2013/01/09

産経新聞「平成25年を迎え」

産経新聞に「平成25年を迎え」というコラムを書きました。
平成25年1月6日の特集欄に載っています。

http://www.sankei.com/life/news/130106/lif1301060016-n1.html

思えば、平成二〇年に私は『平成人(フラット・アダルト)』という本を書きました。この本で私は平成という時代の大きな特徴は、冷戦構造の崩壊によってグローバル化が進行したことと、IT革命によって、人が管理する情報と、人を管理する情報の技術革新が起きたことの二つにあると考えました。
この考えは、五年経った今でも変わりません。グローバル化の影響で世界中に安価な「もの」があふれるようになり、IT革命のおかげで世界中に無料で膨大な量の「情報」があふれるようになりました。この結果、資本主義の回転速度が上がり、世界中で生産と流通の効率化が進み、世界中で「人」があぶれるようになりました。
丸山真男が「開国」で記したように、近代日本の第一の開国が明治前期にあり、第二の開国が、敗戦後の昭和二〇年代にあったとすれば、グローバル化とIT革命が進行した平成初期は、第三の開国の時代だったと言えます。

平成も25年目で、振り返ると冷戦の終わりが「歴史の終わり」と呼ばれた頃には考えられないほど、色々なことが起きたように思います。冷戦期の方が相対的に世界秩序が安定していたと、多くの人が思っているのではないでしょうか。
アメリカとソビエトが対立していた時代の方が、ものや情報や人の流動性が低く、世の中は非効率的ながら、もっと穏やかで、そのような世界の中に「取り戻すべき日本」があるのだ、と。

ただ上のコラムや『平成人(フラット・アダルト)』でも書いたとおり、「失われた時代」の中にも新しい価値観の変化に根ざした社会秩序があり、そのあたりの詳細はそのうち書くことになると思います。


2012/10/18

「新潮45」11月号 バーチャル空間で過熱する「反日感情」

「新潮45」11月号に、バーチャル空間で過熱する「反日感情」、という原稿を書きました。特集の欄に掲載されています。

http://www.shinchosha.co.jp/shincho45/backnumber/20121018/

共同通信によると、9月に中国各地で起きたデモは、125都市で100万人近くを集め、日本でも様々な分析がなされてきました。ただ中国固有のネット文化との関わりで、今回のデモを分析した記事は皆無に近かったと思います。この原稿は中国の検閲事情と、若い世代のネット文化、都市近郊の若者の生活事情などを踏まえた上で、先の反日デモについて分析した論考です。

すでに中国の現在のネット人口は、2012年6月の時点で、5億3760万人います。今年と同様に大規模な反日デモが起きた2005年から、7年間で5倍以上に増加し、増加分の大半は若い利用者です。そして今回の反日デモに参加した人々は、ネットの利用頻度の高い10代後半から30代で、2011年8月に起きたロンドン暴動と同様に、インスタント・メッセンジャー経由で集まった若者が、デモの拡大に大きな役割を果たしています。

ネットとインスタント・メッセンジャーの普及を抜きに、今回の「反日デモ」は語れないと思うのですが、いかがでしょうか。このあたりの詳細は本文で。


2012/09/18

「新潮45」10月号 フェイスブック原稿

本日発売の「新潮45」10月号に、個人情報泥棒「フェイスブック」に騙されるな、という原稿を書きました。特集「頭を冷やせ」の部分に掲載されています。

http://www.shinchosha.co.jp/shincho45/backnumber/20120918/


日本は個人情報保護に関して法整備の遅れた「後進国」であるためか、ヨーロッパやアメリカのように「フェイスブック離れ」が進行していません。むしろ利用者はうなぎ登りに増えています。この現状をどう考えるべきなのか。

すでにフェイスブックは、アメリカでは個人情報の取り扱い問題で、20年間、連邦取引委員会の監視下に置かれています。ドイツでは情報保護局にEU法の違反でアーカイブの破棄を求められています。
日本ではヨーロッパほど問題になっていませんが、フェイスブックはプロフィールや位置情報、クレジットカード番号だけではなく、ユーザーがアップロードした写真から「顔指紋」まで収集しはじめています。個別に許諾を取ることなく生態情報を利用するやり方は、明らかに「一線を越えた」もので、複数の国々で問題になっているのです。
どんなに利用者がプライバシー保持に気を付けていても、友達同士で写った写真に実名がタグ付けされると、「顔指紋」を特定されていく確率が高まっていきます。現状の技術でも、子供の写真から実名と紐付けた「顔指紋」を特定することは、高い確率で可能だと思います。もちろんそのデータが外部に流出して別の用途に使われなければいいのですが・・このあたりの詳細は本文で。

