2013/12/23

産経新聞/宮崎駿の「風立ちぬ」コラム

産経新聞の文化欄に、宮崎駿の「風立ちぬ」についてコラムを書きました。堀辰雄の小説の言葉を借りて「行き止まりの先の愉しさ」というタイトルです。ウェブでも読めますので、ぜひご一読下さい。
今年は産経の社会面に書き、文化面に終わる年でした。

【エンタメ回顧 平成25年】宮崎駿監督の引退 「風立ちぬ」 行き止まりの先の生きる愉しさ訴え - MSN産経ニュース
http://www.sankei.com/entertainments/news/131221/ent1312210006-n1.html


2013/12/13

ムンバイ、約2000のスラムのうち、1つのツアー

ムンバイのスラムツアーがとても良かったです。ムンバイ都市圏には約2000のスラムがあり、人口の60%が暮らしているのだとか。
現地NGOに支払う約1200円の参加費の一部が、スラム内の教育資金に還元される仕組み。
住民もNGOの取り組みを分かった上で、見学に協力してくれるわけです。
ツアー参加者も住んでいる人の生活を尊重し、スラム内では写真は撮らないルールです。
スラム内の仕事をめくるめく見学していくと、人々の貧しさではなく、コミュニティの豊かさを体感できますね。一杯8円のチャイで談笑したり、民家の屋上からスラムの全体を見ることができます。
帰路、鈴なりに人があふれ、混雑する電車でチャーチゲート・ステーションに戻る頃には、ムンバイの街が違った魅力を放っているように見えます。
このツアー、大学の必修科目にしてもいいと思いました。こういうツアーを行きもしないで批判する人がたまにいますが、行った後で何かを言ったり書いた方が、自分のためになると思います。


2013/12/10

世界文化遺産でクリケット

世界一美しい墓、タージ・マハルに来ました。大理石が光を反射するのでムスリムのおばはんもまぶしそうです。
インド北部にはムガル時代のイスラム寺院が多いので、ヒンドゥー教が大半のインドらしさは、観光地ではあまり感じません。ただ世界遺産の寺院の敷地の隣地でクリケットをフルスイングでやっていたり(クリケットは360度どの方向に打ってもヒットになるので危険です)、ファテープル・スィークリーなど、日中、ほぼ完全にムスリムの人たちが住み、街を形成している世界遺産もあり、ムスリムの寺院でも「インドらしさ」を感じる機会には事欠かないです。
貧しい人が底なしに貧しい、という超階級社会の現実感も含めて、インドの街の風景には奥行きがあり、味わい深く、しばらくカンファレンスで外出できないのが残念です。インドに嵌まる人が多いの、分かるなあ。



2013/12/08

デリーでヤクルト飲みながらリクシャー

デリーに来ました。写真は自転車の後ろに荷台の付いたリクシャーでオールドデリーの路地裏を巡ってるとこです。リクシャーの語源は、人力車ですが、自転車に荷台が付いてる感じです。
路上で日用品を売っているのを、警察がどかしています。
のぞいてみると中古の靴が80円ぐらい。靴を中古で売買しているあたりに、この国の経済格差の幅の大きさを感じます。
デリーでは路上でキスする男女がいたり、思いの外、若者は自由でした。地方では、キスどころか、カーストが違う男女は、住んでる町でデートをすることも困難なのだとか。
関係ないですが、最近、海外でヤクルトをよく飲みます。ガソリンスタンドで一本換算で15円ぐらいでした。
インドでの車の運転は、ぎりぎりまで車が接近するので、相当な技術が必要です。サイドミラーも、基本たたむ文化があります。


2013/11/26

ジョグジャカルタとオランダ人のペンキ

ジャワ島の古都、ジョグジャカルタに来ました。写真は世界最大の仏教遺跡、ボロブドゥールです。ジャカルタから飛行機で80分、空港から車で1時間半ぐらいで来れます。
1000年以上ジャングルと火山灰に埋もれていたのをイギリス人ラッフルズに発見され、その後、オランダ統治時代に修復が行われて、現在の形になったのだとか。
宗教的な聖地ということもあり、腰に布を巻いて上らなければなりません。
案内の人に「この壁って色おかしいですね。たぶんペンキかなんかの色じゃないですか」と言ったら、言いにくそうに、「白黒写真の時代に写真の見栄えがよくなるように、オランダ人がペンキで塗りました」と話してくれました。
「地球の歩き方」には一行も書いてない話です。オランダ人恐るべし。それでも世界遺産というのがすごい。


