2019/06/30

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第65回 桜木紫乃『起終点駅 ターミナル』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第65回 2019年6月30日)は、釧路在住の直木賞作家・桜木紫乃の『起終点駅 ターミナル』を取り上げています。表題は「北の開拓地 冷たさと強さ」です。北海道新聞にご協力を頂き、「世界三大夕日」とされる釧路川にかかる幣舞橋から撮った夕日の写真をご掲載頂きました。

北海道と一括りにされる土地に、様々な風土や歴史を持つ町があり、そこに住む人々の人生に、豊饒な現代史が横たわっていることが垣間見える短編集です。桜木紫乃の出身地の釧路から、かつてニシン漁で栄えた留萌や天塩など、限界集落が点在する日本海側の小さな町まで、北海道の様々な土地が持つ雰囲気が、読後の印象に残ります。

例えば「潮風の家」のたみ子は、ニシン場の不況で東京の吉原に売られた経験を持ち、町の人間に「赤線あがり」と陰口を叩かれながらも、吉原からの仕送りで建てた築60年の家に、誇りを持って住み続けています。北海道の日本海側に多い発電用の風車が「ごぉんごぉん」と低い音を鳴らす中、85歳のたみ子が水商売で金を稼いで生きるより他なかった青春を振り返る姿は実に感動的です。「ワシが死んでもこっちには戻るなや」という別れの言葉が、天塩町の景色に映えます。

『起終点駅 ターミナル』は、地縁や血縁に基づく人間関係の冷たさと、気候の厳しさから生じる、互いにもたれ合うような人間関係の強さの双方を描いた、奥行きのある作品です。雑誌連載時のタイトルが「無縁」だったことも頷ける、現在進行形の北海道を代表する、桜木紫乃にしか書けない孤高の現代小説だと思います。


2019/06/24

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第64回 古川日出男『サマーバケーションEP』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第64回 2019年6月23日)は、古川日出男の『サマーバケーションEP』を取り上げています。表題は「神田川沿いの『顔のない風景』」です。

この作品は、東京郊外の三鷹市にある井の頭恩賜公園を起点として、20歳の「僕」が神田川に沿って、隅田川を経由し、海まで歩くというシンプルな「冒険」を描いた作品です。人生に疲れて「夏休み」をとった23歳のウナさんや、3度目の自殺未遂をしたばかりの20歳のカネコさん、弁天様の呪いに怯える「イギリス人さん」など、個性的な人々が僕の冒険に付き合ってくれます。

人公の「僕」は人の顔の見分けが付かない「相貌失認」と思しき障害を抱えています。この障害は実在するもので「失顔症」とも呼ばれ、親しい人の顔を忘れたり、他人の表情や感情を読み取れないなどの特徴を持ちます。このため「僕」は、相手と情の通ったコミュニケーションをとることが難しく、小さい頃から学校に通っておらず、ようやく「自由行動」を許可されたばかりです。

表題の通り、この小説はレコードのEP盤のようにシンプルな構成ながら、僕の「冒険」を様々な人々が手助けしてくれるため、読後の印象は多彩です。「僕」の視点から描かれる神田川沿いの「顔のない風景」は、登場人物たちの個性に鮮やかに彩られながら「冒険」と呼ぶに相応しい魅力的なものへと仕上がっています。古川日出男の隠れた代表作と言えると思います。


2019/06/16

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第63回 朝倉かすみ『平場の月』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第63回 2019年6月16日)は、朝倉かすみの山本周五郎賞受賞作『平場の月』を取り上げています。表題は「中年男女の互助会的友情」です。

朝倉かすみは、ごく普通の生活を送る中年の男女の、「世間体」という重しを引っ剥がしたところに蠢く、不器用な生き方や、感情の「しこり」を描くのが上手い作家です。それは「平場」で長く働いてきた経験を持つ、遅咲きの作家らしい、優れた資質と言えると思います。刊行後のレビューによると、この小説を「実感」を軸にして書くために、朝倉は「派遣バイト」に行き、「平場の厳しさ」を体感し直したらしいです。

