2019/12/26

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第90回 小野正嗣『残された者たち』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第90回 2019年12月22日)は、大分県の南東部、佐伯市を想起させる場所を舞台にした小野正嗣の『残された者たち』を取り上げています。表題は「「ポスト限界集落」の将来」です。

今年は新しい仕事(新聞連載、文芸4誌への寄稿、映画パンフレットの解説、メディア・リテラシーDVDの監修など)との出会いに恵まれた一年でした。お世話になった皆さまに、心より感謝申し上げます。西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」も90回目を迎えました。年末年始はお休みで、年明けは1月12日の掲載となります。

小野正嗣『残された者たち』あらすじ
限界集落化して久しい住人5人の集落の小学校を舞台にした作品。「尻野浦」の小学校で暮らす校長先生、不正採用が発覚して小学校教師を辞めて集落に来た訳ありの杏奈先生、元大学教員で、妻を亡くし「もう東京はいいや」と思って移住してきたトビタカ先生と養子の純とかおるなど、訳ありの人々を描く。彼らの集落にある日、山を越えた「ガイコツジン」集落からエトー君がやってくる。



2019/12/17

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第89回 柳美里『ゴールドラッシュ』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第89回 2019年12月15日)は、横浜市の黄金町を舞台にした柳美里の代表作『ゴールドラッシュ』を取り上げています。表題は「少年の「快楽と暴力」に肉迫」です。

今週の土曜日に早稲田大学の20世紀メディア研究所で「江藤淳と戦後日本の文芸批評」という表題の発表を行います。学部は早稲田大学でしたが、これまで学会や研究会で縁が薄かったので、研究会に参加することを楽しみにしています。(年末の締め切りの関係で、何を話すかは準備中ですが。。)
http://www.waseda.jp/prj-m20th/

20世紀メディア研究所 : 第133回研究会
・ 日時:12月21日(土曜日)午後1時30分~6時00分
・ 場所:早稲田大学 早稲田キャンパス3号館8階808教室

◇ 発表者、テーマ:
・酒井信(文教大学情報学部メディア表現学科准教授)
 「江藤淳と戦後日本の文芸批評」


柳美里『ゴールドラッシュ』あらすじ
パチンコ店を経営する裕福な家庭で育った「少年」は、中学校に行かず、横浜の黄金町で一日を過ごし、ドラッグに浸っている。神戸連続児童殺傷事件を想起させる内容で、異なる登場人物の意識を通して、父親の殺人に手を染める少年の現実感を捉える。黄金町や野毛山公園など、横浜の旧市街の名所を、この界隈で育った柳美里らしい視点から描く。



2019/12/12

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第88回 東山彰良『流』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第88回 2019年12月8日)は、東山彰良の直木賞受賞作『流』を取り上げています。表題は「中国ー台湾ー日本…他文化小説」です。写真は学生時代から馴染み深い、中野サンモール商店街です。未だに映像・音楽関係のハードウェアは、この先の中野ブロードウェイにあるフジヤエービックで購入しています。

東山彰良『流』のあらすじ
山東省から移住してきた外省人の祖父と、高校教師の父を持つ葉秋生は、祖父の死と受験勉強のストレスから、大量のゴキブリや幽霊や狐火などの幻覚を見るようになる。葉秋生が成長していく過程で、祖父が国共内戦の時に経験した虐殺の謎が解明され、複雑な歴史を経て生まれた中華民国の戦後史が紐解かれていく。第153回直木三十五賞の受賞作。





2019/12/06

講談社「群像」2020年1月号に寄稿しました

講談社「群像」2020年1月号に、吉田修一『逃亡小説集』の書評を寄稿しました。タイトルは「生真面目な人々の「逃亡文学」」です。

西日本新聞の連載で毎週、現代文学を取り上げていることもあってか、今年は月刊文芸誌4誌(文學界・新潮・群像・すばる)に寄稿した初めての年になりました。様々な作家・評論家が寄稿した500ページを超える大ボリュームのお買得な新年号ですので、ぜひご一読を!

「群像」2020年1月 目次
http://gunzo.kodansha.co.jp/55737/55772.html

「すばる」2019年12月号 吉田修一『アンジュと頭獅王』

2019/12/03

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第87回 森見登美彦『夜行』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第87回 2019年12月1日)は、森見登美彦の人気作『夜行』を取り上げています。表題は「日常の「闇」描く怪異小説」です。

今週は売れっ子のフリーライター・斎藤哲也さんにゲスト講義でお話を頂きました。 ベストセラー本を数多く手掛け、著名人の対談の構成や本の編集を多く担当されている斎藤さんのお話は、出版業界の最前線の話題といえる充実した内容で、学生たちからも多くの質問が挙がっていました。共著『IT時代の震災と核被害』をご担当頂いて以来のお付き合いです。


森見登美彦の「夜行」は、日常の中に垣間見える「闇の世界」を描いた都市伝説のような怪談小説です。架空の銅版画家・岸田道生の連作「夜行」と「曙光」を手がかりとして、京都・出町柳の英会話学校に通っていた「長谷川さん」の失踪事件の謎に、恋心を抱いていた「大橋君」が迫っていきます。

5人の仲間たちの話に登場する「奇妙な家」と、そこに導かれて失踪し「顔を失った人々」にまつわる物語は、上田秋成の怪異小説のように、読者を日常の「向こう側」へと誘い、シュールレアリスムの絵画のように、私たちの現実感覚を狂わせていきます。川端康成の「雪国」を下地にしている点も面白いです。

複雑に絡み合った「謎」は、容易な解釈を拒絶するものですが、明瞭な文体で独特の作品世界を築いてきた森見登美彦らしい作品だと思います。





2019/11/28

福岡ユネスコ「「平成」とはどんな時代だったのか」のサマリー

福岡ユネスコのセミナー「「平成」とはどんな時代だったのか」のサマリーが下のサイトで公開されました。講演でお話しした内容は後日、共著として出版される予定です。

http://fukuoka-unesco.or.jp/blog_heisei-era.html



講演の内容は、西日本新聞でも記事にして頂きました。(「負の遺産」克服めぐり議論白熱 2019年12月3日朝刊)



