2017/06/23

慶應義塾大学SFCスピリッツ

慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスの卒業生紹介コーナー、「SFCスピリッツ」で私のゼミの教育・研究活動を紹介して頂きました。といっても依頼を受けて寄稿した文章ですので、大学院〜2008年度の博士号取得までのことや、お世話になった先生方とのことについて、自由に書かせて頂きました。「現在の仕事や活動等について、学生時代の思い出を交えながら紹介する」という企画に沿った内容です。

文教大学のゼミの写真に加えて、お世話になった福井弘道先生の特別講義の写真や、共同通信とのプロジェクトでの戦友・池上さんとの写真も掲載して頂き、若手研究者時代の思い出をまとめたような内容となりました。

よく言われることですが、20代にどういう人と出会い、何を体験的に学んだかということは、その後の人生を大きく左右するものだと、書きながら改めて実感しました。

慶應義塾大学の湘南藤沢キャンパスは様々な分野で活躍する卒業生を輩出してきた歴史がありますので、大学院の卒業生の一人として、現在の仕事・活動を紹介する機会に与れて嬉しく思います。

以下、紹介記事へのリンクです。

SFCから約2キロ、文教大学湘南キャンパスで教えています|酒井信さん(2002年政メ修士修了、2008年後期博士修了)
http://www.sfc.keio.ac.jp/alumni_stories/012488.html

慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス SFCスピリッツ
http://www.sfc.keio.ac.jp/alumni_stories/



2017/06/20

柏崎刈羽原発に行ってきました

新潟大学での学会の帰りに、柏崎刈羽原発に行ってきました。日本の原子力発電所の近くには、原発の広報と情報公開を目的とした施設が建っていることが多いのですが、柏崎刈羽原発にも「サービスホール」という名称の施設がありました。

敦賀原発の「あっとほうむ」に行ったときも思いましたが、施設の名称が福島原発事故以後の時代に適していないように感じます。「サービスホール」という名称には「(本当は公開したくないけど)サービスで情報公開を行っています」という高圧的なニュアンスが感じられますし、「あっとほうむ」という名称には、原発の存在を快く思っていない人々を小馬鹿にするようなニュアンスが感じられます。



ただ「サービスホール」の展示そのものは分かりやすく、1/5の原子炉模型があったり、原子力発電の基本的な仕組みについて説明していたり、世界の原子力発電についても、詳しいデータが表示されるタッチパネル式の良い展示がありました。福島第一原発の「廃炉に向けた取り組み」についても、目立つ場所に展示されていて良いと思いました。

ただ疑問に感じたのは原子力発電のコストに関する展示で、特に「原子力発電コスト 10.1円~/kWh」という説明です。



元データは経済産業省・資源エネルギー庁が出した2015年の下の報告書だと思いますが、
http://www.enecho.meti.go.jp/committee/council/basic_policy_subcommittee/mitoshi/cost_wg/006/pdf/006_05.pdf
このデータの「社会的費用」のコスト算出が不適切であることは、その後の賠償・除染・廃炉等の費用の増大を考えれば明らかと思います。

例えば毎日新聞は2016年末、廃炉・除染等の費用が従来の想定の2倍に増えると報道しています。
経産省発表で2倍ですので、先々もっと増えるのでは、と思います。
https://mainichi.jp/articles/20161128/k00/00m/040/085000c

原子力発電が石炭やLNGの火力発電などよりも「コストが安く」「エコ」だと謳いたいのだと思いますが、このような神話が崩壊していることは、誰の目にも明らかと思います。しかも増えたコストは電気代で補填されていく計画だから、「原発のコストが安い」という展示は、市民感情を逆なでするものだとも思います。

原発に関して情報公開が促進され、観光や学校行事で人々が訪れる施設があること自体はいいことだと思います。ただ原発の存在を「コスト面」や「エコ」で正当化する展示は、3・11以後の日本では、明らかに説得力を欠いています。

