2024/10/27

福田和也先生・追悼文

「文學界」(2024年11月号)に福田和也先生の追悼文を寄稿しました。表題は「福田和也という人 文化保守の情感」です。文学を愛した福田先生へのはなむけとして、「文芸葬」ができて良かったです。『江藤淳は甦える』の著者の平山周吉さんの追悼文と並んで掲載されています。江藤淳が亡くなった時、江藤と最後に会い、自裁の報を聞いて「文學界」で特集を組み、福田先生から「江藤淳の文学と自決」を受け取った編集者が、平山さんでした。文芸誌の校了日が近かったため(依頼を受けた翌日に入稿)、今月発売の文芸誌で唯一の「追悼 福田和也」の特集となりましたが、平山さんとご一緒出来て良かったです。

https://books.bunshun.jp/ud/book/num/49100770711472024



 宇野常寛さんとの「僕たちは福田和也が遺したものから何を引き継ぐべきなのか?」という対談が、PLANETS YouTubeチャンネルで公開されました。

https://www.youtube.com/watch?v=AH90yh3KGJw

 収録したのが追悼文を続けて入稿した後で、通夜の前だったので、まだ原稿を書いた勢いで明るく話せましたが、通夜と告別式を終えた直後だと、メンタル面で、やや厳しかったかも知れません。

 精進落としの席でたまたま隣の席だった島田雅彦さんが、編集者からのビールの勧めに「痛風なので」とおっしゃって断られていたので(ご著書の『散歩哲学』でも痛風について触れられていました)、若々しく見える島田さんも色々あるのだなあ、と思った数秒後に、日本酒をぐびぐび飲まれていました。若さと健康の秘訣を伺ったところ、「懸垂をやるぐらいですかね」とのご回答だったので、私も「懸垂」をやろうと思います。福田先生は、音楽や落語、小説の朗読を聞きながら「散歩」をやっていましたが、「懸垂」はやっていませんでした。福田先生と島田さんの『世紀末新マンザイ パンク右翼vs.サヨク青二才』の裏話などが聞けて、有難い時間でした。

 西日本新聞(2024年9月26日)に福田和也先生の追悼文をカラーで掲載頂きました。福田先生のご両親のルーツが共に佐賀ということもあり、ブロック紙の文化欄のトップに寄稿できて良かったです。大きな写真が私が福田先生と最初にお会いした翌年の2000年のもので、私と一緒に映っている小さな写真が2019年の小林秀雄賞のときのものです(改めて写真を見ると、体調悪いのに、赤ワインを飲んでるじゃないですか、先生!)。


 福田和也先生とは、ホテルオークラでお話したのが最後になりましたが、お別れのご挨拶のようなものは、その時のやり取りや、産経新聞やYahoo!ニュース、KKベストセラーズやエキサイトニュースなどの、最後の3冊の書評などでできたかな、と思いつつも、思ったよりも早くその時が来て、心の整理が付いていない、というのが正直なところです。

 平成期の日本の文芸の発展に、大きな貢献をされた先生だったと思います。私が身近に接した往時の福田先生は、昼夜を問わず、猛烈な勢いで仕事をされ、文芸を中心とした価値判断にいつも真剣で、ピリピリとした緊張感のある、凄い人でした。慶應SFCの存在を広く伝えるのにも大きな貢献をされました。

 2024年9月29日に行われたお別れの会・通夜では角川春樹さんや重松清さん、告別式では文藝春秋の飯窪社長が、心のこもった弔辞を読まれ、往時の福田先生を偲ぶことができました。通夜や葬儀では、島田雅彦さん、原武史先生、『地面師たち』で注目を集めるゼミOBの作家・新庄耕さん、文芸ジャーナリズムに関わる出版各社の編集者の方々、ゼミの卒業生など、福田先生と親交のあった皆さまが、お別れをされていました。久しぶりにお会いした方々ともお話ができ、嬉しかったです。

 矢作俊彦さん、柳美里さん、リリーフランキーさん、古市憲寿さん、出産を控えていたゼミOGの作家・鈴木涼美さんなど、一線で活躍されている書き手の皆さまの献花も、祭壇を彩っていました。

 物書きの友人や編集者の方々からも多くの励ましを頂き、心の支えになりました。下の最後の3冊の書評はよく知己の編集者に「追悼文っぽい」「生前葬だね」と(冗談半分で)言われていましたが、そうなるかも知れない、という予期の中で書いていました。福田先生を介してご厚誼を頂いた皆さまに、心より感謝申し上げます。

『福田和也コレクション1:本を読む、乱世を生きる』書評/「奇妙な廃墟に聳える邪宗門」

https://www.kk-bestsellers.com/articles/-/945463/

https://www.excite.co.jp/news/article/BestTimes_00945463/

福田和也著『放蕩の果て 自叙伝的批評集』書評/産経新聞

https://www.sankei.com/article/20231029-GVOYPZDBAVK3XBTHLU63ICG56M/

福田和也著『保守とは横丁の蕎麦屋を守ることである』書評/「日常を文化とする心」

https://www.sankei.com/article/20230604-UB3SVSVSOFPZXM6ERJOD36HZUU/


産経新聞 この本と出会った 『風土 人間学的考察』和辻哲郎著 思い出す恩師の福々しい笑顔

https://www.sankei.com/article/20170402-DHL4URE7EFPHXMYXCMSCX6WYIY/

三田評論 【執筆ノート】『松本清張はよみがえる──国民作家の名作への旅』

https://www.mita-hyoron.keio.ac.jp/literary-review/202406-2.html

「松本清張がゆく 西日本の旅路」第9回 彩り河 頓原(島根県)

