2019/11/28

福岡ユネスコ「「平成」とはどんな時代だったのか」のサマリー

福岡ユネスコのセミナー「「平成」とはどんな時代だったのか」のサマリーが下のサイトで公開されました。講演でお話しした内容は後日、共著として出版される予定です。

http://fukuoka-unesco.or.jp/blog_heisei-era.html



講演の内容は、西日本新聞でも記事にして頂きました。(「負の遺産」克服めぐり議論白熱 2019年12月3日朝刊)



2019/11/26

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第86回 大江健三郎『取り替え子 チェンジリング』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第86回 2019年11月24日)は、大江健三郎の代表作の一つ『取り替え子 チェンジリング』を取り上げています。表題は「生死の境超え 義兄と交信」です。

今週は、長崎の幼稚園と高校の同期生で、電通のグローバル・ビジネスセンターでプロデューサーをやっている中村正樹さんにゲスト講義で話してもらいました。トム・クルーズやAKBとのCM・イベントの出演交渉の裏話から、民間の宇宙開発に様々なスポンサーを募るスケールの大きな話まで、広告代理店のグローバル・ビジネスの現場の話が聞けて面白かったです。


大江健三郎の「取り替え子」は、大江自身をモデルにした作家・長江古義人が、自殺した映画監督の義理の兄・塙吾良との親しい関係を回想する内容です。大江の義理の兄・伊丹十三が投身自殺をした3年後に発表された作品ということもあり、創作的な内容の中に、現実に起きた出来事と重なる部分が混じっていることから、賛否両論を呼ぶ問題作として注目を集めました。

タイトルに採用された「取り替え子(チェンジリング)」とは、トロールやエルフなどの妖精が産んだ醜い子が、人間の子供と取り替えられて地上に残した「子供」を指します。ヨーロッパ各地の民間伝承で取り上げられ、かつては気性の荒い子供や障害を持って産まれた子供たちが、妖精が地上にい残した「取り替え子」であると考えられてきました。

発表当時、大江は65歳でしたが、この作品には半ば狂気染みた情熱で、自殺した伊丹十三≒取り替え子との濃密な関係をこの世に残そうとする強い意欲が感じられます。

ただ今年の10月に訪れた伊丹十三記念館で、本作に関する展示を見付けることができなかったのは、吾良が松山の高校時代に強いられた性体験や、吾良がドイツ滞在時に愛したウラ・シマと名乗る女性との情事など、この作品に遺族の感情を逆なでするような描写が含まれているからだと思います。

それでも本作は、大江健三郎の代表作と呼ぶに相応しい完成度の高い作品です。


2019/11/18

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第85回 青来有一『人間のしわざ』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第85回 2019年11月17日)は、芥川賞・谷崎賞作家の青来有一の代表作『人間のしわざ』を取り上げています。表題は「長崎の記憶 召還する恋愛小説」です。

先週は東京大学の駒場キャンパスでJAHSS(人間の安全保障学会)とJASID(国際開発学会)の国際学会(東京大学教養学部70周年記念)で、同志社大学の志柿浩一郎先生と「How Can We Best Share Collective Memories of Adversity with the World?
Case Studies on the Discourse of Controversial History, and the Significance of Archive and Museum Design」という英語の発表を行ってきました。開会直後のセッションということもあり、様々なご専門の先生方から多くの質疑を頂き、充実した時間を過ごさせて頂きました。

青来有一の『人間のしわざ』は、第264代ローマ教皇・ヨハネ・パウロ2世が1981年2月に長崎で行った「殉教者記念ミサ」を題材にした恋愛小説です。ローマ教皇の初来日ということもあり、キリスト教徒が多く住んできた浦上地区に近い、爆心地近くの松山競技場で行われたミサには、氷点下で雪が舞う中、5万人を超える人々が集まりました。2019年11月23日から4日間、パウロ2世の訪問以来38年ぶりに、ローマ教皇が来日し、前回と同様に長崎、広島、東京を歴訪します。

表題の「人間のしわざ」という言葉は、パウロ2世が広島で行った「平和アピール」の冒頭の「戦争は人間のしわざです。戦争は人間の生命の破壊です」によるものです。作品そのものは恋愛小説で、長崎で生まれ育った恋人同士が、30年の時を経て互いの家庭を捨て「遅くなった新婚旅行」として爆心地近くの家から、切支丹弾圧の中心地、原城の反乱後へと向かう内容です。この不穏な旅を通して、泥と石で作られた牢につながれた殉教者たちの記憶が召還され、歴史小説のように読者は「殉教」や「被爆」の経験に巻き込まれていきます。

信用できない語り手を媒介として、原爆投下直後の長崎を描いたカズオ・イシグロの初期の作品や、閉鎖的な村社会に潜在する暴力を、個人的な回想を通して描いた大江健三郎の代表作と比べても遜色のない、濃厚な時間の密度を有した小説だと思います。


2019/11/11

映画「楽園」の劇場版パンフレットに解説を寄稿しました

2019年10月18日公開の映画「楽園」(監督:瀬々敬久、原作: 吉田修一 出演:綾野剛、杉崎花、佐藤浩市、柄本明)の劇場版パンフレットに解説を寄稿しました。

タイトルは「現代日本を生きる私たちの「こころ」の行く末を問いかける」です。小説の批評とは違うアプローチで、日本を代表する役者たちの演技に注目しながら映画「楽園」について論じています。
重厚感のあるとても良い映画ですので、ぜひパンフレットの方もご一読を頂ければ幸いです!






