西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第153回 2021年4月11日)は、芦沢央の第164回直木賞候補作『汚れた手をそこで拭かない』を取り上げています。表題は「日常に潜む『落とし穴』」です。この回の直木賞は、時代小説の受賞が期待される状況だったこともあり、受賞に至りませんでしたが、最も芥川賞向きの作風で、文学性も高く、将来が期待される作家だと思います。
写真は「世界一の本の町 神田すずらん通り商店街」です。神保町では、大学2,3年の時にイタリア系の出版社デアゴスティーニ・ジャパンの編集部でバイトしていました。東京堂でよく立ち読みしてサボっていたので、東京堂の写真を掲載頂きました。四半世紀が経った今日も、明治大学での会議ついでにボンディでカレーを食べ、古本を物色しつつ、すずらん通りを散歩しました。世界一の商店街だと思います。
神保町はさておき、芦沢央は平穏だと考えていた日常を侵食する「小さな悪意」を通して小説のリアリティを築くのが上手いです。「汚れた手をそこで拭かない」は、人々が穏やかな日常生活の中で見落としているような「小さな悪意」を起爆剤として、喜怒哀楽に還元しがたい際どい感情を表現した短編集といえます。単行本の帯文に「ひたひたと忍び寄るおそろしさ、ぬるりと変容する日常から、目を背けてはならない」と記されていますが、言い得て妙です。
老人がアパートの隣人の電気機器を親切に修理するふりをして、盗電して自室の電気代を節約するなど「小さな悪意」が、小説の中心的な題材として取り上げられています。個人的に最も印象に残ったのが、「埋め合わせ」という作品で、小学校のプールの栓を閉め忘れて大量の水を流出させたことを隠蔽しようとする小学校教師の姿が描かれています。
現実に日本では、プールの給水栓を小学校教員が閉め忘れ、上下水道料金(数百万円になることも)を請求される事例が生じています。平穏な小学校の夏休みにぽっかりと空いた「落とし穴」が、ホラー作品のような恐怖を読者に与えます。
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