2021/12/20

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第189回 吉田修一『犯罪小説集』

 「現代ブンガク風土記」(第189回 2021年12月19日)では、綾野剛主演・瀬々敬久監督で映画化された吉田修一『犯罪小説集』を取り上げました。担当デスクが付した表題は「猟奇的事件絡め迫る人間の闇」です。本作の中の2篇を原作とした映画「楽園」のパンフレットにも解説を寄稿しています。上白石萌音さんが歌う「楽園」の主題歌「一縷」も、小説の内容に相応しい素晴らしい楽曲(作詞・作曲: 野田洋次郎さん)です。昔の阿久悠作詞の歌や、中島みゆきやさだまさしの曲など、昭和歌謡(後期)のピーク時のような風格が感じられます。映画もKADOKAWAらしい良作です。

映画「楽園」解説/現代日本を生きる私たちの「こころ」の行く末を問いかける

https://makotsky.blogspot.com/2019/10/blog-post.html

『犯罪小説集』は日本の地方都市を主な舞台とした5つの犯罪事件を、事件そのものというよりは、そのプロセスを関係する人々の内面を通して描いた短編集です。

「青田Y字路」は、北関東連続幼女誘拐事件を想起させる内容ですが、この作品は、誘拐事件を描いたものというよりは、不確かな噂に振り回される人々を描いた作品だと言えます。警察の誤認捜査の結果、風評被害が拡がる「冤罪事件≒大人のいじめ」を描いた作品と考えることもできます。

「曼珠姫午睡」は、同級生の英里子の立場から、ゆう子が関与した「保険金殺人事件」を描いた作品です。裕福な家庭で育ち、幼少時から社交的で友達も多く、東京で弁護士の夫と結婚した英里子の人生は、ゆう子と対照的に一見すると幸福なものに思えますが、安全な場所に居ながら「マウントをとりたがる性格」に潜む闇が、ゆう子よりも深いことが徐々に明かされます。

 吉田修一は「犯罪小説集」の各短編を執筆するにあたり、近松門左衛門の作品を参照していたと考えられます。本作でも「曽根崎心中」「国性爺合戦」「女殺油地獄」など近松の代表作のような「五文字のタイトル」が各短編に採用され、ちょっとした感情の行き違いや思い込みが、登場人物たちの人生を一転させる点など、近松作品の核となるモチーフを継承しています。

 本連載は年内はこれが最後で、2022年1月9日より再開します。来年も現代日本を代表する小説を取り上げていきますので、ご関心を頂ければ幸いです。

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/849716/

吉田修一『犯罪小説集』あらすじ

 地方都市や田舎町を主な舞台にして起きた「犯罪」を描いた短編集。立場の異なる様々な人物の視点から、事件に至る経緯が描かれる。犯罪を犯した人間と犯罪を犯さなかった人間の間に横たわる「闇」に迫る内容。吉田修一の新たな代表作。

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 2021年12月18日に、立教大学の福嶋亮大先生、神戸市外国語大学の山本昭宏先生にお越し頂き、明大生を前に「文芸批評」に関する充実した内容のゲスト講義を行って頂きました。明治大学より張競先生、伊藤氏貴先生、講談社「群像」の森川さん、文藝春秋「文學界」の長谷川さん、西日本新聞の佐々木さんにもご参加頂き、質疑応答も含め学生たちと共に密度の濃い、有意義な時間を過ごすことができました。

 山本さんのユーモラスな関西弁の講義に旅情と才覚を感じ、福嶋さんの理知的な話し方の講義に思想とビジョンを感じました。雑誌「批評空間」の認識的な枠組みを超えることが共通テーマとしてあり、色々と刺激を受けました。この日の夕方には、特別招聘教授の上野千鶴子先生の講義も開催されていましたので、フェミニズム批評も含め、国際日本学部・国際日本学研究科の学生にとって、批評について考えるいい一日になったのではと思います。

 新型コロナ禍の中、対面のゲスト講義(オンライン中継も実施)にご理解とご協力を頂き、心より感謝申し上げます。今年の最後に、多くの皆さんと対面で文芸批評の将来について考えることができ、嬉しく思いました。

2021/12/14

2021年ゼミ合宿@明治大学・山中セミナーハウス

 明治大学の山中セミナーハウスでゼミ合宿を実施しました。簡単な発表と、近隣の文学館の見学以外は、山中湖の近くを散歩しながら、雑談をするような時間でしたが、オンラインの世界と適度な距離を置き、清らかな空気を吸い、いいコミュニケーションの場ができていたように思います。将来のある学生たちには、心身の健康を第一に、極端な意見や、自己承認欲求が渦巻くSNSなど、オンライン上のコミュニケーションに囚われず、散歩や対面の会話、オフラインの読書に時間を使い、地に足の着いた想像力を育んでほしいと考えています。

 前任先からゼミ合宿では、移動中に学生一人一人と面談するようにしています。「旅」の開放感も手伝ってか、授業前後に聞けないような話や相談ごとを、学生たちから聴取することが多いです。雑談のような助言になりますが、現実の空間で一緒に移動しながら、美しい景色を眺め、談話することそのものに意味があると思っています。定期的に学生たちに取材する感じで、原稿を書く上でも参考になることもあります。

 明治大学のセミナーハウスは安くて利用しやすく、同じタイミングでゼミ合宿を行っていた他の先生方や学生も含めて、暖かい空気に包まれていたように感じました。天候に恵まれ、美しい冬の富士山に、学生たちが感動して写真を多く撮っていました。次の機会がセッティングできれば、院生や交換留学生も含めて、清里か菅平のセミナーハウスを訪れたいと考えています。