この作品は、埼玉県南部の朝霞、新座、志木を舞台として、五十歳の青砥の視点から「このへんで育ち、このへんで働き、このへんで老いぼれていく連中」の日常を描いた内容です。50歳の煮詰まった人生の中にも、「好きなような、好きとは言い切れないような、弾力のある好意」が生まれ、青春時代の思い出を土台とした「互助会的」な友情が育ち得ることを力強く物語っています。



2019/06/12

2019年春学期の学会発表

6月、7月は国内外で学会シーズンで、春学期は下の学会での発表を予定しています。今週末の日本マス・コミュニケーション学会の初日の国際委員会セッションと、IAMCR(国際メディア・コミュニケーション学会)のジャーナリズム研究・教育セクション(@バルセロナ)、江藤淳没後20年のシンポジウムと、発表の中身はなかなか濃いめです。

1 日本マス・コミュニケーション学会 春季研究発表会
立命館アジア太平洋大学(APU) 大分県別府市
2019年6月15日(土)16:45~18:45
国際委員会セッション 
韓国の地域新聞の不動産開発事業事例と地域ジャーナリズムの未来
-日本との比較を試みとして-

司会者:黄盛彬(立教大学)
問題提起者:吳杕泳(嘉泉大学) 尹煕閣(釜山外国語大学)
討論者: 内門博(西日本新聞)
     酒井信(文教大学)

*当初の登壇者に、釜山日報に駐在経験のある西日本新聞文化部デスクの内門氏と私が、討論者として追加されました。


2 IAMCR 2019 Post-conference Journalism: Critical issues in media ethics

Location: Ramon Llull University - Barcelona, Spain.
Date and time: Friday, 12 July, 2019 - 09:30 to 17:30
https://iamcr.org/madrid2019/journalism-critical-issues-media-ethics

A research for media literacy on the Web which has been personalised and censored by platform companies in Japan.

Makoto Sakai
IAMCR Journalism Research and Education Section
IAMCR Ethics of Society & Ethics of Communication Working Group

*IAMCR(国際メディア・コミュニケーション学会)のジャーナリズム研究・教育セクションと社会倫理・コミュニケーション倫理ワーキング・グループの共催のポスト・カンファレンスで発表を行います。


3 江藤淳没後20年 昭和と平成の批評 —江藤淳は甦える—
日 時: 2019年7月21日(日) 午後2:00~4:30 (開場:午後1時30分)
場 所: 専修大学神田キャンパス 5号館7階
主 催:日本出版学会・出版教育研究部会、専修大学文学部ジャーナリズム学科共催

発表題目
 ・江藤淳は甦えるか――「生き埋め」と矮小化の後に/平山周吉
 ・日本史家としてみた江藤淳/與那覇潤
 ・アメリカとの関係からみた江藤淳/金志映
 ・文芸批評家としてみた江藤淳/司会/酒井信
 ・パネル・ディスカッション

*申込みも好調で、江藤淳展を行っている神奈川近代文学館では、配布ビラが不足し、500枚を追加で郵送したところです。ご関心のある方はお申し込みをお早めにお願いいたします。
詳細は下記です。
https://makotsky.blogspot.com/2019/05/20.html



2019/06/09

江藤淳没後20年 昭和と平成の批評 —江藤淳は甦える—

江藤淳の命日(7月21日)に下記のシンポジウムを行います。先日発売されました『江藤淳』(河出書房新社)と合わせまして、ご関心を頂ければ幸いです。

『江藤淳』(河出書房新社)に寄稿した批評文の詳細
https://makotsky.blogspot.com/2019/05/blog-post_21.html

シンポジウムの実施には、日本出版学会と専修大学文学部ジャーナリズム学科のご協力を頂きました。チラシの配布とポスター掲示には、神奈川近代文学館、日本近代文学館、日本新聞博物館、印刷博物館にご協力を頂いています。