2019/11/26

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第86回 大江健三郎『取り替え子 チェンジリング』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第86回 2019年11月24日)は、大江健三郎の代表作の一つ『取り替え子 チェンジリング』を取り上げています。表題は「生死の境超え 義兄と交信」です。

今週は、長崎の幼稚園と高校の同期生で、電通のグローバル・ビジネスセンターでプロデューサーをやっている中村正樹さんにゲスト講義で話してもらいました。トム・クルーズやAKBとのCM・イベントの出演交渉の裏話から、民間の宇宙開発に様々なスポンサーを募るスケールの大きな話まで、広告代理店のグローバル・ビジネスの現場の話が聞けて面白かったです。


大江健三郎の「取り替え子」は、大江自身をモデルにした作家・長江古義人が、自殺した映画監督の義理の兄・塙吾良との親しい関係を回想する内容です。大江の義理の兄・伊丹十三が投身自殺をした3年後に発表された作品ということもあり、創作的な内容の中に、現実に起きた出来事と重なる部分が混じっていることから、賛否両論を呼ぶ問題作として注目を集めました。

タイトルに採用された「取り替え子(チェンジリング)」とは、トロールやエルフなどの妖精が産んだ醜い子が、人間の子供と取り替えられて地上に残した「子供」を指します。ヨーロッパ各地の民間伝承で取り上げられ、かつては気性の荒い子供や障害を持って産まれた子供たちが、妖精が地上にい残した「取り替え子」であると考えられてきました。

発表当時、大江は65歳でしたが、この作品には半ば狂気染みた情熱で、自殺した伊丹十三≒取り替え子との濃密な関係をこの世に残そうとする強い意欲が感じられます。

ただ今年の10月に訪れた伊丹十三記念館で、本作に関する展示を見付けることができなかったのは、吾良が松山の高校時代に強いられた性体験や、吾良がドイツ滞在時に愛したウラ・シマと名乗る女性との情事など、この作品に遺族の感情を逆なでするような描写が含まれているからだと思います。

それでも本作は、大江健三郎の代表作と呼ぶに相応しい完成度の高い作品です。


2019/11/18

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第85回 青来有一『人間のしわざ』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第85回 2019年11月17日)は、芥川賞・谷崎賞作家の青来有一の代表作『人間のしわざ』を取り上げています。表題は「長崎の記憶 召還する恋愛小説」です。

先週は東京大学の駒場キャンパスでJAHSS(人間の安全保障学会)とJASID(国際開発学会)の国際学会(東京大学教養学部70周年記念)で、同志社大学の志柿浩一郎先生と「How Can We Best Share Collective Memories of Adversity with the World?
Case Studies on the Discourse of Controversial History, and the Significance of Archive and Museum Design」という英語の発表を行ってきました。開会直後のセッションということもあり、様々なご専門の先生方から多くの質疑を頂き、充実した時間を過ごさせて頂きました。

青来有一の『人間のしわざ』は、第264代ローマ教皇・ヨハネ・パウロ2世が1981年2月に長崎で行った「殉教者記念ミサ」を題材にした恋愛小説です。ローマ教皇の初来日ということもあり、キリスト教徒が多く住んできた浦上地区に近い、爆心地近くの松山競技場で行われたミサには、氷点下で雪が舞う中、5万人を超える人々が集まりました。2019年11月23日から4日間、パウロ2世の訪問以来38年ぶりに、ローマ教皇が来日し、前回と同様に長崎、広島、東京を歴訪します。

表題の「人間のしわざ」という言葉は、パウロ2世が広島で行った「平和アピール」の冒頭の「戦争は人間のしわざです。戦争は人間の生命の破壊です」によるものです。作品そのものは恋愛小説で、長崎で生まれ育った恋人同士が、30年の時を経て互いの家庭を捨て「遅くなった新婚旅行」として爆心地近くの家から、切支丹弾圧の中心地、原城の反乱後へと向かう内容です。この不穏な旅を通して、泥と石で作られた牢につながれた殉教者たちの記憶が召還され、歴史小説のように読者は「殉教」や「被爆」の経験に巻き込まれていきます。

信用できない語り手を媒介として、原爆投下直後の長崎を描いたカズオ・イシグロの初期の作品や、閉鎖的な村社会に潜在する暴力を、個人的な回想を通して描いた大江健三郎の代表作と比べても遜色のない、濃厚な時間の密度を有した小説だと思います。


2019/11/11

映画「楽園」の劇場版パンフレットに解説を寄稿しました

2019年10月18日公開の映画「楽園」(監督:瀬々敬久、原作: 吉田修一 出演:綾野剛、杉崎花、佐藤浩市、柄本明)の劇場版パンフレットに解説を寄稿しました。

タイトルは「現代日本を生きる私たちの「こころ」の行く末を問いかける」です。小説の批評とは違うアプローチで、日本を代表する役者たちの演技に注目しながら映画「楽園」について論じています。
重厚感のあるとても良い映画ですので、ぜひパンフレットの方もご一読を頂ければ幸いです!






西日本新聞「現代ブンガク風土記」第84回 村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第84回 2019年11月10日)は、村上春樹の代表作『ねじまき鳥クロニクル』(読売文学賞を受賞)を取り上げています。表題は「『暴力の連鎖』断ち切れるか」です。

思えば『ねじまき鳥クロニクル』が刊行された直後の1996年、大学1年生になった私は村上朝日堂のホームページ経由で、村上春樹さんと3通ほどメールのやり取りをすることができました。「そうだ、村上さんに聞いてみよう」(朝日新聞社)に一部収録されています。今思えば「インターネットはすごい」と実感した最初の経験でしたね。

世田谷の住宅地の路地を起点としてはじまる物語は、戦争の血生臭い気配が漂うノモンハンの広野や、ソ連軍の侵攻間近の新京の動物園、永田町の中枢や、日本海に面した地方都市のかつら工場など、壮大なスケールで展開されていきます。

