2021/03/29

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第151回 内田春菊『ファザーファッカー』

「現代ブンガク風土記」の特集ページが西日本新聞のオンライン版にできました。全文は有料会員向けの公開ですが、2021年2月の連載(第144回宇佐見りん『かか』)から掲載されています。今週の写真は、内田春菊の『ファザーファッカー』の舞台となった、知る人ぞ知る、長崎南高校にほど近い「五十段坂」です(つまりは内田春菊の実家と思しき場所の近くです)。著者のマニアックな写真の指定にもプロの仕事で応えてくれるのが、1877年からの歴史を有する西日本新聞社です。

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 西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第151回 2021年3月28日)は、内田春菊の直木賞候補作・Bunkamuraドゥマゴ文学賞受賞作『ファザーファッカー』を取り上げています。表題は「豊かな自然と埋もれた感情」です。

 同級生の子を身ごもり、養父から性的な虐待を受け、16歳で家出をした内田春菊の自伝的な小説です。彼女が1年時に強制退学させられた長崎県立南高校は、私の母校でもあり、この本が発売され、物議を醸した1993年に私は在学していました。当時、内田春菊は漫画家として大きな成功を収めていて、1987年に単行本が発売され大ヒットした「南くんの恋人」は、「長崎南高校」を想起させるタイトルであったため、同級生の間でも人気を集めていました。

 書き出しから内田春菊の実存をかけた言葉の切実さが伝わってくる小説です。法の目の行き届きにくい西の外れの町=長崎を16歳で出て、写植工やウェイトレス、ホステスやクラブ歌手の仕事に就きながら、漫画家として世に出て、世間に名を知らしめた内田春菊のバイタリティの強さが感じられる強烈な作品です。

西日本新聞 me

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内田春菊『ファザーファッカー』あらすじ

長崎と思しき「西のはずれ」の町に住む静子と妹、元ホステスの母と養父の生活を描いた作品。静子が育った家は穴だらけで、養父のほかにも鼠や蛇や野良猫が出入りする。養父はハイミナール中毒で精神病院に入院した過去を持ち、母や静子に理不尽な暴力をふるい、静子の妊娠をきっかけとして、養父の性暴力はエスカレートしていく。第4回Bunkamuraドゥマゴ文学賞受賞作。


2021/03/23

祝・150回 西日本新聞「現代ブンガク風土記」 森絵都『漁師の愛人』

西日本新聞の毎週日曜の連載「現代ブンガク風土記」が150回の節目を迎えました。手前味噌ですが、ブロック紙以上の文芸批評の新聞連載(時評を除く)としては、分量と期間の上で最長の部類に入ると思います。タイトルは長崎市立磨屋小学校の先輩であり、慶應義塾大学で折口信夫に師事した山本健吉の『現代文学風土記』を参照したものです。私の実家の近くに住んでいた石橋忍月・山本健吉父子の批評や、山本が吉田健吉や中村光夫らと戦前にはじめた「批評」(第二期)を、現代的な形で継承したいという思いもあります。連載中に山本が教鞭を執った明治大学に公募で移籍するという縁にも恵まれました。

連載で取り上げている作品以外にも多くの現代小説を読んでいますので、文字通り小説漬けの日々です。先々、この連載は日本語の著作として刊行する予定ですが、当初から英訳を意識した内容でもあり、海外の友人たちの力を借り、何かしらの形で現代日本の小説の多様性と水準の高さを、英語版の著作としても伝えたいという思いを持っています。この連載を長崎の原爆被害を題材としたカズオ・イシグロの『遠い山並の光』からはじめ、江藤淳の毎日新聞の文芸時評と異なる書き方をしているのはこのためです。志半ばですが、4月から4年目を迎える「現代ブンガク風土記」を、引き続きよろしくお願いいたします。

「現代ブンガク風土記」(第150回 2021年3月21日)は、森絵都の「震災以後」の日常を描いた短編集『漁師の愛人』を取り上げています。表題は「人々に生じた震災の余波」です。東日本大震災後の2011年から2013年にかけて書かれた作品で、子供から老人まで様々な人物の視点や感情を通して、東日本大震災が日常に与えた「余波」や「余震」を、独自の視点から炙り出しています。

