2020/04/22

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第105回 井上荒野『結婚』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第105回 2020年4月19日)は、井上荒野の『結婚』を取り上げています。表題は「「だまされる女性たち」の闇」です。この作品は、結婚詐欺という文学的な題材を、父・井上光晴の同名の小説から受け継ぎつつ、被害女性の結婚願望の底に横たわる「闇」をオリジナリティの高いものとして描いた井上荒野の代表作だと思います。

明治大学は、当面のオンライン授業に伴うノートパソコン及びWi-Fiルータの貸与を決定いたしました。新型コロナウィルスを巡る対応で大変な時期ですが、教育機関で働く人々が懸命にオンライン教育の環境整備に努めていることが、少しずつでも理解されることを願っています。
https://www.meiji.ac.jp/koho/natural-disaster/6t5h7p00003417jg.html


井上荒野『結婚』あらすじ
結婚願望に囚われた全国各地の女性たちと、詐欺師・古海健児のはかない恋愛を描いた作品。東京の高校受験専門の学習塾で事務職員として働く亜佐子は、エッセイ教室で出会った古海にだまされてマンションの頭金を失う。河口湖でウエイトレスとして働く間宮千種は、佐世保にいた頃、妻子持ちの男に貢がせた大金を、古海に奪われ、故郷に戻ることができない。父である井上光晴の同名小説に着想を得た作品。


2020/04/16

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第104回 井上荒野『切羽へ』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第104回 2020年4月12日)は、井上荒野の直木賞受賞作『切羽へ』を取り上げています。表題は「親子二代の記憶を宿して」です。

オンライン授業に向けた準備を進めながら、本を読み、原稿を書く日々です。今週、本棚の増設工事を終えると、研究室の引っ越しがひと段落します。

『切羽へ』をについて、井上荒野は父・井上光晴が育った長崎県の崎戸を舞台にしているとインタビューで述べています。井上光晴は福岡県久留米市の生まれですが、軍港だった佐世保や炭鉱の島として栄えた崎戸で育ち、これらの土地を舞台に小説を記しています。高校生の頃に、この作品を清書する手伝いをして「父の文体を憶えた」というほどで、東京生まれの井上荒野の「血肉」には、長崎県の崎戸の情景がしみ込んでいるのだと思います。


2020/04/09

明治大学の教員データベースを更新しました

明治大学の教員データベースを更新しました。毎週の新聞連載をこなしていると、原稿をどの媒体に何を書いたか忘れることも多いので、大学の教員データベースで業績情報を一括管理することにしています。明治大学国際日本学部に着任して10日ほどが経ち、Zoomで会議や打ち合わせを行いながら、授業準備を行っています。COVID-19で学生たちと会えない状況ですが、オンライン上でもドメスティックな秩序とは異なる、開放的な価値観や社会観を育むようなコミュニケーションを心がけたいと考えています。

https://gyoseki1.mind.meiji.ac.jp/mjuhp/KgApp?kyoinId=ymddgioyggo


2020/04/08

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第103回 村上春樹『羊をめぐる冒険』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第103回 2020年4月5日)は、村上春樹の英語圏での実質的なデビュー作『羊をめぐる冒険』を取り上げています。表題は「開拓地と近代史の暗部交錯」です。明治大学の肩書で書いた最初の原稿です。

『ねじまき鳥クロニクル』の回でも述べましたが、1996年に大学1年生になった私は村上朝日堂のホームページ経由で、村上春樹さんと3通ほどメールのやり取りをしました。『そうだ、村上さんに聞いてみよう』(朝日新聞社)にやり取りが収録されていますが、「羊」から「ねじまき鳥」に至る作品には特別な思い入れがあります。

『羊をめぐる冒険』は『ねじまき鳥クロニクル』に至る「村上春樹の絶頂期」のはじまりを告げる作品で、新年度の連載の最初に取り上げるに相応しい作品だと考えました。COVID-19が流行している今は、私たちが小説を通して「内的な冒険」に繰り出すのに絶好の時期だと思っています。

この作品は、離婚を経験したばかりの「僕」と耳専門の広告モデルを務める彼女が、星の柄を持つ羊と失踪した友人=鼠を探しに、北海道の開拓地へ向かう奇妙な物語です。羊と鼠を巡るファンタジーのような物語と「保守党の派閥」をまるごと買い取った、児玉誉士夫を彷彿とさせる「右翼の大物」の話がシンクロしている点が、この時期の村上春樹の小説らしいと思います。


