西日本新聞の連載「松本清張はよみがえる」第29回(2022年1月10日)は、松本清張と一歳違いのプロレタリア詩人・林和(イム・ファ)が、朝鮮半島で経験した「孤独な闘争」を描いた『北の詩人』について論じています。担当デスクが付けた表題は「南北朝鮮に消された 悲劇の文学者の生涯」です。毎回、9×9文字で担当デスクに上手いタイトルを付けて頂いています。元プロボクサーで朝鮮総連の筋金入りの活動員だった父親の「転向」を描いた金城一紀の『GO』とのmatch-upです。
林和は、戦前に朝鮮プロレタリア芸術同盟(KAPF)の中央委員や書記長を務めましたが、日本の警察の弾圧が強まり、KAPFを解散することを余儀なくされた経験を持ちます。戦後は「朝鮮文学」の復興を目指して協議会を組織しましたが、南朝鮮を統治していたアメリカ軍政庁と関係を深め、北朝鮮に追われた後、「アメリカのスパイ」として1953年に処刑されてしまいます。
林和は日本に短期留学をした経験があり、この経験を踏まえて、1929年に中野重治の「雨の降る品川駅」に応答した詩「雨傘さす横浜の埠頭」を書いたことで知られます。名作「雨の降る品川駅」は、プロレタリア文学運動に関わっていた中野重治が、朝鮮半島に送還される人々との別れを描いた詩で、共産主義の本質が、インターナショナル(国際的な連帯)にあったことを文学的に物語る作品です。
松本清張は戦時中に京城(ソウル)近郊の竜山に滞在した経験があるため、同じ時代を身近な場所で生き、数奇な運命を辿った文学者・林和に「隣人」として関心を抱いたのだと思います。この作品は「日本の黒い霧」の朝鮮半島版としても読むことができる興味深い作品です。