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/710463/


森絵都『漁師の愛人』あらすじ
震災後に雪の降る北の港で漁師になることを決意した長尾と、紗江の新しい生活を描いた表題作のほか、女性三人が新しい家族の形を求めて共同生活をはじめる「あの日以降」など4編の作品を収録。大震災を経て「生きること」と「生き延びること」は別物だと実感する描写が、読後の印象に強く残る。



2021/03/15

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第149回 沼田真佑『影裏』

 西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第149回 2021年3月14日)は、沼田真佑のデビュー作&芥川賞受賞作『影裏』を取り上げています。表題は「豊かな自然と埋もれた感情」です。塾講師の仕事に就きながら「小説らしい小説」を書き続けている作家で、本作は東日本大震災を描いた現代小説の代表作だと考えています。

 ちょうどこの小説が掲載された号の文學界に「吉田修一論──現代文学の風土 後篇」を寄稿していたので、初出時に読み、完成度の高い優れた小説だと思いました。その後、芥川賞の候補となり、本連載でも扱った今村夏子の秀作『星の子』との決選投票で差を付け、震災から6年目にして「震災小説」としてはじめて芥川賞を受賞しました。

「岩手というところは、じつに樹木が豊富な土地だと、夏が来て改めて思う」という一節が読後に強い印象を残す作品です。作者の沼田真佑は北海道の小樽市生まれですが、インタビューによると親の転勤で千葉、埼玉を経て、福岡に落ち着き、福岡大学附属大濠高校を経て西南学院大学に進学しています。影響を受けた作家として福岡市生まれの梅崎春生を挙げていて、文章の所々に梅崎の影響が感じられます。

 生き残った人間の記憶を媒介として、失われた人間の謎を浮き彫りにしていく方法は、歌舞伎や落語など古典芸能も好む著者らしい、メリハリの効いた物語構築の技法だと思います。この作品は岩手の豊かな自然と癖の強い不器用な人々の感情を、鮮やかなものとして描くことで、その背後に埋もれた「失われた物事」を巧みに掬い上げた「震災文学」です。

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/707010/

沼田真佑『影裏』あらすじ

 医療系の薬を取り扱う親会社からの出向で岩手県盛岡市に移住したわたしは、同年代の独身男性である日浅と親しくなる。川釣りを共にし、日本酒を酌み交わした幸福な日々はやがて日浅の退職で過ぎ去り、大震災の日を迎えることとなる。文學界新人賞を受賞し、芥川賞を受賞したデビュー作「影裏」を含む三篇の小説を収録。



2021/03/10

『福田和也コレクション1: 本を読む、乱世を生きる』

 後輩の鈴木涼美の『福田和也コレクション1: 本を読む、乱世を生きる』の書評が面白かった。情感と論理が両立していて、とても良い文章。全盛期は100人を超えるゼミ生を集め、慶應SFCの文化論的なピークを築いた福田和也研究室の思い出を、往時の福田の批評を交えながら、ユーモラスに展開している。

 一青窈さんと並んでゼミの出身者に名前を出して頂いていて光栄ですが(私と大澤信亮は早稲田から院に入ったわけですが)、これは書評を書けという版元からのメッセージなのかも。何れにしても一青窈から鈴木涼美まで多彩な人材を輩出した福田和也研究会の往時の熱気を、今年3冊出る『福田和也コレクション』で思い出しつつ、日々の励みにしたい。


作家・鈴木涼美が語る「師・福田和也のまなざしと本音」

初選集『福田和也コレクション1:本を読む、乱世を生きる』刊行に寄せて

https://www.kk-bestsellers.com/articles/-/863595/1/



2021/03/08

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第148回 高橋源一郎『恋する原発』

  西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第148回 2021年3月7日)は、高橋源一郎の『恋する原発』を取り上げています。表題は「『揺れ』感じ続ける日本の姿」です。震災・原発事故から十年の節目ということもあり、しばらく本連載では「震災・原発事故文学」を取り上げる予定です。

