2013/09/16

倒れそうな斜塔

ゲーテの「イタリア紀行」を片手に、ボローニャに来ました。井上ひさしが愛した町でもあります。
ゲーテは「斜塔はいやな眺めであるが、しかしわざとこういうものを建てたのに相違ない」と書いていますが、彼も何やかやでこの塔に登っています。
エレベーターなどあるはずもなく、上に行くにつれて木造の階段の傾きが増すので、実にスリリングでした。
入場料も2ユーロ。
各国の人たちがびびりながら登っている中、英語の発音から、おそらくアメリカ人と思われる太った中年夫婦が、どかどかと笑いながら階段を走り抜けて行くので、階段が崩れ落ちて皆で死ぬのではないか、と顰蹙を買っていました。
アメリカンなノリでイタリアの歴史建造物に昇るのは、ただでさえ壊れそうなものが多いので、止めてほしいものですが、アメリカ人のふざけた感じは面白いので、悪い気もしません。


2013/05/18

「新潮45」6月号「特集・反ウェブ論/ネットで人生台無しになった人たち」

新潮45の6月号に「ネットで人生台無しになった人たち」という原稿を書きました。「特集・反ウェブ論」のページに掲載されています。

http://www.shinchosha.co.jp/shincho45/backnumber/20130518/

ウェブ上では毎日のように様々な人たちが失言をしては個人情報を曝され、時に仕事を失ったり、改名や引っ越しの必要に迫られるなど、人生の選択肢を制限されています。もちろん脱法行為や不正行為は発見され、責任を追及される必要はありますが、その反面、一度、ウェブ上で非難を集めた人々が、いつまでもウェブ上で個人情報を曝され、誹謗中傷を浴びている現状は異常だと思うのです。

ITライターでワイアード編集長のクリス・アンダーソンは、最新作『メイカーズ』で次のように述べています。IT時代のイノベーションは「もしその製品がインターネットにつながると、なにがどう良くなるか」について考えることからはじまる、と。しかし「社会インフラ」と言えるほどITが普及した現代、私たちは「インターネットにつながると、なにがどう悪くなるか」についても考えた上で、行動する必要に迫られているのではないでしょうか。現代では自分が意識してアクセスした情報だけではなく、自分が気付かないうちに記録された写真や映像からも顔指紋などの生態情報が抽出され、全世界に向けて実名と共に公開されるリスクが高まっているわけです。

他、上記の文章ではグーグル・サジェストの「連想語の暴力」やSNS上の「カミングアウトの暴力」について考察しています。ぜひご一読下さい。


2013/04/21

書評/産経新聞・ゲンロンサマリーズ

産経新聞(2013年4月14日、P27)に浅羽通明著『時間ループ物語論 成長しない時代を生きる』の書評を書きました。下のサイトでも読めます。

http://www.sankei.com/life/news/130414/lif1304140011-n1.html

浅羽通明の前著、『昭和三十年代主義 もう成長しない日本』については、以前に「諸君!」に書き、一度、対談(2009年1月号 「『昭和三十年代』は玉子のせチキンラーメンの味がする)もセッティング頂きました。
『昭和三十年代主義 もう成長しない日本』の書評は下で初稿が読めます。

http://wayne80.way-nifty.com/blog/2009/07/post-825c.html

あとゲンロンサマリーズvol. 084(2013年3月27日、東浩紀責任編集メールマガジン)に、杉田敦著『政治的思考』のサマリーと書評を書きました(メルマガ会員限定の配信)。『政治的思考』は『一般意志2.0』と対照的に、闘技的(討議的)民主主義を推奨する本なので、二つの本を読み比べてみると面白いと思います。一般に杉田敦の本は過小評価されているように感じますが、論理的に明晰で、分かりやすく、参照範囲も広く、深みもあり、政治学に何となく興味ある人であれば、買って損はないと思います。

https://shop.genron.co.jp/products/detail.php?product_id=146

2013/01/18

「新潮45」2月号・安倍新政権「海図なき航海」―海外メディアはどう見ているか

新潮45の2月号に、安倍新政権「海図なき航海」―海外メディアはどう見ているか、という原稿を書きました。特集の欄に掲載されています。

http://www.shinchosha.co.jp/shincho45/backnumber/20130118/

「日本を、取り戻す」というスローガンを掲げて安倍晋三率いる自民党が権力の座に返り咲いて、ひと月余りが経過しました。日銀を仮想敵として「金融緩和の必要性」を訴えた選挙キャンペーンは有権者の心をつかみ、ひと月ほどの間に円安が進み、「株価を、少し取り戻す」ことに成功したと言えます。

ただ三・一一の震災と核被害を経験してもなお、脱原発から原発推進へと舵が切られたり、特別会計の事業仕分けが進まないまま、一〇年で二〇〇兆の「国土強靱化・ニューディール政策」が打ち出されるなど、現状は「日本の何を、取り戻す」のかよく分からない迷走状態にあるとも言えます。

