西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第85回 2019年11月17日)は、芥川賞・谷崎賞作家の青来有一の代表作『人間のしわざ』を取り上げています。表題は「長崎の記憶 召還する恋愛小説」です。
先週は東京大学の駒場キャンパスでJAHSS(人間の安全保障学会)とJASID(国際開発学会)の国際学会(東京大学教養学部70周年記念)で、同志社大学の志柿浩一郎先生と「How Can We Best Share Collective Memories of Adversity with the World?
Case Studies on the Discourse of Controversial History, and the Significance of Archive and Museum Design」という英語の発表を行ってきました。開会直後のセッションということもあり、様々なご専門の先生方から多くの質疑を頂き、充実した時間を過ごさせて頂きました。
青来有一の『人間のしわざ』は、第264代ローマ教皇・ヨハネ・パウロ2世が1981年2月に長崎で行った「殉教者記念ミサ」を題材にした恋愛小説です。ローマ教皇の初来日ということもあり、キリスト教徒が多く住んできた浦上地区に近い、爆心地近くの松山競技場で行われたミサには、氷点下で雪が舞う中、5万人を超える人々が集まりました。2019年11月23日から4日間、パウロ2世の訪問以来38年ぶりに、ローマ教皇が来日し、前回と同様に長崎、広島、東京を歴訪します。
表題の「人間のしわざ」という言葉は、パウロ2世が広島で行った「平和アピール」の冒頭の「戦争は人間のしわざです。戦争は人間の生命の破壊です」によるものです。作品そのものは恋愛小説で、長崎で生まれ育った恋人同士が、30年の時を経て互いの家庭を捨て「遅くなった新婚旅行」として爆心地近くの家から、切支丹弾圧の中心地、原城の反乱後へと向かう内容です。この不穏な旅を通して、泥と石で作られた牢につながれた殉教者たちの記憶が召還され、歴史小説のように読者は「殉教」や「被爆」の経験に巻き込まれていきます。
信用できない語り手を媒介として、原爆投下直後の長崎を描いたカズオ・イシグロの初期の作品や、閉鎖的な村社会に潜在する暴力を、個人的な回想を通して描いた大江健三郎の代表作と比べても遜色のない、濃厚な時間の密度を有した小説だと思います。
先週は東京大学の駒場キャンパスでJAHSS(人間の安全保障学会)とJASID(国際開発学会)の国際学会(東京大学教養学部70周年記念)で、同志社大学の志柿浩一郎先生と「How Can We Best Share Collective Memories of Adversity with the World?
Case Studies on the Discourse of Controversial History, and the Significance of Archive and Museum Design」という英語の発表を行ってきました。開会直後のセッションということもあり、様々なご専門の先生方から多くの質疑を頂き、充実した時間を過ごさせて頂きました。
青来有一の『人間のしわざ』は、第264代ローマ教皇・ヨハネ・パウロ2世が1981年2月に長崎で行った「殉教者記念ミサ」を題材にした恋愛小説です。ローマ教皇の初来日ということもあり、キリスト教徒が多く住んできた浦上地区に近い、爆心地近くの松山競技場で行われたミサには、氷点下で雪が舞う中、5万人を超える人々が集まりました。2019年11月23日から4日間、パウロ2世の訪問以来38年ぶりに、ローマ教皇が来日し、前回と同様に長崎、広島、東京を歴訪します。
表題の「人間のしわざ」という言葉は、パウロ2世が広島で行った「平和アピール」の冒頭の「戦争は人間のしわざです。戦争は人間の生命の破壊です」によるものです。作品そのものは恋愛小説で、長崎で生まれ育った恋人同士が、30年の時を経て互いの家庭を捨て「遅くなった新婚旅行」として爆心地近くの家から、切支丹弾圧の中心地、原城の反乱後へと向かう内容です。この不穏な旅を通して、泥と石で作られた牢につながれた殉教者たちの記憶が召還され、歴史小説のように読者は「殉教」や「被爆」の経験に巻き込まれていきます。
信用できない語り手を媒介として、原爆投下直後の長崎を描いたカズオ・イシグロの初期の作品や、閉鎖的な村社会に潜在する暴力を、個人的な回想を通して描いた大江健三郎の代表作と比べても遜色のない、濃厚な時間の密度を有した小説だと思います。