 西日本新聞の連載「松本清張がゆく 西日本の旅路」第9回(2024年10月27日)は、週刊文春に1981年から2年ほど連載された、晩年の長編『彩り河』を取り上げました。担当デスクが付けた表題は「地方出身者の成長物語の起点」です。

 銀座の高級クラブ「ムアン」を主な舞台とした、『黒革の手帖』を彷彿とさせる復讐劇です。高級クラブに出入りする東洋商産や昭明相互銀行の幹部社員たちの謀略を描いた「社会派ミステリ」とも言えます。後半に、松本清張の父・峯太郎の出身地である、日南町の矢戸と風土の似た、島根県の頓原の描写があります。

 映画版は、当初は野村芳太郎が監督する予定でしたが、前年に公開された「迷走地図」の出来栄えに、松本清張が不満を持ち、「天城越え」に続いて加藤泰の弟子の三村晴彦が監督を務めています。本作で「霧プロダクション」は解散となりますが、私はこの映画は様々な演出の挑戦があって良い作品だと思います。主演の真田広之は、アクションスターから俳優へ転身を果たし、2024年には「SHOGUN」でエミー賞を獲得しています。

 真田広之の師匠の千葉真一は「カミカゼ野郎」や「海底大戦争」などで60年代から海外で評価され、「殺人拳」シリーズ、「武士道ブレード」、「キル・ビル」などでも人気を集めました。真田広之は師匠とは異なる力量で、時間をかけてエミー賞を獲得した点が素晴らしいと思います。


2024/10/06

PLANETS「僕たちは福田和也が遺したものから何を引き継ぐべきなのか?」 (宇野常寛さんとの対談)

 宇野常寛さんとの対談「僕たちは福田和也が遺したものから何を引き継ぐべきなのか?」が、PLANETS YouTubeチャンネルで公開されました。

https://www.youtube.com/watch?v=AH90yh3KGJw

 福田和也先生の「文化保守」の考え方や、初期の文芸批評の方法論について説明しています。あまり編集など裏方の仕事については話をしないのですが、対談の相手が編集の世界に通暁している宇野さんだったこともあり、福田・坪内対談の舞台裏や、西部邁さんや大塚英志さんとの決別の時のことなど、珍しくその方面の話も少し触れました。平成の文芸メディア史の中での位置付けや、「文化プロデューサー」としての功績にも触れています。

 堀潤さんをはじめ、撮影ではスタッフのみなさまにお世話になりました。3時間ほど話したので、有料部分の方がだいぶ長いです。ご関心が向くようでしたら、ぜひご視聴ください。

「文學界」(2024年11月号)の追悼文以外では、福田和也先生については慶應義塾の刊行物と「ユリイカ」の福田和也特集号に、批評文と解題を寄稿する予定です。年内に発売予定の『福田和也コレクション2』についても批評文を書く予定です。次月は「中央公論」に寄稿しています。あとは西日本新聞に「松本清張がゆく」の連載と、松本清張の『砂の器』を題材とした吉田修一さんの新作の書評が載ります。BBCのドキュメンタリーの監訳×2も進行中です。

2024/10/05

松本清張記念館・館報と週刊読書人への寄稿

 松本清張記念館・館報(2024.8 第74号)に松本清張研究会の講演録(@東京学芸大学)が掲載されました。演題は「清張作品の「謎」と「秘密」に迫る ―『松本清張はよみがえる』を手引きに」です。4ページにわたり掲載されており、ゲラの手直しが大変でしたが、読みやすい内容になっています。次の「松本清張研究 第25号」(2025年3月)にも寄稿しています。



「週刊読書人」(2024年10月4日)に七尾和晃著『語られざる昭和史 無名の人々の声を紡ぐ』(平凡社)の書評を寄稿しました。表題は「昭和100年の年を前に 「集合的記憶」を「現実感」と共に継承する」です。隣が山本貴光さんの『スクウェア・エニックスのAI』の書評で、あまりのジャンルの違いに、笑ってしまいました。下に書評の書き出しのみ記載します。

 来月は久しぶりに論壇誌へ寄稿しています。他の原稿にも取り組んでいます。

昭和100年の年を前に 「集合的記憶」を「現実感」と共に継承する

『語られざる昭和史 無名の人々の声を紡ぐ』は市井の人々の戦前・戦後の体験を記録したノンフィクションである。学術的な区分では、歴史学的なオーラル・ヒストリー(口述歴史)と言うよりも、都市社会学的なライフ・ヒストリー(生活史)に近い著作である。語り手の人生を伝える簡潔な筆致に、著者のルポルタージュの執筆経験の豊かさが感じられる。

 マイケル・サンデルに代表される現代的なコミュニタリアニズム(共同体主義)は、同じコミュニティのメンバーと協業し、熟議を重ね、先入観に基づく判断を修正しながら、「共通善(アリストテレス)」を模索する点に特徴がある。社会秩序のあり方や人間の能力は、「偶然」に左右される度合いが高く、社会や人間の多様性と可変性を、新しい事例に即し、地に足の付いたコミュニケーションを通して学ぶ必要があるのだ、と。このようなコミュニタリアニズムの考え方を踏まえれば、コミュニティの成員が「偶然」と折り合いをつけながら生存してきた履歴と言える「ライフ・ヒストリー」を「集合的記憶」として次世代に継承することは、重要な意味を持つ。

<以下、つづく>