日本では憲法にプライバシー権が明記されていないため、個人情報の利用に関する議論の土壌が弱いのでしょうか。
国民総背番号制の議論にも繋がりますが、そもそも解析されていい個人情報と、解析されるべきではない個人情報の線引きは、一企業が自由に決めていいものではなく、国や地域の社会規範に従って法的に定められるべき性質のものだと思うのです。
プライバシーを保護と、データ解析の利用促進の両立は、規制の仕方の工夫で可能なはずで、日本の個人情報保護の現状は、国際的なトレンドから完全に取り残されている感じがします。


2012/07/23

新潮45「忍び寄るステマの恐怖」

新潮45の8月号に「忍び寄るステマの恐怖」という原稿を書きました。
ステルス・マーケティングについて、「サクラ」や「ヤラセ」についての日本の事例だけではなく、中国の5毛党の「政治ステマ」からFace BookやGoogle GLassの「個人情報の抜き方」まで、将来予測も含めて幅広く論じた内容です。
フロイトの言う「他人の欲望の模倣」によって築かれた現代社会とステルスマーケティングの関係について、コンパクトに理解できる論考と思います。ぜひご一読下さい。
無料のアプリケーションを利用しているうちに、いつの間にか個々人の性格や性的な趣向を判断され、家族構成、病歴から生理の周期まで個人情報を収集される――私たちはこのような時代に足を踏み入れているわけですが、このような時代の延長にある未来とは、果たしてそれほど希望が持てるものなのでしょうか?


2011/11/26

『IT時代の震災と核被害』(インプレスジャパン、共著)に「海外メディア報道と日本の情報公開 『歴史上成功した唯一の社会主義国家』の危機」という原稿を書きました。この原稿は以前「新潮45」に寄稿した「世界が目撃したフクシマ」という原稿を2.5倍ぐらいの分量に加筆・改稿したものです。twitterで知り合ったフリー編集者の斎藤哲也さんが上の原稿を読んでくれて声をかけてくれました。当初の企画よりも、内容が充実していて、手前味噌ですが、これで1800円+税はお買い得と思います。
http://www.impressjapan.jp/books/3114


私の原稿は、海外のメディア報道の中から「特徴的な報道」を取り上げながら、日本のメディアとは異なった文脈で「将来の日本のあり方」について考察したものです。他にも震災と原発事故後のITの活用事例や、ウェブ・コミュニティの動向など興味深い原稿がたくさん収録されていますので、興味をもたれた方はぜひご一読下さい。上のインプレスジャパンのサイトでも期間限定でコンテンツの一部が立ち読みできるようです。

私の原稿についても、立ち読み程度に以下、序盤の結論部(2章)から少しだけ抜粋します。

<略>

なぜ日本のメディアは、原発事故後、WSJ(ウォール・ストリート・ジャーナル)やIHT(インターナショナル・ヘラルド・トリビューン)のように、現場の作業員に焦点を当て「day workers」を賞賛するような報道を、積極的に行わなかったのだろうか。

そもそも原発事故以前から、原発内部での日雇い労働者の健康被害の実態については、ウェブ上で問題視する声が上がっていた。しかし日本のメディアにとって東京電力は大口のスポンサーであるため、電力事業にマイナスイメージを与えるような報道は、積極的に行われてこなかったのだ。独占企業に近い日本の電力会社には、そもそも巨額の広告料は不必要なはずなのだが、日本の電力料金は総括原価方式で算出されているため、電力会社は多額の広告費を原価として計上しても、常に3%の利益を確保できる。このため、電力会社は潤沢な広告費を使用してメディアに影響力を行使してきたのである。実際にメディアの現場で電力会社が強い影響力を行使していることは、私も通信社や広告代理店の知人から詳しく聞いたことがある。いずれにしても、事実として日本の国民は高い電力料金を支払い続けることで、電力会社の高い広告費を支え、電力会社のメディアへの影響力を許容してきたのである。

このような事情もあり、福島第一原発事故後、日本のメディアは作業員が身を挺して危険な現場で働くことを、どこか「空気のように当たり前のこと」として報道してきたのだと思う。だから原発事故直後においても、日本のメディアは被爆の危険を冒して福島第一原発で働く作業員について、欧米のメディアのような積極的な報道を行ってこなかったのだろう。

もちろん日本の国民は、これまで行政の原発推進政策に対して相応の税負担を行い、電力会社に対して高い電力料金を支払い、相応のコスト負担を行ってきた。この額は原発の安全確保の保証金としては十分すぎるものだろう。だから日本の国民が安全確保を怠った行政と東京電力の責任を追求することは当然の権利である。しかし現場の作業員に対する関心の低さには、このような責任問題を超えた「日本的な問題」も横たわっているように思えるのだ。

