2023/03/14

「没後30年 松本清張はよみがえる」第39回『砂漠の塩』

 西日本新聞の連載「松本清張はよみがえる」第39回(2023年3月14日)は、清張作品としては初めて本格的に海外を舞台にした『砂漠の塩』について論じています。担当デスクが付けた表題は「中東に死地を求める 道ならぬ恋の逃亡劇」です。毎回、9×9文字で担当デスクに上手いタイトルを付けて頂いています。イランのテヘランで生まれ、エジプトのカイロで育った西加奈子の自伝的小説『サラバ!』とのmatch-upです。

 少年時代から松本清張は、地図や紀行文、地理の教科書を通して「旅」を夢見ていました。特に小学校6年生の時に出会った田山花袋の『日本一周』がお気に入りの作品で、小倉の街の書店で立ち読みして「一生行けないであろう風土」に憧れを募らせていました。このような清張の「旅」への思いの強さは、「点と線」や「ゼロの焦点」など特急電車を使った「移動の多い物語」に顕著に表れています。

 松本清張が初めて海外の取材旅行に行ったのは55歳の時で、現代の作家と比べると想像以上に遅いです。観光目的の海外旅行が自由化されたのが、東京オリンピックが開催された1964年で、清張はこの年に作家としていち早くオランダやフランス、イギリスなどを20日間のスケジュールで周遊しています。本作の舞台となったエジプトやレバノンにもこの時に立ち寄っており、長編小説の題材として欧州の先進国よりも「中近東の砂漠の国々」を先に取り上げている点に、清張らしい反骨精神を感じます。

 本作は死を決意した二人の逃亡劇であるため、物語の面白味に乏しいですが、中近東の国々を舞台に「訳ありの日本人」の情事を描いている点が新鮮です。全体を通して海外取材で清張が手に入れた「国際感覚」が感じられる作品です。

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/1066386/

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 月刊「文藝春秋」の柄谷行人「賞金1億円の使い途」が面白かったです。尼崎で生まれ育ち、駒場寮で廣松渉・西部邁と付き合い、文芸批評から宇野弘蔵の影響を受け「後期マルクスの交換様式論」に至るお馴染みの噺ですが、バーグルエン哲学・文化賞(哲学界のノーベル賞、賞金100万ドル)を獲った興奮が伝わってきます。昔から柄谷さんはポール・ド・マンなどアメリカの脱構築批評を意識した話をされていたので、アメリカでも功績が認められて本当に良かったと思います。終盤で次作の構想に触れていたのが面白く、意外にも「風景の発見」に立ち返って文芸批評に戻るそうで、楽しみにしています。

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 先日亡くなった大江健三郎の著作については、現代文学風土記で『取り替え子』と『河馬に噛まれる』を取り上げました(1967年の『万延元年のフットボール』が代表作だと思います)。思い出に残っているのは、河出書房新社から没後20年で出した『江藤淳』に、大江さんが掲載を許諾されたことでした。長い間、江藤と大江は「戦後文壇の宿敵」と呼ばれる関係でしたが、「若い日本の会」をはじめ、かつては親しい間柄で、60年代前半の江藤は思想的に大江よりも「左」でした。『江藤淳』の編者の平山周吉さんと電話で話した時、ダメもとの掲載依頼者(私も何人か挙げました)の一人が大江健三郎で、結果として1966年の『われらの文学22 江藤淳 吉本隆明』(大江健三郎・江藤淳編)の江藤論「どのようにして批評家となるか?」が収録されています。つまり大江健三郎は2019年の時点で、江藤(とその批評)と「和解」していたわけで、個人的には江藤と付き合いがあった頃(批評への緊張感があった60年代)の大江健三郎が作家としてピークだったと考えています。

https://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309028019/

2023/03/10

「没後30年 松本清張はよみがえる」第38回「共犯者」

 西日本新聞の連載「松本清張はよみがえる」第38回(2023年3月10日)は、清張自身のわらぼうきの行商の苦労を下地にした「共犯者」について論じています。担当デスクが付けた表題は「自己破滅に至る不安 非合理描いた心理劇」です。毎回、9×9文字で担当デスクに上手いタイトルを付けて頂いています。かつて政治運動に関わっていた男の「新しい人生」を描いた絲山秋子の『エスケイプ/アブセント』とのmatch-upです。

