「現代ブンガク風土記」(第185回 2021年11月21日)では、岡山を舞台にした原田マハの『でーれーガールズ』を取り上げました。担当デスクが付した表題は「『第二の故郷』への郷土愛」です。
「人間は他の哺乳類よりも植物に似ている」と江藤淳は述べています。新型コロナ禍のような有事が起きると、国境や県境を越えた移動に制限がかかるように、私たち人間は他の動物たちと比べても、それほど自由に移動しながら生活しているわけではありません。ただ私たちは転勤や転校、結婚や移住などを通して、時にそれまで縁もゆかりもなかった土地と関り、そこに愛着を抱くことがあります。
例えば私にとって「第二の故郷」と言える場所があるとすれば、大学院から助教を経て、文教大学勤務まで19年にわたり関りを持った湘南地区になると思います。三田勤務の時期もSFCで授業を担当していたため、長崎で過ごした18年を上回る年数を湘南で過ごした計算になります。海に近い、開放感のある場所に縁があるのだと思います。 現在の職場のある中野については、近辺を含めればそこそこ長く、早稲田の図書館を利用していたこともあり、北新宿を中心に計8年ほど住んでいました。
原田マハは東京生まれですが、小学校6年生から高校卒業まで岡山市で育ち、1886年創立の名門女子校として知られる山陽女子高校に通っていました。作中では駅前のメインストリート・桃太郎大通りや岡山一の繁華街・表町商店街など土地の描写が多く、「ひさしぶりじゃのう」「よかったのう」「アイスが食べてえんじゃ」など、「昔話に出てくるようなカンペキなジイさん言葉=オーソドックスな岡山弁」がふんだんに織り込まれています。
「桃太郎」や「空を飛んだきつね」など現在の岡山近辺を舞台にした昔話は多いですが、現代小説は珍しく、この土地で育った原田マハらしい作品といえます。岡山市の市街地から後楽園に向かって架かる鶴見橋での出会いと別れが、読後の印象として強く残る作品です。
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原田マハ『でーれーガールズ』あらすじ
1980年の岡山の白鷺女子高校を舞台にした作品。親の仕事の都合で東京から引っ越してきた佐々岡鮎子は、「でーれー」という岡山弁を無理して使うため「でーれー佐々岡」と呼ばれている。鮎子が創作した空想上の恋人・ヒデホに、親友の武美がだんだん惹かれるようになり、三角関係のような状態となる。岡山の様々な人々との出会いや、淡い恋心が芽生えた淳君との関係も進展していく。岡山で育った原田マハの青春小説の代表作。
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2021年11月17日に「寄席の爆笑王」と(一部で)呼ばれていた落語家の川柳川柳が90歳で亡くなりました。義太夫節から軍歌、ジャズを声色を変えて表現する話芸は、立川談志も高く評価していました。学生時代に上野の鈴本で「ガーコン」を聞いて、何かしら自分の仕事に「唄」の要素を取り入れたいと思ったものです。古典をやらない落語家で、個人的には「文七元結」「百年目」「らくだ」など、師匠・圓生の大ネタを継いでほしかったのですが、圓生、小さん、三平、談志など、往年の落語家たちのこぼれ話も面白かったです。圓生の後継者として期待され、笑点のメンバーにもなりかけましたが、寄席に埋もれることを良しとした噺家だったと思います。
最近は、與那覇潤さんより『知性は死なない』(文春文庫)をご恵投頂いたこともあり、解説を書かれている東畑開人さんの本を読みつつ、「平成」を振り返りながら(『平成史』もお勧めです)、学術的(人間科学的)な初心にかえっています。