西日本新聞の連載「松本清張がゆく 西日本の旅路」第18回(2025年6月22日)は、松本清張が小倉の文学サークルでの思い出を記した晩年の代表作の一つ「表象詩人」を取り上げました。担当デスクが付けた表題は「文学を通した友情と再会」です。1972年に連載された「黒の図説」の一作で、往時の社会派ミステリのようにダイナミックな物語展開が読後の印象に残る作品です。
本文でもふれたとおり、松本清張が13歳の時に書いた(とされる)詩が、2018年に発見されています。掲載誌は小倉の同人誌「とりいれ」で、表題は「風と稲」。自伝的小説やエッセイで清張は、詩人としての経歴に言及することを避けていますが、「表象詩人」こと多島田が勤めていた東洋陶器の独身寮を訪れ、夜遅くまで文学談義をしていました。
この作品は60歳を超えた清張が、昭和恐慌や昭和維新の足音が聞こえる時代に出会った「文学仲間」との思い出をつづった「自伝的ミステリ」です。
https://www.nishinippon.co.jp/item/1367133/
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李相日監督、吉田修一原作の映画「国宝」、素晴らしかったです。「鷺娘」も期待以上でしたが、「二人藤娘」「二人道成寺」に加えて「曽根崎心中」とは、さすがと思いました。原作だと「阿古屋」がメインになりますが、納得の演出。長崎の料亭・花月の冒頭も良く、料亭・青柳前から丸山を見下ろしたシーンもあり、李監督らしい繊細な表現が生きた映画でした。
『国宝』については「小説トリッパー」(2018年秋季号)掲載の「「からっぽ」な身体に何が宿るか 吉田修一『国宝』をめぐって」に詳細を記しています。原稿用紙換算で50枚ほど。
https://publications.asahi.com/product/20368.html
歌舞伎のルーツが庶民の芸能にあったことを考えれば、1642年創業の長崎丸山の引田屋(現・花月)は「地歌舞伎」の舞台として最古に近いものです。このため花井半二郎・俊介の血統と、喜久雄の突然変異的な才能の二項対立は、脱構築され得るもので、半二郎は喜久雄の才能を見いだした時点から、「地歌舞伎」の文脈を頭に置いていたという点が、この作品のポイントになると私は考えています。
丸山の引田屋で卓袱料理を食べ、酒を飲むことはこのような歴史を味わうことでもあります。三輪(丸山)明宏さんや吉田さんや私の実家もこの近く。丸山・花月は、長崎くんちや少年サッカー、町内会や婚礼などの宴席で、たまに行っていました(昔はお昼が安かった記憶があります)。近年は観光地になりましたが、映画「国宝」でも描かれた、丸山の奥座敷という風情の庭が良いです。
映画「国宝」の冒頭で「関の扉」が引田屋の舞台で上演される場面には、「地歌舞伎」の歴史を踏まえた意味があります。吉田修一作品は、こういう何気ない表現が上手いです。喜久雄は「鷺娘」や「曽根崎心中」など、1700年代から受け継がれてきた歴史ある演目を通して、半二郎の記憶とともに「地歌舞伎」の伝統を背負い、刷新を試みたのだと思います。
何れにしても映画「国宝」は、吉沢亮、横浜流星、渡辺謙、高畑充希、森七菜、見上愛、嶋田久作(決めつけ刑事!)など、豪華な演者が生き生きとしていて、良い映画でした。小説『国宝』については、「小説トリッパー」や「文學界」などに寄稿し、長らく映画版に期待していましたが、大満足です。3時間近い、戦後の歌舞伎の歴史を題材とした作品で、『悪人』を超える成功を収めたことが素晴らしく、「李相日監督、吉田修一原作」の次作が早くも楽しみです。
映画「国宝」本予告
https://www.youtube.com/watch?v=DAiq_4YWXow
現在は次の本の原稿と、直木賞対談の準備、連載・書評について、無理のないペースで取り組んでいます。