2013/12/23

産経新聞/宮崎駿の「風立ちぬ」コラム

産経新聞の文化欄に、宮崎駿の「風立ちぬ」についてコラムを書きました。堀辰雄の小説の言葉を借りて「行き止まりの先の愉しさ」というタイトルです。ウェブでも読めますので、ぜひご一読下さい。
今年は産経の社会面に書き、文化面に終わる年でした。

【エンタメ回顧 平成25年】宮崎駿監督の引退 「風立ちぬ」 行き止まりの先の生きる愉しさ訴え - MSN産経ニュース
http://www.sankei.com/entertainments/news/131221/ent1312210006-n1.html


2013/05/18

「新潮45」6月号「特集・反ウェブ論/ネットで人生台無しになった人たち」

新潮45の6月号に「ネットで人生台無しになった人たち」という原稿を書きました。「特集・反ウェブ論」のページに掲載されています。

http://www.shinchosha.co.jp/shincho45/backnumber/20130518/

ウェブ上では毎日のように様々な人たちが失言をしては個人情報を曝され、時に仕事を失ったり、改名や引っ越しの必要に迫られるなど、人生の選択肢を制限されています。もちろん脱法行為や不正行為は発見され、責任を追及される必要はありますが、その反面、一度、ウェブ上で非難を集めた人々が、いつまでもウェブ上で個人情報を曝され、誹謗中傷を浴びている現状は異常だと思うのです。

ITライターでワイアード編集長のクリス・アンダーソンは、最新作『メイカーズ』で次のように述べています。IT時代のイノベーションは「もしその製品がインターネットにつながると、なにがどう良くなるか」について考えることからはじまる、と。しかし「社会インフラ」と言えるほどITが普及した現代、私たちは「インターネットにつながると、なにがどう悪くなるか」についても考えた上で、行動する必要に迫られているのではないでしょうか。現代では自分が意識してアクセスした情報だけではなく、自分が気付かないうちに記録された写真や映像からも顔指紋などの生態情報が抽出され、全世界に向けて実名と共に公開されるリスクが高まっているわけです。

他、上記の文章ではグーグル・サジェストの「連想語の暴力」やSNS上の「カミングアウトの暴力」について考察しています。ぜひご一読下さい。


2013/04/21

書評/産経新聞・ゲンロンサマリーズ

産経新聞(2013年4月14日、P27)に浅羽通明著『時間ループ物語論 成長しない時代を生きる』の書評を書きました。下のサイトでも読めます。

http://www.sankei.com/life/news/130414/lif1304140011-n1.html

浅羽通明の前著、『昭和三十年代主義 もう成長しない日本』については、以前に「諸君!」に書き、一度、対談(2009年1月号 「『昭和三十年代』は玉子のせチキンラーメンの味がする)もセッティング頂きました。
『昭和三十年代主義 もう成長しない日本』の書評は下で初稿が読めます。

http://wayne80.way-nifty.com/blog/2009/07/post-825c.html

あとゲンロンサマリーズvol. 084(2013年3月27日、東浩紀責任編集メールマガジン)に、杉田敦著『政治的思考』のサマリーと書評を書きました(メルマガ会員限定の配信)。『政治的思考』は『一般意志2.0』と対照的に、闘技的(討議的)民主主義を推奨する本なので、二つの本を読み比べてみると面白いと思います。一般に杉田敦の本は過小評価されているように感じますが、論理的に明晰で、分かりやすく、参照範囲も広く、深みもあり、政治学に何となく興味ある人であれば、買って損はないと思います。

https://shop.genron.co.jp/products/detail.php?product_id=146

2013/01/18

「新潮45」2月号・安倍新政権「海図なき航海」―海外メディアはどう見ているか

新潮45の2月号に、安倍新政権「海図なき航海」―海外メディアはどう見ているか、という原稿を書きました。特集の欄に掲載されています。

http://www.shinchosha.co.jp/shincho45/backnumber/20130118/

「日本を、取り戻す」というスローガンを掲げて安倍晋三率いる自民党が権力の座に返り咲いて、ひと月余りが経過しました。日銀を仮想敵として「金融緩和の必要性」を訴えた選挙キャンペーンは有権者の心をつかみ、ひと月ほどの間に円安が進み、「株価を、少し取り戻す」ことに成功したと言えます。

ただ三・一一の震災と核被害を経験してもなお、脱原発から原発推進へと舵が切られたり、特別会計の事業仕分けが進まないまま、一〇年で二〇〇兆の「国土強靱化・ニューディール政策」が打ち出されるなど、現状は「日本の何を、取り戻す」のかよく分からない迷走状態にあるとも言えます。

この原稿では、伝統的に自民党に優しい日本のメディアとは異なる、海外メディアの報道内容を参考にしながら、「危機突破」というより「危機突入」状態にある現状の日本について多角的な分析を試みました。

先の衆議院選挙に関する海外メディア報道の紹介は、雑誌やテレビでもちらほらとやっていましたが、私の原稿は、多くの新聞記事を参照していますので(国会図書館などで30強の新聞記事に目を通しました)、相対的にバイアスが少なく、情報分析の網羅範囲が広いと思います。年末年始に労力をかけた原稿ですので、ぜひご一読頂ければと思います。


2013/01/09

産経新聞「平成25年を迎え」

産経新聞に「平成25年を迎え」というコラムを書きました。
平成25年1月6日の特集欄に載っています。

http://www.sankei.com/life/news/130106/lif1301060016-n1.html

思えば、平成二〇年に私は『平成人(フラット・アダルト)』という本を書きました。この本で私は平成という時代の大きな特徴は、冷戦構造の崩壊によってグローバル化が進行したことと、IT革命によって、人が管理する情報と、人を管理する情報の技術革新が起きたことの二つにあると考えました。
この考えは、五年経った今でも変わりません。グローバル化の影響で世界中に安価な「もの」があふれるようになり、IT革命のおかげで世界中に無料で膨大な量の「情報」があふれるようになりました。この結果、資本主義の回転速度が上がり、世界中で生産と流通の効率化が進み、世界中で「人」があぶれるようになりました。
丸山真男が「開国」で記したように、近代日本の第一の開国が明治前期にあり、第二の開国が、敗戦後の昭和二〇年代にあったとすれば、グローバル化とIT革命が進行した平成初期は、第三の開国の時代だったと言えます。

平成も25年目で、振り返ると冷戦の終わりが「歴史の終わり」と呼ばれた頃には考えられないほど、色々なことが起きたように思います。冷戦期の方が相対的に世界秩序が安定していたと、多くの人が思っているのではないでしょうか。
アメリカとソビエトが対立していた時代の方が、ものや情報や人の流動性が低く、世の中は非効率的ながら、もっと穏やかで、そのような世界の中に「取り戻すべき日本」があるのだ、と。

ただ上のコラムや『平成人(フラット・アダルト)』でも書いたとおり、「失われた時代」の中にも新しい価値観の変化に根ざした社会秩序があり、そのあたりの詳細はそのうち書くことになると思います。