2020/12/16

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第138回 宮下奈都『羊と鋼の森』

 西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第138回 2020年12月13日)は、宮下奈都の本屋大賞の大賞受賞作『羊と鋼の森』を取り上げています。表題は「若い調律師の成長物語」です。

 ピアノとは精巧に作られた木製の「弦楽器」で、18世紀の初頭にチェンバロを改良して生まれた近代の産物です。本文中の言葉を借りれば、「いい草を食べて育ったいい羊のいい毛」を贅沢に使ったフェルトのハンマーが、鋼鉄で作られた弦を叩き、その振動がエゾマツの木を主な原料とした響板に伝わり、響板が空気を振動させることで豊かな音が生まれます。現代でもピアノのハンマーは羊の毛で作られ、響板は木で作られており、多くの演奏会がアナログ(生音)で行われています。

 この小説は北海道の山の集落で育った主人公の外村がピアノの調律師として成長していく物語です。調律師の仕事は「精密な楽器」であるピアノを、各パーツの素材の特性を理解しながら、気温や湿度に応じて調整することにあります。綿羊牧場の近くで育った外村が、音楽の素養を持たず、徒手空拳で「羊と鋼の森」が奏でる音を求めて成長していくプロセスには、ピアノ版の「羊をめぐる冒険」という趣きが感じられます。

 恩田陸の「蜜蜂と遠雷」のようにピアニストを題材とし、音楽を様々な喩えを駆使して表現した優れた現代小説も存在します。ただ過疎化の進む開拓地で育った調律師の視点から、自然の音の記憶を辿りつつ「目指す音」を追求する本作もオリジナリティが高く、面白い作品です。


宮下奈都『羊と鋼の森』あらすじ

北海道の山の集落で生まれ育ち、高校卒業後にピアノの調律師となることを決意した外村は、専門学校で教育を受けたのち、地元に近い江藤楽器店に就職する。天才的な調律師の板鳥に憧れつつ、先輩の柳や秋野に見守られながら、外村は調律師として成長していく。2016年に第13回本屋大賞で1位を獲得。