2024/09/29

「松本清張がゆく 西日本の旅路」第8回 泥炭地 小倉・旧旭町遊郭

 西日本新聞の連載「松本清張がゆく 西日本の旅路」第8回(2024年9月29日)は、松本清張が肝臓がんで亡くなる3年前の1989年に「文學界」に掲載され、文芸誌に掲載された最後の小説となった「泥炭地」を取り上げました。担当デスクが付けた表題は「最後の「私小説」の原風景」です。

 本作は1974年に「文藝春秋」に掲載された「河西電気出張所」や1980年に「新潮」に掲載された「骨壺の風景」の系譜に連なる「私小説」です。文学史に残る私小説の多くに事実の脚色があるように、本作にも同様の脚色が見られます。

 本作「泥炭地」の福田平吉の姿には、親の飲食業が上手くいかず、家庭が貧しかった頃に抱いた「劣等感」が投影されています。「両親が老いたら、その面倒は平吉ひとりがみなければならぬ。月給十一円でどうして食わせられるか」という問いは、切実なものです。

「泥炭地」は、知名度の高い作品ではありませんが、数多くの名作を世に送り出してきた松本清張の「原動力」を、戦前の小倉の「原風景」と共に感じさせる「清張純文学」の遺作だと思います。

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/1263906/

2024/09/22

「松本清張がゆく 西日本の旅路」第7回 十万分の一の偶然 紫雲丸事故現場(香川県)

 西日本新聞の連載「松本清張がゆく 西日本の旅路」第7回(2024年9月22日)は、1955年に香川県高松沖で発生した「紫雲丸事故」を題材とした『十万分の一の偶然』を取り上げました。担当デスクが付けた表題は「報道問う社会派ミステリの現場」です。今回の連載では、『松本清張はよみがえる』で取り上げなかった晩年の「社会派ミステリ」と、戦後の大衆文化史についても、重点を置いて論じていきます。

 紫雲丸事故は、広島から修学旅行で乗船していた小学生を含む168名が亡くなった被害の大きさから「国鉄戦後五大事故」の一つに挙げられています。またこの事故では、第三宇高丸に乗船していたカメラマンが、救助船から甲板上で混乱する児童ら乗客の姿を撮影したことが、問題となりました。

 ただ作中で清張はジャーナリストを擁護して、次のように記しています。「写真では、いかにもカメラマンがすぐに救助できそうに見えるが、じっさいは困難または不可能なのである」と。もちろん本作で描かれるように、事故がカメラマンによって意図的に引き起こされたものだとすれば、重大な問題です。

 1960年に刊行された『日本の黒い霧』で下山事件や松川事件を含む「国鉄三大ミステリ事件」と向き合った、松本清張らしい「社会派の題材」と言えます。本作は70歳を超えた松本清張が、経済的な発展を遂げた日本社会に残存する闇に目を向けながら展開した、ノンフィクション風のミステリ小説です。*次回は次週日曜掲載

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/1261302/