2013/09/22

ナポリタンといんちき

ナポリに来ました。ピザだけではなく、ラーメン次郎のような太麺のパスタが美味いです。暇そうな人々が街中にあふれていて、特に夕方は笑い声が町中に轟いています。ただ電車で話した小学校の先生曰く、マフィアと親が子供に犯罪をやらせていて、治安が全く良くならないとか。

とはいえナポリは近郊のポンペイやアマルフィ、ソレント、カプリ島も含めて魅力的です。再訪して長期滞在したいです。カロリーが高い人が多く、長崎と博多を足して二で割ったぐらいの感じです。
とりわけ印象に残ったのは、ナポリの国立考古学博物館。ポンペイに眠っていたギリシア・ヘレニズムの至宝がごろごろ展示されています。火山灰の底に17世紀も沈んでいたので、保存状態が良すぎて、紀元前後のものとは思えないです。ポンペイよりも行く価値あります。マンマミーアです。
ナポリの総力を結集した壮大なインチキではとさえ思います。

ローマの大学での学会発表も無事終わり、もう一度、ナポリに戻ってマルガリータのピザを片手に、南部を一週間ぐらい旅したいものです。
とはいえローマ大の人にナポリが良かったというと、「南の方に行くのは止めといた方がいい。日本でも南の方はあぶないだろう」とさとされました。「日本の南の出身なんだけど」というと、受けてました。




2013/09/16

倒れそうな斜塔

ゲーテの「イタリア紀行」を片手に、ボローニャに来ました。井上ひさしが愛した町でもあります。
ゲーテは「斜塔はいやな眺めであるが、しかしわざとこういうものを建てたのに相違ない」と書いていますが、彼も何やかやでこの塔に登っています。
エレベーターなどあるはずもなく、上に行くにつれて木造の階段の傾きが増すので、実にスリリングでした。
入場料も2ユーロ。
各国の人たちがびびりながら登っている中、英語の発音から、おそらくアメリカ人と思われる太った中年夫婦が、どかどかと笑いながら階段を走り抜けて行くので、階段が崩れ落ちて皆で死ぬのではないか、と顰蹙を買っていました。
アメリカンなノリでイタリアの歴史建造物に昇るのは、ただでさえ壊れそうなものが多いので、止めてほしいものですが、アメリカ人のふざけた感じは面白いので、悪い気もしません。


2013/05/18

「新潮45」6月号「特集・反ウェブ論/ネットで人生台無しになった人たち」

新潮45の6月号に「ネットで人生台無しになった人たち」という原稿を書きました。「特集・反ウェブ論」のページに掲載されています。

http://www.shinchosha.co.jp/shincho45/backnumber/20130518/

ウェブ上では毎日のように様々な人たちが失言をしては個人情報を曝され、時に仕事を失ったり、改名や引っ越しの必要に迫られるなど、人生の選択肢を制限されています。もちろん脱法行為や不正行為は発見され、責任を追及される必要はありますが、その反面、一度、ウェブ上で非難を集めた人々が、いつまでもウェブ上で個人情報を曝され、誹謗中傷を浴びている現状は異常だと思うのです。

ITライターでワイアード編集長のクリス・アンダーソンは、最新作『メイカーズ』で次のように述べています。IT時代のイノベーションは「もしその製品がインターネットにつながると、なにがどう良くなるか」について考えることからはじまる、と。しかし「社会インフラ」と言えるほどITが普及した現代、私たちは「インターネットにつながると、なにがどう悪くなるか」についても考えた上で、行動する必要に迫られているのではないでしょうか。現代では自分が意識してアクセスした情報だけではなく、自分が気付かないうちに記録された写真や映像からも顔指紋などの生態情報が抽出され、全世界に向けて実名と共に公開されるリスクが高まっているわけです。