この原稿では、伝統的に自民党に優しい日本のメディアとは異なる、海外メディアの報道内容を参考にしながら、「危機突破」というより「危機突入」状態にある現状の日本について多角的な分析を試みました。

先の衆議院選挙に関する海外メディア報道の紹介は、雑誌やテレビでもちらほらとやっていましたが、私の原稿は、多くの新聞記事を参照していますので(国会図書館などで30強の新聞記事に目を通しました)、相対的にバイアスが少なく、情報分析の網羅範囲が広いと思います。年末年始に労力をかけた原稿ですので、ぜひご一読頂ければと思います。


2013/01/09

産経新聞「平成25年を迎え」

産経新聞に「平成25年を迎え」というコラムを書きました。
平成25年1月6日の特集欄に載っています。

http://www.sankei.com/life/news/130106/lif1301060016-n1.html

思えば、平成二〇年に私は『平成人(フラット・アダルト)』という本を書きました。この本で私は平成という時代の大きな特徴は、冷戦構造の崩壊によってグローバル化が進行したことと、IT革命によって、人が管理する情報と、人を管理する情報の技術革新が起きたことの二つにあると考えました。
この考えは、五年経った今でも変わりません。グローバル化の影響で世界中に安価な「もの」があふれるようになり、IT革命のおかげで世界中に無料で膨大な量の「情報」があふれるようになりました。この結果、資本主義の回転速度が上がり、世界中で生産と流通の効率化が進み、世界中で「人」があぶれるようになりました。
丸山真男が「開国」で記したように、近代日本の第一の開国が明治前期にあり、第二の開国が、敗戦後の昭和二〇年代にあったとすれば、グローバル化とIT革命が進行した平成初期は、第三の開国の時代だったと言えます。

平成も25年目で、振り返ると冷戦の終わりが「歴史の終わり」と呼ばれた頃には考えられないほど、色々なことが起きたように思います。冷戦期の方が相対的に世界秩序が安定していたと、多くの人が思っているのではないでしょうか。
アメリカとソビエトが対立していた時代の方が、ものや情報や人の流動性が低く、世の中は非効率的ながら、もっと穏やかで、そのような世界の中に「取り戻すべき日本」があるのだ、と。

ただ上のコラムや『平成人(フラット・アダルト)』でも書いたとおり、「失われた時代」の中にも新しい価値観の変化に根ざした社会秩序があり、そのあたりの詳細はそのうち書くことになると思います。


2012/10/18

「新潮45」11月号 バーチャル空間で過熱する「反日感情」

「新潮45」11月号に、バーチャル空間で過熱する「反日感情」、という原稿を書きました。特集の欄に掲載されています。

http://www.shinchosha.co.jp/shincho45/backnumber/20121018/

共同通信によると、9月に中国各地で起きたデモは、125都市で100万人近くを集め、日本でも様々な分析がなされてきました。ただ中国固有のネット文化との関わりで、今回のデモを分析した記事は皆無に近かったと思います。この原稿は中国の検閲事情と、若い世代のネット文化、都市近郊の若者の生活事情などを踏まえた上で、先の反日デモについて分析した論考です。

すでに中国の現在のネット人口は、2012年6月の時点で、5億3760万人います。今年と同様に大規模な反日デモが起きた2005年から、7年間で5倍以上に増加し、増加分の大半は若い利用者です。そして今回の反日デモに参加した人々は、ネットの利用頻度の高い10代後半から30代で、2011年8月に起きたロンドン暴動と同様に、インスタント・メッセンジャー経由で集まった若者が、デモの拡大に大きな役割を果たしています。

ネットとインスタント・メッセンジャーの普及を抜きに、今回の「反日デモ」は語れないと思うのですが、いかがでしょうか。このあたりの詳細は本文で。


2012/09/18

「新潮45」10月号 フェイスブック原稿

本日発売の「新潮45」10月号に、個人情報泥棒「フェイスブック」に騙されるな、という原稿を書きました。特集「頭を冷やせ」の部分に掲載されています。

http://www.shinchosha.co.jp/shincho45/backnumber/20120918/


日本は個人情報保護に関して法整備の遅れた「後進国」であるためか、ヨーロッパやアメリカのように「フェイスブック離れ」が進行していません。むしろ利用者はうなぎ登りに増えています。この現状をどう考えるべきなのか。

