2021/02/26

2020年度「問題複合体を対象とするデジタルアース共同利用・共同研究拠点」成果報告会

  2020年度の問題複合体を対象とするデジタルアース共同利用・共同研究拠点成果報告会で「東日本大震災及び福島第一原発に関する「風評被害」の報道内容と地理空間上の分布に関する通時的な研究」の発表を行いました。

 この研究はサイバースペース上に構築される多次元・多解像度の地球(デジタルアース)の研究開発で、主として社会科学に関わる問題を表象する情報・データの収集・蓄積・分析を行うことを目的とした内容です。

 今年度の具体的な作業としては、2011年3月11日から2020年12月31日の東日本大震災及び福島第一原発事故の「風評被害」に関する読売新聞と朝日新聞の報道推移について、報道量・報道内容の分析を行いました。次年度のゼミ学生5名にも、在宅のアルバイトで新聞記事のデータベースを使用したメタデータ作成作業に従事してもらいました。

 風評被害に関する研究は、報道内容の分析に関わるMedia Studiesにおいて一般的なもので、社会的な二次災害は流言・デマを主たる要因として生じる傾向にあります。慶應義塾大学の助教時代から継続的に取り組んでいる自然災害・人的災害に関するニュースの定量的な研究です。

 共同利用・共同研究拠点 (Joint Usage / Research Center)は、文部科学省のサイトの定義では「個々の大学の枠を越えて大型の研究設備や大量の資料・データ等を全国の研究者が共同で利用したり、共同研究を行う」もので、明治大学では同じ中野キャンパスの先端数理科学インスティテュートが認定されています。





2021/02/23

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第146回 森絵都『風に舞いあがるビニールシート』

 西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第146回 2021年2月21日)は、森絵都の直木賞受賞作『風に舞いあがるビニールシート』を取り上げています。表題は「人生の転機捉えた短編集」です。

 本作には、不器用に自己の人生と格闘する登場人物たちを描いた6つの短編が収録されています。「守護神」は、社会人学生が多く通う夜間の「第二文学部」を舞台に「レポートの代筆」を題材とした物語です。森絵都は日本児童教育専門学校を卒業後、アニメーションのシナリオ制作に関わり、早稲田大学第二文学部に社会人入学した経歴があり、この作品には著者の経験が反映されているのだと思います。

 表題作「風に舞いあがるビニールシート」は、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の東京事務所で働くテキサス出身の男性・エドと、外資の投資銀行から転職してきた日本人女性・里佳の恋愛を描いた作品です。エドは、スーダンやリベリア、ジブチなど内戦や紛争が起きる「フィールド」で難民保護の任務に従事した経歴を持ち、「人の命も、尊厳も、ささやかな幸福も、ビニールシートみたいに簡単に舞いあがり、もみくしゃになって飛ばされていくところ」を、数多く目撃してきました。暴力的な風が吹いた時、真っ先に飛ばされる弱い立場の人々を、地上へと引きとどめようと試みる優しい人間が抱える寂しさと強さを描いた作品です。

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/696050/


森絵都『風に舞いあがるビニールシート』あらすじ

才能に恵まれた洋菓子職人・ヒロミに振り回される主人公・弥生を描いた「器を探して」。捨て犬の世話をするボランティアのためにスナックで働く主婦・恵利子を描いた「犬の散歩」。仏像修復を行う工房で働く人々の出会いと別れを描いた「鐘の音」など、不器用ながら懸命に働く大人たちを描いた短編集。第135回直木賞受賞作。

2021/02/17

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第145回 伊与原新『八月の銀の雪』

 西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第145回 2021年2月14日)は、伊与原新の直木賞候補作『八月の銀の雪』を取り上げています。表題は「地球科学の知見踏まえた物語」です。

 著者の伊与原新は東京大学理学系研究科で地球惑星科学を専攻した経歴を持ち、博士(理学)を取得しています。海外では元科学者のSF作家は珍しくないですが、東大で博士号を取得し、一度は国立大学の理学部に務めながら、作家に転じた例は珍しいと思います。異色の経歴は小説に生かされていて、地震や気象、生命や環境問題など地球惑星科学の知見を踏まえたストーリーには、確かなリアリティが感じられます。

 全体に地学や気象学、生命科学の専門的な知識が生きています。例えば国立科学博物館の「世界の鯨類」の展示の生物画を手掛けた年配の女性職員と若い母親の交流を描いた「海へ還る日」。2千メートルの深海に潜りながら「外向きの知性」ではなく「内向きの知性」を発達させてきた類としてのクジラの存在を通して、人間存在のあり方を問いかける内容が面白い作品です。「八月の銀の雪」は、理学の博士号を持つ地球惑星科学を専攻した著者らしい「地球規模の科学的な発見」に満ちた、現代日本を代表する「理系文学」だと思います。

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/692643/


伊与原新『八月の銀の雪』あらすじ

科学的知見に裏付けられた、心に傷を持つ人々を巡る5つの短編を収録。原発の下請け会社を辞めた辰朗と、風船爆弾の研究で亡くなった父を持つ男性の茨城の海岸での出会いを描いた「十万年の西風」など、壮大なスケールの下で現代日本に暮らす人々の心情が綴られる。