先のWSJの記事によると、インタビューに答えた現場の作業員は、自らを神風特攻隊に喩えている。「声がかかったら『行きます』と応えるしかない。他人のために命を犠牲にした神風特攻隊のことを考えると心が穏やかになるのです」と。

原発事故後、識者のコメントの中には、今回の被害状況をアジア・太平洋戦争の被害との類比で語る内容が多かった。しかし戦時中と類似しているのは、国土の被害状況以上に政治的空白の中で、根本的な事態の解決を「現場の努力」と「若い作業員の献身」に委ねてしまうような「日本の空気」そのものではないだろうか。日本のメディア報道の影響下にあるとはいえ、どこか日本に住む私たちは、現場の作業員の献身によってもたらされた原発事故の事後処理の進展を、「他人事」のように享受してきたのだ。そしてこのような現場の作業員に対する「他人事」のような感覚は、これまで原発を大都市圏から遠いところに建設したことと、どこか地続きの問題であるように思えるのだ。

私たちは戦後日本の特殊なメディア環境に慣れる内に、いつの間にか戦時中と同じ問題を反復し、「現場の努力」と「若い作業員の献身」を空気のような当たり前のものとして、受容しているのではないだろうか。

2011/11/17

新潮45・12月号「ジョブズはそんなに偉いのか」

新潮45の12月号に「ジョブズはそんなに偉いのか」という原稿を書きました。
特集「言論の死角」の所に載っています。

http://www.shinchosha.co.jp/shincho45/backnumber/20111118/


ジョブズの自伝がベストセラーですが、彼自身が語り部となってひもとく「ジョブズ神話」は、鵜呑みにできるものでしょうか。スティーブ・ジョブズの経営者としての業績は、クリエーターとしての業績と区別して考えるべきだと思うのです。

そもそもジョブズはプログラムを一行も書かなかった人です。アップルのヒット商品の背後には、ジョブズを支えた数多くの有名無名の人たちが存在しています。日本ではジョブズ以外の人たちの業績がほとんど評価されていないように思うのです。

詳細は本文に譲りますが、アップルⅡの成功は、天才的なプログラマーだったS・ウォズニアックの功績なしにはあり得なかったものですし、マッキントッシュも元々はアップルの技術者だったジェフ・ラスキンのプロジェクトです。またピクサーがハリウッドを代表するスタジオとなったのは、ジョン・ラセターのアニメーション監督としての才能によるところが大きい。iMac, iPod, iPhoneの成功も、インダストリアルデザイナーのジョナサン・アイブの存在なしにはあり得なかったと思います。またジョブズの有名なスタンフォード大学での演説や彼のプレゼンテーションの背後にも、スピーチライターがいたことを忘れるべきではありません。

つまり「アップル神話」の背後には、数多くの「神々」が存在しているのです。しかし私たちは、ジョブズの魔法的な話術に掛かると、いつの間にか「ジョブズ一神教」の信者になって、彼一人を「偉大なクリエーター」として神棚に祭り上げてしまうのです。私たちはフェアに彼の周囲にいた人たちの業績も評価した上で、アップルとパーソナル・コンピューターの歴史を記憶していく必要があるのではないでしょうか。

またこの原稿の後半では、ジョブズが残した「負の遺産」についても考察しています。スティーブ・ウォズニアックが、オープンなウェブの文化を支持し、アップルⅡのマニュアルで製品の設計に関する情報を公開したのとは対照的に、ジョブズはクローズドな端末を普及させることで、今日のアップルの収益基盤を揺るぎないものにしています。例えばアップルは、自社製品の情報の秘匿を徹底したり、iPhoneやiPod内でアプリケーションを販売するディベロッパーから30%という高額の手数料(決済代行料)を徴収しています。しかしこのようなジョブズが打ち出した「クローズドな端末世界の方向性」は、私たちが生きる社会の未来にとって有益なものなのでしょうか。

詳細については、本文を読んで頂ければ幸いです。

それと2011年12月8日に、共著で『IT時代の震災と核被害』(インプレスジャパン)という本を出します。私は海外のメディア報道分析について30ページ弱書きました。この本の詳細については、また後日書きます。右上のアマゾンのリンクから予約購入できますので、ぜひ。

http://www.impressjapan.jp/books/3114


2011/05/18

「新潮45」6月号 世界が目撃したフクシマ

「新潮45」の6月号に「世界が目撃したフクシマ」という原稿を書きました。東日本大震災に関する国際メディア報道の「裏を読む」原稿です。欧米だけではなく、中東やアフリカのメディアの報道内容も踏まえています。

http://www.shinchosha.co.jp/shincho45/backnumber/20110518/

海外メディアの「日本人礼賛報道」や「とんでも報道」は日本のメディアで多く報道されてきましたが、このような報道は「原発事故を取り巻く世界情勢」を反映していません。海外のメディア報道の「鋭い視線」を通して、はじめて意識出来る「将来の日本の理想的な姿」があると思います。