エネルギーに関する展示施設に人々が求めているのは、長期的な視野の下で練られた「脱原発に向けたシュミレーション」や、「エネルギーの自治」を促進するような新しい技術や国内外の取り組みについての展示だと思うのです。

2017/06/01

日本マス・コミュニケーション学会(2017年度春季)の研究発表論文(予稿)

日本マス・コミュニケーション学会(2017年度春季研究発表会・新潟大学)で発表を行います。表題は「ウェブ上の情報環境とコミュニケーションの変化がもたらすメディア・リテラシー上の諸問題に関する研究」です。内容は、情報環境論として先々の書籍化を予定している内容の「認識の枠組み」と問題意識の所在について論じたものです。以前に「新潮45」に発表したIT系の論考と結び付いた論旨です。

ウェブ上の情報環境とコミュニケーションの変化がもたらすメ ディア・リテラシー上の諸問題に関する研究 A Comparative Analysis of Problems on Media Literacy that ICT Brings to 酒井信

要旨……本研究ではウェブ上の情報環境とコミュニケーションの変化がもたらすメディア・リテラ シー上の諸問題について、Lawrence Lessigが『CODE 2.0』で提示した理論的枠組みを参考にして、 以下の4つのレベルに区分して考察することを目的とした。私はウェブ上にコミュニケーション空 間が拡大した現代社会は、以下の4つのレベルで規制を必要とする問題を抱えていると考える。1 「情報のパーソナル化がもたらす諸問題」(個人レベルの問題)、2「ソーシャル・メディア上の 過剰結合がもたらす諸問題」(共同体レベルの問題)、3「プラットフォームの寡占化がもたらす 諸問題」(市場レベルの問題)、4「検閲の技術的な向上がもたらす諸問題」(国家レベルの問 題)本研究では1〜4のレベル毎にメディア・リテラシー上の諸問題を区分けして考えることが重 要であると考え、各レベル毎に生じてきた具体的な問題から演繹される規制のあり方について検討 することが、ウェブ上のメディア環境を豊かにする上で重要であると結論付けた。
キーワード 情報社会論, 社会思想, Media Studies

研究発表論文(予稿)の全文(PDFファイル・4頁)
http://mass-ronbun.up.seesaa.net/image/2017spring_D2_Sakai.pdf


2017/05/29

「問題複合体を対象とするデジタルアース共同利用・共同研究拠点」(文部科学省、中部大学中部高等研究所国際GISセンター)との共同研究に採択されました

 研究題目は「平成期の日本の自然災害に関する新聞報道の定量的な分析と地理空間上の報道分布に関する研究」です。研究目的と研究方法は以下の通りで、主としてゼミの4年生と研究課題に取り組むことになります。

平成期の日本の自然災害に関する新聞報道の定量的な分析と地理空間上の報道分布に関する研究 酒井信

研究目的
 本研究では自然災害を報道する新聞の報道量(報道数、文字数)及び地理空間上の報道分布と現実の災害の被害を比較分析することを目的とする。災害が生じた場所に関する報道量(言及数)は、一括りに「被災地」と呼ばれる場所の中で格差が生じる傾向にある。例えば2011年の東日本大震災に際しては福島・宮城・岩手の三県の特定の自治体に報道が集中し、相対的にニュース価値の低いと判断された茨城や千葉などの自治体の災害報道は少なかった。一般に自然災害に関するメディア報道においては、被災を象徴する場所に関する報道については繰り返し報道される傾向にあるが、特徴に乏しいと判断された場所の報道については減少する傾向にある。本研究では、このような新聞の報道量(報道数、文字数)と地理空間上の報道分布を分析することで、被災情報の伝達過程で生じる情報格差について可視化し、その格差が生じる要因について現実の被災状況と比較しながら、災害時の情報公開のあり方について考察することを目的とする。

