2021/01/27

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第142回 吉田修一『ウォーターゲーム』

 福岡県北九州市のます渕ダムを想起させる「相楽ダム」の爆破事件をきっかけとしてはじまるハードボイルド小説です。日本の産業スパイ組織・AN通信の鷹野一彦を主人公としたシリーズ3作目です。AN通信の鷹野や、国際便利屋のリー・ヨンソン、妖艶なスパイ・アヤコの間の愛憎入り混じる関係は、レイモンド・チャンドラーの名作「ロング・グッドバイ」を想起させます。「太陽は動かない」で太陽光発電をめぐる陰謀劇を描いたように、このシリーズで吉田修一は現代社会の基盤を成すインフラ(電力事業や水道事業)をめぐる国内外の利権争いを、グローバルな視野の下で描いています。

 本作はフランスの水メジャー企業、V.O.エキュ社が、日本の水道事業に進出するための陰謀を企てるところからはじまります。現実に日本では多くの自治体で水道事業が危機に瀕していて、財政難の自治体と潤っている自治体との水道料金の格差は7倍にも及びます。日本は水道料金の滞納も少なく、水道管から無断で水を盗むような行為も少ないため、「世界の水メジャー」にとって理想的な市場なのです。

 本作によると、英語のRival(ライバル)の語源は、ラテン語のRivalis(同じ川の水利用をめぐって争うもの)らしいです。水を巡る争いの歴史は古く、「ウォーターゲーム」は人類の「伝統的な争い」を継承したハードボイルド小説です。


吉田修一『ウォーターゲーム』あらすじ

産業スパイ組織・AN通信の鷹野一彦を主人公とした吉田修一のハードボイルド小説シリーズ3作目。AN通信に入れなかった真司の視点を交えながら、日本のダムの爆破計画が描かれ、国際的な武器商人・リー・ヨンソンの視点を交えながら、世界的な水メジャーの日本進出にまつわる陰謀が描かれる。退職を間近に控えた鷹野一彦は、AN通信と日本の水資源を守ることができるのか――。


2021/01/19

第164回直木賞対談 西日本新聞朝刊(2021年1月19日)掲載

第164回直木賞の候補作について西田藍さんと対談した内容が、西日本新聞朝刊(2021年1月19日)に掲載されました。下のリンクでWeb掲載もありますので、ぜひご一読ください。

加藤シゲアキさんも候補…直木賞だれに? 文芸アイドル西田さん×酒井信さん対談


西日本新聞

 https://www.nishinippon.co.jp/item/n/682806/



西日本新聞「現代ブンガク風土記」第141回 荻原浩『海の見える理髪店』

 西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第141回 2021年1月17日)は、荻原浩の直木賞受賞作『海の見える理髪店』を取り上げています。表題は「新感覚の大人の通過儀礼」です。

 様々な事情で家族と生き別れたり、死別した人々を描いた6つの短編から成る作品です。2016年に本作は直木賞を受賞し、荻原浩は多様な種類の作品を書き分ける短編の名手としての評価を高めました。成城大学で同期だった斎藤美奈子は、文庫版の解説で、荻原の作家としての多彩さを、コピーライターとして独立した人間らしい「アイデア」から生まれたものだと分析しています。

 表題作の「海の見える理髪店」は最初に収録されている短編で、戦前生まれの床屋の店主の紆余曲折の人生が、海沿いの風景と共に、読後に強い印象を残す作品です。店主は、かつて大物俳優や政財界の名士たちを常連客として持っていた有名な理容師で、戦時中から父親の床屋で出征する兵士たちの頭を刈り、職人としての腕を磨いてきました。昭和三十年代に「慎太郎刈り」が流行して床屋が繁盛したり、昔は女の子も床屋に通い「乙女刈り」を好んでいたといった描写に、時間の重みが感じられます。

「仕事っていうのは、つまるところ、人の気持ちを考えることではないかと私は思うのです」と「訳ありの客」に語り掛ける店主の言葉には、有名店を築きながら刑務所に入った経験を持つ、叩き上げの人間らしい「人生哲学」が感じられます。

荻原浩『海の見える理髪店』あらすじ

海辺の小さな町に佇む訳ありの理髪店を舞台にした表題作など、家族との別れをめぐる短編6本を収録。残業で家庭を顧みない夫に嫌気がさし、娘を連れて実家に帰った娘が不思議なメールを受け取る「遠くから来た手紙」など、感動的な作品が並ぶ。荻原浩らしい個性的な短編集で、第155回直木賞受賞作。


2021/01/13

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第140回 三浦しをん『風が強く吹いている』

 西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第140回 2021年1月10日)は、三浦しをんの箱根駅伝を題材としたベストセラー小説『風が強く吹いている』を取り上げています。表題は「選手の内面から迫る箱根駅伝」です。

 走るという「原始的な運動」を極める大学の競争部の選手たちが「東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)」に挑む雄姿を描いた作品です。漫画化やアニメ化もされて人気を獲得し、大学駅伝を描いた小説として、幅広い世代に知られています。内面描写が魅力的で、明治大学の八幡山グラウンドに近い場所で練習する「寛政大学」の個性的な選手たちが、チームメイトやライバル、家族に対する複雑な感情と向き合いながら、「強さ」を模索して成長していきます。アニメ版では一部の選手が「前に!!」と腕に記していますが、これは明治大学のラグビー部の監督・北島忠治が唱えた「前へ。」というスローガンを連想させます。

 実在するスポーツ大会を描いたエンタメ系の小説は多いですが、本作は純文学のような内面描写が魅力的です。選手たちが互いに励まし合いながら襷を繋ぎ、家族や友人たちへの思いを背負って走り抜く駅伝のリアリティを、日常的に数十キロの距離を走り、鍛錬を重ねてきた選手たちの青春を通して描いた、現代小説らしい「スポコン文学」です。

 



2021/01/06

「すばる」(集英社)2021年2月号に寄稿しました

 「すばる」(集英社)2021年2月号に、吉田修一『湖の女たち』の書評を寄稿しました。琵琶湖の近くの介護療養施設で起きた「百歳の老人」の殺人事件の謎に迫る作品です。老人がハルビンを拠点としていた元731部隊(関東軍防疫給水部本部)の課長の元京都大学教授だったことから、社会派のミステリー小説の色彩を帯びます。

 ただ小説は従来の吉田修一作品と同様に読みやすい内容で、川端康成の『みずうみ』を想起させる危うい恋愛劇が面白く、惚れ込んだ女性のあとを付ける癖のある刑事・圭介と、その欲望に応える介護士・佳代のエロスとタナトスが交錯する反社会的で際どい描写に、強い読みごたえを感じます。タイトルは川端康成の『みずうみ』の一節を借りて「『悪魔ごっこ』が映し出す『魔界の湖』」としました。

「すばる」2月号は、文芸誌らしいコンテンツといえる「批評(クリティーク)」の賞が大々的に表紙を飾っているのが面白いと思いました。新型コロナ禍ということもあり、実利的な物事に関心が向かいがちな時代ですが、時間的な拡がりと、分野横断的な視野を持った批評を志す若い人が増えてほしいです。