祝・連載50回! 西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第50回 2019年3月17日)で、近年復刊された干刈あがた『ウホッホ探検隊』について論じました。表題は「母子家庭の幸福炙り出す」です。母子家庭を幸福なものとして描いた、干刈あがたの作家としての実存と筆力の双方が光る、国語の教科書に載るべき名作です。
干刈あがたは第一回海燕新人文学賞を「樹下の家族」で受賞し、作家としてデビューしています。風変わりなペンネームは「光よあがた(辺境)にも届け」という希望を込めて付けられました。干刈自身は東京都の青梅の出身ですが、両親は沖永良部島の出身でした。
沖永良部島を含む奄美群島は戦後、米軍の占領下で統治され、1953年に「日本へのクリスマス・プレゼント」として日本に返還された複雑な歴史を持つ場所です。干刈あがたにとって「あがた(辺境)」とは、第一に両親の出身地である奄美群島を意味したのだと思います。胃ガンで49歳の若さで亡くならなければ、沖永良部島を舞台にした大作を記していたと思います。
10年ほどの作家生活で彼女が書き記した小説は、地理的な意味で「あがた(辺境)」に「干刈(光)」を当てたものというよりは、男性中心的な日本社会の「辺境」に「光」を当てたものでした。現代日本と比べて離婚率が低く、母子家庭がネガティブなイメージで捉えられていた時代に、彼女は自立した女性が、ポジティブに離婚後の生活を送る姿を描いた作品を残しました。
「ウホッホ探検隊」は小説らしい心情表現を通して、母子家庭の「幸福の探検」を炙り出した、現代文学らしい名作だと思います。
干刈あがたは第一回海燕新人文学賞を「樹下の家族」で受賞し、作家としてデビューしています。風変わりなペンネームは「光よあがた(辺境)にも届け」という希望を込めて付けられました。干刈自身は東京都の青梅の出身ですが、両親は沖永良部島の出身でした。
沖永良部島を含む奄美群島は戦後、米軍の占領下で統治され、1953年に「日本へのクリスマス・プレゼント」として日本に返還された複雑な歴史を持つ場所です。干刈あがたにとって「あがた(辺境)」とは、第一に両親の出身地である奄美群島を意味したのだと思います。胃ガンで49歳の若さで亡くならなければ、沖永良部島を舞台にした大作を記していたと思います。
10年ほどの作家生活で彼女が書き記した小説は、地理的な意味で「あがた(辺境)」に「干刈(光)」を当てたものというよりは、男性中心的な日本社会の「辺境」に「光」を当てたものでした。現代日本と比べて離婚率が低く、母子家庭がネガティブなイメージで捉えられていた時代に、彼女は自立した女性が、ポジティブに離婚後の生活を送る姿を描いた作品を残しました。
「ウホッホ探検隊」は小説らしい心情表現を通して、母子家庭の「幸福の探検」を炙り出した、現代文学らしい名作だと思います。