なぜこういうジャーナリスティックな原稿を書いたかといいますと、私は以前、慶應義塾大学グローバルセキュリティ研究所(福井プロジェクト)で、自然災害や人的災害について、各国メディアの論調の違いをデータ解析し、分析するというプロジェクトに関わっていました。この原稿はその時の方法論を生かしたもので、現状の世界認識には、利害関係の異なる国のメディアの比較が不可欠だと考えています。

現状の原発報道に物足りなさを感じている方は、ぜひご一読頂ければと思います。

これで論壇誌に書くのは、「諸君!」、「論座」、「VOICE」、「文藝春秋」、「新潮45」、と5誌目になります。雑誌を取り巻く状況が厳しい中、声をかけて頂いた編集者に感謝です。

書籍を取り巻く状況も厳しいようなので、当面は眼前の仕事をこなしながら、単行本を出せる機会を窺っていきたいと思います。「情報社会」関連、「戦後日本」関連の原稿はたまっていますので、ご関心のある方は、ご一報を頂ければ幸いです。


2010/08/10

文藝春秋9月号に「理想の政界再編は石破新党VS勝間和代新党だ」という評論を書きました。原題は「民主主義の危機」というものですが、「自分と被った内容で変わったタイトルの文章を書いてる人がいるなあ」と思ったら自分の原稿だったりするのが論壇誌ですので、タイトルに躓く人にも読んでほしいです。内容は、「既存の政党の政治的な立場が時代の変化に対応できていないのでは?」という問題意識から、四つの新党の可能性について論じたものです。これまで書いた論壇誌と発行部数の桁が違うので、いつも以上に挑発的な内容かも。

http://gekkan.bunshun.jp/articles/-/76

具体的には、次の人たちが幹部を務める新党による政界再編の可能性について、論じています。石破茂、東国原英夫、福田衣里子、勝間和代、橋下徹、湯浅誠、堀江貴文、東浩紀…。今の二大政党制のあり方や、第三の政党の政治的な立場に「何だかなあ」と思っている人にこそ読んでほしい内容です。

詳細は本文に譲るとして、そもそも「政治的な立場」とは何なのでしょうか。例えば政治学者のローティは、次のように言っています。「政治的な立場は、その政治的な立場が訴えている原理によるというより、その政治的な立場がもたらす結果によって正当化することができる」と。つまり政治的な立場というのは、どこかで聞いたことのあるような理念や、口当たりのいい公約によって定まるのではなく、妥協を強いられた理念や公約を「後付けで正当化」する力によって定まるものなのだ、と。
具体的に考えてみます。例えば先の参議院選挙で民主党が大敗したのは、菅首相が「消費税10%」に言及したためと言われます。ただ、そもそも消費税10%というのは自民党が打ち出した選挙公約です。菅首相も「自民党が提案している10%を一つの参考にしたい」と口にしています。この直後にカナダでのG8サミットが控えていたため、「ギリシアとは違って、日本が財政改革に前向きなこと」をアピールする必要に迫られていたらしいです。
だとすれば、なぜ自民党と比べ物にならないほど、菅首相が批判を浴びせられ、民主党は選挙で議席を失う結果になったのでしょうか。先のローティの言葉を踏まえれば、菅首相が有権者に対して、自らの「政治的な立場」を後付けで正当化することに失敗したからだということになります。多くの有権者にとって、菅首相の「消費税10%」への言及は、自民党の物真似に思えたのだと思います。そして菅首相の発言の内容そのものよりも、彼の「政治的な立場」に疑問符が付いたのだと思います。
 そもそも前首相の鳩山由紀夫が支持を失ったのも、高速道路の無料化、普天間基地の移転、公務員制度改革、暫定税率の廃止などの公約の実行に失敗したからではないと思うのです。鳩山由紀夫の「政治的な立場」が小沢一郎にコントロールされていると多くの有権者が感じていたからでしょう。近年の日本の首相は、理念や公約に妥協が強いられた時、「政治的な立場」を後付けで説得する力が欠けている。だから「政治的な立場」があやふやに見えるのだと思います。

 だとすれば現代の社会変化に対応した「政治的な立場」とはどのようなものなのでしょうか。そして、その立場を後付けで正当化しうる政治家の力量とはどのようなものなのでしょうか。