村上春樹『羊をめぐる冒険』あらすじ

友人の「鼠」は小説の題材を探し求めて、北海道と思しき場所で撮られた「謎の羊」の写真を送ってくる。広告会社で働く「僕」は、その写真をPR誌に掲載したことで「右翼の大物」と目される人物に脅され、「謎の羊」を探す旅に送り出される。一匹の羊と社会の暗部で巨大な影響力を持つ人々との関係を巡る、冒険小説。野間文芸新人賞受賞作。

2020/04/02

明治大学・国際日本学部に移籍しました

2020年4月1日より明治大学・国際日本学部に勤務しています。
文教大学に在職中は様々な方々にご支援を頂き、厚くお礼申し上げます。

「沈黙の春」と言える状況ですが、教員として出来ることからはじめるべく、オンライン授業に向けた準備に取り組んでいます。早速、パソコンを拡張性の高いものに買い替え、メモリを16GB増設しました。

ポストCOVID-19の時代を見据えながら、これからもメディア研究や文芸批評の国際化に貢献したいと考えています。
今年は立教大学と青山学院大学でも兼任で授業を担当します。

https://www.meiji.ac.jp/nippon/teachingstaff/sakai_makoto.html


2020/03/31

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第102回 恩田陸『ドミノ』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第102回 2020年3月29日)は、東京駅を舞台にした恩田陸の人気作『ドミノ』を取り上げています。表題は「「東京駅」を「街」として描く」です。

今回の連載が、文教大学の肩書で書いた最後の原稿になります。文教大学に着任して最初に書いた書評は、2010年6月の「週刊文春」の「文春図書室」の欄の『団地の時代』 (著者:原武史・重松清)の書評でした。同年の8月に「文藝春秋」に政界再編に関する論考を書き、「文學界」に最初の吉田修一論を寄稿しています。西日本新聞の連載を入れると10年間で150本近くの原稿を入稿したことになります。月日が経つのも早いもので、国際学会での発表も30回ほど行いました。

原稿を書く仕事は、大学での授業内容を新しく更新することとも結びついていて、学生とのやり取りが原稿に反映されていたりします。俗説として、教育をおろそかにすると研究が伸びると言われますが、とんでもない間違いで、研究をおろそかにしていると教育が古び、学生も教員も育たない、のが国際的な常識です。

「締め切りのある人生は短い」と、江藤淳がよく言っていたそうですが(大学院時代に福田和也先生も、好んでこの言葉を口にしていましたが)、多少なりともこの言葉の重みが実感できるようになったと感じる今日この頃です。

長いようで短い文教大学での10年間でしたが、熱心に授業を聞いてくれる学生たちに「書く勇気」を与えてもらい、「学生と一緒に教員も育った」10年間でした。文教大学での教育・研究活動を支えて頂いた皆様に、心より感謝申し上げます。


恩田陸『ドミノ』あらすじ
関東生命八重洲支社の女性職員たちや「エミー」のオーディションを受けに来た母娘、東日本ミステリ連合会の学生たちや俳句仲間のオフ会に集まった人々が、東京駅で起こる事件の数々に遭遇していく物語。過激派「まだら紐」のメンバーが持参した爆弾をめぐる取り違えが、様々な物語を飲み込んでいく。


2020/03/26

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第101回 篠田節子『夏の災厄』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第101回 2020年3月22日)は、「パンデミック」を描いた現代文学の代表作、篠田節子『夏の災厄』を取り上げています。表題は「パンデミックの恐怖を忘れて」です。

写真はこの作品の舞台と思しき、所沢駅の近くです。上京した頃に住んでいた懐かしい街で、久しぶりに行きました。駅前の喫煙所も相変わらず、もくもくと煙を立ち昇らせており、所沢と呼ぶより他ない景色を彩っていました。

『夏の災厄』の冒頭で、老医師が次のように警鐘を鳴らしているのが印象に残ります。「知っておるか、ウイルスを叩く薬なんかありゃせんのだ。対症療法か、さもなければあらかじめ免疫をつけておくしかない。たまたまここ七十年ほど、疫病らしい疫病がなかっただけだ」と。篠田節子の「夏の災厄」は、日本脳炎に類似した新型ウイルスをめぐる行政の対応のプロセスを、市役所の職員の視点から丹念に描いた「パンデミック小説」です。