2021/02/10

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第144回 宇佐見りん『かか』

 西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第144回 2021年2月7日)は、宇佐見りんのデビュー作『かか』を取り上げています。表題は「架空の方言で描く母性神話」です。

「推し、燃ゆ」で芥川賞を受賞した宇佐見りんは、訛りを帯びた表現で女性の生理を描いたデビュー作「かか」で高い評価を受けて、三島由紀夫賞を史上最年少で受賞しています。宇佐美は静岡県の沼津生れで、神奈川育ちですが「かか」で使われる方言は、関西弁や九州弁に似た雰囲気を持ちながらも、実在しないものです。

 本作の魅力は、家族が空中分解に近い状態にありながらも、うーちゃんが「かか」に愛憎の混じった親しい感情を抱き、「常に肌を共有している」ような感覚を抱いている点にあります。かかを狂わせたのは、最初の子供である自分を産んだことに起因している、という事実を引き受けることで、うーちゃんは成長の一歩を踏み出していきます。

 かか=母性への「信仰」を取り戻すべく、うーちゃんが家出して熊野詣へと旅立ち、那智に祀られるいざなみに会いに行くという構成も巧みです。いざなみはいざなぎとの間に多数の子を設けて、日本の国土をかたどり、かぐつちの出産で亡くなった女神ですが、うーちゃんがいざなみに自己を重ねていく展開は、その旅路に「神話」のような深みを与えることに成功しています。かか=母性への愛憎入り混じった感情を、ユーモラスな方言と現代的な「信仰」と共に綴った「現代小説らしい母性神話」です。

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/689394/


宇佐見りん『かか』あらすじ

幼稚園のころの夢は「かか」になることだったという「うーちゃん」の視点から綴った家族の物語。小学校に入ってすぐの頃、「とと」の浮気と家庭内暴力で、「かか」と「とと」は別居するようになり、うーちゃんは「誰かのお嫁さんにもかかにもなりたない」と考えるようになる。文藝賞のデビュー作でありながら三島由紀夫賞を受賞した、母性を巡る現代小説。


図書新聞(2021年2月13日号)書評

 図書新聞(2021年2月13日号)に吉田修一『湖の女たち』の書評を寄稿しました。表題は「純文学とミステリー小説の双方の特徴を有した傑作 -週刊誌連載の小説らしい批評性も有するー」です。

 本作は、19人を刺殺して戦後最悪の大量殺人事件となった相模原障碍者施設殺傷事件など、現代的な事件を想起させる題材を取り入れている点で従来の吉田修一の作品と同様の特徴を有しています。その一方で731部隊の人体実験など戦前の際どい史実を主要な題材としている点で、従来の吉田修一作品とは異なる「社会派ミステリー小説」とも言えます。

「事件や犯罪というものが、まるで金や権力で売り買いできる商品のような気がした」という週刊誌記者・池田の呟きは、週刊誌連載の小説らしい批評性を有したものです。

 この小説の表題に記された「湖」とは、市島民男の殺人事件の現場に近い「琵琶湖」と、戦前にハルビン市内への水の供給のために、松江江の支流を堰き止めて作った人口湖・平房湖の二つを指します。戦前から戦後へと連続する「人間を物として扱う人間の悪の所在」を、二つの湖の底に眠る集合的記憶を通して問いかけた『湖の女たち』は、吉田修一らしい純文学とミステリー小説の双方の特徴を有した傑作だと思います。



2021/02/03

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第143回 坂上泉『インビジブル』

 西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第143回 2021年1月31日)は、坂上泉のデビュー2作目『インビジブル』を取り上げています。表題は「偽史織り交ぜて描く戦後史」です。

 著者の坂上泉は2019年に「へぼ侍」(松本清張賞作を改題)でデビューし、本作が二作目です。細やかな世相の描写に、東京大学で戦後史を研究した経験が生きており、登場人物たちが体感した「地に足の着いた歴史描写」に味わいがあります。

 主人公は中卒で自治体警察に入った「昭和生まれ」の新人刑事・新城で、東京帝大卒のエリートで国家地方警察から派遣されてきた守屋とコンビを組むことになります。ユーモラスな登場人物たちの描写は「仁義なき戦い」などの脚本家として知られる笠原和夫の群像劇を彷彿とさせるもので、笠原の言う所の近代史を描いた「半時代劇」のような雰囲気を有します。

 昭和の黒幕として列挙される政治家の笹川良一や、阿片王の異名をとった里見甫など、実在の人物を想起させる登場人物たちの描写も細やかで、戦後史を描いたノンフィクション作品のような筆致も楽しめる作品です。


坂上泉『インビジブル』あらすじ

昭和29年の大阪を舞台に、中卒の新人刑事と東京帝大卒のエリート刑事が、連続殺人事件の真相に迫る。満州で阿片生産に従事していた人々が経験した数奇な運命と、戦後の大阪で起きた連続殺人事件の関係とは。関西弁が飛び交う往時の大阪市警視庁を舞台にした新人作家・坂上泉の直木賞候補作。