僕の家の近所に住む笠原メイは、構造的に再生産される暴力の「手触り」について、作中で次のように述べています。「そういうのをメスで切り開いてみたいって思うの。死体をじゃないわよ。死のかたまりみたいなものをよ。そういうものがどこかにあるんじゃないかって気がするのね」と。私たちは「死のかたまりみたいなもの」を、人々の無意識の底から取り出して、世界規模で展開していく「暴力の連鎖」を断ち切ることができるのでしょうか。村上春樹の代表作『ねじまき鳥クロニクル』が投げかける問いは、世田谷の古井戸のように、深いと思います。


2019/11/09

集英社「すばる」12月号に吉田修一『アンジュと頭獅王』の書評を寄稿しました

集英社の月刊文芸誌「すばる」の2019年12月号に、吉田修一の新作『アンジュと頭獅王』の書評を寄稿しました。タイトルは「古典を大胆に甦らせる」です。
http://subaru.shueisha.co.jp/

森鴎外は代表作「山椒太夫」、地蔵菩薩が金色の光を放つ仏教色の強いシーンや鋸を使った拷問のシーンなど前近代的な描写をカットして、作品の端々に近代的な価値観を織り交ぜることで、「山椒太夫」をドイツの教養小説風の物語として創作しました。

吉田修一の『アンジュと頭獅王』は、森鴎外版の「山椒大夫」ではなく、仏教の説話を伝える説経節の代表作「さんせう太夫」をもとにして、新宿を舞台にした物語を書き足したオリジナリティの高い「古典文学のリバイバル作品」です。

森鴎外版の「山椒大夫」や東映動画の「安寿と厨子王丸」や絵本の「安寿とずし王丸」に触れたことがある人が読むと、アンジュが新宿の遊郭に売られ、頭獅王がサーカス団に奉公し、ICタグを付けられた移民や難民たちを解放する展開に驚かされると思います。

現代小説で人気を博した作家が、日本の古典作品を創作的に甦らせる試みそのものも面白いので、ぜひご一読を!


2019/11/05

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第83回 山田太一『岸辺のアルバム』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第83回 2019年11月3日)は、山田太一の小説・ドラマの代表作『岸辺のアルバム』を取り上げています。表題は「『家』の崩壊 多摩川水害に重ね」です。

11月3日の福岡ユネスコのセミナーにつきまして、大勢の方にご参加を頂きありがとうございました。盛況の会場で討議も盛り上がり、充実した時間を過ごさせて頂きました。「西日本新聞の連載を楽しみにしていますよ」とお声がけを頂いて、大変嬉しかったです。70年の歴史を持つ福岡ユネスコの文化セミナーの今後益々の発展を、陰ながら願っています。

多摩川と小田急線が交差する東京都狛江市の和泉多摩川駅近くを舞台にした小説です。1974年に起きた多摩川水害を描いた内容で、ドラマのオープニングでは多摩川に民家が流出する実写映像が使用され、注目を集めました。ただ原作の水害の描写は終盤のみで、作品の大半は水害が起きる前の多摩川沿いに住む田島家の日常を描いた内容です。

父の謙作は商社に勤務するサラリーマンで、30代で多摩川の土手に面した一戸建てを購入し、45歳でローンを完済したことを誇りに思っています。しかし傍目に幸福そうに見える一家は、母の不倫、娘の強姦事件、息子の大学受験の失敗、父が務める商社の倒産危機など「内憂外患」の危機にあります。「岸辺のアルバム」に写る家族の姿とはほど遠い状況です。

この作品で山田太一が描いているのは、家族の関係が「自動販売機」のようになり、社会が水害以前に地盤沈下している姿です。作中で描かれる多摩川に流出する「家」の描写は、現代日本の家族に対する風刺として、強烈なインパクトを残します。「岸辺のアルバム」は多摩川水害の記憶を、「家」を失った家族の感情を通して後世に伝える、現代的な「災害文学」です。


2019/10/29

福岡ユネスコ文化セミナー・「平成」とはどんな時代だったのか

2019年11月3日(日・文化の日)に、「平成」とはどんな時代だったのか、というテーマで福岡ユネスコ文化セミナーで講師を担当しました。

西日本新聞朝刊(10月4日)でもご紹介を頂きました。



慶應義塾大学の片山杜秀先生がコーディネーターで、もうお一方は、國學院大学の水無田気流先生です。私の担当部分では「メディア環境の変容から考える「平成」」というテーマでお話しをいたしました。
下記のHPに詳しい情報の記載がありますので、ぜひお近くの方はお越し頂ければ幸いです!
http://fukuoka-unesco.or.jp/heisei-era.html


「「平成」とはどんな時代だったのか」を終えて

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第82回 小川洋子『ミーナの行進』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第82回 2019年10月27日)は、小川洋子の谷崎潤一郎賞受賞作『ミーナの行進』を取り上げています。表題は「芦屋の風情で描く友情物語」です。

今週末の福岡ユネスコでの講演準備と、モンゴル国立科学技術大学とベトナムFPT大学からのゲストの招聘事業と、来年のゼミ生との面談と、原稿の締め切りで、慌ただしい日々が続いておりますが、良い正月を迎えるべく、リポビタンDを片手に、元気よく仕事を片付ける日々です。

『ミーナの行進』は岡山市で生まれ育った「私」の視点から、叔父が住む兵庫県の芦屋の大邸宅の日常を描いた作品です。叔父さんは六甲山の清水を使用したラジウム入りの清涼飲料水「フレッシー」で財を成した一家の三代目の社長で、作品の時代はミュンヘンオリンピックが開催され、岡山と新大阪間の新幹線が開通した1972年です。

一見すると近代文学の名作のような、重厚な家とそこに住む家族の盛衰を描いた作品ですが、「父権と家」を中心とした物語は背景に退き、叔父さんの愛娘のミーナと私の友情が中心に据えられています。事件というほどの事件は起きない作品ながら、ユダヤ系のローザおばあさんの一家がアウシュヴィッツで亡くなった話など、所々挿入されるエピソードが読後の印象として強く残ります。