「江藤淳没後20年 昭和と平成の批評 -江藤淳は甦える-」

日 時: 2019年7月21日(日) 午後2:00~4:30 (開場:午後1時30分)
報 告:平山周吉、與那覇潤、金志映、酒井信

発表題目
 ・江藤淳は甦えるか――「生き埋め」と矮小化の後に/平山周吉
 ・日本史家としてみた江藤淳/與那覇潤
 ・アメリカとの関係からみた江藤淳/金志映
 ・文芸批評家としてみた江藤淳/司会/酒井信
 ・パネル・ディスカッション



場 所: 専修大学神田キャンパス 5号館7階
        東京都千代田区神田神保町3-8
        https://www.senshu-u.ac.jp/access.html
定 員: 120名(満席になり次第締め切ります。)
会 費: 日本出版学会会員 無料・会員外一般参加費 500円 (ただし、学部生は学生証を提示の上、無料)

参加申込・問合先:
出版教育研究部会/部会長 清水一彦 ( kashimiz@edogawa-u.ac.jp)
※メールにて会員・非会員を明記の上、参加申し込みをお願いいたします。

主 催:日本出版学会・出版教育研究部会、専修大学文学部ジャーナリズム学科共催


【開催概要】
 江藤淳は20年前の平成11年(1999年)7月21日、66歳で亡くなった。本研究報告は、4人の登壇者による発表とディスカッションの形式を採り、昭和と平成の両時代に跨がって批評を展開した江藤淳の業績について再考する。なお登壇者のうち3人は平成期に義務教育を終えた若手研究者であり、河出書房新社から2019年5月に刊行された『江藤淳』に、それぞれの専門分野の知見を踏まえた論考を寄稿している。
 第126代天皇の皇后・雅子は、江藤淳(本名・江頭淳夫)の祖父・江頭安太郎(海軍中将)の曾孫にあたるが、江藤の血統が、近代皇室の血統と重なった令和の現代から見る、江藤の批評の価値とは何だろうか。江藤淳の没後20年の節目に、登壇者たちと共に考えて頂ければ幸いである。
 平山周吉は1952年東京生まれの雑文家。慶應義塾大学文学部国文科を卒業後、文藝春秋社で雑誌、書籍の編集に従事し、「文學界」「諸君!」で編集長を務める。江藤淳が自決した日に鎌倉で面会した最後の編集者。2019年4月に『江藤淳は甦える』(新潮社)を刊行し、ノンフィクションとも伝記文学とも週刊文春的とも言える文体で、江藤の人生に付随する数々の「謎」を丹念に解き明かしている。
 與那覇潤は1979年横浜生まれの歴史学者。東京大学大学院総合文化研究科博士課程を修了。2011年の『中国化する日本 日中「文明の衝突」一千年史』(文藝春秋)で注目を集めたが、「西洋化」の概念抜きで専門の日本近代史を描きなおす試みは、欧米化ではない近代化の道を模索した江藤淳の史論とも重なる。大学離職の経緯を綴った『知性は死なない 平成の鬱をこえて』(同)でも随所で江藤をとりあげ、その感性が戦後の日本で持った意味に触れている。
 金志映は1982年ソウル生まれの比較文学者。延世大学校を卒業後、東京大学大学院総合文化研究科博士課程を修了。ロックフェラー財団に招聘された戦後の日本の文学者の米国体験に着目し、2019年に『日本文学の〈戦後〉と変奏される〈アメリカ〉』を刊行。現在は、成均館大学校の成均日本研究所で研究員を務める。
 酒井信は1977年長崎生まれの文芸批評家。早稲田大学を卒業後、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科で、江藤淳の弟子にあたる福田和也の指導を受ける。現在は文芸誌や論壇誌に批評文を執筆しながら、文教大学情報学部で准教授を務める。近著に『吉田修一論 現代小説の風土と訛り』『メディア・リテラシーを高めるための文章演習』(左右社)。西日本新聞で「現代ブンガク風土記」を連載中。

