西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第68回 2019年7月21日)は、絲山秋子の京都と福岡を舞台にした『エスケイプ/アブセント』を取り上げています。表題は「京都ー福岡 逃亡と不在」です。
主人公の江崎正臣(40歳)は「どっかで暴動でも起きないかなー」という物騒な口癖を持つ活動家です。自分のことも「ひきこもりとおんなじ」で「マルクスおたく」だと位置付ける自嘲ぶりです。この作品は、時代遅れの運動に関わってきた若者の「その後の人生」を描いた、絲山秋子らしい現代小説です。
正臣は1966年生まれで、1974年の三菱重工爆破事件をきっかけとして「過激派」に惹かれるようになります。バブル期に大学に入りながら、時代遅れのセクトでの「活動」にのめり込み、完全に時代に取り残されています。この作品には従来の「党」や「運動」に関する小説に見られる悲壮感や、主義・信条上の問いなどは全く感じられず、中年に足を踏み入れた活動家の生活者らしい「半生=反省」が横たわっています。
作品の全体を通して絲山は、もし誰かが人生から「エスケイプ」をしたら、彼らがいるべき場所に「アブセント(不在)」が残ることの意味を問いかけています。9・11以後、世界にぽっかりと空いた「不在」は、私たちの心の中にも存在するのではないか、と。絲山秋子らしいユーモラスで深みのある「転向小説」です。
主人公の江崎正臣(40歳)は「どっかで暴動でも起きないかなー」という物騒な口癖を持つ活動家です。自分のことも「ひきこもりとおんなじ」で「マルクスおたく」だと位置付ける自嘲ぶりです。この作品は、時代遅れの運動に関わってきた若者の「その後の人生」を描いた、絲山秋子らしい現代小説です。
正臣は1966年生まれで、1974年の三菱重工爆破事件をきっかけとして「過激派」に惹かれるようになります。バブル期に大学に入りながら、時代遅れのセクトでの「活動」にのめり込み、完全に時代に取り残されています。この作品には従来の「党」や「運動」に関する小説に見られる悲壮感や、主義・信条上の問いなどは全く感じられず、中年に足を踏み入れた活動家の生活者らしい「半生=反省」が横たわっています。
作品の全体を通して絲山は、もし誰かが人生から「エスケイプ」をしたら、彼らがいるべき場所に「アブセント(不在)」が残ることの意味を問いかけています。9・11以後、世界にぽっかりと空いた「不在」は、私たちの心の中にも存在するのではないか、と。絲山秋子らしいユーモラスで深みのある「転向小説」です。