芦屋は、明治後期から昭和前期にかけて近代的な住空間として開発された場所です。六甲山の豊かな水源があり、港を臨む南向きの傾斜地であり、阪急電車、JR、阪神電車が通っています。作中で重要な役割を果たす「芦屋市立図書館」は、村上春樹も通った明治時代の建物で、作品の細部に「阪神間モダニズム」の風情が感じられる現代小説だと思います。


2019/10/21

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第81回 宮本輝『幻の光』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第81回 2019年10月20日)は、宮本輝の『幻の光』を取り上げています。表題は「奥能登に映える甘美な記憶」です。

尼崎の国道を跨いで建てられた「トンネル長屋」で生まれ育った「わたし」を主人公とした宮本輝の代表作です。日常に根ざした倦怠感と喪失感を、「幻の光」の下に照らし出しながら、鮮やかに描いた秀作で、彼の絶頂期の作品の一つだと思います。

「わたし」が25歳の時、初恋の相手だった夫がこれといった理由もなく、自殺してしまいます。新しい夫との生活は平和なものでしたが、「わたし」は尼崎で死に別れた前の亭主のことが、いつまでも忘れられず、「あんたは、なんであの晩、轢かれることを承知のうえで、阪神電車の線路の上をとぼとぼ歩いてたんやろか」と、奥能登の風景の中で、繰り返し問いかけます。

「もぬけのからみたい」になった「わたし」を、奥能登の人々が励ます描写が印象的で、たとえば漁師の「とめの」は、荒天の海に船を出し、皆に心配されながら戻ってくると「大丈夫やい。とめのは不死身やい。泳いででも帰ってくる女じゃ」と「わたし」を励ますように、見栄を張ってみせます。「とめの」に限らず、宿毛の生家に帰るといって蒸発した痴呆症の祖母や、土方として男たちに苛められながら懸命に働いて一家を支えてきた母親など、「わたし」が出会った女性たちの逞しさが、読後の印象として強く残る作品です。


2019/10/13

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第80回 村田喜代子『飛族』

祝80回!西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第80回 2019年10月13日)は、村田喜代子の第55回谷崎潤一郎賞受賞作『飛族』を取り上げています。表題は「離島の高齢海女の明るい生活」です。

先週はベトナムFPT大学の方々と来年春のベトナム文化・産業体験研修の打ち合わせを行い、2020年の3月1日〜3月8日にハノイとダナンで研修を実施する方向で調整しました。
台風に関する情報を追いつつ、来月の文芸誌向けの原稿を書き終わり、再来月の文芸誌向けの原稿の準備をしながら、本連載の年末分の原稿を書き進めています。

村田喜代子の『飛族』は、奈良、平安時代の昔に西の果てと言われた長崎県の五島列島と思しき場所を舞台にした作品です。福江島の魚津ヶ崎には、遣唐使船の日本最後の寄港地があるので、この作品で描かれる養老島近辺の描写とも符合します。

この作品では、92歳のイオさんと87歳のソメ子さんが主人公で、二人が現役の海女として暮らす「養老島」の生活が描かれています。「人間は人に寄りついて暮らすもの」ではなく「土地に寄りついて生きてきたもん」だと考えるイオさんは、周囲からどんなに勧められても、養老島を離れることはありません。

二人が船幽霊に関する噂におびえたり、「てーんーにぃーー、でーうーすーがあらーしゃってーぇ」といった独特のお経を唱える信仰を有しているなど、かつての潜伏キリシタンの土地らしい、際どくも豊かな風土が、描写の端々に感じられる面白い作品です。土地に根ざした小説表現の豊かさを知る作家らしい、日本の西の果ての島々を舞台にした究極の「限界部落小説」で、谷崎潤一郎賞に相応しい村田喜代子の新たな代表作です。


2019/10/07

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第79回 三浦しをん『神去なあなあ日常』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第79回 2019年10月6日)は、三浦しをんの『神去なあなあ日常』を取り上げています。表題は「若者の成長、山林舞台に」です。

先週から校務と授業に復帰しつつ、ノーベル文学賞向けの「原稿(某作家が受賞した場合のみ掲載)」を書き、来月売りの文芸誌向け原稿に取り組んでいます。
今週メディア・リテラシー教材DVDの解説部分の撮影を大学で行うのですが、撮影スペースを確保するため本を片付けるのが大変で、筋肉痛になりました。

『神去なあなあ日常』は、三重県の山奥にある架空の神去村を舞台に、担任の斡旋で林業の研修を受けることになった若者を描いた作品です。森林の手入れは、防災対策や水源の保全の上でも重要であるため、林業の研修生を受け入れた森林組合や林業会社に、助成金を付与する仕組みが現実に存在します。

日本では古くから身近な資源として木々が利用され、地震や津波、火災等の災害や戦災からの復興にも木材が利用されてきました。また豊富な木材を使った印刷技術が普及したことで、江戸時代には書籍や浮世絵などが廉価で流通するようになり、木々は日本文化の成熟にも貢献してきました。

勇気は恵まれた環境で林業研修を受けながら、先人たちから継承されてきた山仕事の技術を実地で学び、人間としても生長していきます。山仕事が神事と紙一重の営為であり、森林が国土の3分の2を占める日本列島で、長らく信仰と結び付く形で根付いてきたことが分かる現代的な「木こり文学」です。


2019/10/01

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第78回 重松清『流星ワゴン』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第78回 2019年9月29日)は、重松清の『流星ワゴン』を取り上げています。表題は「『家族メンテ』に苦心する父」です。
ドイツ・ボン大学の発表を終えて、授業と校務に何とか復帰しつつ、新しく入った原稿の仕事の準備に取りかかったところです。

「流星ワゴン」は、映画「バック・トゥーザフューチャー」のように、時間を行き来する車(オデッセイ)を中心に据えることで、3世代の男性の子育てにまつわる「重層的な時間」を展開した内容です。ただファンタジー小説のような内容でも、主人公の永田一雄は平成不況を生きる現実的な存在で、彼はリストラされて仕事を失い、息子の家庭内暴力に苦しみ、妻がテレクラで浮気を繰り返すことに悩んでいます。「情けない中年オヤジ」が小説の中心に据えられているのが、重松清の作品らしいです。

