2019/09/22

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第77回 東野圭吾『容疑者Xの献身』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第77回 2019年9月22日)は、海外でも人気の高い東野圭吾の直木賞受賞作『容疑者Xの献身』を取り上げています。表題は「深川舞台に古典的愛憎劇」です。2012年に米国でエドガー賞の最優秀小説賞の候補作にも選ばれた本作は、内容の上でも東野圭吾の代表作だと思います。

現在、学会発表でドイツに滞在しています。何とか来月公開の映画のパンフレット解説を締め切り前に入稿し、発表の準備と今週末のオープンキャンパスの模擬授業の準備に取りかかっています。西日本新聞の連載のストックも増やさねばなりません。(日本にいる時以上に)丸一日、働いて飲む夜のビールの味は格別です。

『容疑者Xの献身』は、江戸時代に「深川」と呼ばれた一帯を舞台にした作品です。登場人物たちの造型も「伝統的」なもので、一人の遊女のような美しい女性(錦糸町の元ホステス)と、彼女に執着的な愛情を抱く3人の男性たちとの込み入った関係を描いています。親切なアパートの隣の部屋に住む隣人(同じ長屋に住む変わり者)と、そこにやってくる金をねだる無職の元亭主(悪漢)、女性を経済的に支援しようとする社長(侠客の旦那)の言動は、歌舞伎の古典作品のようです。

この小説は印象的な隅田川に架かる橋の描写からはじまります。「家族連れやカップルが散歩を楽しむのは、この先の清洲橋あたりからで、新大橋の近くには休日でもあまり人が近寄らない。その理由はこの場所に来てみればすぐにわかる。青いビニールシートに覆われたホームレスたちの住まいが、ずらりと並んでいるからだ」と。作品の冒頭で描かれた現代的な「深川」の風景から、物語を大きく展開させるホームレスの存在が、徐々に浮かび上がってくる構成に、東野圭吾の作家としての成熟した筆力が感じられます。