「現代ブンガク風土記」(第187回 2021年12月12日)では、直木賞と山本周五郎賞をダブル受賞した熊谷達也の『邂逅の森』を取り上げました。担当デスクが付した表題は「漲る野性味 マタギの全盛期描く」です。
熊やアオシシ、ニホンザルなどの狩猟を生業とし、アイヌ文化との関りも深い「マタギ」の里・秋田県旧荒瀬村で生まれた富治の物語です。胃腸病や婦人病などの万能薬として重宝される「熊の胆」を得るために、マタギたちは命懸けで熊を追っていました。この作品が描く明治~大正の時代には、熊の胆の一匁が米俵二俵と取引され、敷物として毛皮も人気であったため、一冬に一頭の熊を仕留めれば、数家族が冬を越すことができたらしいです。
日本の山民=狩猟民の先祖とされる伝説上の人物・磐司磐三郎は、東北地方に多くの逸話を残し、マタギの開祖としても知られます。マタギの頭領は伝統を受け継ぎ、山言葉を用いて呪文を唱え、禁忌を守り、危険な熊の猟に臨んでいきます。マタギと熊との命懸けの戦いの場面がリアルで、マタギたちが時に意表を突かれ、時に生きたまま体を食われたり、顔の一部を引き千切られる描写が生々しいです。
貴重な「熊の胆」をめぐる商取引の現場も、売り手と買い手の駆け引きに緊張感があります。命を懸けて人々が獲った商品が、互いを騙し合うような取引を通して描かれている点に、狩猟の現場とは異なる、商取引の現場らしい緊張感を覚えます。旅マタギの慣習や独自の信仰、夜這いの風習など、近代化の波に晒されながらも東北地方に残存してきた旧習の描写も読み所です。
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熊谷達也『邂逅の森』あらすじ
秋田県の山奥のマタギの集落に生まれた富治は、名主の一人娘に夜這いを掛けて村を追い出される。鉱山で働く中で成長し、子分の小太郎の実家のある東北の別の村に移り住み、自らマタギの頭領となり、熊狩りに臨む。戦争の時代を背景に、貧しい人々が高価な薬の原料となる「熊の胆」を巡って命を賭ける姿を描く。直木賞と山本周五郎賞を史上初めて同時受賞した大作。