戦後の日本文学において「父性の喪失」は、大きなテーマであり続けてきました。重松清はこのテーマの継承者ですが、彼が描くのは「父性の喪失」に悩む父親や、「父性の復権」に苦心する父親の姿ではありません。「父性の喪失」の跡地で、「流星ワゴン」のように、古びた乗り物となった「家族」の「メンテナンス」に苦心する父親の姿です。「そんなに勝っていない父親」を描くことが多い重松清らしい、人生に疲れた中年向けの「地に足の着いたファンタジー小説」です。



2019/09/22

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第77回 東野圭吾『容疑者Xの献身』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第77回 2019年9月22日)は、海外でも人気の高い東野圭吾の直木賞受賞作『容疑者Xの献身』を取り上げています。表題は「深川舞台に古典的愛憎劇」です。2012年に米国でエドガー賞の最優秀小説賞の候補作にも選ばれた本作は、内容の上でも東野圭吾の代表作だと思います。

現在、学会発表でドイツに滞在しています。何とか来月公開の映画のパンフレット解説を締め切り前に入稿し、発表の準備と今週末のオープンキャンパスの模擬授業の準備に取りかかっています。西日本新聞の連載のストックも増やさねばなりません。(日本にいる時以上に)丸一日、働いて飲む夜のビールの味は格別です。

『容疑者Xの献身』は、江戸時代に「深川」と呼ばれた一帯を舞台にした作品です。登場人物たちの造型も「伝統的」なもので、一人の遊女のような美しい女性(錦糸町の元ホステス)と、彼女に執着的な愛情を抱く3人の男性たちとの込み入った関係を描いています。親切なアパートの隣の部屋に住む隣人(同じ長屋に住む変わり者)と、そこにやってくる金をねだる無職の元亭主(悪漢)、女性を経済的に支援しようとする社長(侠客の旦那)の言動は、歌舞伎の古典作品のようです。

この小説は印象的な隅田川に架かる橋の描写からはじまります。「家族連れやカップルが散歩を楽しむのは、この先の清洲橋あたりからで、新大橋の近くには休日でもあまり人が近寄らない。その理由はこの場所に来てみればすぐにわかる。青いビニールシートに覆われたホームレスたちの住まいが、ずらりと並んでいるからだ」と。作品の冒頭で描かれた現代的な「深川」の風景から、物語を大きく展開させるホームレスの存在が、徐々に浮かび上がってくる構成に、東野圭吾の作家としての成熟した筆力が感じられます。



2019/09/12

第25回日韓国際シンポジウム(日本マス・コミュニケーション学会と韓国言論学会共催、漢陽大学)での発表

韓国・ソウルの漢陽大学で開催された第25回日韓国際シンポジウム(日本マス・コミュニケーション学会と韓国言論学会共催)で発表を行いました。新会長の吉見俊哉先生の韓国語のスピーチからはじまり、様々な世代の研究者の充実した発表があり、懇親会も市庁駅の高級店と、韓国風おでんの老舗店舗のバランスが素晴らしく、楽しく有意義な時間を過ごさせて頂きました。吉見先生と法政大学の津田先生と、韓国言論学会へのお土産の「うさき(東大で戦前の沖縄の黒麹菌を使って作った泡盛)」を、羽田空港で怪しげな感じで分担しつつ飛行機に搭乗したのも、よい思い出でした。


シンポジウムのテーマは「より良い未来のためのメディアの公共性 〜環境報道、多文化化、メディア・ジャーナリズム倫理〜」でした。最初の「共同研究セッション」で、韓国の元新聞記者の呉杕泳先生(嘉泉大学)と尹熙閣先生(釜山大学)と共同で「新聞が抱える諸問題:収益創出とジャーナリズムの役割の共存の道を求めて」という発表を行いました。今年のマスコミ学会の春季研究発表会(立命館アジア太平洋大学)のパネルセッションの続編で、事前に密に予稿集に関するやり取りをしていたこともあり、充実した発表となりました。


日本マス・コミュニケーション学会での紹介
http://www.jmscom.org/event/sympo/JKsympo_25_program.pdf

個人的にも韓国の先生方との共同研究が進展し、先々の研究計画について、両国の先生方と打ち合わせができたことを大変嬉しく感じております。発表直後に韓国の先生方や、吉見先生をはじめとした日本の先生方に発表を褒めて頂けたのも、今後の励みになりました。

日韓関係について様々な報道がなされていますが、大学で働く教員の務めは、長い時間の下で、近隣の国々をはじめ、国際的な教員のネットワークの中で、共同研究を軸とした持続的で豊かな関係を築き、次の世代の研究者に、その成果をバトンタッチすることだと思っています。




ニュースパークとの連携企画「ニュースパーク速報!」の展示がはじまりました

ニュース・パーク(日本新聞博物館)で「新聞の見出しとネットニュースのみだしのちがい」に関する展示「ニュースパーク速報!」が8月31日からはじまりました! 文教大学・酒井信研究室とニュース・パークの連携企画です。掲示物の周りに、来館者に作成してもらった「見出し」の吹き出しが徐々に増えていく内容です。

体験学習の一環として、常設展示「情報社会と新聞」の中で、連携企画の展示を1年ほどの予定で担当します。今月から本格的に学校の団体訪問が増えるそうで、感想を聞きながら「体験学習」の紹介の仕方を調整していく予定です。

掲示物や「速報記者手帳」のヒントを参考にして「見出し」を考えてもらう楽しい展示物ですので、ぜひお近くにお立ち寄りの際は、ぜひニュースパークにお立ち寄り下さい!

