2021/06/28

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第164回 新庄耕『狭小邸宅』

「現代ブンガク風土記」(第164回 2021年6月27日)は、新庄耕『狭小邸宅』を取り上げています。表題は「住宅営業現場の「戦争」」です。新庄さんは慶應SFCの福田和也ゼミが輩出した数少ない作家で、土地の売買をモチーフにした作品で注目を集め、将来を嘱望されている書き手です。

『狭小邸宅』は東京の不動産会社で営業の仕事を務める主人公が成長していく姿を描いた青春小説です。職場環境に戸惑いながらも、主人公は不良債権と化していた「蒲田の物件」を「サンドイッチマン」姿で注意を引き、見事に売り抜けるなど通過儀礼を経て一人前になっていきます。過酷な現場を生き抜いた者たちだけが、高額の歩合給を手にできる厳しい世界で、客の購買意欲を煽る「かまし」など、演技力も必要とされるので大変です。

 なおこの連載は、担当を頂いている文化部デスクの方と事前に打ち合わせを行い、ピック・アップした作品について、一定の原稿のストックをもとに掲載しています(掲載順やタイトルも、ご担当の記者の方にお任せしています)。まだまだ連載で取り上げていない優れた小説が多くあり、どの著者のどの作品を取り上げるか、どの土地を舞台にした作品を選ぶか、実に悩ましいです。直木賞系の作品が多めの連載ですが、一見すると読みやすい文章も、大変な努力と才能の上で書かれていることが分かります。

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/761442/

新庄耕『狭小邸宅』あらすじ

「明王大学」を卒業した松尾は「学歴も経験もいらず、特別な能力や技術もいらない」不動産営業の世界に飛び込み、ひたすら「家を売る」ために、サービス残業や上司からの暴力に耐える日々を送る。5年以上も全支店で売り上げトップだった「伝説の営業マン」との出会いによって、松尾は営業部員として成長し、着実に業界のブラックな慣習を身に着けていく。

2021/06/21

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第163回 綾辻行人『十角館の殺人 新装改訂版』

 「現代ブンガク風土記」(第163回 2021年6月20日)は、綾辻行人『十角館の殺人 新装改訂版』を取り上げています。表題は「大分の離島舞台に「新本格」」です。

 綾辻行人『十角館の殺人 新装改訂版』は、関サバや関アジの漁場として知られる大分県大分市の佐賀関半島近くの高島と思しき場所で展開される本格派推理小説です。推理小説の中でも、探偵が活躍し、複雑な謎やトリックを解明することを重視した作品を一般に「本格派」と呼びます。バブル期に作家としてデビューした綾辻行人の作品は、それ以前に人気を博した横溝正史の金田一耕助シリーズとは異なって、封建的な家のしがらみや伝統や慣習に関する描写が薄い点に特徴があり、特に「新本格派推理小説」と呼ばれます。

 綾辻行人は京都で生まれ育ち、京都大学に進学した生粋の京都人です。本作は教育学研究科で逸脱行動を研究する大学院生時代に書かれたというから早熟です。辻村深月など世代と性別を超えて与えた影響は大きく、本格ミステリーに名門・京大推理小説研究会が果たした役割の大きさを感じます。新しい時代を切り開いた作家のデビュー作らしい、エンターテイメントに留まらない文学的な深みが感じられる作品です。

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/757967/

綾辻行人『十角館の殺人 新装改訂版』あらすじ

 半年前に連続殺人事件を引き起こし焼死した建築家の中村青司の自宅・十角館を、大分にある大学の推理小説研究会に所属する7人が訪れる。過去の連続殺人事件の謎をひも解きながら、新しい連続殺人事件が起きていく。脱出できない孤島の十角館を舞台にした新本格派の推理小説。「館シリーズ」の一作目で、綾辻行人が大学院在学中に書いた鮮烈なデビュー作。



2021/06/14

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第162回 島田荘司『異邦の騎士 改定完全版』

 「現代ブンガク風土記」(第162回 2021年6月13日)は、島田荘司の実質的なデビュー作『異邦の騎士 改定完全版』を取り上げています。表題は「本格ミステリーのビート」です。島田荘司が最初に書いた小説で、発表までに9年(発表作としては25作目)を要し、全面改訂までに18年の時間が費やされた労作です。