2021/12/13

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第188回 熊谷達也『邂逅の森』

 「現代ブンガク風土記」(第187回 2021年12月12日)では、直木賞と山本周五郎賞をダブル受賞した熊谷達也の『邂逅の森』を取り上げました。担当デスクが付した表題は「漲る野性味 マタギの全盛期描く」です。

 熊やアオシシ、ニホンザルなどの狩猟を生業とし、アイヌ文化との関りも深い「マタギ」の里・秋田県旧荒瀬村で生まれた富治の物語です。胃腸病や婦人病などの万能薬として重宝される「熊の胆」を得るために、マタギたちは命懸けで熊を追っていました。この作品が描く明治~大正の時代には、熊の胆の一匁が米俵二俵と取引され、敷物として毛皮も人気であったため、一冬に一頭の熊を仕留めれば、数家族が冬を越すことができたらしいです。

 日本の山民=狩猟民の先祖とされる伝説上の人物・磐司磐三郎は、東北地方に多くの逸話を残し、マタギの開祖としても知られます。マタギの頭領は伝統を受け継ぎ、山言葉を用いて呪文を唱え、禁忌を守り、危険な熊の猟に臨んでいきます。マタギと熊との命懸けの戦いの場面がリアルで、マタギたちが時に意表を突かれ、時に生きたまま体を食われたり、顔の一部を引き千切られる描写が生々しいです。

 貴重な「熊の胆」をめぐる商取引の現場も、売り手と買い手の駆け引きに緊張感があります。命を懸けて人々が獲った商品が、互いを騙し合うような取引を通して描かれている点に、狩猟の現場とは異なる、商取引の現場らしい緊張感を覚えます。旅マタギの慣習や独自の信仰、夜這いの風習など、近代化の波に晒されながらも東北地方に残存してきた旧習の描写も読み所です。

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/846011/

熊谷達也『邂逅の森』あらすじ

 秋田県の山奥のマタギの集落に生まれた富治は、名主の一人娘に夜這いを掛けて村を追い出される。鉱山で働く中で成長し、子分の小太郎の実家のある東北の別の村に移り住み、自らマタギの頭領となり、熊狩りに臨む。戦争の時代を背景に、貧しい人々が高価な薬の原料となる「熊の胆」を巡って命を賭ける姿を描く。直木賞と山本周五郎賞を史上初めて同時受賞した大作。

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 本連載は180回分(加筆・修正で約800枚)で単行本化の準備を進めていますが、2022年も平常通り続きます。まだ取り上げていない優れた作品も多く、例えば田辺聖子『ジョゼと虎と魚たち』や米澤穂信『満願』、古井由吉『仮往生伝試文』など、自由度の高い現代的な表現で、土地の風土や訛りを捉えた現代小説について、その内容に踏み込みながら批評していきます。
 以前にも記しましたが、本連載は、政治や社会をめぐる問題がどうであれ、有限な時空間を生きる、不完全な存在者である人間に、普遍的に付きまとう文学的な問題について論じた批評文です。念のため。

2021/12/06

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第187回 佐藤究『Ank: a mirroring ape』

 「現代ブンガク風土記」(第187回 2021年12月5日)では、佐藤究の吉川英治文学新人賞・大藪春彦賞・W受賞作の『Ank: a mirroring ape』を取り上げました。担当デスクが付した表題は「『京都暴動』描くパニック小説」です。『テスカトリポカ』の直木賞受賞後に入稿した原稿ですが、「パンデミック小説」といえる内容でもあり、オミクロン株の流行が懸念されるタイミングでの掲載となりました。

 人類発生の起源をめぐる科学小説の趣きを持つ長編で、新型コロナウイルスの感染が拡大する以前の京都の「オーバーツーリズム」を風刺した、「知的なゾンビ映画」のような作品です。物語の軸となるのは、嵐山から京都御所、八坂神社まで「モンスター級の観光都市」を舞台に発生した「京都暴動」とAnk(古代エジプト語で「鏡」の意味)をめぐるミステリです。主人公は30代の霊長類研究者の望で、彼がシンガポールの起業家の出資で、AIが再現できない、人間の知性の謎に迫る研究所を立ち上げます。

 佐藤究は純文学出身ということもあり、人間の存在条件に迫る問いを小説に織り込むのが上手い作家です。直木賞の受賞作『テスカトリポカ』では、人間の物質性をアステカ文明の信仰と臓器売買を通して描き、超資本主義社会が持つ呪術性に迫りました。本作では、鏡に映った自己像を自分であると認識する「自己鏡像認識」の能力に着目し、それをAIが持ち得ない謎に迫ります。

「鏡に映っている像が自分」であると認識する能力は、チンパンジー・ボノボ・ゴリラ・オランウータンの4種と人類のみが持つ能力です。鏡や水面に映った自分の像を、自分自身だと認識することで、人間は進化を遂げました。ジャック・ラカンが「鏡像段階」に着目したように自己像の認識は重要なもので、霊長類研究の新しい成果を取り入れた点も面白く、佐藤究らしい人間の無意識に潜む「原ー暴力性」を浮き彫りにした作品と言えます。

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/842272/

佐藤究「Ank:a mirroring ape」あらすじ

 世界的な観光地であり、観光客であふれかえる近未来の京都を舞台に「暴動」の謎に迫る小説。現代的な寓話であり、人間発生の起源をめぐる科学小説の趣きを持つ長編。吉川英治文学新人賞と大藪春彦賞をW受賞。