2019/09/04

西日本新聞掲載「没後20年 江藤淳の価値」

西日本新聞朝刊(2019年9月3日)に「没後20年 江藤淳の価値」という原稿を掲載頂きました。7月に開催した「江藤淳没後20年 昭和と平成の批評 —江藤淳は甦える—」の発表を踏まえた内容で、江藤淳の批評の現代的な価値について考察したものです。

紙面の見出しにも採用して頂きましたが、江藤淳は論理にし難い感情を批評として綴った批評家だったと思います。「アメリカと私」「文学と私」「戦後と私」などの著作で展開された、江藤の私的な感情の籠もった批評は、文学的な完成度が高く、今日読み返しても心に響きます。

文芸批評の代表作「成熟と喪失」は、戦後日本に浸透した人工的な生活空間=アメリカ化した日本の中で「喪失感」を引き受けながら生きることに、新しい時代の「成熟」の意味を見出した作品でした。上野千鶴子や加藤典洋の著作に代表されるように、この批評文を踏まえた議論は、戦後日本論として大きな成果をもたらしました。

その一方で江藤は、プリンストン大学で教鞭を執った経歴から「『外の世界』を経験してきた日本人に伝統的に課せられている義務」(『アメリカと私』)を抱き、論壇での批評に取り組んだ「国際的な知識人」でした。大江健三郎や吉本隆明との関係性の中で生まれた言葉は、そのまま戦後の思想史に明記されるべき興味深い文脈を有しています。

生活環境のアメリカ化がよりいっそう進み、文学が社会的な影響力を失いつつある現代日本で、江藤が文壇と論壇の双方で展開してきた批評文が、没後20年の節目で、正当に評価され、多くの人々に再読されることを願って止みません。