他、上記の文章ではグーグル・サジェストの「連想語の暴力」やSNS上の「カミングアウトの暴力」について考察しています。ぜひご一読下さい。


2013/04/21

書評/産経新聞・ゲンロンサマリーズ

産経新聞(2013年4月14日、P27)に浅羽通明著『時間ループ物語論 成長しない時代を生きる』の書評を書きました。下のサイトでも読めます。

http://www.sankei.com/life/news/130414/lif1304140011-n1.html

浅羽通明の前著、『昭和三十年代主義 もう成長しない日本』については、以前に「諸君!」に書き、一度、対談(2009年1月号 「『昭和三十年代』は玉子のせチキンラーメンの味がする)もセッティング頂きました。
『昭和三十年代主義 もう成長しない日本』の書評は下で初稿が読めます。

http://wayne80.way-nifty.com/blog/2009/07/post-825c.html

あとゲンロンサマリーズvol. 084(2013年3月27日、東浩紀責任編集メールマガジン)に、杉田敦著『政治的思考』のサマリーと書評を書きました(メルマガ会員限定の配信)。『政治的思考』は『一般意志2.0』と対照的に、闘技的(討議的)民主主義を推奨する本なので、二つの本を読み比べてみると面白いと思います。一般に杉田敦の本は過小評価されているように感じますが、論理的に明晰で、分かりやすく、参照範囲も広く、深みもあり、政治学に何となく興味ある人であれば、買って損はないと思います。

https://shop.genron.co.jp/products/detail.php?product_id=146

2013/01/18

「新潮45」2月号・安倍新政権「海図なき航海」―海外メディアはどう見ているか

新潮45の2月号に、安倍新政権「海図なき航海」―海外メディアはどう見ているか、という原稿を書きました。特集の欄に掲載されています。

http://www.shinchosha.co.jp/shincho45/backnumber/20130118/

「日本を、取り戻す」というスローガンを掲げて安倍晋三率いる自民党が権力の座に返り咲いて、ひと月余りが経過しました。日銀を仮想敵として「金融緩和の必要性」を訴えた選挙キャンペーンは有権者の心をつかみ、ひと月ほどの間に円安が進み、「株価を、少し取り戻す」ことに成功したと言えます。

ただ三・一一の震災と核被害を経験してもなお、脱原発から原発推進へと舵が切られたり、特別会計の事業仕分けが進まないまま、一〇年で二〇〇兆の「国土強靱化・ニューディール政策」が打ち出されるなど、現状は「日本の何を、取り戻す」のかよく分からない迷走状態にあるとも言えます。

この原稿では、伝統的に自民党に優しい日本のメディアとは異なる、海外メディアの報道内容を参考にしながら、「危機突破」というより「危機突入」状態にある現状の日本について多角的な分析を試みました。

先の衆議院選挙に関する海外メディア報道の紹介は、雑誌やテレビでもちらほらとやっていましたが、私の原稿は、多くの新聞記事を参照していますので(国会図書館などで30強の新聞記事に目を通しました)、相対的にバイアスが少なく、情報分析の網羅範囲が広いと思います。年末年始に労力をかけた原稿ですので、ぜひご一読頂ければと思います。


2013/01/09

産経新聞「平成25年を迎え」

産経新聞に「平成25年を迎え」というコラムを書きました。
平成25年1月6日の特集欄に載っています。

http://www.sankei.com/life/news/130106/lif1301060016-n1.html

思えば、平成二〇年に私は『平成人(フラット・アダルト)』という本を書きました。この本で私は平成という時代の大きな特徴は、冷戦構造の崩壊によってグローバル化が進行したことと、IT革命によって、人が管理する情報と、人を管理する情報の技術革新が起きたことの二つにあると考えました。
この考えは、五年経った今でも変わりません。グローバル化の影響で世界中に安価な「もの」があふれるようになり、IT革命のおかげで世界中に無料で膨大な量の「情報」があふれるようになりました。この結果、資本主義の回転速度が上がり、世界中で生産と流通の効率化が進み、世界中で「人」があぶれるようになりました。
丸山真男が「開国」で記したように、近代日本の第一の開国が明治前期にあり、第二の開国が、敗戦後の昭和二〇年代にあったとすれば、グローバル化とIT革命が進行した平成初期は、第三の開国の時代だったと言えます。

平成も25年目で、振り返ると冷戦の終わりが「歴史の終わり」と呼ばれた頃には考えられないほど、色々なことが起きたように思います。冷戦期の方が相対的に世界秩序が安定していたと、多くの人が思っているのではないでしょうか。
アメリカとソビエトが対立していた時代の方が、ものや情報や人の流動性が低く、世の中は非効率的ながら、もっと穏やかで、そのような世界の中に「取り戻すべき日本」があるのだ、と。

ただ上のコラムや『平成人(フラット・アダルト)』でも書いたとおり、「失われた時代」の中にも新しい価値観の変化に根ざした社会秩序があり、そのあたりの詳細はそのうち書くことになると思います。