文藝春秋の「文學界」(2017年12月号)にカズオ・イシグロ論を寄稿しました。タイトルは、カズオ・イシグロの中の「長崎」で、今年度にノーベル文学賞を受賞した英国の作家・カズオ・イシグロについて、初期の日本を舞台にした作品を中心に、「信用できない語り手」による「記憶の捏造」と「自己正当化の欲望」の描き方に着目して論じています。
カズオ・イシグロは五歳まで長崎市の新中川という町で暮らしていました。
私が通っていた長崎市立桜馬場中学校は、イシグロの生家から歩いて五分ぐらいの所にありました。ノーベル文学賞の受賞時に注目を集めた、イシグロが通っていた幼稚園もすぐ近くで、私はイシグロの小説でも出てくる「新中川」の電停を通学に使っていました。もしイシグロが長崎に残っていて、市立の中学校に通っていれば、イシグロは私の中学校の先輩ということになります。
原稿用紙で50枚と少し、約20ページの批評文です。目次では「評論」の項目に掲載されています。
http://www.bunshun.co.jp/mag/bungakukai/bungakukai1712.htm
今回書いた批評文では、カズオ・イシグロの長崎を舞台とした初期の作品を中心に、「信頼できない語り手」による「自己正当化の欲望に彩られた記憶」の描写について、踏み込んだ分析を行っています。新しい視点からの分析もあり、文芸誌らしい批評文になっていると思います。
カズオ・イシグロについては、まだ書きたいことが多々ありますので、依頼があれば、その後の作品についても詳しく論じたいと考えています。
この作家は、インタビューや講演に際して、作家としての自己の実存をどう示すか、ということに極めて意識的な書き手なので、彼の無意識レベルの言表に切り込んだ分析が必要である、と改めて実感しています。
編集者の評判も良かった原稿ですので、お時間がありましたら、ぜひご一読下さい。
カズオ・イシグロは五歳まで長崎市の新中川という町で暮らしていました。
私が通っていた長崎市立桜馬場中学校は、イシグロの生家から歩いて五分ぐらいの所にありました。ノーベル文学賞の受賞時に注目を集めた、イシグロが通っていた幼稚園もすぐ近くで、私はイシグロの小説でも出てくる「新中川」の電停を通学に使っていました。もしイシグロが長崎に残っていて、市立の中学校に通っていれば、イシグロは私の中学校の先輩ということになります。
原稿用紙で50枚と少し、約20ページの批評文です。目次では「評論」の項目に掲載されています。
http://www.bunshun.co.jp/mag/bungakukai/bungakukai1712.htm
今回書いた批評文では、カズオ・イシグロの長崎を舞台とした初期の作品を中心に、「信頼できない語り手」による「自己正当化の欲望に彩られた記憶」の描写について、踏み込んだ分析を行っています。新しい視点からの分析もあり、文芸誌らしい批評文になっていると思います。
カズオ・イシグロについては、まだ書きたいことが多々ありますので、依頼があれば、その後の作品についても詳しく論じたいと考えています。
この作家は、インタビューや講演に際して、作家としての自己の実存をどう示すか、ということに極めて意識的な書き手なので、彼の無意識レベルの言表に切り込んだ分析が必要である、と改めて実感しています。
編集者の評判も良かった原稿ですので、お時間がありましたら、ぜひご一読下さい。