2020/07/10

新潮(2020年8月号)に書評を寄稿しました

新潮(2020年8月号)に富岡幸一郎『天皇論 江藤淳と三島由紀夫』の書評を寄稿しました。江藤淳と三島由紀夫の全く異なる「天皇論」を両極としながら、柄谷行人、吉本隆明、林房雄、折口信夫、中野重治など、名だたる文学者たちの「様々な天皇論」を紹介しながら、持論を展開している点が面白いです。特に柄谷行人と吉本隆明の「天皇論」を分析する箇所が面白く、江藤淳や三島由紀夫に「アレルギー反応」を起こす人々にとっても一読に値すると思います。

例えば柄谷行人は「天皇の万世一系に対する批判として、天皇家自体が海外から来ているとか、あるいはアイヌが日本文化の源流であるとか縄文文化がそうであるとか、あるいは多数の移民によって形成されてきたんだとか、そういった議論が出されてきたわけです。しかし、そういう理論の方がむしろ今後の天皇制にとって有効な理論になるだろうと思う。つまり、もともと日本人は単一じゃないんだ、という考えは、今日の日本の「国際化」にとって必要だからです」と述べていますが、私の考えもこのような「国際的な天皇論」に近いです。

江藤淳の「天皇」に関する批評文には、三島由紀夫が抱いたような「文化天皇」に関する信仰の問題を「実務家」らしく脱構築して、閉ざされた言語空間=戦後日本の批評へと展開する向きがありました。江藤の批評は感度が鋭く、今日読み返しても興味深いです。
江藤も三島も流暢に英語を話すことができる「国際的な文学者」でした。戦後の名だたる文学者・思想家たちが展開した天皇制のあり方に関する議論が「空気」のように放置されるのではなく、国際的な文脈で再考されることを願っています。