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第62回 道尾秀介『月と蟹』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第62回 2019年6月9日)は、道尾秀介の直木賞受賞作『月と蟹』を取り上げています。表題は「湘南っ子の友情と生長」です。先日、建長寺の裏山にある十王岩に登って撮影した鎌倉の写真を掲載頂いています。湘南の海と若宮大路の景色が、新聞紙らしい発色で綺麗に写っています。

この作品は、鎌倉市に近い海辺の町を舞台として、小学生の慎一と春也と鳴海の3人の友情を描いた内容です。ヤドカリをライターで炙り出すという、子供らしくも残酷な儀式を通して、3人はそれぞれの人生を打開するための願い事を心に抱くことで、物語が展開されます。

主人公の慎一にとって湘南は地元と言える場所ではないですが、かといって自分の力で他に行き場を見付けることは難しく、「行き止まり」と言える場所です。この作品では、閉塞感を伴うネガティブな意味での土地との結び付きと、家庭の事情に左右されながら生きざるを得ない小学生の無力な存在の有り様が、丁寧に描かれています。

親の存在に生活が左右される小学生の日常を描いている点に読み応えがあり、ポジティブな経験に根ざした友情を描いた青春小説が多い中で、ネガティブな経験を共有すること生まれる友情を描いている点に、作家の筆力が生きています。ヤドカリを殺す儀式を通して「共犯関係に似た友情」を育みながら、不器用に生長していく子供たちの姿に、古典的な近代文学に繋がるテーマ性の高さが感じられます。

北鎌倉の禅寺・建長寺の風景など、海と山が近い湘南らしい風景が読後の印象に残る作品です。


2019/06/08

ゼミ制作冊子「メディア文化」第一号の発行

文教大学のゼミでは、学生たちの取材とアンケート調査を基にした冊子を、毎年、ジャーナリズム教育の一環として制作しています。今年からタイトルを「メディア文化」に変更しまして、ゼミの教育・研究活動の成果や、学生の視点から捉えた広義の「メディア文化」「キャンパス文化」に焦点を当てた記事を多く掲載しています。

関心のある方は、オープンキャンパスでゼミ生が冊子を配布していますので、酒井信ゼミのブースにお立ち寄り下さい。

文教大学HPでの紹介
https://www.bunkyo.ac.jp/news/student/20190607-02.html






2019/06/02

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第61回 桜庭一樹『私の男』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第61回 2019年6月2日)は、桜庭一樹の直木賞受賞作『私の男』を取り上げています。表題は「震災孤児の危うい心情」です。

この小説は東日本大震災の直前に、津波の被害を描いた数少ない作品の一つです。東日本大震災が発生した時、私が真っ先に思い浮かべたのは、この小説で描かれた1993年の奥尻島地震の描写でした。「そうっと振りむくと、坂道の下から黒い雲のようなものが、音もなく、ゆっくりとうねって近づいてきていた。煙のような、悪夢のような。水だ、海がどんどん近づいてくる、とわかった。」

終盤の津波の描写は、この小説のクライマックスというよりは、理不尽かつ唐突にやってきます。数ページの記述の中で、あっという間に、9歳の「花」の日常生活が海中に沈んでいく様子に圧倒されます。「ゴォォォッと、おおきな車————観光バスか四トントラックが近づいてくる音がして、お父さんがあわてて左に避けようとした。振りむいたわたしは息を呑んだ。/車じゃなかった。バスなんかよりはるかに高い真っ黒な波が、やわらかくうねりながら迫っていた」。

一般に人間の記憶は、客観的に撮影された「映像」のようなものであるとされます。ただこの作品で記されている被災の経験は、「波のやわらかさ」を感じるような感覚的なもので、現代小説らしい現実感に満ち溢れています。この作品を読んでいたことで、2011年の大津波から逃れることができた人もいたと思います。直木賞受賞作品の中でも屈指の傑作であり、「問題作」と言える際どい魅力に満ちた作品です。