ニュースパークのHP
https://newspark.jp/

ニュースパークでの紹介
https://twitter.com/NewsparkPR/status/1169212628817694720









2019/09/10

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第75回 湊かなえ『望郷』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第75回 2019年9月8日)は、人気作家・湊かなえの『望郷』を取り上げています。表題は「記憶が詰まった『離島小説』」です。
来月公開の映画の解説の仕事(劇場パンフレット掲載)が急遽入り、小説の評論とは違うアプローチで、日本を代表する役者たちの演技に注目しながら、原稿を仕上げたいと試行錯誤する日々です。

『望郷』は瀬戸内海の因島で育った湊かなえの経験が色濃く反映された自伝的な作品です。直木賞の候補となるも受賞には至りませんでしたが、収録されている短編「海の星」は、日本推理協会賞(短編部門)を受賞しています。「望郷」はデビュー作『告白』がベストセラーとなり、一躍、流行作家となった著者のルーツに迫る短編集と言えます。

湊かなえは1973年生まれで、広島県にある因島市(現・尾道市)の柑橘農家に生まれ、小学校から高校まで島内で教育を受けています。『望郷』は自己の経験を踏まえ、島の大半の雇用を生み出してきた造船業の衰退と、1983年の因島大橋の開通で本土と繋がった影響で変化した生活が、島の内外の子供と大人の内面を通して重層的に描かれている作品です。

造船所の進水式のお祭りのような賑わいや、死体が網に掛かっても警察に届けない漁師の慣習、島の名家に住む老人の封建的な言動など、因島で生まれ育った著者にしか書けない描写が、作品の要所に織り込まれていて小説の固有性を高めています。観光地として人気を集める「しまなみ海道」の「通過点」となった場所(因島)が経験してきた現代史を、その風土と共に伝える作品だと思います。


2019/09/04

西日本新聞掲載「没後20年 江藤淳の価値」

西日本新聞朝刊(2019年9月3日)に「没後20年 江藤淳の価値」という原稿を掲載頂きました。7月に開催した「江藤淳没後20年 昭和と平成の批評 —江藤淳は甦える—」の発表を踏まえた内容で、江藤淳の批評の現代的な価値について考察したものです。

紙面の見出しにも採用して頂きましたが、江藤淳は論理にし難い感情を批評として綴った批評家だったと思います。「アメリカと私」「文学と私」「戦後と私」などの著作で展開された、江藤の私的な感情の籠もった批評は、文学的な完成度が高く、今日読み返しても心に響きます。

文芸批評の代表作「成熟と喪失」は、戦後日本に浸透した人工的な生活空間=アメリカ化した日本の中で「喪失感」を引き受けながら生きることに、新しい時代の「成熟」の意味を見出した作品でした。上野千鶴子や加藤典洋の著作に代表されるように、この批評文を踏まえた議論は、戦後日本論として大きな成果をもたらしました。

その一方で江藤は、プリンストン大学で教鞭を執った経歴から「『外の世界』を経験してきた日本人に伝統的に課せられている義務」(『アメリカと私』)を抱き、論壇での批評に取り組んだ「国際的な知識人」でした。大江健三郎や吉本隆明との関係性の中で生まれた言葉は、そのまま戦後の思想史に明記されるべき興味深い文脈を有しています。

生活環境のアメリカ化がよりいっそう進み、文学が社会的な影響力を失いつつある現代日本で、江藤が文壇と論壇の双方で展開してきた批評文が、没後20年の節目で、正当に評価され、多くの人々に再読されることを願って止みません。


2019/09/02

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第74回 富岡多恵子『波うつ土地』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第74回 2019年9月1日)は、富岡多恵子の『波うつ土地』を取り上げています。表題は「新興住宅地の『性と信仰』」です。女性の作家が記した戦後小説の中でも屈指の名作だと思います。

この小説は多摩ニュータウンの一角を占める町田市を舞台とした作品だと考えられます。作中の描写の通り、町田市には、本町田遺跡公園など縄文時代の遺跡が多く残っています。谷と丘が凹凸をなし、波うつように斜面に家が建ち並んでいる土地の描写が、読後の印象に残ります。「土地は、海の方からおしよせてきて波うっているのか、それとも、陸の奥の、芯の方からおしよせてきたのか、この丘陵と谷戸の土地は、近年、都会からおしよせてきたヒトをのせて、波は大きくうねっているのだ。」

多摩ニュータウンの知名度の高さから、多摩丘陵は新興住宅地というイメージが強いですが、そこは小川が多く、湧き水も豊富であるため、縄文時代より前から多くの人々が暮らしてきた、関東でも有数の場所です。この作品のスケールの大きさは、「わたし」の不倫やアヤコの「信仰」のあり方を、太古の昔から繰り返されてきた、普遍性を有する人間の営みとして描いている点にあります。現代的な価値観の下で、性的な営みや信仰の形態は、限られたものに制約されていますが、本来、それは多様なものであることを、富岡多恵子は小説の全体を通して表現しています。

現在、ウランバートルでモンゴル国立科学技術大学との研修と、将来の相互協力に関する仕事に取り組んでいます。ご飯が美味しいので仕事も捗りますね。


2019/08/31

モンゴル科学技術大学との研修と大草原のゲル滞在

文教大学の学生24名を引率して「モンゴル異文化理解・共生体験研修」を、ウランバートルとその郊外で実施しています。モンゴル科学技術大学の外国語学部の学生14名と教員2名の手厚いサポートが有り難く、充実した研修を両国のメンバーで一緒に楽しんでいます。

モンゴル科学技術大学の入学式に、なぜかモンゴルの政治家と来賓席で(SPに囲まれ、草原に行く前のジャージ姿を怪しまれながら)参加することになったり、草原のゲルに滞在しながら羊を追ったり、馬に乗って草原の広さを感じたり、互いの文化を紹介し合う文化祭を開催したり、貴重な経験をさせて頂いています。

前回の引率から5年ほど経っていますが、ウランバートルの発展は目覚ましく、次々と高層ビルが建ち、スーパーの品揃えも明らかに充実しています。

言葉を通したコミュニケーションを超えて、寝食を共にしながら、学生たちが互いに打ち解けていく様子を見ることができるのが、非常に嬉しく、大学教員冥利に尽きる研修だと実感しています。