すでにフェイスブックは、アメリカでは個人情報の取り扱い問題で、20年間、連邦取引委員会の監視下に置かれています。ドイツでは情報保護局にEU法の違反でアーカイブの破棄を求められています。
日本ではヨーロッパほど問題になっていませんが、フェイスブックはプロフィールや位置情報、クレジットカード番号だけではなく、ユーザーがアップロードした写真から「顔指紋」まで収集しはじめています。個別に許諾を取ることなく生態情報を利用するやり方は、明らかに「一線を越えた」もので、複数の国々で問題になっているのです。
どんなに利用者がプライバシー保持に気を付けていても、友達同士で写った写真に実名がタグ付けされると、「顔指紋」を特定されていく確率が高まっていきます。現状の技術でも、子供の写真から実名と紐付けた「顔指紋」を特定することは、高い確率で可能だと思います。もちろんそのデータが外部に流出して別の用途に使われなければいいのですが・・このあたりの詳細は本文で。

日本では憲法にプライバシー権が明記されていないため、個人情報の利用に関する議論の土壌が弱いのでしょうか。
国民総背番号制の議論にも繋がりますが、そもそも解析されていい個人情報と、解析されるべきではない個人情報の線引きは、一企業が自由に決めていいものではなく、国や地域の社会規範に従って法的に定められるべき性質のものだと思うのです。
プライバシーを保護と、データ解析の利用促進の両立は、規制の仕方の工夫で可能なはずで、日本の個人情報保護の現状は、国際的なトレンドから完全に取り残されている感じがします。


2012/07/23

新潮45「忍び寄るステマの恐怖」

新潮45の8月号に「忍び寄るステマの恐怖」という原稿を書きました。
ステルス・マーケティングについて、「サクラ」や「ヤラセ」についての日本の事例だけではなく、中国の5毛党の「政治ステマ」からFace BookやGoogle GLassの「個人情報の抜き方」まで、将来予測も含めて幅広く論じた内容です。
フロイトの言う「他人の欲望の模倣」によって築かれた現代社会とステルスマーケティングの関係について、コンパクトに理解できる論考と思います。ぜひご一読下さい。
無料のアプリケーションを利用しているうちに、いつの間にか個々人の性格や性的な趣向を判断され、家族構成、病歴から生理の周期まで個人情報を収集される――私たちはこのような時代に足を踏み入れているわけですが、このような時代の延長にある未来とは、果たしてそれほど希望が持てるものなのでしょうか?


2011/11/26

『IT時代の震災と核被害』(インプレスジャパン、共著)に「海外メディア報道と日本の情報公開 『歴史上成功した唯一の社会主義国家』の危機」という原稿を書きました。この原稿は以前「新潮45」に寄稿した「世界が目撃したフクシマ」という原稿を2.5倍ぐらいの分量に加筆・改稿したものです。twitterで知り合ったフリー編集者の斎藤哲也さんが上の原稿を読んでくれて声をかけてくれました。当初の企画よりも、内容が充実していて、手前味噌ですが、これで1800円+税はお買い得と思います。
http://www.impressjapan.jp/books/3114


私の原稿は、海外のメディア報道の中から「特徴的な報道」を取り上げながら、日本のメディアとは異なった文脈で「将来の日本のあり方」について考察したものです。他にも震災と原発事故後のITの活用事例や、ウェブ・コミュニティの動向など興味深い原稿がたくさん収録されていますので、興味をもたれた方はぜひご一読下さい。上のインプレスジャパンのサイトでも期間限定でコンテンツの一部が立ち読みできるようです。

私の原稿についても、立ち読み程度に以下、序盤の結論部(2章)から少しだけ抜粋します。

<略>

なぜ日本のメディアは、原発事故後、WSJ(ウォール・ストリート・ジャーナル)やIHT(インターナショナル・ヘラルド・トリビューン)のように、現場の作業員に焦点を当て「day workers」を賞賛するような報道を、積極的に行わなかったのだろうか。

そもそも原発事故以前から、原発内部での日雇い労働者の健康被害の実態については、ウェブ上で問題視する声が上がっていた。しかし日本のメディアにとって東京電力は大口のスポンサーであるため、電力事業にマイナスイメージを与えるような報道は、積極的に行われてこなかったのだ。独占企業に近い日本の電力会社には、そもそも巨額の広告料は不必要なはずなのだが、日本の電力料金は総括原価方式で算出されているため、電力会社は多額の広告費を原価として計上しても、常に3%の利益を確保できる。このため、電力会社は潤沢な広告費を使用してメディアに影響力を行使してきたのである。実際にメディアの現場で電力会社が強い影響力を行使していることは、私も通信社や広告代理店の知人から詳しく聞いたことがある。いずれにしても、事実として日本の国民は高い電力料金を支払い続けることで、電力会社の高い広告費を支え、電力会社のメディアへの影響力を許容してきたのである。

このような事情もあり、福島第一原発事故後、日本のメディアは作業員が身を挺して危険な現場で働くことを、どこか「空気のように当たり前のこと」として報道してきたのだと思う。だから原発事故直後においても、日本のメディアは被爆の危険を冒して福島第一原発で働く作業員について、欧米のメディアのような積極的な報道を行ってこなかったのだろう。