 敗戦直後、松本清張が所属する朝日新聞西部本社広告部は仕事が少なく、1946年から48年まで清張は「買い出し休暇」を利用してわらぼうきの仲買の仕事をしていました。食糧難とインフレで新聞社の給料だけでは両親と妻子を養うことが難しく、副業をはじめたのです。わらぼうきは妻の実家があった佐賀で仕入れ、清張は小倉や門司を手始めに、防府・広島・大阪・京都・大津と販路を広げ、この経験は清張に旅をする喜びを与えました。

 全集の「あとがき」によると、本作は「鼠小僧」など庶民的な盗賊を主人公にした歌舞伎の「白波物」を参考にした作品です。特に河竹黙阿弥の「鋳掛松(船打込橋間白浪)」で主人公が、屋形船で宴会をする人々を見て、破損した鍋釜の修理(鋳掛)をやめる決意をし、商売道具を隅田川に投げ捨てる場面を参考にしたのだとか。松本清張もほうきの仲買をしていた時に、闇屋上がりの「成金」が芸者を上げて遊んでいるのを見て、「虱のいそうな汚い部屋」で「行商の真似」をしている自分自身が嫌になったらしいです。

 本作は「行商」や「営業」の仕事の苦労が伝わってくる内容で、清張作品の中でも繰り返し映像化されてきた短編の一つです。毎回一作品を論じるこの連載も開始から半年が経過し、清張山脈も八合目、40回に近付いてきました。

 膝蓋骨の骨折で、まだスムーズに歩くことはできませんが(階段はゆっくり昇り降り)、無理なく日常生活を送っています。近所の図書館に行った折に、娘が横断歩道を先に渡って車を停車させ、はとバスのガイドさんのように私を誘導する姿に、成長を感じました。「(存在論的な)気遣い」(ハイデガー)を大切にする大人になってほしいものです。古の時代も、子供が負傷した防人の父を気遣って、先回りして牛車を停車させ、大通りを渡らせるようなことがあったのかも知れません。

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/1064835/

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 今週末はアカデミー賞の授賞式ですが、昨年は約40%のセリフが手話で表現されたCODAが作品賞・脚色賞などを獲り、注目を集めました。特に助演男優賞を獲ったTroy Kotsurの「手話ジョーク」に味わいがあり、プレゼンターのユン・ヨジョンが感極まって、怪しい手話をはじめるほどでした。Kotsurはゴールデングローブ賞も獲っていた余裕もあり、ブラック・ジョークを交えながら家族への感謝を示しつつ、disabled communityを称え、貫禄のある手話を披露していました。deaf actorとして史上二人目の受賞。Arizona出身ということもあり、今年のスーパーボウルでは、national anthem で手話を担当しています。

Troy Kotsur Wins Best Supporting Actor for 'CODA' | 94th Oscars

https://www.youtube.com/watch?v=TtE9WNw-L0E

Troy Kotsur performs the national anthem in ASL at Super Bowl LVII Feb. 12 2023 

https://www.youtube.com/watch?v=mKk7bNkNraw

 CODAは聴覚障がいを持つ家族が、コミュニティに包摂されながら、自由を謳歌する物語です。作中で歌われたJoni Mitchellの「Both Sides Now」の新しい解釈に、「社会的な分断」が煽られる時代に相応しい「深み」がありました(Joniも大絶賛)。Bostonで塩辛いシーフードを食べる時に、思い出すような味わいのある映画で、Gloucester, Massachusettsの海の風景が大きな魅力になっています。新鮮な映像表現でアメリカのマイノリティが直面する政治・経済の問題や、日常生活(性愛の描写を含む)を、快活に表現した秀作だったと思います。

 今年のアカデミー賞のホストはJimmy Kimmelで、無難な感じですが(Seth MacFarlaneやChris Rockのホストをまた見たいのですが)、Kotsurや彼の妻役のMarlee Matlinような埋もれていた役者の再評価に期待しています。