2019/08/26

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第73回 宮本輝『五千回の生死』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第73回 2019年8月25日)は、宮本輝の代表作の一つ『五千回の生死』を取り上げています。表題は「阪神間の海沿いの輝く生」です。ソウルでの国際シンポジウムの発表を無事に終えて、校務に復帰しつつ、明日からのモンゴル異文化研修(@ウランバートル)への長期出張の準備をしているところです。

宮本輝は、梅田の繁華街にある市立曾根崎小学校に通っていましたが、父親が事業に失敗し、兵庫県尼崎市に引っ越しています。この作品は、宮本輝の作家としての原風景と呼ぶべき、尼崎に住む人々を描いた短編集です。

例えば短編「五千回の生死」は、デザイン事務所の経営に行き詰まった「俺」と、国道26号線を歩いて自宅に帰る時に出会った「一日に五千回ぐらい、死にとうなったり、生きとうなったりするんや」と言う男との奇妙な共生関係を描いた小説です。「お前かて、死にたなったり、生きたなったりするやろ? そんなこと思うの、人間だけやろ? 俺が正常な人間やという証拠やないか」と問いが、読後の印象として強く残る作品です。

この短編集には、人生の底を舐めるような悲しみと、それを陽気に突き抜けるような明るさの双方が凝縮されています。全体に平易な言葉遣いながら、宮本輝が幼少期から親しんだ、尼崎の土地に根ざした価値観が、ちょっとした心情表現の中にも生き、脈打っています。「五千回の生死」は、阪神間の海沿いの街に根を張って生きてきた人々の生活を、様々な角度から光を当てて輝かせた、現代を代表する「プロレタリア文学」だと思います。



2019/08/19

Asian Journal of Journalism and Media Studies No.2 の公開

編集長を担当した「Asian Journal of Journalism and Media Studies」(日本マス・コミュニケーション学会・英文ジャーナル ISSN2189-8286) の第2号を、下の学会サイトで公開しました。準備号からの慣習で、著者の写真入りで各論文とテーマの趣旨説明の文章を掲載頂いています。

Asian Journal of Journalism and Media Studies2号
http://www.jmscom.org/en/ajjm_2019/index.html
日本マス・コミュニケーション学会HPの「Asian Journal (English)」の欄からもアクセスできます。

公開済のJ-STAGE版は下記です。
https://www.jstage.jst.go.jp/browse/ajjms/list/-char/ja



著者や査読者とのやり取りや、英文の投稿規定・Call For Papersの整備、DOIの取得やJ-STAGEへの登録など、もろもろの作業が長引きまして、編集から公開までに時間を要しましたが、ようやく仕事を終えることができました。

これでようやく夏休みか、と思いきや、連載の原稿のストックが減っているので、学期中以上に、モーレツな勢いで本を読み、原稿を書く日々です。

ニュース・パーク(日本新聞博物館)でのゼミの制作物の展示も、新聞協会の方との最終の修正作業が終わり、8月31日(土)から展示予定です。こちらの詳細は後日。

今月は長崎に帰り、ソウルに行き、校務の後、来月の頭までウランバートルです。
良い夏休みをお過ごし下さい!



西日本新聞「現代ブンガク風土記」第72回 青山七恵『ひとり日和』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第72回 2019年8月18日)は、青山七恵の芥川賞受賞作『ひとり日和』を取り上げています。表題は「京王線沿線20歳の成長物語」です。

台風の影響のためか、なぜか長崎が涼しく、久しぶりに長い時間、海水浴をすることができて、ちょうど良い夏休みでした。

青山七恵は人生の岐路に立った若者の心情を、魅力的な場所の描写に重ねながら表現するのが上手い作家です。この作品でも主人公の20歳の知寿の不安定な心情が、電車が通過する度にぐらぐらと揺れる下宿先の家の描写に重ねられています。

下宿先の家から駅のホームを眺めると、ホームの上に立っている人々が三途の川の向こうにいるように見えます。時に「死にたい」と思う知寿の際どい内面が、ちょっとした風景描写に影を落としていて、日常の中に深みを感じる作品です。

知寿は大学に行かず、将来の目的も定めず、フリーターとして働きながら、遠縁の71歳の吟子の家に居候しています。「世界に外も中もないのよ。この世はひとつしかないでしょ」という吟子の言葉は、知寿が生長するために必要なものは、学歴や正社員の仕事など他人に与えられるものではなく、「逃げ場のないひとつの世界」を生きるという自分で得るより他ない覚悟であることを示唆しています。

吟子が辛い失恋を経験しながら都会で生きてきた姿に感化されながら、人生に活路を見出していく知寿の姿に「青春」を感じる芥川賞に相応しい作品です。



2019/08/11

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第71回 佐川光晴『駒音高く』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第71回 2019年8月11日)は、佐川光晴の将棋ペンクラブ大賞(優秀賞)の受賞作『駒音高く』を取り上げています。表題は「厳しい棋士の道生々しく」です。

佐川光晴は屠殺場で働いた経験を踏まえて記した「生活の設計」でデビューした作家です。将棋会館で清掃員として働く奥山チカの物語が最初に記されているのが、「労働」を描いてきた佐川光晴の小説らしいと思います。この小説を読むと、様々な家庭環境で育った子供たちが、将棋に惹かれ、親に期待され、棋士を目指していることがよく分かります。

女性棋士を目指す葉子を、母親の視点から描いた章が特に面白いです。「かわいい女の子」だった娘が、たくましく勝利を重ね、棋士となろうとする姿に、母親は自己の人生を重ねながら、娘への愛情を深めていきます。女流棋士は、女性の棋士(四段以上)がなかなか誕生しないために作られたカテゴリーで、男子とは別にリーグ戦が行われていますが、棋士を目指す葉子が立ち向かうのは「女流棋士はいても、女性棋士はいない」という、将棋界の現実です。

