2024/01/16

第170回直木賞対談

 西日本新聞朝刊(2024年1月16日)に、第170回直木賞について、書評家の西田藍さんと対談した記事が掲載されました。前回は、2作の予想が的中という結果でした。この連載も4年目に入りました。

 今回は村木嵐さんの『まいまいつぶろ』と嶋津輝さんの『襷がけの二人』を、受賞作に相応しいと予想しています。古典芸能・文学の復興には、質の高い時代小説・歴史小説の流行が不可欠だと、個人的には考えていますが、近年、気鋭の中堅作家による時代小説・歴史小説の復興の兆しが感じられます。

 今回私が推した2作品についての対談用のメモは下記です(対談の内容とは異なります)。今回も力のある候補作が多く、読み応えがありました。

 対談で推した著者以外でも、河﨑秋子さんの作品は前の候補作よりも道東の風土を深掘りした迫力ある「熊物」だったと思います。宮内悠介さんは「文体」が魅力的で、様々なジャンルの小説を書くことができる実力ある作家だと思いました。加藤シゲアキさんは、格段に小説を書く力量が高まっており、同じく青山学院大学を卒業し、ニューオータニに勤務した後、推理作家に転じた森村誠一(2023年没)のように、異業種出身の作家らしい大胆な切り口から、今後も推理小説を書いてほしいです。

西日本新聞

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/1167980/

Yahoo!ニュース

https://news.yahoo.co.jp/articles/65edc8d65730ab091dcf3bd2d8517edb81201cc9

 書籍版の『松本清張はよみがえる』は、もうすぐ印刷所に入りますので、書影などの情報が公開されると思います。奥付の記載は2024年3月1日の発行です。

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村木嵐『まいまいつぶろ』

・話し声が周囲に理解されず、顔面麻痺があり、半身不随で筆談も出来ないが、聡明だったとされる徳川家重と、その「通詞」大岡忠光の二人三脚の人生を描く。

・大御所・徳川吉宗の改革と、それを引き継いだ家重の治世を、忠光の存在に光を当てながら描いた筆力が光る。吉宗―家重―家治の徳川8~10代の時代は、重農主義から重商主義への過渡期で、歴史小説の題材として面白い。

・障害や外見に対する差別を受ける中で、他人の人格や才能を見る目を養い、的確に人を抜擢し、家臣の才能を開花させ、自らの才能も開花させた将軍・家重の現代的な価値の大きさが伝わってくる。

・誹謗中傷を受け、差別されながら、権謀術数が渦巻く江戸城の政治を生き抜き、確かな実績を残した家重と忠光の人生に、現代でも励まされる人は多いと思う。

・「まいまいつぶろ」のようにのろのろとしているが、大きな殻=「百姓たちの、言葉の通じぬ苦」を取り除くような、家重らしい弱い立場の人々への視線が生きた政治を描いた作品と言える。

・大奥の世継ぎをめぐる争いや、酒井忠音・忠寄、田沼意次など世代交代していく老中たちの政治をめぐる描写も面白い。

・老中にも嫌疑が掛かる「郡上藩の再吟味」の描写など、一つ一つの場面に幕政をめぐるドラマがあり、「将軍の政とは、人の才を引き出し、その者に存分の働きをさせることでございます。全軍を統御なさるがゆえに、眼前の政に関わられてはならぬのでございます」など、現代にも通じる「政治学」が感じられる。

・司馬遼太郎の影響を見出すなら、司馬が『国盗り物語』で、頭脳明晰で行動力のある斎藤道山に戦国時代のエッセンスを見出したような、歴史上の人物を描く切り口の鋭さだと言える。

・前回に直木賞を獲得した永井紗耶子さんの『木挽町のあだ討ち』など、近年、女性作家が描く歴史小説・時代小説に、英雄豪傑が切り開いた歴史の影に迫った秀作が多い。


嶋津輝『襷がけの二人』

・戦前戦後の困難な時代を、女中の仕事に就きながら生きた女性二人の人生を、フロイトの言う意味での性的な欲動≒他者との関係のあり方に関わる欲望を通して描いた作品。

・名家ではあるが、炊事を中心とした家事や夫婦の性生活の具体的な描写を通して、時代を肉付けしている点が面白く、長子相続などが無くなった現代とはやや異なる「家」のあり方からズレる女性の感情を、上手く捉えている。