『恋する原発』は2011年の原発事故から約7か月後に文芸誌「群像」に発表され、性的な表現を通して原発事故を風刺する「問題作」として話題となりました。確かに、著者の高橋自身も冒頭に記している通り「不謹慎すぎます。関係者の処罰を望みます」と言われてしまうような内容なのかも知れません。

 ただ本作には震災・原発事故後の人間の性=生のあり方について批評的な内容も多く盛り込まれています。例えば米同時多発テロ直後に「時に、テロを必要とする者もいるのではないか」と問いかけたスーザン・ソンタグの一節が引かれ、福島第一原発前での「不謹慎なデモ」が描かれる内容には、作家らしい反骨心が感じられます。

 個人的には『さようなら、ギャングたち』や『ジョン・レノン対火星人』など高橋源一郎の初期作品のような「小説で社会の急所を突いてやろう」というギラギラした野心が感じられ、好きな作品です。震災や原発事故の経験を悲劇として美化することに抗い、不謹慎な喜劇として震災と原発事故を描くことを試みた、原発事故10年後に読み返されるべき「反小説」だと思います。

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/703343/


高橋源一郎『恋する原発』あらすじ

震災と原発事故の直後の「自粛」を強いる「空気」の中で、原発事故と性的な表現を絡めて描いた作品。震災の揺れを感じた時、おれは「いままでたまったツケを払わなきゃならんのだ」と思い「チャリティーAV」に挑む。AV制作会社で働くおれの日常と周囲の人々の猥談やを通して、小説家らしく、現代日本の「表現の自由」、「言論の自由」の臨界へ切り込む。

2021/03/02

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第147回 中村文則『逃亡者』

 西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第147回 2021年2月28日)は、中村文則の新聞連載小説『逃亡者』を取り上げています。表題は「血生臭い『記憶』継承の意味」です。掲載頂いた写真は、2021年1月の「核兵器禁止条約の発効(日本は不参加)」に際して祈りを捧げる長崎の浦上天主堂の様子です。

 中村文則は、理不尽な暴行や虐待などを経験した人物のその後の人生を、彼らを内側から蝕む「理不尽な記憶」を通して巧みに描く作家だと思います。本作では「論理に論理をぶつけても、人間は変わらない場合がある」というドストエフスキーの言葉が重要なモチーフとなっています。

 主人公は左派のジャーナリストで、長崎市でキリスト教徒が多く居住してきた浦上地区にルーツを持つ中年男性です。彼は旧日本軍の軍楽隊で伝説となったトランペットに関する記事を書いたことで運命の歯車を狂わせ、日本の政治中枢に影響力を持つ「Q派の会」と呼ばれる宗教団体や、理不尽な暴力を行使するスイス人の殺し屋Bなどに追われることになります。

 長崎とドイツを主な舞台とした本作について、中村文則は次のように述べています。「僕は出身は愛知県ですが、ルーツが長崎で、初めて長崎についても書くことになりました。いつか書く、とずっと決めていたテーマでもあります」と。確かに本作は自己のアイデンティティに関わる問題と対峙する熱量が伝わってくる中村文則の代表作だと思います。

(同じ1977年生まれの中村文則さんの作品について書くのは、2005年に担当した「文學界」の連載「新人小説月評」以来でした。半年間の月評の担当期の芥川賞が、中村さんの「土の中の子供」でした。ノワール小説を手掛けつつ、ジャンルを拡げつつも、実存的な内面描写は変わらず、国際的に高い評価を獲得されていて、素晴らしいと思います)

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/699711/


中村文則『逃亡者』あらすじ

第二次世界大戦中に、日本の軍楽隊で伝説となり、局地的な作戦を奇跡の成功へと導いたトランペットをめぐる物語。キリスト教徒の迫害から、太平洋の玉砕戦を経て現代に至る歴史に、現代を生きる主人公の視点を通して迫る。伝説のトランペットを媒介として、新たな記憶が物語に次々と断層を走らせていく中村文則らしい、現代的な歴史小説。