子供の頃から孤独に将棋盤に向かい、勝負事の厳しさを味わってきた棋士たちを、優しく見守るような筆致で描いた、現代を代表する「将棋文学」だと思います。


2019/08/04

夏休みから秋学期の研究活動

春学期の授業が終わり、ひと休みという所ですが、夏休みから秋学期にかけて下の研究活動を行います。

1 編集長を担当したAsian Journal of Journalism and Media Studies No.2(日本マス・コミュニケーション学会英文ジャーナル)の公開

・英文の投稿規定・Call For Papersを整備し、DOIを取得して、J-STAGEに登録する作業が長引きまして、編集から公開までに時間を要しましたが、先月の下旬より下のサイトで公開しています。近日中に学会HPにもアップロードいたします。
https://www.jstage.jst.go.jp/browse/ajjms/list/-char/ja


2 ニュース・パーク(日本新聞博物館)での「新聞の見出しとネットニュースのみだしのちがい」に関するゼミの制作物の展示

・体験学習の一環として、常設展示「情報社会と新聞」の中で、文教大学酒井ゼミとニュース・パークの連携企画の展示を1年間の予定で担当します。
・現在、新聞協会の方と展示に向けた最終の修正作業を行い、8月31日(土)からの展示を予定しています。
ニュースパークのHP
https://newspark.jp/

3 第25回日韓国際シンポジウム  より良い未来のためのメディアの公共性 〜環境報道、多文化化、メディア・ジャーナリズム倫理〜 日本マス・コミュニケーション学会と韓国言論学会共催(漢陽大学)での発表

・「共同研究セッション」で呉杕泳先生(嘉泉大学)と尹熙閣先生(釜山大学)と共同で「新聞が抱える諸問題:収益創出とジャーナリズムの役割の共存の道を求めて」という発表を行います。
・2019年度春季研究発表会(立命館アジア太平洋大学)の発表の続編です。
日本マス・コミュニケーション学会での紹介
http://www.jmscom.org/event/sympo/JKsympo_25_program.pdf

4 9月にドイツで開催されるMedia Studies系の国際学会で発表を予定しています。現在、出張日程を調整中です。

5 11月3日の文化の日に、福岡ユネスコ協会の講演会で講師を担当します。

・「世界史レベルで『平成』について考える」という趣旨の講演会で、コーディネーターが慶應義塾大学の片山杜秀先生で、國學院大學の水無田気流先生もお話しをされる講演会です。自分分の発表の準備しつつ、お二方のお話を近くで聞くことを楽しみにしています。
・詳細は後日、下のHPにアップロードされると思います。九州在住の方はぜひご参加をご検討下さい。
福岡ユネスコ協会のHP
http://fukuoka-unesco.or.jp/

西日本新聞の連載も好評で70回に達しました。他のテーマでも、年末を目標に書籍の出版を準備しています。監修を担当しているメディア・リテラシーに関する教育用DVDも進行中です。8月下旬からモンゴル科学技術大学(ウランバートル)への学生24名の引率もあり、充実した夏休みになりそうです(笑)

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第70回 吉田修一『悪人』

祝・連載70回! 西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第70回 2019年8月4日)は、吉田修一の長崎、佐賀、福岡を舞台とした代表作『悪人』を取り上げています。表題は「地方の疲弊 閉塞感先取り」です。三瀬峠のカーブミラーが印象的な写真で、連載70回目を飾るに相応しい名作です。

『悪人』は2006年の3月から翌年の1月まで朝日新聞の夕刊に連載された新聞小説です。小説はその質だけではなく、世に出るタイミングで、読者の関心を集めるかどうかが決まります。この作品は、就職氷河期が終わり、景気が回復したと言われながらも、「地方」の疲弊が顕在化した時期に連載され、注目を集めました。単行本が出版された1年後に、リーマンショックが起こり、映画版が制作された1年後に、東日本大震災が起きたことで、『悪人』が先取った「地方に住む若者たちの閉塞感」は、一般に実感されるものとなります。

吉田修一の『悪人』が210万部を超える大ヒット作となったのは、就職氷河期が続く時代の「地方に住む若者たちの閉塞感」を生々しく捉え、景気回復が空々しく聞こえる時代に、読者の共感を獲得したからだと私は考えています。毎日出版文化賞と大佛次郎賞を受賞し、吉田修一の出世作となった作品です。


2019/07/30

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第69回 保坂和志『季節の記憶』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第69回 2019年7月28日)は、保坂和志の鎌倉を舞台とした代表作『季節の記憶』を取り上げています。表題は「鎌倉の風景と哲学的雑談」です。写真は一週間ほど前の授業終わりに、作品の舞台となった稲村ヶ崎で撮影した写真です。海を見ながら考え事をしている人がたまたま映っています。

保坂和志は三歳の頃から鎌倉で育ち、湘南の名門校、栄光学園高校を卒業し、職業作家となった後も生活の拠点を同地に据えています。この作品で描かれる稲村ヶ崎の風景は、登場人物たちの「季節の記憶」を通して、細やかに描かれています。秋の日の夕方、「この時期、人間っていうのは、つくづく言語でできていると思うな」と松井さんが語るように、何気ない日常会話の中に「季節の記憶」が宿っていることを感じさせます。

所々にシリアスな描写もあり、「鎌倉、逗子、横須賀、藤沢あたりには米軍の池子弾薬庫周辺の国有林の伐採をめぐる反対運動のような開発に絡む市民運動がたえずある」といった一文が挿入され、現実に引き戻されるのも、作品の魅力です。

出来事らしい出来事は起こらない作品ながら、「僕」の友達の登場人物たちの個性が光る作品で、稲村ヶ崎からほとんど動かない小説を、多彩なものに仕上げています。暇を持て余している「僕」と、個性の強い友人たちとの哲学的な雑談も面白く、地に足の着いた思想性と、日常生活に立脚した文学性の双方が感じられる作品です。

あと11月3日の文化の日に、福岡ユネスコ主催の文化セミナー(@渡辺通りの電気ビル)で講演をすることになりました。お二人のメディアでご活躍されている先生方と「世界史レベルで『平成』を振り返る」という趣旨の内容です。こちらの詳細はまた後日。