篠田節子『夏の災厄』あらすじ
埼玉県の架空の昭川市で、熱にうなされ痙攣を起こし、亡くなる人々が急増する。後手に回る対応しかできない行政の内側から、市職員が奇病が蔓延する謎に迫る。ウイルスに脆弱な現代日本の社会構造を、著者らしい丁寧な筆致で丹念に描く。1995年に発表された作品ながら、その後のSARSやコロナウイルスの猛威を先取ったパニック小説。



2020/03/20

現代ブンガク風土記「連載100回を迎えて」上下

西日本新聞朝刊に、現代ブンガク風土記「連載100回を迎えて」上下(2020年3月18日、19日)が掲載されました。

上のタイトルが「W村上と吉田修一 均質化進行する時代 抗うべく土地に着目」。
下のタイトルが「ミステリー系作家たち 薄れゆく「土地の記憶」 伝えるメディアとして」です。

土地に根を張った小説は、その土地の固有の風土や、そこに住む人々の生業や価値観、後世に伝えるべき歴史などを記憶・伝達するメディアとして、高い価値を有していると私は考えています。
薄れていく「土地の記憶」を伝える優れた現代小説は思いの他多く、「現代ブンガク風土記」は100回を通過点として、これからも日本の「地方」を彷徨いながら続きます。





2020/03/15

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第100回 伊藤たかみ『あなたの空洞』

「現代ブンガク風土記」が100回を迎えました! 読者の皆さまに心より感謝申し上げます。毎週一冊、原稿用紙で4枚ほどの原稿を書き続けて約2年。100回記念ということで、本連載を振り返った論考が、別途、上下で掲載されます。福岡で講演を行ったおりも、読者の方々にあたたかいご感想を頂き、非常に嬉しかったです。「現代ブンガク風土記」は100回を通過点として、広い意味での「地方」を舞台にした小説を取り上げながら、まだまだ続きます!

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第100回 2020年3月15日)は、芥川賞作家・伊藤たかみの『あなたの空洞』を取り上げています。表題は「身近な他者の中にある「空洞」」です。伊藤たかみは日常の中に潜む「文学的な問題」をユーモラスに切り出すのが上手い作家で、この作品は、震災と原発事故後の都市生活の微妙な変化を題材にした「震災文学」です。大震災後の社会を生きる人々が経験した「余震」を、小説らしい表現で捉えることに成功しています。



伊藤たかみ『あなたの空洞』あらすじ
震災後の日本の日常を生きる人々を描いた短編集。表題作は流産した経験を持ち、子宮筋腫を患った妻を持つ俊之の日常を描いた作品。「なかったということも覚えておかなくてはならない」という、震災後の現代日本に響く、切実な問いが投げかけられる。その他「ふらいじん」「僕らの排卵日」「母を砕く日」という印象的な表題の短編を収録。

2020/03/09

西日本新聞「現代ブンガク風土記」第99回 桐野夏生『バラカ』

西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」(第99回 2020年3月8日)は、桐野夏生の論争的な「震災・原発事故文学」の傑作『バラカ』を取り上げています。表題は「震災の「被害格差」炙り出す」です。

連載100回まであと1回です。100回が来たからと言って特に何があるわけでもないのですが、新学期までに連載のストックを増やすべく、本を読み文を書く日々を送っています。COVID-19の海外報道をチェックしていて思うのですが、東京オリンピックはたぶん中止だろう、選手を送るのは無理っぽい、という感じの報道がだいぶ増えてきました。国際世論と風評被害を跳ね返すだけのリカバリーができるのか、どうなのか。

桐野夏生の『バラカ』は福島第一原発事故を題材とした作品です。この小説で福島第一原発事故は、水素爆発ではなく、核爆発を起こしているため、チェルノブイリ原発事故のように、放射能汚染が広範囲の土地で深刻化しています。東京も避難勧告地域に指定され、放射線量が高く、日本の首都も大阪に移転されています。「バラカ」は、震災と原発事故を忘却し、オリンピック景気に浮かれてきた日本に住む私たちの姿を、移民という他者の視点を通して辛辣に風刺した、桐野夏生らしい論争的な作品です。



あらすじ
「爺さん決死隊」の豊田に拾われたバラカは、反原発を主張する市民団体の支援を受けながら成長していく。甲状腺ガンの手術跡を持った美しい少女となった彼女は、その運動の象徴となり、様々な人間を惹き付ける。バラカの実父であるパウロは、宗教団体を通して原発事故後の日本社会の暗部に分け入り、失踪した娘を探し回る。桐野夏生の作品らしいスケールの大きなミステリー小説。