この原稿は、その解答の一つとして書いたものです。この原稿を叩き台に、長期的な視野の下で、各政党・各政治家の「政治的な立場」をめぐる論議が起こればいいなあと思います。異論にも期待しています。分量の都合で掲載できなかった議論(例えば移民の受け入れや、現代日本版のコミュニタリアニズム、リバタリアニズムの問題)については、機会が得られれば、別の誌面で書きたいと思います。先の吉田修一論のような文壇での仕事だけではなく、この原稿のような論壇での仕事にも、今後ともご期待下さい。


2010/08/07

文学界9月号に吉田修一論を書きました

8月7日発売の文藝春秋の文学界9月号に「吉田修一論 都市小説の訛りについて」というタイトルの批評文を書きました。芥川賞特集の下の方、「10年代の入り口で 文学界2010」のところに載っています。30ページぐらいの分量です。

http://www.bunshun.co.jp/mag/bungakukai/

吉田修一さんは、長崎南高校の先輩にあたる人で、実家も「同じ山の斜面」にあるので、文化圏というか、言語圏が同じです。「water」で描かれているプールで泳いでましたし、「長崎乱楽坂」の雰囲気は、私が生まれ育った町の雰囲気でもあります。なので今回の批評文は、「吉田作品の訛り」について「ネイティブ」らしい視点から展開しています。もちろん吉田作品に馴染みがなくとも、作品から独立した作品として読めますので、ぜひ手にとってみてください。

吉田作品で実家として描かれる「酒屋」の前の道は、高校の通学路の一つでした。「一つ」というのは、吉田修一さんと私が通った高校は、ちょうど長崎港が見渡せる小山の山頂近くにあったので、私は行きはバスを使って、帰りは気まぐれに路地を選びながら山を下りていたわけです。小説でも描かれていますが、長崎南高校のある山から見渡す長崎港の景色は、「東京に行くのを止めようか」と思うほど美しいです。

思えば、あの酒屋でジュースやビールを買った記憶もあります。一休みするのに、ちょうどいい感じの場所にあるのです。長崎の酒屋では、仕事上がりの職人がつまみを買って飲んでるので、時間によっては酔っ払いに絡まれることもありますが、それはそれでよい勉強になります。その下には龍馬伝で舞台になっている丸山(旧遊郭街)がありますが、あのあたりには成人映画のポスターが各電柱に貼られていたので、それもまたよい勉強になりました。あと長崎は平地が少ないので、路地の中に急に墓場が現れてきますが、毎日の下校が肝試しみたいになるので、お得です。たまに墓から変質者も出てくるので、スリル満点です。

そういう話は本論と関係ないですが、長崎の人らしい「訛り」にも着目した「吉田修一論」をぜひ読んでみてください。柳田国男とか漱石とかフロイトとかルカーチとか江藤淳とかも出てきますが、文芸批評に馴染みのない人にも読みやすい文になっていると思います。

この批評文を皮切りに、文芸誌では現代の日本の小説について批評文を書いていきます。現代版の「成熟と喪失」をやります。江藤淳の「成熟と喪失」は、その概念を借用してあれこれ言う類の作品ではなく、実践する類の作品だと思うので。同時代の小説と向き合いながら、現代の文芸批評の基準を示していきます。


2009/10/16

笠原和夫/「実録・共産党」「日本暗殺秘録」解説

■扶桑社 「en-taxi」 2005年秋号付録

実録・共産党 日本暗殺秘録 解説

 孤独とは、けっして単独な状態ではない。孤独はのがれがたく連帯の中にはらまれている。そして、このような孤独にあえて立ち返る勇気をもたぬかぎり、いかなる連帯も出発しないのである。無傷な、よろこばしい連帯というものはこの世界には存在しない。(石原吉郎「ある<共生>の経験から」)

 共産党の下での連帯であれ、昭和維新の旗の下での連帯であれ、そこには孤独がのがれがたくはらまれている。映画脚本家・笠原和夫は、自著の中で上の石原吉郎の一節を好んで引いているが、彼は日本共産党と昭和維新運動を題材にした脚本についても、このような「連帯の中にはらまれている孤独」に焦点を絞って描いているように思える。そしてこれらの映画に限らず、初期の美空ひばり主演の映画から、鶴田浩二を軸とした半時代劇の仁侠映画、『仁義なき戦い』をはじめとする実録映画を経て、晩年の『大日本帝国』など大作の戦争映画まで、笠原和夫は近代日本を舞台にした映画の脚本を数多く手がけながら、一貫して「近代日本という連帯の中にはらまれている近代日本人の孤独とは何か」、問い続けてきたように思える。
 