研究の具体的方法 
 第一に本研究では日本の全国紙四紙の新聞記事データベースを使用して、平成年間の自然災害に関する新聞報道を人手で調査し、1自然災害の種類 2記事内の地名(都道府県、市町村、町名) 3関係団体・人名 4発生日時 5文字数 6キーワード を抽出した上で、自然災害に関する新聞報道のメタデータを作成する。第二にメタデータを抽出した各記事を対象に、三階層の地名(都道府県、市町村、町名)に基づいてマッピングし、新聞報道の質と量と分布を俯瞰的に可視化する。第一の研究プロセスは文教大学酒井信ゼミナールで行い、第二の報道分布のデジタルアース上への可視化については中部大学高等研究所の協力を仰ぐ。その上で中部大学高等研究所及び文教大学酒井信ゼミナールの共同で、第三に、可視化した自然災害に関する新聞報道量(報道数、文字数)及び地理空間上の報道分布を、現実の災害の被害と比較分析し、被災に関する情報伝達のプロセスで生じる問題点を明らかにする。

問題複合体を対象とするデジタルアース共同利用・共同研究拠点(IDEAS)
http://gis.chubu.ac.jp/


2017/05/27

メキシコ・シティ

 カンファレンスまで時間があったので、メキシコ国立自治大学(UNAM)の知人を訪ねました。写真はフアン・オルゴマンのモザイク壁画で覆われた中央図書館で、アステカ文明の繁栄とスペイン植民地時代の圧政を、北面と南面で対照的に表現しています。


 UNAMはアメリカ大陸で2番目に古い1551年の開学で、メイン・キャンパスは2007年に世界文化遺産にも登録されていて、オクタビオ・パスのようなノーベル賞作家(詩人・批評家)も輩出しています。訪れたことのある大学の中では、おそらくモスクワ大学に次いで広く、1968年のメキシコ五輪の競技場もキャンパス内で、複雑なバス路線が張り巡らされています。街の中心部からやや離れていますが、地下鉄で5ペソ(約30円)で行くことができます。大学近くの屋台のご飯も安くて美味しかったです。

 メキシコ・シティは、何より壁画が魅力的です。例えばメキシコの教育省は、ディエゴ・リベラが描いたメキシコ革命をテーマとした壁画で覆われていて、今でも丁寧な補修が施されています(写真)。


 昨年、デトロイトで、リベラの「デトロイト産業」をみて感銘を受けたのですが、メキシコ・シティにあるリベラの壁画は更にスケールが大きく、メキシコの地に根を張ったオーラと説得力が感じられます。
 宮殿に描かれた「メキシコの歴史」(写真)や公園横の壁画館の「アラメダ公園の日曜の午後の夢」も一見の価値があります。リベラの作品は、庶民の日常生活を丹精に描いているのが特徴で、バルザックやドストエフスキーの作品のように、都市に集まる雑多な人々の「人間臭さ」が壁面に横溢しているので、インパクトが強く、感動が尾を引きます。


 その他、印象に残ったのは、レフ・トロツキー博物館。街の中心部から地下鉄を乗り継いで20分、最寄り駅から徒歩20分という場所にあるため、観光客はあまりいないのですが、トロツキーの生活感あふれる写真と、スターリンの刺客に備えて要塞化した自宅の展示は、見応えがありました。リベラもトロツキーに傾倒しています。トロツキーはメキシコ郊外で暗殺された、という記述をよく目にした記憶がありますが、郊外というほど中心部から遠くもない場所でした。
 展示を見ていると、ロバート・キャパの写真のような「熱情的な革命家」の姿とは異なるトロツキー像が浮かび上がってきます。死の直前、トロツキーは息子を暗殺され、スターリンを批判する本を書いていたところ、内通した刺客にピッケルで頭を刺されて死に至るわけですが、死の間際の生々しい写真も記録されています。大学院の時に『裏切られた革命』を読みましたが、ロシアを追われメキシコに流れながら執筆を重ねたトロツキーの苦労が、写真の展示と要塞化された自宅を通して実感できた気がします。