西日本新聞「現代ブンガク風土記」第84回 村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第84回 2019年11月10日)は、村上春樹の代表作『ねじまき鳥クロニクル』(読売文学賞を受賞)を取り上げています。表題は「『暴力の連鎖』断ち切れるか」です。

思えば『ねじまき鳥クロニクル』が刊行された直後の1996年、大学1年生になった私は村上朝日堂のホームページ経由で、村上春樹さんと3通ほどメールのやり取りをすることができました。「そうだ、村上さんに聞いてみよう」(朝日新聞社)に一部収録されています。今思えば「インターネットはすごい」と実感した最初の経験でしたね。

世田谷の住宅地の路地を起点としてはじまる物語は、戦争の血生臭い気配が漂うノモンハンの広野や、ソ連軍の侵攻間近の新京の動物園、永田町の中枢や、日本海に面した地方都市のかつら工場など、壮大なスケールで展開されていきます。

僕の家の近所に住む笠原メイは、構造的に再生産される暴力の「手触り」について、作中で次のように述べています。「そういうのをメスで切り開いてみたいって思うの。死体をじゃないわよ。死のかたまりみたいなものをよ。そういうものがどこかにあるんじゃないかって気がするのね」と。私たちは「死のかたまりみたいなもの」を、人々の無意識の底から取り出して、世界規模で展開していく「暴力の連鎖」を断ち切ることができるのでしょうか。村上春樹の代表作『ねじまき鳥クロニクル』が投げかける問いは、世田谷の古井戸のように、深いと思います。


2019/11/09

集英社「すばる」12月号に吉田修一『アンジュと頭獅王』の書評を寄稿しました

集英社の月刊文芸誌「すばる」の2019年12月号に、吉田修一の新作『アンジュと頭獅王』の書評を寄稿しました。タイトルは「古典を大胆に甦らせる」です。
http://subaru.shueisha.co.jp/

森鴎外は代表作「山椒太夫」、地蔵菩薩が金色の光を放つ仏教色の強いシーンや鋸を使った拷問のシーンなど前近代的な描写をカットして、作品の端々に近代的な価値観を織り交ぜることで、「山椒太夫」をドイツの教養小説風の物語として創作しました。

吉田修一の『アンジュと頭獅王』は、森鴎外版の「山椒大夫」ではなく、仏教の説話を伝える説経節の代表作「さんせう太夫」をもとにして、新宿を舞台にした物語を書き足したオリジナリティの高い「古典文学のリバイバル作品」です。

森鴎外版の「山椒大夫」や東映動画の「安寿と厨子王丸」や絵本の「安寿とずし王丸」に触れたことがある人が読むと、アンジュが新宿の遊郭に売られ、頭獅王がサーカス団に奉公し、ICタグを付けられた移民や難民たちを解放する展開に驚かされると思います。

現代小説で人気を博した作家が、日本の古典作品を創作的に甦らせる試みそのものも面白いので、ぜひご一読を!


2019/11/05

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第83回 山田太一『岸辺のアルバム』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第83回 2019年11月3日)は、山田太一の小説・ドラマの代表作『岸辺のアルバム』を取り上げています。表題は「『家』の崩壊 多摩川水害に重ね」です。

11月3日の福岡ユネスコのセミナーにつきまして、大勢の方にご参加を頂きありがとうございました。盛況の会場で討議も盛り上がり、充実した時間を過ごさせて頂きました。「西日本新聞の連載を楽しみにしていますよ」とお声がけを頂いて、大変嬉しかったです。70年の歴史を持つ福岡ユネスコの文化セミナーの今後益々の発展を、陰ながら願っています。

多摩川と小田急線が交差する東京都狛江市の和泉多摩川駅近くを舞台にした小説です。1974年に起きた多摩川水害を描いた内容で、ドラマのオープニングでは多摩川に民家が流出する実写映像が使用され、注目を集めました。ただ原作の水害の描写は終盤のみで、作品の大半は水害が起きる前の多摩川沿いに住む田島家の日常を描いた内容です。

父の謙作は商社に勤務するサラリーマンで、30代で多摩川の土手に面した一戸建てを購入し、45歳でローンを完済したことを誇りに思っています。しかし傍目に幸福そうに見える一家は、母の不倫、娘の強姦事件、息子の大学受験の失敗、父が務める商社の倒産危機など「内憂外患」の危機にあります。「岸辺のアルバム」に写る家族の姿とはほど遠い状況です。

この作品で山田太一が描いているのは、家族の関係が「自動販売機」のようになり、社会が水害以前に地盤沈下している姿です。作中で描かれる多摩川に流出する「家」の描写は、現代日本の家族に対する風刺として、強烈なインパクトを残します。「岸辺のアルバム」は多摩川水害の記憶を、「家」を失った家族の感情を通して後世に伝える、現代的な「災害文学」です。