 笠原和夫は自己の脚本をしばしばギリシア演劇にたとえている。ギリシア演劇は、特定の主人公が劇を牽引するのではなく、主要な登場人物たちとコロスと呼ばれる合唱隊との掛け合いによって展開していくものである。笠原和夫の脚本も、主要な登場人物たちとコロスのような集団との掛け合いによって劇が進行していく。これは大ヒット作『仁義なき戦い』を例に考えればイメージしやすい。周知の通りこの映画は、菅原文太が主役を張り、松方弘樹、金子信雄、梅宮辰夫、渡瀬恒彦、小林旭といった俳優が脇を固めたものであるが、彼ら主要な登場人物たちが劇を牽引するのではなく、彼らの周囲に配されたピラニア軍団などの大部屋の役者たちが、主要な登場人物たちの立場を揺るがす事件を起こすことで、劇は展開していく。つまり笠原和夫は、バルザックの「人間喜劇」のように、膨大な数の登場人物を劇の進行に関係させながら、周囲の人々との関わりの中で、主要な登場人物たちが異なる様相を呈していく姿を浮き彫りにしているのである。
 
 笠原脚本の特徴がこのような集団劇にあるとすれば、「実録・共産党」と「日本暗殺秘録」は笠原脚本らしい脚本であるといえる。綿密な取材と資料読解で知られる笠原は、笠原自身の言葉を借りれば「事実という大枠の中にフィクションを入れ込められる」ような劇を得意としたが、これら二つの脚本は「事実という大枠」が大きいため、実に多くの人物が登場し、劇の進行に関わっている。「実録共産党」は、一九二九年の四・一六大検挙事件以後に実権を握った宮本顕治や袴田里見、スパイ松村やスパイ三船などの人物を除けば、戦前の共産党に関わりのあった主要な人物をほとんど網羅している。また「日本暗殺秘録」は、昭和天皇を狙った虎の門事件の難波大助、桜田門事件の李奉昌のような人物を除けば、戦前の暗殺事件に関わった主要な人物をほとんど網羅している。東映のオールスター映画用の脚本とはいえ、これら二つの脚本の登場人物の数は膨大なものといえるだろう。
 ただ、これらの脚本は「実録」「秘録」と銘打たれているものの、戦前の日本共産党や昭和維新運動の歴史を記録的に描いたものではない。「実録・共産党」で主要な登場人物として描かれているのは、大正末期に共産党の中央委員となった渡辺政之輔とその妻のセツであり、焦点が絞られているのは、コミンテルンのテーゼ変更や、大森銀行ギャング事件、リンチ共産党事件など党絡みのものではなく、関東大震災の混乱に乗じて軍隊が南葛労働組合員などを斬殺した事件(亀戸事件)である。また「日本暗殺秘録」で主要な登場人物として描かれているのは、一人一殺を掲げ、五・一五事件の先陣を切った血盟団事件の小沼正であり、焦点が絞られているのは、北一輝や大川周明の超国家主義思想を背景にしたクーデター事件ではなく、昭和恐慌期に思春期を迎えた小沼が革命思想を抱くに至る過程である。つまり何れの脚本も、人口に膾炙した共産党の歴史や昭和維新運動の歴史の中では、傍流といえる史実に焦点を絞ったものなのである。
 
 しかもこれらの脚本は、日本共産党にとっての共産主義とは何か、あるいは昭和維新運動における超国家主義とは何かという問いに答えるものでもない。「『資本論』なんて読んだことない」と臆面もなく語る笠原は、「実録・共産党」の冒頭の『共産党宣言』の引用に表れているように、共産主義を武力革命の側面からのみ解釈している。もちろんこれは渡辺政之輔が党中央委員だった時代の日本共産党を考える上では、さほど間違いではない。ドイツ留学中にルカーチらと交友をもった福本和夫が、昭和のはじめ頃に帰国して影響力を持つまで、日本共産党は中央委員ですらマルクス数冊、レーニン皆無といった読書量であり、渡政に限らず、多くの共産党員が共産主義を武力革命の側面から解釈していたといえる。「実録・共産党」で主要な人物として描かれている渡辺政之輔は、明治政府=地主政府論を主張しているが、これは、山田盛太郎などの例外を除けば、その後の講座派に繋がる稚拙なマルクス読解の原型といえるものだったといえる。
 とはいえ、たとえそれが劇映画であろうと、今日まで続く共産党の「実録」は、共産主義との関わり抜きで描くことができるのだろうか?