Troy Kotsur discusses hit movie ‘Coda’

https://www.youtube.com/watch?v=z28wZ8mGv6Q

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 東日本大震災から12年が経ちました。震災時に陸前高田の小学生で、大船渡高校からプロ入りした佐々木朗希がマウンドに立つ姿に、多くの人が心を動かされたと思います。前任先で学生たちと陸前高田・大船渡・大槌にボランティアで行きましたが、全国各地から数多くの人たちが瓦礫の撤去や清掃作業に入っていました(この時のリーダーを務めたゼミ生は、現在、福島民報で働いています)。この引率の下調べで、難民支援のNPOでミャンマーから亡命していた人たちとテントで4人で寝泊まりしたことも思い出深く、陸前高田や釜石・遠野を拠点としたボランティアは国際的なものでもありました(銃創で片足を引き摺っていたミャンマーの青年が、日本への恩返しと言いながら、懸命にがれき撤去作業に打ち込んでいた姿を思い出します)。この時の陸前高田の風景の中に、父と祖父母を亡くした小学生の佐々木朗希がいたことを考えると、彼が背負ってきたものの大きさを実感します。津波で流された三陸鉄道のコンクリート製の枕木は、大人数で手にしても、本当に重かった。

2023/03/01

「没後30年 松本清張はよみがえる」第37回『けものみち』

 西日本新聞の連載「松本清張はよみがえる」第37回(2023年3月1日)は、高度経済成長期に東京に建てられた大型の高級ホテルを舞台に「経済格差」を体感させるミステリ小説『けものみち』について論じています。担当デスクが付けた表題は「高級ホテルを舞台に 照らす政財界の裏側」です。毎回、9×9文字で担当デスクに上手いタイトルを付けて頂いています。戸籍の売買が重要なトリックとなっていることもあり、同じく戸籍の売買を題材とした平野啓一郎の『ある男』とのmatch-upです。

 この作品の連載がはじまった1962年に、赤坂の南東にある虎ノ門でホテルオークラ東京が開業し、この作品が刊行され、東京オリンピックが開催された1964年に、赤坂の北にある紀尾井町でホテルニューオータニが開業しています。何れも帝国ホテルと共に「御三家」と称された高級ホテルで、国内外の要人が宿泊してきたことで知られます。流行に敏感な松本清張は、本作で庶民の憧れの的である新興の大型ホテルを作品の中心に据え、「時代の欲望」を浮き彫りにしました。

 冒頭に「けものみち」という言葉の説明が付されています。「カモシカやイノシシなどの通行で山中につけられた小径(こみち)のことをいう。山を歩く者が道と錯覚することがある」と。本作は政財界や警察の不正を芋づる式に暴いていく内容で、悪漢の鬼頭が満州に渡り、軍部と結託して資金を蓄え、戦後日本の中枢に自らの縄張り=「けものみち」を張り巡らせてきた経緯がミステリの核となります。彼らは、日本道路公団を想起させる「総合高速路面公団」を支配し、有料道路の建設事業に関わる「利権」を収入源にしていて、現実に日本道路公団は、かつては政財界の利権の温床となり、「第二の国鉄」と言われるほど多額の負債を抱えていました。

「週刊新潮」に掲載された作品らしく、情死や汚職などの「スキャンダル」が目くるめく展開される「悪漢小説」です。

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/1060288/

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 先日、初めて提出した分野で研究費をご採択頂き、地道に取り組んで来た研究テーマだったこともあり、着手するのを楽しみにしています。成果については、計画通り、3年かけて海外の学会を中心に行う予定ですが、関心の近い先生方と国内の研究ネットワークも築いていきたいと考えています。現代社会は、評価やリスクの尺度が多様なので(様々なアカデミアや学会、学問領域が「政治的」に競合しているので)、ジョン・アーリのいう意味での「移動(的な展開)」が大事だと改めて思いました。学際系ということもあり、フットワーク軽く分野を渡り歩く探求心を持ち続けたいものです。