・平凡と自認する女学校出の千代の、平凡とは言えない名家の妻としての人生とその居心地の悪さを、芸者として苦労した過去を持つ、年長者のお初の繊細な配慮を通して浮き彫りにしている点も巧み。千代とお初のコントラストが物語の中で映える。

・一般に小説は文体が大事だとされるが、大衆小説においては文章の技巧よりも語り口が大事だと思う。本作の語り口は軽やかでありながら、人の死が身近な時代の女性の生と性を、奥行きを持って描いている。

・女性からも男性からも疎外されてしまう、不器用な千代とお初の共生を描く。お初の語りを通して、女中や芸者の仕事を美化することなく、卑猥な花電車の芸を期待されたり、身請けされることへの不安を浮き彫りにしている。

・フィリピンから帰還し、精神疾患を有し、家族と離れて働く秋山と千代の不器用な性愛について、秋山の死後に醜聞を広められるなど、両義性を持ったエピソードが良い。

・『窓際のトットちゃん』の映画化の影響もあり、女性の視点から戦前戦後の日常を描いた作品に関心が向きやすい状況が、追い風と言えるかも。

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 新年の能登半島地震(M7.6)について、被害の大きさに心が痛みます。モーメント・マグニチュードで阪神淡路大震災や熊本地震の約9倍という推定もあり、昨年5月にもM6.5の地震が起きていることを考えると、先行きが心配です。

 松本清張の『ゼロの焦点』の批評を書く上で、映画版のロケ地を中心に能登半島を回り、七尾の西村賢太の墓を訪ねたり、能登金剛や真脇遺跡、西田幾多郎の哲学館に立ち寄っていました。清張作品や宮本輝の作品で言及される能登半島の漁業や窯業についても調べて、土や地層に着目したブラタモリの輪島塗の回も、興味を持って観ていました(輪島塗の漆器が、輪島の地で作られるからこそ高品質になる理由がよく分かりました)。

 先々は学生とボランティアに行きたいと考えていますが、先ずは次年度の共同利用・共同拠点の研究で、今回の震災報道の質・量、時空間の分布を、東日本大震災の分析結果と比較しながら、メタデータを作成して解析・分析したいと考えています。自宅の食器も輪島塗のものに順次買い替えていきたいと思います。

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 年明けからJapan Studies Associationの発表で久しぶりにハワイに滞在していました。日本学の国際学会は、文化研究を中心として、まだまだ関心が高いという印象でした。

 学会参加者向けにコミュニティ・カレッジで、ハワイの日系移民が伝えた料理の講習会があったのも良かったです。娘がマグロ丼が好きなので、AHI POKEのレシピに関心を持ちました。私の故郷の長崎は本マグロの養殖が盛んで、漁獲量が日本一ですが、食べる人は少なく、マグロは県外輸出・外貨獲得が基本で、鉄火巻もヒラマサ(白身)です。私もあまりマグロを食べませんが、AHI POKEは美味しかったです(個人的には、ダイナマイト、キムチ、メキシカンなどスパイシー系のAHI POKEが好みでした)。金子信雄に学んだ調理技術で、AHI POKEを食生活に取り入れたいと思います。

 日系シェフのレクチャー&試食で最も印象に残ったのは、広島からの移民がハワイに伝えたとされるChicken Hekka(≒鳥のすき焼き)でした。広島の方言で鋤をヘカと言うらしく、当初貧しかった日系移民は、牛肉を鶏肉で代用してすき焼き風の料理を作ったのだとか。ダニエル・イノウエが広島と福岡の日系二世ですが、彼もこの素朴な味わいのHekkaを食べて、片腕を失ったハンデを乗り越えたのだろうなあ、と日系移民の歴史に思いを馳せてしまう、昔ながらの日本料理の味付けでした。