 また、笠原は、昭和維新運動を描くにあたって、その思想的支柱をなした北一輝や大川周明、国柱会の田中智学など昭和維新運動の思想的バックボーンを担った人たちを描くことを意図的に避けている。しかも「日本暗殺秘録」という題名が示している通り、この映画で主人公格として描かれる小沼は、昭和維新運動に加担した人物というよりは、幕末から明治期、大正期のアナーキストと同列のものと見なされている。しかし小沼には、アナーキズムとは異なる形で自己の革命観を確立していた向きがある。たとえば小沼は事件後の上申書で「革命は概念で把握できるものではない、革命とは生命の創造連続の相である」と書いているが、小沼は概念ではなくビジョンを並べるような法華経特有の革命思想と、エランヴィタル(生命の躍動)に重きを置いたベルグソン―ソレル的な革命思想をちゃんぽんにしたような革命観を有していた。つまり小沼は、安田善次郎を暗殺した朝日平吾や、原敬を暗殺した中岡艮一のような大正時代のアナーキストとは異なる革命観を持って、金解禁を行い昭和恐慌をもたらした井上準之助元蔵相を暗殺しているのである。

 つまり血盟団事件は、昭和維新期の事件では最もアナーキーなものであった。しかし広義の超国家主義思想を踏まえることなしに、昭和維新運動の「秘録」を描くことができるのだろうか?
 笠原はこのような疑問に答えるように、「実録・共産党」と「日本暗殺秘録」の共通点について、次のように述べている。

 大正末から昭和にかけての南葛労働組合―あのへんで働いている青年たちだとか、この血盟団事件の茨城の大洗の青年たちというのは、現代人が理解できないほど貧しくて、生活が追いつめられていたんですね。<中略>つまり絶対的な貧困なんですよ。努力して何かすれば、もう少しいい生活が送れるというものじゃないんですよ、上に天皇制がある以上は! 天皇制があって軍隊があって、軍隊に徴兵されちゃえば何もかも全部パアになっちゃう。そういうものが頭にズシーンとのしかかっている中での貧乏というのは、そう呼んでいいのかわからないけども絶対的貧困なんですよ。(『昭和の劇』)

「実録・共産党」「日本暗殺秘録」二つの脚本を読めば分る通り、笠原は、渡辺政之輔やその妻のセツ、小沼正が、このような「上に天皇制と軍隊がある以上は、頭にズシーンとのしかかってくるような絶対的貧困」の中に置かれた人たちとの関わりを通して、共産主義や超国家主義の運動に加担していく姿を描いている。そして一人の工員、一人の職工として「絶対的な貧困」を体感したがゆえに、運動に加担した人たちが、大卒者が中心を占めていた共産党や、将校や下士官が中心を占めていた昭和維新運動の中で、「孤独」に苛まれていく姿を描いている。「実録・共産党」の主要な登場人物が、元工員を中心にした南葛労働組合員であり、「日本暗殺秘録」の主人公格が元職工の小沼正であるのはこのためであろう。

 たとえば「実録・共産党」の渡辺政之輔は、会社に雇われ、スト工員を襲撃に来る不良工員を前にして次のように叫んでいる。
「評議会の渡政は、そこらのマルクスボーイとは違うんだ、喧嘩の仕方を教えてやろうか!」

 このセリフは笠原のフィクションであるが、一工員から日本共産党の中央委員長となった渡辺政之輔の特徴を巧みに捉えている。脚本でも書かれているように、渡政には、党中央委員長となった自分を「軍隊で言や師団長だよ」と自慢する向きがあり、また福本和夫の回想によれば、モスクワのレーニン廟で「なんと諸君、ぼくの顔は、レーニンにそっくりではないか」と真顔で語るような俗っぽさがあった。ただその一方で彼は、福本の言葉を借りれば、「一徹で、『勇敢』な闘士」であり、「狂信的といっていいほどに押しのつよい、ちょっと比類まれな働き手でもあった」という。渡政がリスクの高い上海支部との連絡の仕事を当たり前のように引き受けたのも、彼が「一徹」で「比類まれな働き手」であったからだろう。先のセリフには、このような渡政の俗っぽさと一徹さが集約されており、このセリフの背後には、「絶対的貧困」の中から主義者となり、亀戸事件で仲間を失い、「そこらのマルクスボーイとは違う」という自負をもった渡辺政之輔の「孤独」が感じられる。

 また「日本暗殺秘録」の小沼正は、自ら捨石となる覚悟で革命に身を捧げたものの、同志たちの間で仲間割れが起こっていることを知って、次のように叫んでいる。

「革命は・・俺たちでやるもんじゃないんだな・・俺がやるんだ。この俺が・・」

 このセリフも笠原のフィクションであるが、血盟団事件当時二一歳であった小沼が、自己の若さと弱さを克服するようにして、井上準之助蔵相の暗殺に向かう姿を巧みに捉えている。小沼は事件後の上申書の中で、自分のことを「対立している間は、とても強い人間であるが、不対立の場合は弱くて涙もろい人間」と評しているが、小沼自身は、銀座の呉服屋のセールスマンとしてそれなりに都市生活を享受した経験があり、たとえば同年の生まれの椎名麟三と比べれば明らかであるが、自己の経験として「絶対的貧困」の中を生きてきたわけではない。脚本でも描かれているように、小沼は事業に失敗したカステラ屋の主人や、茨城・大洗の漁村で暮らす人たちの「絶対的貧困」を目の当たりにする中で、上申書の言葉を借りれば「哀れむべき人に悲しむべき人々に同情の心を深めて行く」と決意し、運動に加担しているのである。
 
