2020/03/31

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第102回 恩田陸『ドミノ』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第102回 2020年3月29日)は、東京駅を舞台にした恩田陸の人気作『ドミノ』を取り上げています。表題は「「東京駅」を「街」として描く」です。

今回の連載が、文教大学の肩書で書いた最後の原稿になります。文教大学に着任して最初に書いた書評は、2010年6月の「週刊文春」の「文春図書室」の欄の『団地の時代』 (著者:原武史・重松清)の書評でした。同年の8月に「文藝春秋」に政界再編に関する論考を書き、「文學界」に最初の吉田修一論を寄稿しています。西日本新聞の連載を入れると10年間で150本近くの原稿を入稿したことになります。月日が経つのも早いもので、国際学会での発表も30回ほど行いました。

原稿を書く仕事は、大学での授業内容を新しく更新することとも結びついていて、学生とのやり取りが原稿に反映されていたりします。俗説として、教育をおろそかにすると研究が伸びると言われますが、とんでもない間違いで、研究をおろそかにしていると教育が古び、学生も教員も育たない、のが国際的な常識です。

「締め切りのある人生は短い」と、江藤淳がよく言っていたそうですが(大学院時代に福田和也先生も、好んでこの言葉を口にしていましたが)、多少なりともこの言葉の重みが実感できるようになったと感じる今日この頃です。

長いようで短い文教大学での10年間でしたが、熱心に授業を聞いてくれる学生たちに「書く勇気」を与えてもらい、「学生と一緒に教員も育った」10年間でした。文教大学での教育・研究活動を支えて頂いた皆様に、心より感謝申し上げます。


恩田陸『ドミノ』あらすじ
関東生命八重洲支社の女性職員たちや「エミー」のオーディションを受けに来た母娘、東日本ミステリ連合会の学生たちや俳句仲間のオフ会に集まった人々が、東京駅で起こる事件の数々に遭遇していく物語。過激派「まだら紐」のメンバーが持参した爆弾をめぐる取り違えが、様々な物語を飲み込んでいく。


2020/03/26

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第101回 篠田節子『夏の災厄』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第101回 2020年3月22日)は、「パンデミック」を描いた現代文学の代表作、篠田節子『夏の災厄』を取り上げています。表題は「パンデミックの恐怖を忘れて」です。

写真はこの作品の舞台と思しき、所沢駅の近くです。上京した頃に住んでいた懐かしい街で、久しぶりに行きました。駅前の喫煙所も相変わらず、もくもくと煙を立ち昇らせており、所沢と呼ぶより他ない景色を彩っていました。

『夏の災厄』の冒頭で、老医師が次のように警鐘を鳴らしているのが印象に残ります。「知っておるか、ウイルスを叩く薬なんかありゃせんのだ。対症療法か、さもなければあらかじめ免疫をつけておくしかない。たまたまここ七十年ほど、疫病らしい疫病がなかっただけだ」と。篠田節子の「夏の災厄」は、日本脳炎に類似した新型ウイルスをめぐる行政の対応のプロセスを、市役所の職員の視点から丹念に描いた「パンデミック小説」です。



篠田節子『夏の災厄』あらすじ
埼玉県の架空の昭川市で、熱にうなされ痙攣を起こし、亡くなる人々が急増する。後手に回る対応しかできない行政の内側から、市職員が奇病が蔓延する謎に迫る。ウイルスに脆弱な現代日本の社会構造を、著者らしい丁寧な筆致で丹念に描く。1995年に発表された作品ながら、その後のSARSやコロナウイルスの猛威を先取ったパニック小説。



2020/03/20

現代ブンガク風土記「連載100回を迎えて」上下

西日本新聞朝刊に、現代ブンガク風土記「連載100回を迎えて」上下(2020年3月18日、19日)が掲載されました。

上のタイトルが「W村上と吉田修一 均質化進行する時代 抗うべく土地に着目」。
下のタイトルが「ミステリー系作家たち 薄れゆく「土地の記憶」 伝えるメディアとして」です。

土地に根を張った小説は、その土地の固有の風土や、そこに住む人々の生業や価値観、後世に伝えるべき歴史などを記憶・伝達するメディアとして、高い価値を有していると私は考えています。
薄れていく「土地の記憶」を伝える優れた現代小説は思いの他多く、「現代ブンガク風土記」は100回を通過点として、これからも日本の「地方」を彷徨いながら続きます。





2020/03/15

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第100回 伊藤たかみ『あなたの空洞』

「現代ブンガク風土記」が100回を迎えました! 読者の皆さまに心より感謝申し上げます。毎週一冊、原稿用紙で4枚ほどの原稿を書き続けて約2年。100回記念ということで、本連載を振り返った論考が、別途、上下で掲載されます。福岡で講演を行ったおりも、読者の方々にあたたかいご感想を頂き、非常に嬉しかったです。「現代ブンガク風土記」は100回を通過点として、広い意味での「地方」を舞台にした小説を取り上げながら、まだまだ続きます!