 ロシア革命に関わる文化人の博物館では、モスクワのマヤコフスキー博物館が群を抜いて展示が充実していましたが、トロツキー博物館も、メキシコという土地らしい展示で味わいがありました。思想家の博物館は展示が難しく、過去に観た中ではトリーアのカール・マルクス・ハウス(と市立博物館の展示)が、様々な工夫を凝らしていて面白かったですが、トロツキー博物館は、写真と住居の展示を中心とした落ち着いた内容で、周辺の街の雰囲気と調和していて良かったです。

 メキシコシティの中で最も感銘を受けたのは、ベジャス・アルテス宮殿で上演されている「Folkloric Ballet of Mexico」。メキシコの様々な時代の舞踊と音楽を現代風にアレンジして1時間半ぐらいに集約した「舞踊と音楽のショー」です。トリップアドバイザーの英語の口コミで大絶賛のコメントが多かったので、試しにチケットを購入したところ、期待以上の内容でした。
 モンゴルのウランバートルで舞踊と音楽を観たとき、その多様性にモンゴル帝国の統治範囲の広さを感じたのですが、メキシコの場合は、ユカタン半島からグアナファト州にかけて多様な文明が存在していて、それがスペインの舞踊と音楽と融合しているのが面白いと思いました。
 日本で言うとコクーン歌舞伎と京都のギオン・コーナーを混ぜ合わせたような舞台ですが、舞台も広くて演者も多く、舞踊と音楽に確かな教育と競争が行き届いていることが実感できました。

2017/05/24

ゼミ冊子「メディア表現」第一号を発刊しました

文教大学酒井信ゼミ制作の冊子「メディア表現」第一号を発刊しました。104ページの分量で、メディアに関する様々な学びについて、学生が取材し、考察した内容が掲載されています。「100ページを超える分量で、『足で書く』取材記事と、アンケート分析を主とした冊子を作ってほしい」という私からのオーダーに、ゼミ生たちは頑張って応えてくれたと思います。
既に冊子を読んで頂いた取材先の方々からも好評で、制作に関わった4年生は「厚み」のある冊子を「名刺代わり」に、就職活動を頑張っているようです。

文章の添削もなかなか大変でした。ゼミ合宿の移動中も「赤入れ」をしながら修正作業を行っていたため、移動の電車やバスでゲラが舞い散る場面もありました。「締め切りに追われて文章を書くこと」の緊張感と責任感を、ゼミ生に身に染みて学んでもらえたのではと思っています。

誌面には、教員の人生遍歴を巡るインタビューや、「メディアの裏側」に関するゲスト講義、在校生や卒業生の「本音」を引き出すインタビューなど、様々な読み所があります。
アンケート調査とその分析内容も面白く、家族とのコミュニケーションの状況、恋人の有無、メディアの接触頻度、幸福度の格差など、非掲載のものも含めて良い内容でした。

「メディア表現」はオープンキャンパスや学園祭など、大学の行事で、メディア表現学科の教育活動の紹介を趣旨として配布します。年一回の刊行予定です。将来的にはウェブ・コンテンツとしての展開も見込んでいます。










文教大学HPでの紹介記事



2017/04/07

文學界に「吉田修一論 現代文学の風土」(後篇)を寄稿しました

文藝春秋の「文學界」2017年5月号に、「吉田修一論 現代文学の風土」(後篇)約240枚を寄稿しました。『悪人』や『怒り』、朝日新聞朝刊で連載中の「国宝」などの作品で知られる作家・吉田修一について、他の作家の作品と比較しながら、その「風土」に着目して論じた内容です。

吉田修一さんは長崎南高校の先輩にあたる人で、後篇でも「ネイティブ」らしい視点から論を展開しています。前後篇の合計で約420枚ほどの分量があります。手前味噌ですが、現役の作家に関する文芸批評としての完成度は高いと思います。前篇も様々な人から、好意的な感想を頂きました。

文學界 2017年5月号目次
http://www.bunshun.co.jp/mag/bungakukai/bungakukai1705.htm

後篇で吉田作品と比較するのは、村上龍、村上春樹、中上健次、江藤淳、永井荷風、カズオ・イシグロ、カート・ヴォネガット・ジュニアなどです。後篇から読んでも、参照している作品を読んだことがなくとも、相応に楽しんで読むことができる文章に仕上がっているかと思います。