 2021年2月に亡くなったチック・コレア(Return to Forever)の代表作「浪漫の騎士」に着想を得た小説で、文庫版に収録されている1991年の後書きによると、島田は「二十代という不安の時代」にこの曲を聴き、「空しい闘いに挑む時代遅れの騎士」の姿を思い浮かべることで、「どん底」を生きるような気分を慰めていたそうです。1976年に発表された「浪漫の騎士」は同時代のプログレッシブ・ロックへの対抗心が感じられる名曲で、「異邦の騎士」は複雑でありながら、崇高なテーマ性を感じさせる物語構造を有しているため、共通する部分が多いと思います。

「浪漫の騎士」を繰り返し聴いた若き島田荘司は、「世界にはこれほど真面目に、真剣に仕事をする奴がいる、とても遊んでなどいられない」と感じ、本作を書き始めたらしいです。小説全体に通底する「見知らぬ惑星に取り残された子供」のような不安に、「浪漫の騎士」からの強い影響が見られ、「日常的な不安」を払拭するために「本格ミステリーという激しいビートを必要とする音楽」を奏でた、島田荘司らしい本格ミステリーだと思います。

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/754487/


島田荘司『異邦の騎士 改定完全版』あらすじ
 記憶を失った主人公の「俺」が、同棲相手の良子との恋愛を通して記憶を取り戻そうとしながら、過去の不幸な記憶に飲み込まれていく。愛する妻子を殺したかも知れないという記憶や、その復讐を果たしたかも知れないという犯罪の匂いが、主人公の現在を苛んでいく。作家・島田荘司がはじめて書いた小説の改定完全版であり、本格ミステリーの金字塔。


2021/06/07

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第161回 林真理子『葡萄が目にしみる』

「現代ブンガク風土記」(第161回 2021年6月6日)は、山梨の葡萄農家で生まれ育った林真理子の青春小説『葡萄が目にしみる』を取り上げています。表題は「ゆっくり熟していく青春」です。本連載も3年3か月目に入り、熟してきた感じがしています。

 林真理子の分身と思しき主人公の乃里子は、山梨の葡萄農家で生まれ育ったことにコンプレックスと、誇らしさの双方を抱いています。種なし葡萄を作るために、乃里子は「ジベ」という作業に子供の頃から駆り出され、手を薄桃色に染めてきました。プラスチックのコップに植物の成長を調整する「ジベレリン」を満たし、その中に葡萄の房を浸すと「小さな泡がわきあがって、まるで魔法のように実の中の種を消してしまう」らしく、現代でもデラウェアやピオーネなどの葡萄は、手作業で種なしにした上で出荷されています。

 この作品の主な舞台となる「弘明館高校」は、林真理子が通った山梨県立日川高校がモデルだと推測できます。『楢山節考』や『東北の神武たち』で知られる深沢七郎(山下清との対談が面白い)の出身校で、林真理子と同じく実家が葡萄農園を営んでいた、「臍で投げるバック・ドロップ」でお馴染みの元全日本プロレス・ジャンボ鶴田の出身校でもあります。出身者の個性が際立っていますね。

 林真理子の『葡萄が目にしみる』は、山梨の葡萄農家らしい言葉の訛りと、「自家用葡萄」の豊かな味わいを通して、甲府から少し離れた場所に位置する「果樹地帯」の風土を感じさせる青春小説です。

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/750854/


林真理子『葡萄が目にしみる』のあらすじ

 山梨の葡萄農家で生まれ育った乃里子は、太った外見を周囲と比べられながらも、農家の仕事を手伝いながら成長し、憧れの弘明館高校に入学する。高校に入ると放送委員を務め、先輩たちとも交流をするようになり、生徒会で書記長をやっている保坂に恋心を抱くようになる。複雑な家庭環境で育ち、不良ながらラグビー選手として活躍する岩永など、同じ山梨で育ちながらも、全く異なる青春を送る高校生たちの群像を描く。