っ込んで1ヤードを獲りに行ったQB Sneakは、さすがGOATという内容。

Tom Brady's 3 Most Improbable Completions to Mike Evans vs. Panthers

https://www.youtube.com/watch?v=T7MD4KQhaA4

Tom Brady's 4th quarter QB Sneak in win 

https://www.youtube.com/watch?v=rwCzBKWMwRU

 2023年のSuper BowlのハーフタイムショーはPepsiからAppleにスポンサーが変わり、バルバドス出身のリアーナとか。昨年のギャングスタ・ラップの毒気が強かったので、Shakira & J. Loのマイノリティ路線に戻った印象。

Rihanna Is Back | Apple Music Super Bowl LVII Halftime Show

https://www.youtube.com/watch?v=0zHjohM7Obk

 SBのハーフタイムショーについては、授業でこれまでの歴史や開催都市、ミュージシャンの出自、歌詞の意味を踏まえて、解説をしていますが(アメリカの歴代視聴率の上位をSBが独占しているため、現代のメディア史を考える上で重要)、リーマンショック直後のBruce Springsteen(当時、60歳)のパフォーマンス@Raymond James Stadium, Floridaが近年ではベストです。Working on a dreamで、アラスカと思しき北国で働く労働者について歌った後に、名曲Glory DaysをFootball用に歌詞を変え、「プロになれなかった人々」を称えながら、コメディ調で〆るあたりが、彼が全米一のパフォーマーと言われる所以だと思います。ステージにスポンサーを付けることを拒み、高齢化するEストリートバンドを雇用し続け、新型コロナ禍でも新譜を出して、今年も世界ツアーを組んでいます。村上春樹が批評文を書く気持ちが良く分かります。

Bruce Springsteen - Superbowl Halftime Show HD 2009 XLIII NFL

https://www.youtube.com/watch?v=i4-0nbHFi4o

 2009年はBruce Springsteenの当たり年で、アカデミー賞候補になったThe Wrestlerのテーマや@Hyde Parkのライブが素晴らしかったです。「アメリカの脇の下」と呼ばれるニュージャージー出身らしい汗臭く、カロリーの高いパフォーマンスと、ボブ・ディランの後継者と言われ、レイモンド・カーヴァーを彷彿させる物語性のある歌詞が良いです。

No Surrender (London Calling: Live In Hyde Park, 2009)

https://www.youtube.com/watch?v=LXwJMXo2mXc

2023/01/10

「没後30年 松本清張はよみがえる」第29回『北の詩人』

 西日本新聞の連載「松本清張はよみがえる」第29回(2022年1月10日)は、松本清張と一歳違いのプロレタリア詩人・林和(イム・ファ)が、朝鮮半島で経験した「孤独な闘争」を描いた『北の詩人』について論じています。担当デスクが付けた表題は「南北朝鮮に消された 悲劇の文学者の生涯」です。毎回、9×9文字で担当デスクに上手いタイトルを付けて頂いています。元プロボクサーで朝鮮総連の筋金入りの活動員だった父親の「転向」を描いた金城一紀の『GO』とのmatch-upです。

 林和は、戦前に朝鮮プロレタリア芸術同盟(KAPF)の中央委員や書記長を務めましたが、日本の警察の弾圧が強まり、KAPFを解散することを余儀なくされた経験を持ちます。戦後は「朝鮮文学」の復興を目指して協議会を組織しましたが、南朝鮮を統治していたアメリカ軍政庁と関係を深め、北朝鮮に追われた後、「アメリカのスパイ」として1953年に処刑されてしまいます。

 林和は日本に短期留学をした経験があり、この経験を踏まえて、1929年に中野重治の「雨の降る品川駅」に応答した詩「雨傘さす横浜の埠頭」を書いたことで知られます。名作「雨の降る品川駅」は、プロレタリア文学運動に関わっていた中野重治が、朝鮮半島に送還される人々との別れを描いた詩で、共産主義の本質が、インターナショナル(国際的な連帯)にあったことを文学的に物語る作品です。

 松本清張は戦時中に京城(ソウル)近郊の竜山に滞在した経験があるため、同じ時代を身近な場所で生き、数奇な運命を辿った文学者・林和に「隣人」として関心を抱いたのだと思います。この作品は「日本の黒い霧」の朝鮮半島版としても読むことができる興味深い作品です。

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/1038468/

2023/01/07

膝蓋骨骨折と肩の脱臼

  新年早々、スロープ歩行時に縁石に足が引っ掛かり、勢いよく宙に投げ出されて転倒してしまい、膝蓋骨骨折(複雑骨折)と肩の脱臼という診断を受け、手術入院しました。骨折も脱臼もはじめてで、手術前の2日と手術後の1日は滅茶苦茶痛かったですが、骨は折れても心は折れず。経験したことのない怪我とリハビリを実地で学ぶよい機会になったとポジティブに考えています。理学療法士と二人三脚で日常の動きを取り戻していく時間は得がたいもので、療養とリハビリを支えてくれる家族にも多謝です。

 手術は無事に終わり、写真のとおり左膝に金属2本とワイヤーが入った状態で、一年ほどは空港の保安検査場で音がなると思いますが、快調です。膝の皿が割れた時の音と振動は未だによく覚えていますが、頭を庇って肩から落ちることができたのが不幸中の幸いでした。手術後2日半後から、ようやく松葉杖をついての歩行と、短い距離の二足歩行ができるようになりました。これから1~2か月かけて、松葉杖なしの歩行と階段の上り下りに向けた訓練をしていきます。

 過去に2度、今回よりヘビーな怪我で救急搬送された経験(footballでの怪我とバイク事故)があるため、何とかなるだろうと前向きに考えています。救急外来を受け入れている病院ということもあり、オペ室も最新で安心感があり、半身麻酔のため、前半はBluetoothで音楽を聴きながら、後半は執刀医以外の医師の皆さんと、(左ひざがぱかっと空いた状態で)同級生の外科医の話や脱臼のリハビリについて雑談をしながら、リラックスして手術を終えることができました。複数のモニターに重要な情報が次々と表示され、執刀医以外に3人の医師で確認していて、私もライブで説明を受けることができ、さすが地域拠点病院と思いました。新型コロナ禍で内科が混雑する中、外科の医療スタッフの皆さんに支えて頂き、心より感謝申し上げます。

 これからのリハビリを通して、子供たちに、困難な状況下でも、前向きな気持ちで出来る限りの努力をする大切さを伝え、怪我をした学生や、身体に不自由を抱える学生たちの心の支えになれるような経験を積めればと考えています。西日本新聞の連載「松本清張はよみがえる」は1月10日より、予定通りの再開です(病院でも平常通りゲラを戻し、先の原稿の準備をしています)。

膝のレントゲン写真です。2本の金属とワイヤーで割れた膝蓋骨を束ね、リハビリをしながら修復を待ちます。

ややグロい写真ですが、手術から二日半後の患部です。ひざ下をスマイルマーク状に切って膝蓋骨を補強しています。ペイントのようなものは手術時に使用したマーカーです。

手術から2日半後、右肩も脱臼しましたが往診中なので包帯は取っています。この日から固定具を付けて歩けるようになりました。