西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第141回 2021年1月17日)は、荻原浩の直木賞受賞作『海の見える理髪店』を取り上げています。表題は「新感覚の大人の通過儀礼」です。
様々な事情で家族と生き別れたり、死別した人々を描いた6つの短編から成る作品です。2016年に本作は直木賞を受賞し、荻原浩は多様な種類の作品を書き分ける短編の名手としての評価を高めました。成城大学で同期だった斎藤美奈子は、文庫版の解説で、荻原の作家としての多彩さを、コピーライターとして独立した人間らしい「アイデア」から生まれたものだと分析しています。
表題作の「海の見える理髪店」は最初に収録されている短編で、戦前生まれの床屋の店主の紆余曲折の人生が、海沿いの風景と共に、読後に強い印象を残す作品です。店主は、かつて大物俳優や政財界の名士たちを常連客として持っていた有名な理容師で、戦時中から父親の床屋で出征する兵士たちの頭を刈り、職人としての腕を磨いてきました。昭和三十年代に「慎太郎刈り」が流行して床屋が繁盛したり、昔は女の子も床屋に通い「乙女刈り」を好んでいたといった描写に、時間の重みが感じられます。
「仕事っていうのは、つまるところ、人の気持ちを考えることではないかと私は思うのです」と「訳ありの客」に語り掛ける店主の言葉には、有名店を築きながら刑務所に入った経験を持つ、叩き上げの人間らしい「人生哲学」が感じられます。
荻原浩『海の見える理髪店』あらすじ
海辺の小さな町に佇む訳ありの理髪店を舞台にした表題作など、家族との別れをめぐる短編6本を収録。残業で家庭を顧みない夫に嫌気がさし、娘を連れて実家に帰った娘が不思議なメールを受け取る「遠くから来た手紙」など、感動的な作品が並ぶ。荻原浩らしい個性的な短編集で、第155回直木賞受賞作。