2025/01/15

第172回直木賞展望

 西日本新聞朝刊(2025年1月15日)に、第171回直木賞展望(西田藍さんとの対談記事)が掲載されました。今回の候補作は何れも読み応えがあり、1位が伊与原新さんの『藍を継ぐ海』、2位が月村了衛さんの『虚の伽藍』、3位が木下昌輝さんの『秘色の契り 阿波宝暦明和の変 顛末譚』という評価です。西田さんと女性の担当記者の双方が、仏教版の仁義なき戦い『虚の伽藍』を1位に挙げていたのが興味深かったです。対談用の3作品のメモ(本文の内容とは異なります)は下記です。

Yahoo!ニュース

https://news.yahoo.co.jp/articles/00943c124af962cd498614d59b525f4592d449e2

第172回直木賞展望 対談 酒井信さん 西田藍さん【きょう15日選考】  

月村了衛「虚の伽藍」現代が生んだ悪の主人公、伊与原新「藍を継ぐ海」地方舞台にした科学小説

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/1303792/


伊与原新『藍を継ぐ海』

・地学の知識を生かした各短編の完成度が高い。「人類が最初に手にした鉄は、鉄隕石だと言われているんですよ」といったトリビアにも、人間存在について考えさせる深みがある。

・科学教育に重点が置かれている時代に、地学を主とした科学的知見を生かした著者の小説の価値は高いと思う。海外では元科学者のSF作家は珍しくない。

・日本の辺境と言える「地方」を舞台にした短篇が何れも魅力的。萩市の北西に浮かぶ見島の地質と萩焼の関係の深さを下地にした「夢化けの島」、絶滅したとされるニホンオオカミが混血の「狼混」として生き残る吉野村を舞台にした「狼犬ダイアリー」、長崎の長与町の空き家で見つかった原爆資料と記録をめぐる「祈りの破片」、北海道の野知内に落ちた隕石とアイヌの伝承を描いた「星隕つ駅逓」、徳島の浜辺のウミガメの産卵と「藍色の潮」の関係を描いた「藍を継ぐ海」、何れも優れた作品である。

・狼が人間と共生する道を選び、犬となり、氷河期を共に生き延びたといった時間的スケールの大きな描写が、現代日本の「地方」を舞台にした物語の密度を高めている。

・科学小説をSFとは異なる形で、現代日本の風土をもとにして展開した著者の筆力は優れたもので、本作は前回のノミネート作『八月の銀の雪』と比べても、「地方」を舞台とした作品の描写に深みがあり、文学性が高い。


月村了衛『虚の伽藍』

・伝統仏教の最大宗派と言われる「錦応山 燈念寺派」内部の政治抗争を、ヤクザや裏社会との濃密な関係を軸に、志方凌玄の出世劇としてコミカルに描く。

・名探偵役は、総貫首への出世を目指す、裏社会との関りの深い凌玄と、京大の経済学者から若頭となった氷室。戦国時代の物語のようでもあり、現代版「仁義なき戦い」のようでもある。

・宗教団体を描いた現代文学の傑作として、高橋和巳の『邪宗門』や松本清張の『神々の乱心』が思い浮かぶ。何れも宗教団体を軸にしながら、混乱を極める社会情勢(昭和維新など)を背景とした政治劇でもあった。

・本作は現代の京都を舞台に、寺社が土地開発に関与し、仏像の盗難事件に関与するなど、現代的な政治劇を描いている点が新鮮。『地面師たち』など土地開発をめぐる大衆小説が人気を集めているが、この小説もその系譜の作品。ここ数十年の京都駅周辺は、急速に開発が進んだ印象。

・全国各地の寺院や学校法人を傘下に持ち、巨大な「官僚組織」となった「燈念寺派」の内部抗争を、京都のヤクザや信用金庫、不動産業者、京大閥、寺社閥、市役所、政治家、韓国系の犯罪組織など、現代社会の様々なアクターとの関係から紡いでいる点が良い。

・「洛中のことは洛中で始末をつける」など、京都の政治的な風土も上手く描けている。

・この小説を読むと、京都の寺院の見え方が変わる。宗教を利用したマネーロンダリングは、世界的に見られるものであり、現代文学らしい題材だと思う。


木下昌輝『秘色の契り 阿波宝暦明和の変 顛末譚』

・時代小説としてテーマ、物語、描写が洗練されている。徳島藩(阿波国・淡路国)の蜂須賀家、10代藩主・重喜(しげよし)の藩政改革、藍政改革をめぐる内容。

・吉野川流域で獲れる藍が特産物で、品質が良く、重喜の改革により、藍商人が育成され、藩の大きな収入源となった。藩内部の政争と、藍玉をめぐる大阪商人との競争が小説の軸となる。

・大阪商人から搾取される藍作人の窮状、大阪商人の資金力・政治的なネットワークの強さを描きつつ、困難を乗り越え、徳島藩が藍大市を開催するに至る歴史を上手く描けている。

・人物の描写が上手く、特に読書家であり、遊び人でもあった重喜の奥行きのある性格や、教養に基づく改革の描写が、読者を惹き付ける。老中や改革派の忠兵衛、内蔵助、藤九郎の人物描写も上手い。

・一代限りの養子、順養子として佐竹家から蜂須賀家に迎えられ、いわゆる主君押し込めで、隠居を迫られる経緯が、無駄なく、物語として展開されている。分量に比して内容豊富。

・藍という競争力のある特産品の存在が、重喜の改革劇を魅力的なものとして特徴付けている。著者の筆力の高さが伝わってくる歴史小説。

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 直木賞は伊与原新さんの『藍を継ぐ海』が受賞で、1位予想的中でした。記事でも「僕は伊与原さんの「藍を継ぐ海」が1番」と言っていたり、前回に続き、調子がいいようです。伊与原新さん、おめでとうございます。