文藝春秋9月号に「理想の政界再編は石破新党VS勝間和代新党だ」という評論を書きました。原題は「民主主義の危機」というものですが、「自分と被った内容で変わったタイトルの文章を書いてる人がいるなあ」と思ったら自分の原稿だったりするのが論壇誌ですので、タイトルに躓く人にも読んでほしいです。内容は、「既存の政党の政治的な立場が時代の変化に対応できていないのでは?」という問題意識から、四つの新党の可能性について論じたものです。これまで書いた論壇誌と発行部数の桁が違うので、いつも以上に挑発的な内容かも。
http://gekkan.bunshun.jp/articles/-/76
具体的には、次の人たちが幹部を務める新党による政界再編の可能性について、論じています。石破茂、東国原英夫、福田衣里子、勝間和代、橋下徹、湯浅誠、堀江貴文、東浩紀…。今の二大政党制のあり方や、第三の政党の政治的な立場に「何だかなあ」と思っている人にこそ読んでほしい内容です。
詳細は本文に譲るとして、そもそも「政治的な立場」とは何なのでしょうか。例えば政治学者のローティは、次のように言っています。「政治的な立場は、その政治的な立場が訴えている原理によるというより、その政治的な立場がもたらす結果によって正当化することができる」と。つまり政治的な立場というのは、どこかで聞いたことのあるような理念や、口当たりのいい公約によって定まるのではなく、妥協を強いられた理念や公約を「後付けで正当化」する力によって定まるものなのだ、と。
具体的に考えてみます。例えば先の参議院選挙で民主党が大敗したのは、菅首相が「消費税10%」に言及したためと言われます。ただ、そもそも消費税10%というのは自民党が打ち出した選挙公約です。菅首相も「自民党が提案している10%を一つの参考にしたい」と口にしています。この直後にカナダでのG8サミットが控えていたため、「ギリシアとは違って、日本が財政改革に前向きなこと」をアピールする必要に迫られていたらしいです。
だとすれば、なぜ自民党と比べ物にならないほど、菅首相が批判を浴びせられ、民主党は選挙で議席を失う結果になったのでしょうか。先のローティの言葉を踏まえれば、菅首相が有権者に対して、自らの「政治的な立場」を後付けで正当化することに失敗したからだということになります。多くの有権者にとって、菅首相の「消費税10%」への言及は、自民党の物真似に思えたのだと思います。そして菅首相の発言の内容そのものよりも、彼の「政治的な立場」に疑問符が付いたのだと思います。
そもそも前首相の鳩山由紀夫が支持を失ったのも、高速道路の無料化、普天間基地の移転、公務員制度改革、暫定税率の廃止などの公約の実行に失敗したからではないと思うのです。鳩山由紀夫の「政治的な立場」が小沢一郎にコントロールされていると多くの有権者が感じていたからでしょう。近年の日本の首相は、理念や公約に妥協が強いられた時、「政治的な立場」を後付けで説得する力が欠けている。だから「政治的な立場」があやふやに見えるのだと思います。
だとすれば現代の社会変化に対応した「政治的な立場」とはどのようなものなのでしょうか。そして、その立場を後付けで正当化しうる政治家の力量とはどのようなものなのでしょうか。
この原稿は、その解答の一つとして書いたものです。この原稿を叩き台に、長期的な視野の下で、各政党・各政治家の「政治的な立場」をめぐる論議が起こればいいなあと思います。異論にも期待しています。分量の都合で掲載できなかった議論(例えば移民の受け入れや、現代日本版のコミュニタリアニズム、リバタリアニズムの問題)については、機会が得られれば、別の誌面で書きたいと思います。先の吉田修一論のような文壇での仕事だけではなく、この原稿のような論壇での仕事にも、今後ともご期待下さい。