2020/12/09

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第137回 藤沢周『ブエノスアイレス午前零時』

 西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第137回 2020年12月6日)は、藤沢周の芥川賞受賞作『ブエノスアイレス午前零時』を取り上げています。表題は「湯上り 上気した時間と記憶」です。

 温泉は日本を象徴する観光地として国内外の観光客で賑わっています。ただジョン・アーリ『観光のまなざし』によると、イギリスでは健康の効能が疑わしいと見なされて19世紀に廃れた歴史があります。確かに温泉と一口に言ってもその成分は多様で、効能も高血圧や動脈硬化、糖尿病が治るなど、にわかには信じがたい内容が記されています。

 イギリスで温泉地として知られるのは、英語で浴場を意味するBathの名を冠するイングランド南部のバースぐらいです。私もバースを訪れて驚きましたが、世界文化遺産に登録されている温泉地でありながら、入浴できる場所はごくわずかしかありません。ローマン・バスなどの有名な観光地も、緑色に輝く水面やローマ時代の遺跡などを見学させる場所に過ぎないのです。イギリス人の風呂嫌いが筋金入りであることは、温泉地の観光地としての価値の低さからも分かると思います。

 藤沢周の「ブエノスアイレス午前零時」は、日本の温泉地らしい「上気した雰囲気」を伝える現代小説です。藤沢周は新潟県西蒲原郡の出身で、父親が定宿にしていた新潟県阿賀町のきりん山温泉の旅館をモデルに、この作品を記したそうです。




藤沢周『ブエノスアイレス午前零時』あらすじ

 ダンスホール目当ての客とスキー客でにぎわう雪深い温泉町のホテルを舞台にした作品。「ブエノスアイレス午前零時」という表題はピアソラの曲に由来する。都会の広告代理店を辞め、実家のある街に戻って来た若者と、梅毒を患った元売春婦と噂される老婆の交流を描いた抒情的な作品。表題作は第119回芥川賞を受賞。