 つまり先のセリフには、自分を鼓舞するようにして、「哀れむべき人に悲しむべき人々」への「同情の心」を自ら捨石となる覚悟に変える悲壮さが集約されており、ここには「俺たち」ではなく「俺」として暗殺に臨む小沼の「孤独」が感じられる。

 笠原は「組織に忠実なものは、いつかは組織に裏切られる・・そういう孤独な立場に置かれた人間こそ、最高の思想家である」であると述べているが、笠原が「実録・共産党」と「日本暗殺秘録」の中心に据えた渡辺政之輔や小沼正もこのような意味で「最高の思想家」であった。彼らの主義思想は、共産主義や超国家主義の運動の中で見れば、稚拙なものであったが、その主義思想が共産主義であれ、超国家主義であれ、何であれ、彼らが発した叫び声は、「のがれがたく連帯の中にはらまれている孤独」を表明している限りで、最高の思想であったように思えるのである。
 議会制民主主義というのは、必然的に社会的に弱い立場の人間の政治意識を代弁することを不可能にする。ゆえに武力革命や暗殺などの直接行動とはこのような社会構造に対する最も直接的な違和の表明に他ならない。笠原は「僕は旗を振れなかった人間を描きたかったんだよ」とも述べているが、「実録・共産党」と「日本暗殺秘録」は、その旗が赤旗であれ昭和維新の旗であれ、何であれ、明確な旗を振ることができなかった人間の「孤独」を描いた劇に他ならないのである。
 
 東映のプロデューサーだった日下部五郎によれば、笠原和夫は「いつも台詞をがしゃがしゃ声に出して言いながら」脚本を書いていたという。笠原脚本で叫び声が発せられるとき、彼の劇はその全様を表すのである。笠原は「映画は人生を感じさせることは出来るが、人生を語ることは出来ない」とも述べているが、映画脚本家・笠原和夫の劇は、「語る」のではなく「叫ぶ」ことで、映画に人生を感じさせるのである。
「実録・共産党」と「日本暗殺秘録」は、ともに昭和恐慌と共に産声をあげた昭和という時代の劇に他ならない。昭和という時代は近代日本の黄金期と言われるが、この時代は昭和恐慌という近代日本にとって未曾有の危機の中から生れたものであった。笠原はこの時代の上澄みを舐めるのではなく、この時代の始まりから、大衆社会の通俗さをくぐり抜け、時代の底に沈殿していた「孤独」を掬い上げることで、昭和という時代の底を生きた日本人の「孤独」とは何か、あるいは「近代日本という連帯の中にはらまれている近代日本人の孤独とは何か」、問いかけているのである。
 冒頭の石原吉郎の一節はこう続く。
 
 この連帯は、べつの条件のもとでは、ふたたび解体するだろう。そして、潮に引きのこされるように、単独な個人がそのあとに残り、連帯へのながい、執拗な模索がおなじようにはじまるであろう。こうして、さいげんもなくくり返される連帯と解体の反復のなかで、つねに変わらず存続するものは一人の人間の孤独であり、この孤独が軸となることによって、はじめてこれらのいたましい反復のうえに、一つの秩序が存在することを信ずることができるようになるのである。(同上)

 笠原が描いた「連帯の中にはらまれている孤独」は、それが共産主義に基づくものであれ、超国家主義に基づくものであれ、何であれ、「一つの秩序が存在することを信ずる」ための起点となるべきものであった。にも拘わらず「実録・共産党」は脚本の第一稿は書かれたものの、当時、共産党傘下にあった東映京都撮影所の労働組合の反対で、映画制作中止に追い込まれているのである。

 笠原和夫は「大衆」という言葉を「バラバラな人間のありよう」と定義している。昭和から平成に時代が変り、バブルが弾け、冷戦構造が崩壊した今日、主義・思想をもった「連帯」は解体し、NGO・NPOのように具体的な目的をもった組織に取って代わっている。そして「バラバラの人間のありよう」は個性として肯定され、「孤独」は個性のネガとしてのみ理解されている。
 しかし「孤独」とは「のがれがたく連帯の中にはらまれている」ものに他ならないのではないか。そして私たちは、このような「のがれがたく連帯の中にはらまれている孤独」と向き合うことなしには、現実の世界の上に「一つの秩序が存在することを信ずること」はできないのではないか。
「実録・共産党」と「日本暗殺秘録」は、近代日本という、今日まで続く時代の足下から、こう問いかけているのである。