担当編集者によると「文學界」掲載の文芸批評としては、ここ数年で最長では、とのことでした。最初の打ち合わせ時の予定枚数を大きく超える批評文を掲載頂いた担当編集者と編集長に多謝です。

吉田作品に馴染みがなくとも、作品から独立した作品として読めますので、ぜひ手にとって読んで頂ければ幸いです。「文學界」は日本を代表する文芸誌で、様々な書き手の文章が掲載されていますので、他の小説や評論と合わせてご一読下さい。

2017/04/02

産経新聞「この本と出会った」に寄稿しました

4月2日の産経新聞朝刊の文化欄・読書面の「この本と出会った」に寄稿しました。月一回、執筆者が人生の中での思い出の本を一冊挙げて、その本にまつわるエピソードを記すコーナーで、和辻哲郎著『風土 人間学的考察』について書いています。長崎の古本屋・銀河書房や慶應SFCでの大学院の授業についても少し触れています。

産経新聞のオンライン版でも記事を読むことができますので、他の記事と合わせてご一読頂ければ幸いです
http://www.sankei.com/life/news/170402/lif1704020018-n1.html

今月は文學界4月号に「吉田修一論 現代文学の風土」(前篇)約180枚が掲載中で、次の文學界5月号に「吉田修一論 現代文学の風土」(後篇)約240枚が掲載予定ですので、こちらも合わせてよろしくお願い致します。





2017/03/06

文學界に「吉田修一論 現代文学の風土」(前編)を寄稿しました

文藝春秋の「文學界」2017年4月号に、「吉田修一論 現代文学の風土」(前編)を寄稿しました。吉田修一の作品について、他の文学作品と比較しながら、その「風土」に着目して論じています。

吉田修一さんは長崎南高校の先輩にあたる人で、生まれ育った場所がほぼ同じということもあり、「ネイティブ」らしい視点から論を展開しています。以前にも「10年代の入り口で 文學界2010」という特集で長めの批評文を書きましたが、今回は更に長く、前編・後編の合計で約420枚の分量があります。

文學界 最新号目次  *冒頭部分のみ立ち読みもできます。

前編で吉田作品と比較するのは、江藤淳・開高健・川端康成・丸山明宏(美輪明宏)・シーボルト・夏目漱石などで、朝日新聞で連載中の「国宝」にも少し触れています。「国宝」は1960年代を生きる人物とその風景の描写が生き生きとしていて、読み応えがあり、映画版の期待も高そうです。束芋のイラストも『悪人』と同様に素晴らしいですね。

吉田作品に馴染みがなくとも、作品から独立した作品として読めますので、ぜひ手にとってみてください。
「文學界」は日本を代表する文芸誌で、様々な書き手の文章が掲載されていますので、他の小説や評論と合わせてご一読頂ければ幸いです。


2017/02/13

日米首脳会談に関するインタビュー記事が毎日新聞夕刊に掲載されました

日米首脳会談に関するインタビュー記事が毎日新聞夕刊に掲載されました。「日米首脳会談 蜜月どう見る? 非常識な厚遇/ビジネスのよう/親密さ歓迎」という記事で、コメディアンのパックンことパトリック・ハーランさんの後で、今回の会談を「日本人向けフロリダ観光PR会談」であったと分析しています。
パックンって米政府寄りの人かとぼんやりと思っていたけど、こういう時に、毎日新聞でリベラルで的確なコメントをするあたり、ハーバードの卒業生という感じですね。
毎日新聞のオンライン版でも記事を読むことができますので、他の記事と合わせてご一読下さい。
写真が飲んだ後みたいな赤ら顔になってますが、この時は飲んでないですね。

掲載記事
http://mainichi.jp/articles/20170213/dde/041/010/054000c

毎日新聞・今日の一面
http://mainichi.jp/今日の1面/