西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」の第18回(2018年7月29日)は、村上春樹の2作目の長編『1973年のピンボール』について論じています。表題は「故郷に別れ告ぐ『私小説』」です。村上春樹については短文を書くのは2回目ですが、先々まとまった批評文を書きたいと考えています。
『1973年のピンボール』は、村上春樹が育った故郷の芦屋と思しき町を舞台にした作品で、この作品は村上春樹が書いた数少ない「私小説」と解釈できる内容です。
デビュー作の『風の歌を聞け』と2作目の『1973年のピンボール』は芥川賞を逃しますが、村上春樹は三作目の『羊を巡る冒険』で、作品の質と売上げの双方で大きな成功を収めて、芥川賞を貰わずとも、日本を代表する作家として飛躍していきます。
村上春樹のように様々なジャンルの作品を残す作家は、エッセイと区別が難しい、生まれ故郷を舞台とした私小説を書くことで、故郷に別れを告げ、作家と「成熟と喪失」を遂げ、飛躍していく傾向にあると思います。この意味で『1973年のピンボール』は、村上春樹にとって「故郷喪失者」として世界へと飛躍するきっかけとなった重要な「私小説」だと私は考えています。
春学期の授業も終わり、9月上旬に発売予定の単行本のゲラの戻しも終わり、同じ月に掲載予定の季刊の文芸誌の初稿も終わり、ひと段落という感じですが、まだまだたまっている仕事があり、夏休みは遠そうです。。
『1973年のピンボール』は、村上春樹が育った故郷の芦屋と思しき町を舞台にした作品で、この作品は村上春樹が書いた数少ない「私小説」と解釈できる内容です。
デビュー作の『風の歌を聞け』と2作目の『1973年のピンボール』は芥川賞を逃しますが、村上春樹は三作目の『羊を巡る冒険』で、作品の質と売上げの双方で大きな成功を収めて、芥川賞を貰わずとも、日本を代表する作家として飛躍していきます。
村上春樹のように様々なジャンルの作品を残す作家は、エッセイと区別が難しい、生まれ故郷を舞台とした私小説を書くことで、故郷に別れを告げ、作家と「成熟と喪失」を遂げ、飛躍していく傾向にあると思います。この意味で『1973年のピンボール』は、村上春樹にとって「故郷喪失者」として世界へと飛躍するきっかけとなった重要な「私小説」だと私は考えています。
春学期の授業も終わり、9月上旬に発売予定の単行本のゲラの戻しも終わり、同じ月に掲載予定の季刊の文芸誌の初稿も終わり、ひと段落という感じですが、まだまだたまっている仕事があり、夏休みは遠そうです。。