西日本新聞の連載「現代ブンガク風土記」の第22回(2018年8月26日)は、絲山秋子の芥川賞受賞作「沖で待つ」について論じています。表題は「胃袋通して福岡と和解」です。
絲山秋子は、福岡に縁のある作家で、この作品には絲山が住宅設備機器メーカーの博多支店で勤務していた頃の経験が反映されています。この小説の「私」は「もっと殺伐としたとこかと思ってたんだけど」と言いながら、「魚介だけでなく水炊きやもつ鍋や、焼き鳥屋の豚バラ」を通して博多の街に惹かれていきます。
絲山の作品は「沖で待つ」以前の芥川賞の選考では、物語の道具立ての良し悪しが指摘されてきました。しかし絲山の作品には物語の道具立てそのものを、読み手の無意識の底に沈み込ませていくような力強い、マントルのような動きがあります。他人とのユーモラスな会話をきっかけに、繊細な感情を紡ぎ出し、同時代の社会の生きにくさを捉える絲山の言葉は、文学的であり、社会批評でもあると思います。
絲山秋子は、福岡に縁のある作家で、この作品には絲山が住宅設備機器メーカーの博多支店で勤務していた頃の経験が反映されています。この小説の「私」は「もっと殺伐としたとこかと思ってたんだけど」と言いながら、「魚介だけでなく水炊きやもつ鍋や、焼き鳥屋の豚バラ」を通して博多の街に惹かれていきます。
絲山の作品は「沖で待つ」以前の芥川賞の選考では、物語の道具立ての良し悪しが指摘されてきました。しかし絲山の作品には物語の道具立てそのものを、読み手の無意識の底に沈み込ませていくような力強い、マントルのような動きがあります。他人とのユーモラスな会話をきっかけに、繊細な感情を紡ぎ出し、同時代の社会の生きにくさを捉える絲山の言葉は、文学的であり、社会批評でもあると思います。