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第100回 2020年3月15日)は、芥川賞作家・伊藤たかみの『あなたの空洞』を取り上げています。表題は「身近な他者の中にある「空洞」」です。伊藤たかみは日常の中に潜む「文学的な問題」をユーモラスに切り出すのが上手い作家で、この作品は、震災と原発事故後の都市生活の微妙な変化を題材にした「震災文学」です。大震災後の社会を生きる人々が経験した「余震」を、小説らしい表現で捉えることに成功しています。



伊藤たかみ『あなたの空洞』あらすじ
震災後の日本の日常を生きる人々を描いた短編集。表題作は流産した経験を持ち、子宮筋腫を患った妻を持つ俊之の日常を描いた作品。「なかったということも覚えておかなくてはならない」という、震災後の現代日本に響く、切実な問いが投げかけられる。その他「ふらいじん」「僕らの排卵日」「母を砕く日」という印象的な表題の短編を収録。

2020/03/09

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第99回 桐野夏生『バラカ』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第99回 2020年3月8日)は、桐野夏生の論争的な「震災・原発事故文学」の傑作『バラカ』を取り上げています。表題は「震災の「被害格差」炙り出す」です。

連載100回まであと1回です。100回が来たからと言って特に何があるわけでもないのですが、新学期までに連載のストックを増やすべく、本を読み文を書く日々を送っています。COVID-19の海外報道をチェックしていて思うのですが、東京オリンピックはたぶん中止だろう、選手を送るのは無理っぽい、という感じの報道がだいぶ増えてきました。国際世論と風評被害を跳ね返すだけのリカバリーができるのか、どうなのか。

桐野夏生の『バラカ』は福島第一原発事故を題材とした作品です。この小説で福島第一原発事故は、水素爆発ではなく、核爆発を起こしているため、チェルノブイリ原発事故のように、放射能汚染が広範囲の土地で深刻化しています。東京も避難勧告地域に指定され、放射線量が高く、日本の首都も大阪に移転されています。「バラカ」は、震災と原発事故を忘却し、オリンピック景気に浮かれてきた日本に住む私たちの姿を、移民という他者の視点を通して辛辣に風刺した、桐野夏生らしい論争的な作品です。



あらすじ
「爺さん決死隊」の豊田に拾われたバラカは、反原発を主張する市民団体の支援を受けながら成長していく。甲状腺ガンの手術跡を持った美しい少女となった彼女は、その運動の象徴となり、様々な人間を惹き付ける。バラカの実父であるパウロは、宗教団体を通して原発事故後の日本社会の暗部に分け入り、失踪した娘を探し回る。桐野夏生の作品らしいスケールの大きなミステリー小説。

2020/03/01

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第98回 山田詠美『学問』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第98回 2020年3月1日)は、山田詠美の知る人ぞ知る傑作『学問』を取り上げています。表題は「欲望に忠実に生きるために」です。山田詠美は思春期の男女の性差のグラデーションに根ざした、細やかな感情の描写が上手い作家だと思います。

国際交流の担当ということもあり、ここ最近はCOVID-19の影響で海外研修をどうするかというやり取りに忙殺されていました。

一般論としては、不安を煽って視聴率を稼ぐ類いの報道が多いですが、空気に流されて簡単に「自粛」や「鎖国」をするのではなく、客観的な事実をもとにして対応したいものです。COVID-19については、医学で有名な下のJohns Hopkins大学の集約サイトがあり、分かりやすいです。Cofirmed(罹患者)の人数だけではなく、Recovered(回復者)の人数も重要だと思っています。
https://gisanddata.maps.arcgis.com/apps/opsdashboard/index.html#/bda7594740fd40299423467b48e9ecf6



山田詠美『学問』あらすじ
東京から静岡県にある架空の美流間市に引っ越してきた仁美と、幼馴染みの友人たちが成長していく姿を描いた青春小説。異性との距離感や性的な関係のあり方について悩みながら、仲良かった4人の人生が密に結び付いたり、離れたりする時間を描く。ベストセラー作「ぼくは勉強ができない」と類似した雰囲気を持つ、山田詠美らしい作品。

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第97回 堀江敏幸『いつか王子駅で』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第97回 2020年2月23日)は、堀江敏幸の初の長編小説『いつか王子駅で』を取り上げています。表題は「下町の矜恃、生活の手触り」です。堀江敏幸は、私小説の形式を通して、日常の些事の中に宿る、人々の「生活の手触り」とでも言うべきものを、鮮やかにとらえるのが上手い作家です。



堀江敏幸『いつか王子駅で』あらすじ
 都電荒川線が走る王子を主な舞台に、「時間給講師の私」と「昇り龍の正吉さん」の交流を描いた作品。王子は都電荒川線を代表するターミナル駅で、埼玉との県境に近い北区の中心地である。私は「五段変速のバックミラーつき」の自転車で王子の町をプラプラしながら、下町を生きる人々の姿を通して、地に足を着けて生きる意味について考える。若き堀江敏幸の生活を描いた私小説とも読める。