もちろん日本の国民は、これまで行政の原発推進政策に対して相応の税負担を行い、電力会社に対して高い電力料金を支払い、相応のコスト負担を行ってきた。この額は原発の安全確保の保証金としては十分すぎるものだろう。だから日本の国民が安全確保を怠った行政と東京電力の責任を追求することは当然の権利である。しかし現場の作業員に対する関心の低さには、このような責任問題を超えた「日本的な問題」も横たわっているように思えるのだ。

先のWSJの記事によると、インタビューに答えた現場の作業員は、自らを神風特攻隊に喩えている。「声がかかったら『行きます』と応えるしかない。他人のために命を犠牲にした神風特攻隊のことを考えると心が穏やかになるのです」と。

原発事故後、識者のコメントの中には、今回の被害状況をアジア・太平洋戦争の被害との類比で語る内容が多かった。しかし戦時中と類似しているのは、国土の被害状況以上に政治的空白の中で、根本的な事態の解決を「現場の努力」と「若い作業員の献身」に委ねてしまうような「日本の空気」そのものではないだろうか。日本のメディア報道の影響下にあるとはいえ、どこか日本に住む私たちは、現場の作業員の献身によってもたらされた原発事故の事後処理の進展を、「他人事」のように享受してきたのだ。そしてこのような現場の作業員に対する「他人事」のような感覚は、これまで原発を大都市圏から遠いところに建設したことと、どこか地続きの問題であるように思えるのだ。

私たちは戦後日本の特殊なメディア環境に慣れる内に、いつの間にか戦時中と同じ問題を反復し、「現場の努力」と「若い作業員の献身」を空気のような当たり前のものとして、受容しているのではないだろうか。

2011/11/17

新潮45・12月号「ジョブズはそんなに偉いのか」

新潮45の12月号に「ジョブズはそんなに偉いのか」という原稿を書きました。
特集「言論の死角」の所に載っています。

http://www.shinchosha.co.jp/shincho45/backnumber/20111118/


ジョブズの自伝がベストセラーですが、彼自身が語り部となってひもとく「ジョブズ神話」は、鵜呑みにできるものでしょうか。スティーブ・ジョブズの経営者としての業績は、クリエーターとしての業績と区別して考えるべきだと思うのです。

そもそもジョブズはプログラムを一行も書かなかった人です。アップルのヒット商品の背後には、ジョブズを支えた数多くの有名無名の人たちが存在しています。日本ではジョブズ以外の人たちの業績がほとんど評価されていないように思うのです。

詳細は本文に譲りますが、アップルⅡの成功は、天才的なプログラマーだったS・ウォズニアックの功績なしにはあり得なかったものですし、マッキントッシュも元々はアップルの技術者だったジェフ・ラスキンのプロジェクトです。またピクサーがハリウッドを代表するスタジオとなったのは、ジョン・ラセターのアニメーション監督としての才能によるところが大きい。iMac, iPod, iPhoneの成功も、インダストリアルデザイナーのジョナサン・アイブの存在なしにはあり得なかったと思います。またジョブズの有名なスタンフォード大学での演説や彼のプレゼンテーションの背後にも、スピーチライターがいたことを忘れるべきではありません。

つまり「アップル神話」の背後には、数多くの「神々」が存在しているのです。しかし私たちは、ジョブズの魔法的な話術に掛かると、いつの間にか「ジョブズ一神教」の信者になって、彼一人を「偉大なクリエーター」として神棚に祭り上げてしまうのです。私たちはフェアに彼の周囲にいた人たちの業績も評価した上で、アップルとパーソナル・コンピューターの歴史を記憶していく必要があるのではないでしょうか。

またこの原稿の後半では、ジョブズが残した「負の遺産」についても考察しています。スティーブ・ウォズニアックが、オープンなウェブの文化を支持し、アップルⅡのマニュアルで製品の設計に関する情報を公開したのとは対照的に、ジョブズはクローズドな端末を普及させることで、今日のアップルの収益基盤を揺るぎないものにしています。例えばアップルは、自社製品の情報の秘匿を徹底したり、iPhoneやiPod内でアプリケーションを販売するディベロッパーから30%という高額の手数料(決済代行料)を徴収しています。しかしこのようなジョブズが打ち出した「クローズドな端末世界の方向性」は、私たちが生きる社会の未来にとって有益なものなのでしょうか。

詳細については、本文を読んで頂ければ幸いです。

それと2011年12月8日に、共著で『IT時代の震災と核被害』(インプレスジャパン)という本を出します。私は海外のメディア報道分析について30ページ弱書きました。この本の詳細については、また後日書きます。右上のアマゾンのリンクから予約購入できますので、ぜひ。

http://www.impressjapan.jp/books/3114